★☆トーヨーノート☆★

過去ログ190 2019/2/8 20:27

のと
先生は私を褒めて自信をつけさせようとしてくれるのだ。
表情が高校時代よりも良くなったね。とか、今の時期で例えるなら笑った顔がまるで梅の花が咲いたようだとか。まあ絶世の美女ではないけれど...。とちょっと余計なことまで言われたが、化粧しているときなら私は年配や高齢者にモテるのである。自慢か。いや、今の時代ではブスと言われる顔なのである。家でめっちゃブスと言われ続けたこの私が自慢させてもらうと、ある時はもうじき90歳になるという、お店のエレベーター内で出会っただけの上品でお洒落で素敵なお婆さんから、綺麗な方ですねと言われたし、またある時は、以前働いていた職場で高齢の男性のお客様からまるで神様でも見たかのように感嘆し、驚いた表情をして、はぁー!あんたべっぴんさんやなぁ...!と言われたこともあった。しかもそのお客様は半年後ぐらいにまたやって来て、また同じことを言われた。それから従姉妹のおじいちゃんから美人になったねー!とか、叔父からは化粧したときの顔がタイプだとか、知り合いのおばさんからも美人になったねとめっちゃ褒められ、いや、私は化粧でそんなに変わる顔か?!という感じなのだが、詐欺レベルではないにしろ、素顔とはやはり違うようである。女はメイクで変わるものだから、男性陣は気を付けたほうが良い。
なお、私は若い人からはモテたことがない。
産まれてくる時代を間違えたようだ。
寝起きとか、女の欠片もないほど絶世のブスである。
ヤバい。めちゃんこ不細工。どっちかというと女じゃなくて男みたい。おっさんか。私はおっさんか。
ブスブス言われることもあるけれど、人生の先輩方の中には褒めてくれる人もいるので、それで整形までは考えないのだと思う。だが、根本、自身はやはりブスだと思っているので、顔を褒められるとそれが可笑しくて可笑しくて笑いが込み上げてくる。こんなブスに?!はっはっは!と相手の目を疑うのである。
もしや、高齢者は視力が宜しくないからなのだろうか?
2019/2/8(金)20:27

のと
先生から電話があった。私が描いた子犬の模写絵を高2、3年生の3クラスの生徒たちに見せたら絶賛の嵐だったよという内容だった。写真みたいだと言ってくれた生徒もいたらしい。まあ、子犬のモノクロ写真のコピーをカラーで模写したものだからそう思ってくれて良かった。感受性豊かな高校生たちがあんなに絶賛してくれたんだから、ペットの写真を送って貰ってそれを絵にする仕事をお小遣い稼ぎにやってみたらと言われたが、私は絵を描くことは非常にストレスになったりもすることなので断った。私のことを考えて言ってくださるのは有難いが、気力がありませんと。
あの模写絵でさえ、完成までに3時間ちょっとほどだったがそれでも発狂しそうになるほど嫌々ながら描いたのだった。描き終えたあとにもう次は絶対断ろうと決めていて、実際に次にお断りした。それに完璧に模写出来ていない。美術の先生などに見せたら不評だろう。

私は好きなキャラや道化師の絵を無性に描きたくなったときにしか描かない。しかしそれさえも描いているうちにイライラして止めることも多いのである。
そういう欠点を相手に分かってもらうのはけっこう難しい。そのまま何もしないのは勿体無いと言われる。
だが本人としてはそんな問題ではないのだ。
今回は結果として先生にかなり喜んでもらえたから私も嬉しかったけれど、やはりもう二度と模写をしようとは思えないのであった。
2019/2/8(金)20:00

のと
そうだ

親とは

子ども







護るべき存在であって

子ども







奪う存在ではないのに.....。
2019/2/8(金)4:42

のと
東洋さんがTwitterにURL上げているけど、虐待の事件についてのこと。

私は虐待された子どものニュースを観たりすると、
このクソ親がぁっ!私がその子育ててやらぁっ!
って気持ちになってくるのは我ながら不思議。
子育てしたこともないししたくもないし自分で精一杯だしお金もないし稼げもしないのに。子どもが好きでもない。どっちかというと嫌い。私が子どもみたいだし。子ども相手にムキになって喧嘩しちゃうと思う。私だって反抗的な子どもなら虐待するかもしれない。でも愛すべき我が子は幸せにしてあげるべきだと思っているのでそもそもこんな世の中に産みたくもない。悲しませたくない。苦しませたくもない。

