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『、の部屋♭6』


  の
 摂
理 を
 求 め よ
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主人公ブルームが川辺を歩きながら、広告板を載せたボートを発見する。ブルームは想う。 /いいアイデアだ、あれは。市役所に地代を払ってるのかしら? 本当に川水を所有できるのかな? 絶えず流れてるんだ、行く水は帰らず、これぞわれらがたどる命の流れのなかで。命は一筋の流れだから。どんな場所でも広告に利用できる。/p377 こんな印象に残る文章が、全体に散らばっている。興味深いがこれが他の話に話につながることは全くない。その場その場のユーモアや諧謔をその場限りのものとして読者は楽しむ意外に、本書を読む方法は無い。
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へき‐とう【×劈頭】
物事のいちばん初め。最初。冒頭。「開会劈頭から紛糾する」
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引力と斥力
「斥力」の画像検索結果
引力または誘引力とは、2つの物体の間に働く相互作用のうち、引き合う力のこと。一方、斥力または反発力とは、同様に2つの物体の間に働く相互作用であるが、反発し合う、すなわち互いを遠ざけようとする力のこと。 現在、物理学においては4つの基本的な力が考えられている。 そのうちのひとつ、電磁力には引力と斥力の両方が存在する。 ウィキペディア
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斥力
せきりょく
repulsive force
2つの物体間で互いを離すように作用する力。引力の対語。同符号の荷電物体間のクーロンの斥力などがある。分子を構成する2原子間や原子核内の2核子間には引力が働いているが,両者が非常に近づいたところでは斥力が働いて,それ以上に近づかないようになっている。
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認識は時間的には経験とともに始まる。とはいえ、あらゆる認識が経験から発現するのではない(第二版B1)。「すべての物体は延長している」という判断では、述語が主語のうちに含まれている。この種の判断は分析的判断と呼ばれる。これに対し「すべての物体は重い」という判断では、述語が主語においては考えられていない。この種の判断は総合的判断と呼ばれる。経験的あるいは後天的判断は、何が存在するか、いかに存在するかを告げるのみであり、それ以外であってはならぬという必然性をもつ先天的判断とは異なる。分析的判断はすべて先天的であり、総合的判断は通例後天的である。にもかかわらず数学および自然科学においてはすでに現実的である先天的かつ総合的な判断は、いかにして可能かという問題を立てることができ、先天的認識に関してのこの批判は先験的(対象一般をわれわれが認識する仕方に関するすべての認識 (B67) )と呼ばれる。

いかにして先天的総合判断は可能か、あるいは学としての形而上学は可能かという先験的主要問題は以下の4つに分かたれる。

いかにして純粋数学は可能か(感性論)
いかにして純粋自然科学は可能か(分析論)
いかにして素質としての形而上学は可能か(弁証論)
いかにして学としての形而上学は可能か(方法論)
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たい ぜん [0] 【泰然】
( トタル ) [文] 形動タリ
落ち着いていて物事に動じないさま。 「 −として驚かない」 「山々が常に−として頭を擡(もた)げて居る/自然と人生 蘆花」
「泰然」に似た言葉
» 類語の一覧を見る
優しい ゆったり おっとり 鷹揚 落ち着き
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98
いがたわく【鋳型枠】
鋳型を作るとき、鋳物砂を詰める木または金属製の枠。
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ちょうたく
【彫琢】
《名・ス他》宝石などを、きざみ磨くこと。比喩的に、文章を磨くこと。
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枕草子春曙抄
まくらのそうししゅんしょしょう

『枕草子春曙抄』(まくらのそうししゅんしょしょう)とは、江戸時代に書かれた『枕草子』の注釈書。 全十二巻、北村季吟著。『 春曙抄』とも称す。 Wikipedia
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