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1 無名さん

瑞樹と葉月

吐く息が白い。
冬の冷たい朝だった。
目の前に、おねしょの地図が描かれた布団が干してある。
――また、ぶたれる。
ベランダの床の金属の板がぎいい、と音を立て、寒さが体中を這い上った。
情けなくて怖くて、瑞樹は震えながら涙ぐんだ。
そっと腕を動かして、パジャマに包まれた腕をさする。
濡れた下半身には、なにもつけていない。
(PC)
2 無名さん
ベランダから続く部屋の奥から、おばさんが針金ハンガーを持って出てきた。
瑞樹は黙っておしりを向ける。
お仕置きに「ごめんなさい」はいらなかった。
姿勢を崩さず、泣き声を出さず、ただじっと耐える。
それだけを求められた。
(PC)
3 無名さん
すぐにひゅっと音がして、ハンガーがお尻に打ちつけられた。
ビシッ!ビシッ!
――おばさんは私を素手ではたたかない。
ビシッ!ビシッ!ビシッ!
――ヒキトラレテきた私が邪魔だから。
ビシッ!ビシッ!
――おねしょばかりする私が汚いから。
こらえてもにじむ涙は、痛さのせいだけじゃなかった。
(PC)
4 無名さん
今日は我慢できなかった。
もうどれくらい打たれたのかわからなくなった頃。
「っふぇ…うああ…っ」
声をあげて泣き出した瑞樹に逆上し、おばさんが
「葉月!来なさい!!」
大声で呼びつけたのは、瑞樹の双子の兄だった。
葉月がここまで来る間に、おばさんは瑞樹を床に腹ばいに寝かせ、
紙袋からもぐさを取り出して準備をした。
葉月が来た。
「押さえてなさい。」
顎で命じられ、葉月が瑞樹の背中を押さえる。
――泣くな。泣くな。泣くと、葉月が辛くなる。
(PC)
5 無名さん
熱がって暴れる瑞樹を押さえながら、葉月は決して目をそらさなかった。
逸らしたりしたら、その分瑞樹のお仕置きがひどくなる。
響き渡っていた瑞樹の悲鳴が弱くなって、お灸のお仕置きは終わった。
また命じられて、汗ばんで波打つ瑞樹の体から手を離す。
すぐに部屋に上がった。後ろで鍵をかける音が聞こえた。
伯母が瑞樹を閉めだしたのだ。
すべてが自動再生されているように、葉月の世界には色や匂いが戻らない。
(PC)
6 無名さん
教室まで、凍りついたような体でやっとたどり着いた。
なるべく音がしないように開けて、落書きだらけの自分の席へ座った。
ひそひそ話す声や、あざける笑い声がずっとまとわりついている。
恥ずかしさで汗がにじみ、瑞樹はそっと顔を伏せた。
おばさんの怒鳴り声のせいで、瑞樹のおねしょのことはクラス全員に知れ渡っていた。

授業が始まっても、瑞樹に教科書はなかった。
クラスの誰かに破かれて捨てられていたから。
ノートだけを開く。板書を写そうと顔をあげると、目の前に教師が立っていた。
「教科書はないのか!?」
――知っているくせに。この机の落書きを見れば。
思いが知らず顔に出たのだろう。
「なんだその目はっ!!」
腕を掴まれ、無理やり立たされた。そのまま押し出される。
足がもつれ、瑞樹は転んだ。
「やる気がないなら授業を受けるな!」
誰かが笑う。誰かがささやき始める
「出て行け」「出て行け」
言葉に、首を絞められているようだった。
起き上がれない瑞樹に、とどめのように教科書を読みあげる教師の声が刺さった。
(PC)
7 無名さん
葉月はヘッドフォンを耳から外した。
学校はさぼっていた。くだらない授業など、聞いていなくても成績は良かった。
勉強に対する意欲はとうに失せていた。瑞樹と一緒にここに引き取られてきてからは。
当初から、叔母はなぜか瑞樹を嫌っていた。瑞樹を庇い切れない自分に気付いた時、既に葉月は無気力の網にとらわれていた。色やにおいが感じられないような現実感のなさも、そのころからだった。
(PC)
8 無名さん
玄関から音がした。誰が帰ってきたのだろう。
向こうの部屋からかすかな物音がする。瑞樹の部屋だった。
(どうして今頃?)
葉月の鼓動がゆっくり大きな音を立てた。
自室から出て、瑞樹の部屋の前まで行く。静かにノックするが、返事はない。
しばらく待った。それから、そっとノブを回した。
椅子に座りこんだ、制服姿の瑞樹の背中が見えた。
下ろされた手に、カッターナイフが握られていた。

 その瞬間、目の前に色が戻った。
(PC)