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母とカレーと料理塾

寂れた駅の裏手にかかった、赤い文字の看板。
稲見料理塾。
すすけて色褪せてしまったようにも見えるが、実はまだ開いて数年ほどの小さな教室だ。
何を隠そう…私も初日から、生徒としてそこへ通わせてもらっている。
子供のうちから料理の基本を学ぶための塾ということで、入塾の資格があるのは小学生と中学生のみ。
五年生の私は、あと四年もすれば自動的に卒業となってしまう。
年齢制限の狭さもあってそれほど流行っているわけでもなく、母が言うには月謝もずいぶんと安いらしい。
それでこの先、潰さずにやっていけるのだろうかとつい余計な心配をしてしまう。

『鈴ちゃん、お鍋ふいてるよっ!』

『え、…わわっ!?』

間一髪のところで慌てて火を止める。
ふきこぼれなかったのでセーフ…となればいいのだが、沸騰させると味が変わるから注意してねと言われたはずの汁物だ。
同じ班の誰かが火力をいじったのだろうが、本日の顔ぶれは低学年のチビッ子ばかり。
最年長の私がそれに気付けなかったのだから、ほかの誰かを責めるなんてできそうにない。

『…どうかした?』

『あ、先生…。……今、お鍋がふいちゃって。』

『あらぁ…、大丈夫?どこもヤケドしてない?』

『はい、大丈夫です。』

『よかったわ。…鈴ちゃん、気をつけてあげてね?頼りにしてるんだから。』

今も在籍している中学生は何名かいるが、部活などで忙しい人が多くかなかなか毎週は顔をだせない。
ここ何年かの料理経験も考慮すると、現役生徒で一番ベテランなのは私ということになるらしい。
単身で教える先生が私を頼ってくれることも多く、教室でお姉さん扱いというのも悪い気はしなかった。
[作者名]
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そんな私が、普段では考えられないほど真剣に料理に取り組む日がある。

『先生、来週もカレー作ろう!』

『…そんなに毎週じゃ、飽きちゃうでしょ?』

『オレ、飽きない!』

『あたしも〜。』

『はいはい…。みんながいいなら、近いうちにね。とりあえず今日はお片付けしましょう。』

カレーライス。
嫌いな子供なんていないと言われるほどの人気メニューっぷりは、この料理塾でも健在だ。
大好きな料理を作る日ともなれば子供達のテンションも高く、エプロンを付ける前からもう大騒ぎ。
私もカレーそのものは決して嫌いではない。
ないのだが…入っている野菜が問題だった。

『鈴ちゃん、向こうの洗い物もお願いできる?』

『あ、は〜い。』

カレーに入っているニンジン。
どうしてもあれだけが好きになれない。
小さい頃に一度、母が作るのを失敗したらしいまだ生煮えのカタいニンジンを思いきり噛んでしまってからだ。
事情が事情のため、我が家では現在ニンジンの形が崩れて味がわからないぐらいに長く煮込むことになっている。
しかし仮にも料理塾。
カレーを楽しみに作る子も多い中、私が独断でそんな作り方をするわけにもいかない。
そうなると使える手は限られてくる。
一つは、配膳を自分ですることでニンジンを入れないという方法。
この手は正直、過去に何度も使ってきた。
ただ子供ばかりの教室のため似たような行動をとる子が多く、公には使えない。
先生に見つかれば『好き嫌いはダメよ』と多めに盛られたりするので、リスクもかなり高いのが困ったところだ。
幸い私はまだ見つかったことがないが、ニンジン多めのカレーなど想像しただけで私にとっては罰ゲームでしかない。

『こっちも、お願いね。』

『はい、でもなんか…多くないですか?』

『そうね、いつもなら先生だけでやるんだけど…。ちょっと、鈴ちゃんとお話がしたくて。』

『私と……?』

『…うん、今日作ってもらったカレーのこと。』

(えっ…、き、気付かれてた……!?)

