Write
1 下川

あの頃のように

健二と遊ぶのは久しぶりだった。
同じ小学校に通っているとはいえ、四つも歳が離れていると時間割りも違ってくる。
以前のようにべったり面倒をみる機会は減っていたのだが、変わらず懐いてくるので悪い気はしなかった。

「今日早くきてね、絶対だよ」

急な誘いだったが、帰ってほかに予定があるわけでもない。
絶対ね、とやけに念押ししてくるのが気になったが、元々そういう性格なのだ。
あまり深くは考えず、放課後は健二の家で遊ぶことにした。
[作者名]
下川
(PC)
2 下川
放課後、約束の時間通りに到着した私はどこか妙な空気を感じていた。
健二の家は構造上、庭を外からぐるりと一周しなければ玄関にたどり着けないようになっている。
私たち子供は台所の勝手口から入らせてもらうのだが、この日は健二の名前を呼んでも返事がなかった。
扉に鍵は掛かっておらず、出かけた様子もない。
仕方なく玄関のベルを押そうと、庭に一歩足を踏み入れたその時である。
硝子越しに見える広いリビングの向こうに、おばさんの背中があった。
陰になっているのか健二の姿は確認できない。

(あれ、やっぱり様子がおかしい…?)

あの位置なら、勝手口から声を掛けた時点で出てきてくれるはずだ。
リビングから見て台所はすぐ斜向かいにあり、扉の開閉に気付かないことはあっても声が届かないというのは考えにくい。
しばらくその場で立ち尽くしていると、健二が玄関の扉を開けて駆け寄ってきた。

「ああ、やっときたぁ!」

時間通りなのになと思いながら、健二にぐいぐい手を引かれる。
私の姿を見たおばさんは「あら」と一瞬驚いたあと、にっこりと微笑んで迎えてくれた。
それがどこか引きつった作り笑いに見えたのは、どうやら気のせいではないようだった。
(PC)
3 下川
それから私は少しばかり世間話をして、おばさんと二人で話し込んだ。
健二はまとわりつくように私にじゃれついてきたのだが、なぜかおばさんの方へは行こうとしない。
あんなにお母さん子だったのに変だな、と話題が健二の習い事に触れると、不意に会話がピタリと止まってしまった。
あれほどべたべたしていた健二もなぜか、気まずそうな顔をしている。
おばさんがふぅ…とため息をついて、私に事情を説明してくれた。

「実は先週ね、塾に行ってなかったらしくて」

「え?」

話を聞いてみると、健二が先週の塾をサボったらしい。
おばさんが車で送迎しているので行かないというのは難しそうなのだが、教室に入らず近くのコンビニで時間を潰していたのだとか。
しかし今日になって確認の電話がかかってきてすべてバレてしまったそうだ。

「さあ叱ってやろうと思ったら、すばしっこく逃げちゃうのよ」

「ああ、それでさっき…」

呼んでも反応がなかったのは、二人が家の中をあちこち走り回っていたからか。
そう言われてみるとおばさんの髪は軽く乱れ、額にも汗が滲んでいるように見えた。
(PC)
4 下川
「ごめんね、そういうわけだから……、ほら健二!」

おばさんは私にしがみついている健二をふりほどいて、他の部屋にでも連れていこうとしたらしい。
しかし健二は腕から離れようとしない。
私も説得してみたのだが、よほど叱られるのが怖い様子だ。

「うーん…、ちょっと無理みたいね」

おばさんも無理やり引き離すのは諦めたようで、後ろにぺたんと尻餅をついた。
じゃあ許してやるのかなと思っていると、

「ごめんねぇ、…ここでしてもいい?」

私が何の事かわからず固まってしまうと。
おばさんは私にしがみついた状態の健二のパンツを、ズルッと足首あたりまで引き下ろしたのだ。
(PC)
5 下川
…パァン、…パァン、…パァン!!……
おばさんが力強く健二のお尻を叩くと、たった三発ほどで腕を掴んでいた手は離れた。
大泣きする健二とは会話せず、おばさんは相変わらず私に何度も謝ってくる。

