1 兵士

年表

1944年6月16日 アメリカ軍戦闘機の残骸がハワイ沖で多数見つかる。パイロットは行方不明。
1945年4月7日 アメリカ軍はセラフィム(地球外惑星由来所属不明害悪生命体)の存在を確認。
1950年6月9日 アメリカは秘密裏にセラフィムとの戦闘を開始。
1967年 アメリカ大陸がセラフィムによって壊滅的被害を受ける。
1970年2月8日 日本に初めてセラフィムが上陸。迎撃に出た自衛隊戦闘機が全滅。
1975年3月8日 九州中国・四国、近畿がセラフィム支配下に。住民は軍の指定した地域への避難により半分以上が生存。
1980年 東京にて大戦闘開始。
1981年 国連軍、欧州連合国軍、米中露連合軍の参戦。
1987年 日本が壊滅的被害を受ける中で、メシア(戦闘歩行兵器)が完成。
初戦から青森基地を奪還し、成功をおさめた。
1991年 「ゴリアテ計画」の一環であるバーサーカーシステム開発が開始される。
マークス・ライラック博士の暗殺により、計画が頓挫する。
1993年 太平洋人工島防衛基地に、アメリカから提供された兵器「FAE」を搭載したメシアを配備。実戦で沖縄のセラフィムを全滅させ、領土奪還。フランスではアルマーネとフェリクスによる内乱が発生。
1994年5月 神谷家がクーデターにより倒れる。
2 兵士
1945年8月、日本軍が連合国軍へ対セラフィム共闘を提案するが、連合国軍は日本を降伏させる。
実際には日本の戦闘機もセラフィムの被害を受けており、日本軍上層部はアメリカより先にセラフィムの存在を認知していた。
しかし、先の戦争によって軍備を制限されていた日本は、セラフィムが日本に到達するであろう時までに軍備を再編成し、
再び日本軍としてこれを前線に置いた、アメリカ軍とセラフィムとの戦闘でセラフィムについての知識があったマークス・ライラック博士は、対セラフィム戦闘歩行兵器<メシア>を開発する。
3 兵士
当時20代だったマークスはドイツ→日本日→フランスと、活動拠点を転々とする中で日本の技術力を知る。
1982年からメシア開発の指揮を取る。1987年にメシアが完成すると彼は次にフランスへと渡った。
フランスでは、主にバーサーカーシステムの開発に力を注いだ。
人体を破壊する暴力的なシステムだが、彼はそれでもバーサーカーシステムに賭けることを選んだ。
ドイツで思い付いた案件であるにも拘わらず、フランスをバーサーカーシステム開発の拠点にしたことには彼なりの理由があったと思われる。