Write
1 マキ

母親のお仕置き

玄関に入ると、いやに静かだった。
いつも点いているはずの電気も消えている。
学校から帰ったばかりでだらりと寝転びたい気持ちはあるのだが、確かめずにはいられなかった。
母親が1階にいないというのは私にとって一大事なのだ。
より正確に言うならば、私や弟にとって、だが。
ともかく私には、一刻も早くいまの状況を知る必要があった。

(買い物…はないよね、自転車もあったし…)

そろり、そろりと忍び足で階段をのぼる。
古い家なので踏みしめるたび軋んでいるが、この際それは気にならない。
悪い予感が当たっているとしたら。
こんな軋みなど聞こえない、廊下の突き当たりの部屋に2人はいるはずだから。
ここで言う2人とはもちろん、母親と弟である。
[作者名]
マキ
(PC)
2 マキ
とりあえず私は、自分の部屋に入ることにした。
さっき2人がいると仮定したところの1つ手前である。
開閉音でバレないよう細心の注意を払いながら、なんとか侵入に成功。
ここまで来れば、あとは冷静に状況を判断するだけだ。

(なんだけど…、さっきからずーっと音がしてるんだよねぇ)

壁越しに、隣の部屋から聞こえる音の正体を私は知っている。
弟がお尻を叩かれているのだろう。
びちん、びちんと肌を直接叩いていることさえもわかってしまうのは、長年ここで暮らした経験からだろう。
我ながら嫌な絶対音感もあったものだ。
ただし今回の場合、それがわかったところで何の意味もない。
むしろここまでは帰宅時の様子から概ね予想できたことだった。
私が知りたいのは、弟がどうして叱られているのか。
その一点だけである。
理由によっては、弟の次に私の番がやってくるのだから。
(PC)
3 マキ
私が幼稚園くらいまでは1階で叩かれていた。
暴れまわって色んな物を壊すので、そのたびに別の場所に連れていくなんて母親は考えもしなかったのだろう。
弟はおとなしめで叱られる頻度は少なかった。
そのかわり、嫌いな野菜を残すのではなく調理前に袋ごと捨ててみたりと、たまにとんでもないことをやらかすタイプでもある。
私もそれをたしなめもせずケラケラ笑っていたせいで、この家にお尻を叩く罰が生まれたといういきさつもある。
最初はさほど痛くもされなかった。
悪さをした時の警告という意味で、ぱちんぱちんと軽めに叩かれるだけ。
それでも20回程度は叩かれるので、しばらくはひりひり痺れているのだが。
私にとっては罰にさえなっていなかった。
悪戯の締めくくりにいつもある、母親とのごっこ遊びみたいなもの。
それが罰になったのは、やはり2階で叩かれることになったせいだろう。
いつものように悪さをして母親に捕まりそうになった私は。
たまたま聞こえたインターホンに全力疾走、大騒ぎしたのだ。
何事かと入ってくる近所のおばさん。
彼女は回覧板を届けにきただけだったのだが、平謝りする母親の背中は完全にキレていた。

「もうお姉ちゃんだもの、今日から、していい事と悪い事はきちんとしましょうね」

それだけ言い残し2階の片付けを始めると、2時間ほどで作業は完了。
母親を怒らせたことなどすっかり忘れていた私のもとに母親が現れ、何も言わず横抱きにすると2階へ直行。
平和な我が家に「お仕置き部屋」が誕生した瞬間でもあった。
(PC)
4 マキ
部屋を出てみると、弟のランドセルが転がっていた。
さっきは音を立てずに行動することにばかり注意を払っていたため気付かなかったのだが、よく見ればランドセルの口が大きく開いている。
それを見ただけで、弟が叱られている理由もいくつかに絞られる。
口が開いた状態であんな場所に放置されているということは。
中に入っている何かを見せるよう、母親から要求されたということである。

