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思い出 迫り来るクリスマス

11月も半ばになると、少しずつ街にクリスマスの色が灯り始める。
何と気の早いことかと呆れる気持ちもあるが、それだけ多くの人が待ち望んでいるのだろう。
私のように無粋な考えを持つ者はほとんどおらず、皆当たり前のようにクリスマス気分で12月を迎える。
今年もきっとそうなのだろう。

だが小学生の頃の私にとっては、クリスマスは決して喜ばしい日ではなかった。
ケーキが食べられてプレゼントまで貰える。多くの子供たちにとっては待ち遠しくて仕方のない日に違いない。
しかし当時。我が家のクリスマスは、2学期の行いを清算する日と決められていた。
普段の母は私の学校生活に一切触れることはないのだが、放任主義という訳ではない。
敢えてこの日まで口を挟まないことで徹底した自己管理をさせたいというのが母の狙いだった。
つまるところ、2学期の間に学校で犯した罪が全てクリスマスの日に発覚することになる。
夏休みの宿題をしなかったことも。
魔が差してつい掃除をさぼったことも。
教科書を忘れた日が2日続いたことまで。
母が真剣な顔で連絡帳の隅々まで目を通すその様は、さながら閻魔大王のようだった。
子供の私は、その審判を待つだけの罪人といったところか。
[作者名]
(PC)
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そうして罪状が一つ一つ読み上げられると、反論の余地はすっかりなくなってしまう。
考えてもみてほしい。宿題を忘れたりイタズラをして怒られそうになったとして、それが一つや二つなら嘘や言い訳も思い付くだろう。
うっかり忘れていた。体調が悪かった。同じ怒られるにしても、少しでも心証を良くしようと努めるはずだ。
だが不思議なもので、数ヶ月分も纏めて並べられると、諦めて正直に話してしまうのが人間のサガなのだ。
お世辞にも正直な良い子とは呼べないあの頃の私でさえ、驚くほどあっさり罪を認めてしまうのだから恐るべしと言うほかない。
もちろん私が罪を認めて謝っても、それだけでは終わらない。
犯した罪の分だけ、母は私に罰を与えた。
その罰というのが決まって嫌というほどの尻叩きだったのだが、それまで叱られずに済んでいた全てを一度に償うことになるのだから生半可な量ではない。
ただでさえ母の尻叩きは長く、一発一発が重いものだった。
幼稚園時代にも20発ほど叩かれた経験が何度かあるのだが、それさえ10分程度では終わらない。
バチンと力強く手のひらを打ちつけ、私がその痛みを全て噛みしめるまで母はただじっと待つだけ。
尻をきつく叩かれた瞬間の痛み、直後にじわりと拡がる熱、少し遅れてやってくる断続的な痛み。
その全てを思い知らされたあと、絶妙のタイミングで次の手のひらが再び私の尻を打ち鳴らし、上塗りされていく痛みに耐えねばならなかった。
母は1発叩くごとに1分以上もの間をおいていたため、数発程度でもそれだけ時間がかかっていたのだろう。
もうおおよその見当はつくだろうか。
私の小学校時代のクリスマスは、母からの数時間にも及ぶ尻叩きと共にあったのだ。
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そんなもの一度経験すれば次から真面目に・・・などと考えもするだろう。
しかし、子供の意識というのはそう簡単にはいかない。
眼前の誘惑には非常に弱いもので、後に待つ地獄を知りながらもいざ夏休みになると遊び呆けてしまうものだ。
そうしてクリスマスが迫るごとに大きくなる後悔も、当日になって嫌というほど私の尻に与えられる罰も。
良くも悪くも冬の恒例と呼べるものになっていた。
最近になって聞いた話だが、父は私のそんな姿を見るのが心苦しく、クリスマスの日は残業を願い出たりしてわざと帰宅を遅めていたらしい。
父も躾は大切だからと下手に口出しすることはなかったが、泣き疲れて眠った私の枕元に毎年プレゼントを置いていってくれた。
少々眠ったぐらいでは忘れられないほどに尻はまだ痛むのだが、その包みを手にして初めて、私にもクリスマスがやって来るというわけだ。
きちんと罰を受けたあとは、母ももう何も言わない。
1日遅れの私のクリスマスは、毎年その瞬間に始まっていたのだ。

冬のイルミネーションを見るたび、今でもクリスマスの記憶がよみがえる。
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4 無名さん
ちょっと変わってて面白いですね。ちょっと外国のスパ物っぽくて素敵
次回も期待してます(^.^)
(EZ)