自分はそう思っている人間なのに、なんで私が育ててやるだなんて気持ちが湧いてくるのだろう。
きっと、悔しくてやるせないからだ。

私は思うのだ。
親がセックスして勝手にこんな世界に産んだのだから、責任持って幸せにしてやれよ!って。
障害を持って産まれるかもしれないんだからその覚悟も出来て産むのか?金銭的にも余裕あるのか?
我が子をちゃんと最後まで愛せよ!って。

産まれてからやっぱり愛せないだなんて
そんな話は通じないのだ。
生命を作り出してしまったのだから。
痛覚も感情も備わっている人間を作り出してしまったのだから。

子どもを不幸にする可能性が少しでもあるのなら産むな。それでも産んでそんな無責任なことをするなら、施設にやるしかないだろう?虐待よりマシだ。里親だって。私みたいに、育ててやらぁ!って気持ちになる人はいると思う。私はそんなこと出来ないし口だけだけど、きっといるよ!!愛してくれる人が!!

でもね、いきなり降ってきたように他人の子ども、しかも親から愛を貰えなかった子どもを授かって、私しか育てる人がいないとなったら、そんな漫画やドラマみたいなあり得ない状況ならば、私は、きっと、その子のために人生捧げるだろう。この命をかけて護ってあげるだろう。そうしてうんと愛してあげる。愛してあげるよ。


私が小学生で不登校だったとき、学校に教育委員会を呼ばれたことがあった。母が担任と話し合いに行った。
そしたら、教育委員会の人は、
「それで、どうしますか?(施設にやりますか?)」 と、直ぐに施設に私を投げ込むようなことを提示してきたらしい。それを聞いた母と担任は顔色変え、そんなつもりじゃないと教育委員会には帰ってもらったのだと以前母から聞いた。


母からは、
もうアンタは施設にやる とよく言われていた。
でもそれは本心ではなかったことが分かった。
何だかんだ言って母が私のことを一番愛してくれていた。母はヒステリックでうるさいし厳しいところもあるし、私は幼いながらにもお母さんの叱り方って下手だなぁなんて思っていたけど、子どものことを一番大切に思ってくれていたと思う。

親とは、子どものためなら命をかけられるものであると私は思っている。私は母のためならば命をかけられるかもしれない。
それが、世間一般でも常識だった古き善き時代は変わってしまったようだ。
2019/2/8(金)4:35

のと
そう言えば、先生は夏にモスクワに嫌々ながらの旅行に行ってきたらしいが、そこの博物館で、兄弟らしき子ども2人がパンフレットを取り合ってずっと喧嘩していたそうだ。

そこで、先生は間に入ってそのパンフレットを真っ二つにしてそれぞれに渡したらしい。

強い。強すぎるよ先生!!
2019/2/8(金)3:50

のと
ええっとそれからー、小さな骨董品屋に入ったけど私の好きな青緑色したアンティークのインクボトルは置いていなかった。先生は何とも言えないツルツルした手触りのような何かに敷く陶器なのか磁器なのかよく分からない物を購入された。よく分からないことだらけである。いや、それに惹かれた気持ちは私にも分かった。なかなか色合いや艶感など味のあるものであったから。私も好きかもしれない。本来の用途と違うらしいがミニ盆栽の下に敷きたいらしい。

