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1 無名さん

狼のフルート

 夕方の土手を自転車で走る。

前の籠がやけに軽い。楽器を乗せたケースを載せていないから。
こんなこと、もしかしたら初めてかもしれない。
いつだって学校の行き帰りには、バイオリンが一緒だった。


 三年生が引退して、部活は一気につまらなくなった。

後輩がだらけてきた。
演奏に、気が入っていない。

 そんな中、一人楽譜を追って練習しているのがむなしくなった。
みんなで揃ってこその音楽。

 ヒトリデヤッテモ、イミナイヨ。

だから。
今日はどうしても練習したくなくて。
楽器を学校に置いてきた。

 ワタシハ、ジブンジシンニ、マケタダケ?


いつもより早くべダルを漕いでいたのは、風の冷たさのせいだけじゃなかった。
(PC)
2 無名さん
 

 顔に吹き付ける風が痛く感じて、ついに足を止める。
でも、漕ぐのをやめたら、体はもっと冷えた。
そんな些細なことでさえも、叫びたいほど忌々しい。

 でも、叫ぶなんて、実際にできるわけない。
少なくとも、人間関係を気にする、17歳の女子高生には。

 腹立ちまぎれに、目の前の景色を睨む。
夕陽を反射して、川面は憎らしいほどきれいだ。


きれいだ。
憎らしい。
きれいな。

 目をつぶった。

あのこ。
実際に「できるわけある」女子高生。が、いた。

というか、聴こえた。

いた。
あの子が。
狼が。

開いた自分の目が、フルートの金属質な輝きを目に捉える。

音色はもっと、ずっと前から。
(PC)
3 無名さん
自転車を押して土手を進む。
小柄でやせた背中。セミロングの髪が風に揺れている。

 その容姿からは想像しがたいが、あの子は決して他人と群れない。
いつも独り。制服を着なきゃいけない校内でも、なぜか私服。

だから、狼。一匹狼。

そんな狼の吹くフルートは、不思議と周りの情景や微かな川の音と溶け合っている。
うらやましい。
そんな演奏が、あの部内で出来るなら、合奏を一層引き立たせるだろう。

自転車を置いて、奏で続ける後ろ姿に近づいた。
(PC)
4 無名さん
突然音は止む。
足元のバッグをひっつかんで。
突如、彼女は私の方へ突進してきた

「!?」

ぶつかる寸前、私を追い越し――自転車へ。
ひらりと飛び乗り、あっという間に遠ざかる背中。

返せ。
言葉にする前に、もう諦めていた。
人間が狼にかなうはずないのだ。

家まで歩いた。
(PC)
5 無名さん
こんなことなら、楽器を持ち帰ればよかった。
結局のところ、バイオリンが私の心の拠り所だったのだ。
今思い切り弾けたら、このイライラした気持ちもおさまったのに。
どうしようもなくて、夕食後、私は自主トレの一環としてジョギングに出かけた。

そして。
ジョギングを終えて家の前まで戻った私が目にしたのは、私の自転車と、ずぶ濡れになった狼だった。
(PC)
6 無名さん
なんていうあり得ない一日だろう。
あろうことか、私は狼改め自転車泥棒に風呂に入るよう勧めてしまい、さらには
お茶まで入れているのだ。
この一貫性のない自分の行動が、更にいら立ちを募らせる。
イライラに任せ、私は奴の私物であるバッグの中をのぞいた。
両親が共働きで本当によかったと思う。半分理性を失くした娘の姿を目の当たりにせずに済むのだから。

 それにしても、このバッグの中身ときたら、何なのだろう。
下着類に洋服。洗面用具。スナック菓子。財布にパスケース。
これでは学生じゃなく旅行者みたいだ。
極めつけは、持ち物の中で唯一学生らしいフルート。
手入れはおろか、専用ケースにすら入っていない。
あれだけの腕前なら相棒と呼んでもいいはずのものなのに、この扱いはひどすぎた。

 イライラのボルテージがジワリと上がる。
(PC)