1 東洋

<東洋文学論〜カテゴライズメカニズム>

 
昨日、ハイパー天国を更新した。同時に、前回打った10コメを読み返すと、文章上の書き間違いがあったため、それも書き直したところである。ただ、貼った動画及び、コメントの内容は11月11日のものとほとんど変わっていない。言うなれば、作り手のみに置ける納得を覚えられるかどうかの範囲内の話である。

自分が作りたい世界観やルールは、その都度変化していくため、毎回、自分の気持ちを100%文字に乗せ切っているか問われれば、そうだとも思ってはおらず、その時期に置ける自らの心境が定まり切れていないという事も暫しあるのも事実である。それでも、文字を打ち続ける者のみに訪れる領域、力を出し切ったからこそ得られる力の抜き具合いや、実験的な思考からもたらされる遊び心など、その時、その瞬間に表現出来る方法は、どんなものでも使っていこうといった気持ちで現在まで文字を打ち続けて来た。

最近の俺の文字打ち場の主軸はトーヨーノートや、ラインDMであるが、ざつむほ女とも、まさかのライン関係が築かれたため、来年は本格的にライン本体の使い道も考えたいと思っているところである。ただ、その前に、やりたいと思っている事があり、それについては、トーヨーノートの方で、ノトリとの会話から引っ張り出して貰えた事をキッカケに、ココでも書き記そうと思ったが、実は、俺は、去年から『書道』というものに挑戦してみたいと思っていた。

ピーシーやケータイ、スマホやタブレットといった具合に、ハイテクノロジーの施されたコンピューターから文字を打って来た人間であるものの、筆を取り、1文字に対して、全力で楽しむという方法は取ったことが無かったため、ココに対し、興味が沸き、加えて、自分なりの新しい色合いが加えられるジャンルだと考え、やってみたいと思ったわけである。

どんなジャンルにおいても、新しいやり方は落ちているものである。みんながやっている方向、流行っているものの何もかもを否定することは出来ず、それらを知るという事も、勿論、大事である。ただ、更に大事なのは、それを踏まえ、じゃあ、自分は、そこに対し、どういったアプローチを掛けていくのか、いかにしてオリジナルの色合いを落とし込もうかといった感性であり、自分が成し得る表現法が導き出される見込みのあるジャンルであるならば、バンバン挑戦していけば良いのだ。加えて、書道というジャンル自体、今現在は、然程、一般的には注目されていないといった点に置いても、魅力を感じているが、これこそ、オリジナルを掴むための感覚である。

1つ、この段階で、東洋書道に対するヒントを出しておくならば、俺は『書道を絵の感覚で楽しみたい』と思っている。加えて、これまでの書道の常識を覆す部分の提示としては『一筆書き』というルールは完全無視で『俺だけの書道』というものをテーマに、このジャンルを食っていきたいと思っている胸も、今の時点から書き記しておきたいと思った。
 
勿論、目新しい事に挑戦する限り、そのジャンルの王道と呼ぶしき道筋にいる者、伝統に誇りを持つ者と、反感を覚えられる人間の方向性も理解しているが、それでも、東洋の脳ミソが、それをやりたいと思ってしまったのであれば、誰もそれを止めることは出来ないのである。まさに、トーヨーノートに書き記される愛の形のように。

思うだけ、言うだけなら、なんでも出来るのだ。加えて、物書きという人種は、何かを言う事自体が本業であるため、なんでも言ってしまえば良いのだ。良いも悪いも後から着いて来るのだ。やるか、やられる、であるなら、何でもやってしまえば良いのだ。踏まえて、加えて、取っ払いながら、今後も、東洋の生み出す新たな世界を楽しんで貰えれば幸いである。
 
BY/東洋
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2 TOーYO−
 
書道の起動はヒップホップ!!自由を求める言葉の表現!!それらを証明!!またもや公言!!己の、思考は、意識不明!!明確ビジョンに、イメージ、膨らむ、己の世界で、毎日、冒険!!統計、生命、冷戦、牽制、なんにも、いらない、文学革命!!
(PC ID:uT5YMk)