歪のニライカナイ
過去ログ3908
2025/8/1 11:32
▼無名さん成長するにつれて、美帆は落ち着いてきました。一方で9歳から大きなてんかん発作があり、小学校5年生ぐらいから多いときは週1、少ないときも月1回ぐらい発作がありました。家庭の事情で中学2年生の時から児童寮で生活していました。毎月会いに行くのが楽しみでした。仕事も娘のためと思うと頑張れました。多いときには4つの仕事をかけもちでしていました。
娘に障害のこと、自閉症のこと、てんかんのこと、いろいろ教えてもらいました。私の娘であり先生でもあります。優しい気持ちで人と接することが出来るようになりました。待つことの大切さや、人に対しての思いやりが持てるようになりました。人の良いところ、長所を見つけることが上手になりました。人を褒めることが上手になりました。
人懐っこくて言葉はありませんが、すーっと人の横、そばに来て挨拶をして、前からの知り合いのように接していました。笑顔がとても素敵で、まわりを癒やしてくれました。ひまわりのような笑顔でした。美帆は毎日を一生懸命生きていました。
▼無名さん私は美帆の母親です。美帆は12月の冬晴れの日に誕生しました。1つ上に兄がいて待ちに待った女の子でした。幼いころはとても音に敏感でした。大きな音、初めての場所、人がたくさんの場所が苦手でした。人に挨拶されただけで泣き叫ぶ子でした。3歳半で自閉症と診断されたあとは、とにかく勉強しました。本を読んだり、講演会に通い、少しでも美帆のことを理解しようとしました。他の親御さんたちと障害のある方や、その親の気持ちを伝えようと思い、学校や地域で語ったこともありました。にらまれたり、怒られたりするのがこわかったから理解してくれる人を増やそうと思いました。美帆が私の人生の全てでした。
多くの良い先生や、友達、支援してくれた職員さん、ガイドヘルパーさん、ボランティアさんに恵まれました。みんなやさしく接してくれたので、とても人が好きで人懐っこい子に育ちました。とても音楽が好きで「いきものがかり」、ドラマの主題歌や童謡、クラシック、アニメなどジャンルは問わず、いろいろな曲を聴いてノリノリで踊っていました。乗り物に乗っているとご機嫌で、よくドライブしたり電車やバスに乗りました。小さいときはブランコが大好きでした。プール、ジェットコースター、プラネタリウム、水族館、パレード、ラーメン博物館、公園等、本当に大好きでいろんな場所に家族やガイドヘルパーさん、ボランティアさんと出かけていました。
▼無名さん当然の結果だと思う。悲しみは変わらない。けれど1つの区切りだと思う。大きな区切りであるけれど、終わりではない。19の命を無駄にしないよう、これから自分のできることをしながら生きていこうと思います。
▼無名さん毎日毎日やっぱり悲しいし、毎日、美帆のことを思い出します。
1分1秒でもいいから会えたらいいなって思ったり、お化けでも幽霊でもいいから会いたいなって思ったりします。
今でも、なぜ、なんの落ち度もない、なにも悪いことをしてない私の娘が命を奪われなければならなかったのか疑問に思います。「何でうちの娘が」というのはこれからもずっと変わらないと思います。あんな悲惨な事件はもう二度と起きて欲しくないです。
私は裁判の時にも、「優しい社会になるように」と言いましたが、障害者への虐待はなくならないし、事件や事故は起きるし、自殺する人も増えていることを考えると、決してそうした社会に進んでいるようには思えません。
あんな大きな事件があっても、やっぱり、きちんと理解していない人はいるんだなというのが悲しいです。
誰にでも寛容な社会になることが共生社会に近づくんじゃないかなと思っていますが、すごく難しいことのように感じています。
悲しい思いはずっと変わりませんが、事件の後、たくさんの方に助けてもらったり、支援してもらったりしたので、今は恩返しをしていこうと思っています。
「命の大切さ」を伝えていきたいと考えていて、それにより悲しい事件や事故が少なくなるかなと思っています。
最初の頃は思っていませんでしたが、何か自分にもできることはないかという思いになり、お話を聞いてくれる人がいたらお話しし、私の文章を読んでくれる人がいれば書いていこうと思っていて、私のできることで伝えていけたらいいなと考えています。
亡くなった本人が一番悔しいと思いますが、その人と関わった人たちはずっと悲しいまま生きていかなければなりません。「命の大切さ」を伝えることで、少しでも、命を落とす人が少なくなればいいなと思っています。
また、美帆のことも、一生懸命生きてきたので忘れないで覚えていて欲しいなと思うし、「命の大切さ」を伝えることは、彼女のことを伝えていくことにもなると思っています。
▼無名さん今年もまた7月になってしまいました。
9年前と変わらず、悲しいままです。
何年たっても悲しみは癒えません。
それでも私が毎日泣いていては美帆が心配すると思うので心配させないよう生きています。
昨日の自分、今日の自分、明日の自分と1日1日では、さして変わらないし、気づかないことも多いと思う。
でも9年前の自分と比べると変化しているように思う。
9年前より笑えるようになったかな。
前を向いているように思える。
落ち着いて考えたり、行動できるようになっているような気がします。
今年5月に病気がわかり、6月に手術をしました。
前の自分なら不安で不安でかなり落ち込んでいましたが、今回はなぜか落ち着いていられるような気がします。
「美帆が見守ってくれているから」と思うと穏やかに過ごせるのではないかと思う。
あの日から9年。長かったような、短かったような、わからないまま時が過ぎていったように思う。
1つのことを終えるとまた新たなことが起き、そのたびにたくさん泣いて、悩み、考え、時間の流れを感じる間もないまま過ごしてきたように感じる。
そのなかでたくさんの人々に出会い、助けて頂きました。
感謝の気持ちでいっぱいです。
これからも私のできることをしながら感謝の気持ちを伝えていきたいです。