私は平静を装いつつも、黙々と洗っている両手鍋を持つ手はふるえてしまっていた。
私のとった行動は決して褒められるものではなく、先生の指導に反することも自覚していたからだ。
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『…みんな帰ったかしら?』

食器や調理器具を洗い終え、一段落ついたところで先生と二人きりになった。
こうした状況は珍しいことではないのだが…叱られているのが私、というのはいつ以来だろう。
入ってすぐの頃は年の近い子達と一緒になってはしゃいで叱られたものだが、年長者になってくるとさすがにない。
遊んでちゃダメよと言う側になってから、こんな風に一人で居残りさせられた日などなかった。

『……気付かれないと思った?』

『…はい。』

『……うん。鈴ちゃん、包丁ずいぶん上手くなったよね。』

褒めているのではない。
先生のいつになく険しい目が、そう物語っている。

『でも、せっかく覚えた技術をあんなことに使っちゃダメ。先生、ちょっと悲しいな。』

『す、すいませんでした…。』

ニンジンを食べたくないがために私が選んだ方法。
それは皮剥きの段階から、食べられる部分までとにかく削ぎ落としてニンジンを小さくするという方法だった。
自分で言うのもなんだが私は包丁だけは得意で、その気になればニンジンの皮剥きなんて造作もない。
しかし今日の私は初心者でもやらないほどごっそり削り取り、すっかり細くなったニンジンをさらに薄く切って鍋に入れた。
完成後、かろうじてニンジンだとわかるくらいには形が残っていたが、生ごみの方を見られれば一目瞭然だろう。

『うん、わかればいいの。……と、言いたいところだけど。』

『……?』

『食べ物を粗末にする鈴ちゃんには、お仕置きです。』

『お仕置き…?』

『そうよ。…お尻ぺんぺんがいいかな?こういう時はみんなそうしてるし。』

先生が提案したのは、ありえないほど子供じみた罰だった。

『お、お尻……ですか?』

『うん、鈴ちゃんだって何度も見てるでしょう?ほら、この間も。』

『…だから、低学年の子だけだと思ってました。』

『そうね…。だって、食べ物を粗末にする子って、やっぱりほとんどそういう歳の子なんだもの。』

先生は普段、優しすぎるほど優しいのだが…反面、こういった悪さにはとても厳しくなる。
私のような細工はせずとも、例えば嫌いな野菜をわざと吐いたりすればその子の前では鬼となる。
すぐさまお尻をひん剥いて、バチ、バチ、バチと真っ赤な手形を付けるのだ。

『私も、あの子みたいに……?』

『…今日の鈴ちゃんはね、ちょっと度が過ぎました。みんなの食べる分まで捨てちゃったんだもの。』

『…ごめんなさい……。』

『でもね、五年生だし、他のみんなにお尻見られるとイヤだろうから…さっき、洗い物手伝ってもらって時間を作ったのよ。』

(…や、やっぱりお尻はハダカにするんだ……。)

先生がお尻を叩くつもりと聞いて、まっ先に浮かんだ不安がそれだった。
過去に何度か見た低学年へのお仕置き。
先生は必ず、悪さをした子のお尻をハダカにして叩いていた。
ズボンやパンツは下にずり下げ、スカートならば捲り上げて。
自分のスカートを軽く握りながら、ついその情けない姿を想像してしまう。

『鈴ちゃん、こっちへいらっしゃい。』

先生に連れて行かれたのはいつもの調理場の隣にある、生徒が普段ほとんど出入りしない事務用の小部屋だった。

『ここなら鍵もかかるし、誰も来ないから安心して。』

『はい……。』

安心して脱ぎなさい。
私にはそう聞こえた。
スカートに手を入れ下着に指をかけると、トイレもお風呂もない場所で私はなにをしているんだろう、という気恥ずかしさがあった。

『ほらほら、恥ずかしがってちゃ帰れないわよ?』

『…せ、先生〜……。』

『甘えてもダメ。それとも、みんなの前で怒った方がよかった?』

『…それは……。』

考えてみれば、こうして二人きりにしてくれただけでも特別扱いなのだ。
私のように五年生にもなって叱られた人がいないとはいえ、二年生や三年生であればいつもみんなの前でお尻を出している。
今日の私はその子達と同じ…というよりそれ以上の悪さをした。
ひいき目に見ても、なにもなしで許されて良いわけがない。

