1 東洋

<東洋文学論/野生と命の教えを伴い>

 
予定が少し狂った。

今年のハイパー天国は俺のデジタルサバイバル生活の模様をシックに、ジックリ、ゆったり、マッタリ、やる予定であったが、いつものあの人がラーメンっぽいやつになって現れていたため、急遽、うどんモドキと、ソーメン気取りを鍋の中に投入しなくてはならなくなってしまった。なんだろうか。とくに何も無い。とくに何も無いが、向こうも何も無いクセに、毎度、俺に味付けを施して貰うことを期待しているところが憎たらしくはある。そこはケンちゃんも同じである。加えて、生意気でありつつ、そこは、俺自身が兼ね備えた親心シンパシーのタマモノで乗り切っているところである。流石は俺だと誰も言ってくれないため自分で書くしかないわけである。踏まえて、盛り上がっておられる。同時に、ノトリもパリハも絶好調である。現状のこと踏まえ、アレコレ書きたいテーマもあれば、本日は明日まで家にいるため、夜中を通して、チョコ書きしていくだろうが、実のところ、去年の話だけで書きたいネタもまだあるわけで、その1つがざつむほ女の話である。去年、ざつむほ女の子供の写メを見せて貰ったが、まあ、彼女に似ていた。DNA丸出しの見た目であった。去年は命というテーマから幾分考えさせられるテーマが多かった。こればかりはネタの組み方に困るというのは別で書いた通りである。

生まれゆくものがあれば、消えゆくものがある。当たり前のことであるが、そんな事をこの年齢となり、色んな角度から実感しているところである。家族、というテーマと共に、ネット、リアル含め、仲間、そして、恋人、人との繋がりの中で感じるものから学ばせて貰ったものは真面目に多いなと感じている。

去年、12月27日00時丁度を仕切りに、デジタルサバイバル生活を始めた。この日の、この時間をキッカケに、これを始めたのには理由がある。野生に帰りたかったからだ。

俺は12月27日より、2019年1月1日00時を回るまで、一切、食べ物を口に入れない事を誓った。そして、実現した。誰ではない。自分との闘いである。過去に、金が無くて飯が食えないという状況はあったが、あるにも関わらず、敢えて、このような事をしたのは生まれて初めてである。この期間に色んなことを感じた。

掻い摘んで書けば、5日ある内の3日目までは、腹が減ってしょうがなかった。しかし、4日目はそうでもなかった。5日目に至っては、なんなら倍の10日に延長しようかと思える程に、空腹は無かった。しかし、そこまでの予定変更は加えず、1月1日をキッカケに、焚火で作ったうどん入りの鳥鍋を食った。死ぬ程ウマかった。この時はゾーンに入っていた様に思う。野生に帰ったよう、感覚が研ぎ澄まされていた。人間は、誰しも、意識的に、こういう体験をした方が良いと感じた。

『過去に囚われるな』という言葉は無責任である。忘れる必要も無ければ、振り向く事も時には必要である。考え、感じ、ちょっとした事に感謝しつつ、感受性を磨いていけば、己の限界突破は完了している。

生まれゆく命の嬉しさに、消えゆく命の悲しさが混ぜこぜになった世界の中で俺達は生き続けなくはならない。息苦しくて当然である。空し過ぎて当たり前である。こんな世界で平常心を保ち続けられる人間こそが変人なのだ。

俺はどんな状況でも生き続けていく。
 
同様に、みんなにも生きていくためのパワーは備わっている。

『自分を信じる』という言葉も、同様に、言葉の響き以上に、人間が持てる心持ちではないようにも思う。でも、結局のところ、宗教でも、環境でも、状況でもなく、自分だけとは付き合い続けてやらなくてはないのだ。それは事実であり、現実である。なので、褒めてやって貰いたいと思う。認めてやって貰いたいと思う。十分なことがやれているじゃねーかと自分で自分に優しい言葉を掛けてやって貰いたいと思う。予定が狂ったところで、野生的にぶちのめす王国コンビ同様のエネルギーを、この場の文字にも込めておこう。俺はオマエラが好きだ。そして、オマエラも俺が好きだ。隙間を縫うことなく、文字打ちキャンプファイヤーに薪を投入しておこう。暖かいったらありゃしねーわな。

BY/東洋
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