と、今日はこんな感じだった。

そして車の中でも色々とお話ししたが、私が発達障害であることをその時初めて告白した。先生は詳しくなかったので軽く説明したが、貴方は成績優秀だったじゃないか。貴方が何故あの学校に入学してきたのか不思議だったぐらいだと驚かれた。いや、私はレベルの低い学校だったから成績が良かっただけで、とても進学校に入れるようなレベルではない。また、発達障害には学習障害があるわけではないことを教えた。そのため大人になって就職してから仕事がミスばかりなので自分が普通じゃないと気づく人も多いのだ。私は学校生活でも自分がちょっとおかしいと気づいていた。まあそれは幼稚園児の頃ですら思っていたのだが。先生は高校の先生で、私は商業高校出である。なので私は資格を取るために検定の勉強も凄くやってきた。しかし、私は記憶力や応用力といったものがイカれているため、人よりも何倍も努力せねばならない。そして最初は情報処理科で入学したのだが途中から教えられる先生が居なくなるという事態になり商業科と混ざることになり、情報処理系の学習も他の先生が来てからは少し進めるにも他校よりレベル低い内容だったり、学校の体制がほぼ商業科になっていたので簿記の資格も優先して取らねばならなくなり、部活は帰宅部だったのだが、人数不足で困っているからお願いと教頭に言われ高2の途中から簿記部に入部したりして全商の資格だけでは済まず日商簿記検定まで受けねばならないことになって日商簿記検定では2度落ちた。しかも2級までしか取れなかった。先に入部していた商業科のエリート組は1級を取得したがどう頑張っても私には無理である。簿記は意味がわからん。意味がわからんままやって来たのだ。それから情報処理科としての勉強は国家資格であるITパスポートを取らされた。しかしこの資格、鼻で笑われる程度のそっちの世界では有利にならないほどレベルが低い資格である。そこまでして取る意味があったのかわからんのだ。検定受けるのには時間も金も掛かる。全商の検定は全国の商業高校生が受けることになる検定である。こっちは5種を1級取得したので卒業式の時に表彰された。所謂、5冠である。そう、私はこう見えて高校時代はかなり努力した。努力すれば何かしら変化があった。小学生のときに不登校になって中学でまたいちから勉強してきて地の底から這い上がってきた。勉強は大嫌いだし頭に中々入らないが必死で頑張ってきた。なのになのに今まで学習してきたことを覚えていない。普段使う機会のある漢字以外覚えていないのである。もう計算なんて算数のわり算までしかわからないだろう。毎回テストや検定が終わるごとにほとんど記憶が無くなり、卒業とともにほぼ全て学習内容の記憶が無くなってしまったのである。上書き保存。
だけど嫌な記憶たちはいつまでも鮮明に覚えている。
学校生活での人間関係、嫌な記憶たち、これもフラッシュバックする。学校生活は地獄のようだった。今思えば小学生で不登校になったときから鬱だったのだろう。
でもいつか人生は転機を迎えるだろうって、
こんなに努力してきたのに、なのに!
社会人になって仕事出来なくて、自信もプライドも人からの信用も全て無くなった。
勉強なんて。
時間の無駄だったのか。
資格だって。
いくら履歴書に書けても。
忘れちゃったんだもの。
全く活かせない。
お金も時間も無駄だった。
絶望した。
挫折ならもう何度も何度も味わってきた。
その度に地を這いずっても前に進んできた。
でもね、
いくら努力してもどうにもならないこともある。
働いてお金を稼ぐこと。
それが私には難しすぎるの。
仕事だって真面目に。
なのに。
毎日何度も失敗ばかりで。
パワハラ受けて。
信用失ったらさ、働けないんだよ。
人って何度も人生に打ちのめされたらさ、
疲れるんだよ。
人はいつか疲れるものだから。
だからもう気力がない。
私は疲れた。
ああ、疲れたなあー。
頑張ったよなあ私。
何度自殺を考えたことか。
よくここまで生きてるよね。
苦しんで死ぬ勇気は無くて。
2019/2/8(金)3:26