『…お仕置き、受けます。』

『うん、潔い。それでこそ鈴ちゃんね。』

『……でも、あんまり痛くしないで……。』

『…さあ、それはどうかしら?』

座った先生の膝に寄りかかると、ずいぶん昔、同じようにして母にぶたれた時のことを思い出した。
一体なにをしでかしたのか、までは覚えていない。
ただ当時よりも視界がずいぶん前にきていることが無性に恥ずかしかった。

『叩くわね?』

先生が右手を振りあげる瞬間が、肌に触れた冷たい空気ですぐにわかった。
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『痛たぁっ!?』

パチィン、と鋭い音が部屋中に響き、とても先生が手で叩いたとは思えないような激しい痛みがお尻から走る。
思わず上体を捻って先生を見ると、右手首をぶらぶらと振っては眉間にシワを寄せていた。

『ゴメンね、さっきの洗い物で冷えちゃって。…ちょっと加減できないかも。』

先生の右手を見ると、私のお尻を叩いたであろう部分がずいぶんと赤くなっていた。
同じように冷水で洗った直後だからわかる。
あの手でお尻を叩くということは、先生自身もかなり痛いはずなのだ。
しもやけになった両手を勢いよく打ち合わせているようなもののはずで、痛くて痒くてたまらないだろう。
それでも先生は、今ここで私を叱ろうとしてくれている。
五年生にもなってお尻を叩かれるのは確かにイヤだけれど、先生の気持ちは素直に嬉しかった。

『痛ったぁ……、…あんっ!………先生、痛すぎるってぇ……。』

それでも限度というものはある。
声をあげずにはいられないほどきつく叩かれているのだ、弱音の一つも吐かずにいられない。

『でも鈴ちゃんが悪いコトしたんでしょ?少しくらいは我慢しなきゃね。』

『少しって、もっと優しくしても………あぁん、もうっ〜…!』

『ダメです。』

私の主張を優しいトーンで淡々と流しながら。
先生は痛むはずの右手をこれでもかと振り下ろし続け、私のお尻に色鮮やかなもみじを付けていった。

『お姉さんの鈴ちゃんがあんなコトしてたら、他のお友達はどう思うの?』

『ニンジンだって、鈴ちゃんが何度も頑張って食べてたの先生知ってるのに。』

『…できたら、先生が鈴ちゃんのお尻をぺんぺんしなきゃいけないのは…これっきりにしてほしいな。』

何度も叩かれているうちに、先生の心配をしている余裕なんてないほどお尻は痛く、熱くなった。
記憶の片隅にあった母のお仕置きでも、ここまで本気で叱られたことは多分ない。
お尻を叩くという子供じみた叱り方であっても、先生が私のためを思ってそうしてくれているのは十分に伝わってくる。

『先生、ごめんなさい…。』

『……反省した?』

『……しました。』

『じゃあ、あと二十回ね。』

『…え、許してくれるんじゃ……?』

『反省したら、二十叩いて終わりって決めてたの。…鈴ちゃん、まだ足りない?』

『いいです、反省してます!』

『よろしい。…はい、い〜ちっ。』

先生は数を読み上げながら、パァン、パァンと赤くなった私のお尻を容赦なく叩いた。
それは七、八秒に一回というスローペースながら、私に十分な痛みを味わわせるという意味ではこれ以上ない絶妙の間隔。
早く二十叩いて終わらせてほしい私には、先生が悪魔のようにも思えた。
先生が十八、十九…と読み上げ、二十!と口にした瞬間。
私は先生の膝の上で、ボロボロと涙を流していた。

『…あらあら鈴ちゃん、そんなに痛かった?』

『……ううん…、痛いけど…痛くない。』

『…そう。…もう、あんなことしないよね?』

『…はい…。』

帰り支度をするため調理場に戻ると、静まり返ったその場所はいつもと違って見えた。
まだヒリヒリと痛むお尻に手をやる。
肌が敏感になっているのか、服の上から少し触れただけでもくすぐったいような感じがする。
あぁ、私は先生にたっぷりとお尻をぶたれたのだ。
居るだけでもそう思わずにいられない雰囲気に、来週からどんな顔をして先生に会えばいいのか少し不安になった。

『気をつけて帰ってね。』

私は無言で軽く会釈をして、先生の顔は見ずに入り口の扉を開けた。
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5 無名さん
めっちゃいいです!この作品大好き♪
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