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1 将也

地方の小学校

ひとつ、子供時代の苦労話を書かせてもらおう。

年号は昭和。
どちらかと言えば厳しい指導が良いとされており、体罰を用いる教師などありふれていた。
今では教室に立たされることさえ体罰と括るらしいが、もちろんそんな易しいものの事ではない。
かたい拳骨で頭をごつんとやったり、平手で頬を叩いたり…もっと言えば、投げ飛ばしたりというのも見た覚えがある。
そこまでやれば、軽く怪我をしてしまう子供も当然出てくる。
それでも親は感謝した。
学校の先生の言うことは絶対、という風潮があったからこそ成立していたのだろう。

こういった怖い先生がいる一方で、優しい先生もいた。
ただ間違えないでほしい。
当時で言う優しい先生というのは、怒る際に体罰を用いないという意味ではない。
教室や廊下に立たせるだけだったり、怪我をさせないよう叩く箇所として尻を選んで叩いてくれた先生方のことだ。
もちろん、いかなる悪さをしようと口頭で諭し続ける教師がいなかったわけではない。
ただそういった先生は、優しいというよりやる気がないとみなされる事が多かった。
[作者名]
政也
(PC)
2 政也
そんな時代で言う、優しい先生。
四年生の担任で、栗原という女性教師だった。
朝の教室はまだ起きて間もない顔の児童でいっぱいで、それほど慌ただしくはならない。
ただ、毎日数人は予鈴のチャイムを気にしながら机に向かっていた。
家で宿題を終わらせる事のできなかった子供達だ。
栗原先生はいつも、予鈴の5分後に鳴る本鈴に何分か遅れる形で教室へと入ってくる。
それが先生の定めたタイムリミットだった。
先生より後に教室へ入れば遅刻、宿題が間に合わなければ宿題忘れ扱い…というわけだ。

先生の挨拶から数分もすると、朝学習の時間が始まる。
1時間目の授業開始まで軽く自習を行うのだが、この時間に最初の罰が与えられていく。

「宿題忘れてきた子は、起立ー。」

ここでまず、該当者が全員立たされる。
廊下側の一番前の席から順に、先生が1人ずつ起立している児童の尻を叩いて回るのだ。
1人終われば後ろの席へ、該当者がいなければ横の列へ。
右隣の席の子が叩かれる時などは、先生が真横で止まるため自分が座っていても緊張した。
男子は短パン、女子ならスカートの上から叩くだけなのだが、小柄な子なら体勢を崩して転びそうになるほどの威力があった。
立っている子全員が叩かれ終わるとようやく、ほとんどの子は座る事を許される。
ただし、一部例外があった。

「昨日と続けて忘れた子は、そのまま立っていなさい。」

2日続くと、朝学習が終わるまで立っていなければならない。
更にチョークで黒板のはじに名前を書かれ、別の罰が用意されてしまうのだ。
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3 政也
それが行われるのは、主に昼休みの時間だった。
あまりに人数が多い時は仕方なく授業の合い間などに変更されたりするのだが、そうなると先生の意図とは少し外れるようだった。
その罰というのは、いわゆる公開尻叩き。
黒板に名前がある児童は給食が終わっても教室待機と言い渡されていた。
遊びに行けないのはもちろんのこと、昼休みという時間が問題なのだ。
ひとりずつ先生に捕まっては数十発も尻を叩かれていくのだが、朝学習の時と違って教室は開放されている。
違うクラスの人間はもちろんのこと、運が悪いと学年の違う児童まで廊下から覗いていたりする。
この罰が嫌で、黒板に名前が載らないよう気をつけていた子は多かったと思う。
現に、昼休みに尻を叩かれる児童はほとんどが同じ面子だった。
自身もその一員であった事実にはあまり触れたくないが、とにかく効果は覿面と言って良いだろう。
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4 政也
この栗原先生が優しいというのは、ある意味で2回の猶予を与えてくれていた事だ。
もちろん公開尻叩きなど死んでも受けたくないという児童もいただろう。
それでも、ここまでなら恐怖でふるえ上がるような罰ではない。
辱しめて自粛を促すようなやり方は賛否両論あるだろう。
ただそれは、そこで踏み止まるようにという警告でもあった。
しかしこれだけの罰を受けてもなお懲りず、3日続けて宿題をやってこない児童もいる。
3日ともなると、もはや忘れたのではなく、最初からやる気がなかったと見なされてしまう。

そうして放課後に与えられる尻叩きは、折檻と呼ぶべきだろう。
朝叩かれ、昼休みに叩かれ、放課後また叩かれる事になるのだ。
昼休みのように公開ではないが、尻を完全に剥かれる。
経験上なので女子はわからないが、ブリーフ1枚許さなかった先生のことだ、おそらく同じ扱いなのだろう。
残った宿題を完成させた後は、どれだけ帰りが遅くなろうと尻叩きが終わるまでは帰れない。
一度、帰宅して時計を見たら19時だったという経験もある。
その尻に残る痛みもさることながら、遅くまで居残りになることがこちらにとって大きな問題をはらんでいた。
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5 政也
家には門限が無かったため、遅く帰ったところで咎められる事はない。
そのかわりに、就寝時間については絶対厳守と決められていた。
20時台のうちに布団に入っていないと、尻叩きどころでは済まないのだ。
遅くに帰って夕飯と入浴を終え、翌日の時間割を揃える頃には宿題をする時間などほとんど残されていない。
おわかりだろうか。
そうなるともう、親と栗原先生どちらに怒られるのがいいかを天秤にかけるしかないのだ。
正直言って、親を怒らせるよりは栗原先生に尻を叩かれる方が何倍もましだった。
とはいえ、一度そうなると休日を挟まない限りまともに宿題をする時間が作れないため、続けて忘れてしまう事が多かった。

「…懲りないね?」

そう言われて尻を剥かれるたび、内心「時間が無いせいなのに」と言い訳をしながらやってくる尻の痛みに耐えなければならない。

四年生としての1年間は確実に、人生で一番たくさん尻を叩かれた年だった。
もちろんその殆どが、栗原先生によって。
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6 たかひろ
厳しい先生良いですね。厳しいお仕置きシーンを書いてないのが想像をかきたてられます。泣くぐらいなんだろうか。
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