のと
さて、オーディエンスもいないだろうが日記として続きを綴っていこう。

喫茶店は和風の造りでぐるっとお座敷を囲うような廊下にも席が置いてあるお店である。そこは御茶を飲みながら窓ガラス越しに庭園を観ることが出来る。桜の木があるので春だと雰囲気がありそうだが冬は流石に少々寂しさを感じさせる庭になっていた。そんな中、真っ赤な椿が咲いていたので一際目を惹いた。先客の1人に作務衣を着ている男性がいらしていた。あれ?もしや以前先生と別の喫茶店でお茶をした際にも見掛けた方かもと思ったのだが当然声は掛けずにいた。顔は覚えていないのだが背格好を覚えていたのだ。私は作務衣に目がないのである。
そして先生と私は抹茶を注文した。
私は作法など全く知識がないと言うと、先生はニッコリ笑って普通に飲めば良いのだと言われた。まあ確かに茶席でもないのでそこまで畏まる必要もなかろう。先生は昔習いに行かれていたそうだが続かなかったらしい。そしてひと切れの桜羊羹がお茶菓子だったので先にそちらをいただいてから抹茶を飲んだ。抹茶の茶碗の絵は何の絵かわからなかった。全くわからない。何が描かれていたのだろうか。茶器を褒める作法があったようななかったような。そんなよくわからないような絵で良いのだろうか?と、2人で会話した。竹で作ったウグイスのような絵だがそうでもなさそうなものも繋げて描かれているのでさっぱりである。わけわからん。
それから先生は片手に乗る大きさの濃い青色の石を私の絵の御礼にとくださった。私にはそれが何の石だか一目で分かったので先生は驚いていた。ラピスラズリ。昔、画家がその青い石から絵の具を作り出していたという石である。当時はかなり高価な石であったようだ。私は一時期絵画に興味があったのでその話を知っていただけだ。私の模写絵への対価としてはとても受け取れない物なので、石を見させてくださるだけでも有難いですし高価な物は受け取れません、お気持ちだけいただきますと断りを入れたのだが、これは私が持っていたものだったけど十分遊んだし、この石を分かっている人にあげたほうが良いし、貴方に渡すために持ってきたのだから受け取ってもらわないとと言われ、ちゃっかりいただいて帰りました。「遊んだ」というワードが気になったので削ったのですか?と聞いたらそういう意味ではなかった。多分、石を撫でるとか愛でるとか話掛けるとかそういうほうの遊ぶだろう。よく見ると小さな細かいキラキラしたものが混ざっている石である。調べてみたところ、その正体は雲母のようだ。このキラキラが散らばっていてまるで星空のように見える。なんてロマンチックな石なの(笑)しかし、自分の物になった天然石は浄めたほうが良いなんて言われているので洗って塩に浸けたかったのだがこれは水にも塩にも弱い石であるのでそうは出来なかった。まあ、先生は運気悪くなさそうなので問題なかろう。ってかなり失礼だな私!石はパワーを吸収しやすいと言うし、昔から海や川の石は良くないことが起きたりするので絶対に拾って帰るなと言われているのでそういうのには敏感である。
2019/2/8(金)2:21

のと
おっと下記の文章には誤りがあった。
"鼻呼吸精神"ではなかった。
鼻呼吸が辛いのだから、口呼吸精神でなくてはならないのに。
2019/2/8(金)1:10

のと
今日は以前私に子犬の写真の模写絵を頼んできた先生とまた食事をしてきた。私が完全なる引きこもりだと思って心配して連れ出してくれているようだから、最近は出掛けるようにしていますと言ったのだがまた春に会うことになった。
さて、何処で食事しよう?となったときに私は優柔不断なので決められない。それで今回もお任せしたのだが車を走らせてもらっていた方向にこれと言った食事処が無くて、ちょっと高級な感じなのでうちの家族はいつも通り過ぎるだけのステーキ屋があったのでそこに連れて行かれそうにもなったのだがそこは定休日のようで閉まっていた。私にお金を出させないようにしてくださるためこちらとしては安いファミレスなんかで良いのだが、ファミレスにしますか?と聞いてもそれはしたくないと言って、私が普段行けないようなお店やお洒落なお店に連れて行きたいようなのである。だがしかし、中々お店は無く、ここは田舎なので道の駅がけっこうあって今日はそっちに行ってきたのである。なんというか、食事スペースはフードコートの簡易版みたいな場所であった。そこに入ると人からジロジロ見られたのは嫌だった。
それから早速模写絵を渡した。先生はその絵を見て喜んでくださったようだった。サインを入れてと頼まれたので取り敢えずローマ字でサインをした。模写なのに(笑)先生は、その子犬の模写絵を見てワンダフルと言ってくださった。猫の絵だとニャンダフルになるそうだ....。
そしてお昼に食べたのは2人とも鉄火丼。それに添えられているワサビがチューブワサビなんかよりもかなり辛かった。しかし既にご飯の上で寝ているのマグロの切り身全てにちょんちょんとワサビを乗せてしまったのでこれらを今さら減らすのも下品な食べ方かと思い我慢してそのまま食べたので涙目になった。口に入っているときに話し掛けられていると私はカクカク頷くだけでツーーンとした刺激と格闘していた。まさにダハーーッて感じであるのだよ。私は知っている。ワサビがツーーンときたときに鼻呼吸すると追い討ちをかけると。だが口呼吸でも刺激が強すぎると噎せる可能性や喉が焼けそうに痛くなる場合もある。しかし、鼻呼吸ほど辛くはない。ここはレッツ鼻呼吸精神だろう。セルフサービスのお茶があったらしく先生はそんな私のためにお茶を持ってきてくださったのだがそこは私が気を遣わねばならなかったところであろう。そうしてなんとか完食し、落ち着いて話せる場所のために城下町の喫茶店に行くことになったのだった。
2019/2/8(金)1:08

のと
ちょっとまってうちのどんちゃんイケメンなの見て

https://i.imgur.com/3uMVBek.jpg
2019/2/7(木)19:47

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