「連絡帳か、宿題…あとテストの結果くらいかな、思い当たるのは」

母親に叱られそうな理由を並べてみる。
まず、テストの可能性は低い。
テストの点が悪いからといって即お尻を叩くような母親でもないし、弟は勉強が得意なほうだ。
ふざけた解答をしまくってわざとウケを狙いにいったならお仕置きになるだろうけど。
そんな理由で叩かれるのは私だけでいい。
…小学3年生の時の話なので、もう忘れたいと思う。
それより今は弟の件だ。
例えば、たまたま今日の宿題をやらずにゲームに夢中で。
「宿題やったの?」という問いに「もうやった」と答えてしまったとする。
これは我が家では完全にアウトなので、お尻を叩かれることになろうと文句は言えない。
しかしながら、このケースなら私的にはありがたい。
素直に「まだやってない」と言えば叱られないのだから。
それでもつい終わったと答えてしまうのは、こういった質問に対する条件反射みたいなものである。
私もこれで何度やられたことか。
だが今はそんな思い出話をしている場合ではない。
最悪なのは、連絡帳チェックのケースだ。
私は我慢できず、ついにお仕置き部屋の様子を覗くことに決めた。
(PC)
5 マキ
お仕置き部屋は、足元が見えないタイプの障子貼りになっている。
元々は分厚い襖があったのだが、私や弟がお互いのお仕置きを見に来るので撤去。
影が透ける障子ならバレバレだし大丈夫だろうと母親が考えたらしい。
しかしそんな程度。
悪知恵のはたらく子供にとっては楽勝のハードルである。
本来開けないほうへ障子の枠を僅かにずらすと、中から見えづらい死角ができるのである。
この研究の過程で下段のはじっこを破いてしまったことはあるが、すでにその分の罰は受けている。
あれは痛かったなぁ…。
思い出しながら中を覗くと、弟はやはり母親の手でお仕置きを受けている最中だった。
学校から帰って着替えたばかりだったと見える。
淡い長袖のボーダーに、黒系の短パン…は膝まで下ろされているが。
おそらく太腿あたりに引っかかっているであろう下着は、私の位置からではよく見えなかった。
母親が水色のエプロンを着けたまま叩いているあたり、台所にいる時間に怒らせたのだろう。
となれば、既に夕飯の支度も終えている可能性が高い。
まずいぞ。
母親は弟のお仕置きを終えたらすぐに私を探しにくるかもしれない。
弟は涙目で伏せっているが、もうずいぶん叩かれたらしい。
お尻がこちらを向いているわけでもないのに、山のてっぺんが赤らんでいるのがわかる。
遠目に覗いだだけでも赤いのだ。
すこし角度を変えれば、母親の手のひらのあとは無数に浮かんできているに違いない。
弟があそこまで叩かれているところは珍しい。
つまり、私はそれ以上に危ないのだ。
(PC)
6 マキ
母親は無言で弟を叩いていた。
元々あまり説教の長いタイプではないのだ。
最初になぜ叱られるのかを確認したあとは、淡々とお仕置きを執行する。
ほんの少しムッとした表情にはなるが…声を荒げたりもしない。
心の中で決めた量刑を全うするまで、心を鬼にして叩くのだ。
受ける私たちからすれば、グチグチ引きずったりしないのはありがたい反面。
いつ終わるとも知らされずにひたすらお尻を叩かれ続けてしまうのだ。
20回程度で許されていた幼稚園時代はともかく、今は比べるまでもなく恐ろしい罰となってしまった。
少なくとも10分程度。
母親の決めた最低基準は一度たりとも破られることなく、どころか最長記録を更新し続けている。
その役目はほとんどが私だったが。
弟もたまに、昔のような無茶苦茶をやらかして今日のような姿になっているのだ。

「さて、…と」

どうやら終わったようだ…と、その場を去ろうとしたその時である。

「居るんでしょう、知ってるわよー?」

気を抜いた傍観者の足を遠くから縛りつけるような言葉が、母親の口から漏れたのだった。

「自分から出てきたら許してあげたのに」

どうやら私は、晴れて次なるターゲットに選ばれてしまったようだ。
(PC)
7 まきお
素晴らしい臨場感
(docomo)