「ごめんねぇ、みっともない所みせちゃって…」

パシィン、…パン、…パァン!!……
お尻を叩きながら話すというのは、とても異様な光景に映った。
おばさんは手慣れているようで、こうして話をしながらでも決して叩き損なうようなことはないらしい。
健二は痛がって暴れているのにお尻の位置はまったくズレない。
細身な体のどこにこんな力があるのか、徐々に桃色から赤に染まってゆくお尻を見て私も少し怖くなった。

「あの、そろそろ健二も反省してますし…」

「…うーん、まだちょっと足りないかなぁ」

「でも…」

パシンパシンとなおも止まない、嵐のような平手打ち。
さすがに可哀想になってきて助け舟を出したが、聞き入れてはもらえなかった。

「誰か人がいたら叱られないと思ったみたい、今日急に来てって言われなかった?」
(PC)
6 下川
叱られる健二を見ていてようやく合点がいった。
おばさんの話も含めると、どうやら私が遊ぶ目的以外で誘われたのは間違いないようだ。
慕ってくれているのは本当なので腹は立たなかったが、馬鹿な子だなぁとは思ってしまった。
お尻を腫らしてすすり泣くのを慰めている間も、おばさんは私に謝りっぱなしだ。

「本当にごめんね、せっかく来てくれたのにお守りばっかりさせちゃって」

「いえ、全然気にしないですから」

とは言え健二のテンションもすっかり下がってしまった。
泣き疲れてうとうととし始めたので、私はいつもより早めに帰ることにして一時間ほどで健二の家を離れることにした。
おばさんは最後まで謝ってくれたが、何だか胸にモヤモヤしたものが残ってしまった。

(…何だろう、この感じ…?)

健二やおばさんに対して不満を感じたわけでもないのに、なぜか心がざわついていた。
優しいはずのおばさんが健二を叱るところを見て怖かったから?
ううん、たぶん違う。
そういう恐怖心とは別の違和感がずっと焼き付いて離れなかった。

「……羨ましかった、のかなぁ…?」

帰る途中、無意識にポツリとそんなことを呟いていた。
(PC)
7 下川
「お帰り、早かったのね?」

家に帰ると、ちょうど母も帰ってきたばかりのようだった。
私は健二に申し訳ないなと思いながら、早々に帰ったいきさつを母に話した。
いつもなら知り合いが叱られた話なんて絶対に言わないのだが、今日の私は饒舌だ。

「へぇ、あの健二くんが?」

「うん、すごい怒られてた」

母も二人とは顔見知りなので、名前を出すだけで話は通じる。
ただ大人しい印象のおばさんがお尻を叩くというのは意外なようだった。

「けど、気持ちはわかるんじゃない?」

「どうして?」

「あなたが健二くんくらいの時は、よくお尻を叩いたでしょう?」

「…そ、そうだっけ…?」
(PC)
8 下川
本当は覚えていた。
健二と似たような理由で母に見つかって、お尻をぴしゃぴしゃと打たれた経験は私にもあるのだ。
今でこそ何でも言うことを聞いてくれる優しい母だが、昔は躾に厳しくて私も相当やられたものである。
だからこそ、おばさんと健二を見て寂しさに近いものを感じたのかもしれない。
私は、母に尋ねてみることにした。

「…変なこと、聞いていい?」

「何、急に?いいわよ」

「…うちでお尻叩くのが復活する可能性って、ある…?」
(PC)
9 下川
「お尻?叩いてほしいの?」

「そ、そういうわけじゃないけど…」

「うーん…」

母は困惑しているようだった。
よく考えたら、子供の方からする質問ではなかったかもしれない。
普通なら避けて通りたい話題なのだから。

「まだ小学生だし、あってもおかしくないとは思うわよ?」

母もほんの数年前まで執行していたのだから、やるとなれば簡単だろう。
今の私でも抵抗できないことはわかる。

「あなたがいいならまたしてあげるけど、どうする?」

おばさんと健二を羨ましく思ったのは、きっと母のこういうところだ。
今の母は優しすぎるのだ。
頼めば何でも聞き入れてくれるだろう。
しかし、私の望むのはそうではない。
昔の母にあって、今の母が失ってしまったものを私は求めているのだから。

「受験もあるし、どうせなら昔より厳しくしてほしいな」

「ええ?」

「じゃ、早速なんだけど…」

かなり先の受験を理由にしてそんなことを言うくらいしか、私には思いつかなかった。
(PC)
10 下川
ピシャッ!

「あっ痛い、今の痛い…」

「あらそう、じゃこれは?」

パァン、と母の平手がお尻に炸裂する。
痛い!と叫ぶ私に、母は真剣な眼差しで何やらブツブツと確認作業をしていた。

「…こ、ここまで本気でやらなくても…」

「何を言ってるの、あなたが言い始めたんでしょう?」

繰り返しになるが、私は健二より四つも年上である。
お尻も大きくなっているし、痛くないかもしれないから試しに叩いてみてと言ったらこの有様だ。
私としては、一つ二つ打たれてじゃあ今後は気を付けなさいとなる予定だったのに。
すでに十七発である。
まだ悪さをしでかしたわけでもないのに、私のお尻には無数の赤いあとが浮かんでいた。
(PC)
11 下川
「どのくらいが痛いか知っておかないと厳しくできないもの」

母はそう言って、また私のお尻をぴしゃりとやる。
悶える私に、パン、パン、パァン……自業自得だが、三十回ほども打たれるとさすがに本気でやめてと言いたくなった。
お尻がじんじん熱い。
次第に蘇ってくる記憶と重なる、母の姿。
私はこんなものを望んでしまったのか。

「あと何回する?」

しれっと尋ねてくる母の表情は、怒っているように見えた。
そう言えば昔はよく、母はこんな顔をして私を叱っていたような気がする。

「もういいよ…」

「よくないよ?…じゃあ、また初めからする?」

「なんで」

「だったらお尻を叩いてほしいなんて、軽々しく言うんじゃないの」
(PC)
12 下川
昔から、母も好きで私を叩いていたわけではない。
私には必要だと思ったからそうしていただけで、本当は辛かったのだ。
それを興味本位で叩いてみてほしいなんて言ったら、怒るのも無理はないだろう。

「健二くん何回だった?」

「…わかんない…、けど…五十回、くらい…?」

「そう…、じゃ、あと五十回にする?」

「えっ!?…だ、だって、もう…」

三十回も叩かれたのに、と言おうとしたのだが。

「あなた四つも年上でしょう?本当なら百でも足りないぐらいなのに」

最近叩いてないから大サービスよ、とそれ以下には負からないことを付け加えて先回りをされてしまった。
こうなると母は意地でも動かない。
それは正真正銘、私が恐れた昔のような母だった。

「わかった、ごめんなさい…」

観念してお尻を向けると、すぐに母はパァン、パァン、パシィン…とお尻叩きを再開する。
完全に痛みが引く前に、残りの罰をすべて与えるつもりだろう。
こういうところはやはりかつての母と同じだ。
(PC)
13 下川
「痛い、痛いって」

「あと三十八回、我慢する!」

ピシャ、パン、パァン、パァン……叩いて、間を置いて、また叩いて。
繰り返すごとにお尻の熱は我慢できないほど膨れ上がっていくが、母はまだ私を解放してくれない。
二十三…、二十四…、二十五…、途中まで私も数えていたが、痛みでもうわからなくなってしまった。
あと何回で許してもらえるの?
道標を失った途端、私はわんわん泣きながら許しを請うていた。

「…ごめんなさい、ごめんなさい…」

ちょうど八十回だったのだろうと思う。
自分では数えていないが、母はそこでピタリと手を止めて下着を上げてくれた。

「今日はこの辺で許してあげる、もうしないのよ」

その台詞も昔と変わらなかった。
(PC)