1 東洋

〈思考の追求 文字打ち緩急〉

 
なんだかんだ言いつつ、俺も変わったなーと思うことが幾つかある。

きっと思ってもいないものの中にはもっとあるのだろうと思われる。分かっているものの1つが動画の貼り付けである。正確に言えばウラルの貼り付けである。ココラの何処かにもそれらしいトピックがあるが、最近ハイパー天国でもケンと動画の貼り合いをしていた。その時に、昔の俺は他のサイトのウラルを貼るのも嫌っており、それが俺自身の哲学に近いものの1つとなっていたことを思い出した。今は全くと言えるほどに気にならなくなったのはご覧の通りだが、そこに対して拘りがあった時期の自分の思考を思い出すことは今でも出来る。そのため、今回はそれを書き出してみたいと思っている。

まずは、当時、実際に俺が表向きにも書いたような言葉で書くなら『ウラルを貼るという行為はサイト記事に頼るため、結局は自分の文字に自信が無い奴のする行為であり、物書きとしては非常にダサイ行為でもある』といった感じとなる。実際、言葉のままの解釈の元、持論があったとも思い出せる。一応、繰り返し書いておくが、あくまで昔の俺の考えであって、今の俺は何も思わない部分である。ただ、客観的にこの意見を聞いて、今でも全く共感出来ない言葉ではないとは思った。とは言え、その頃の自分と全くの同意見ではない。実に難しい。そして、だからこそ、楽しいとも思える。

文字は言葉だ。言葉は思考だ。自分の思考でさえも、攻略するのがこれだけ困難なのだから他人の頭の中など分かるわけがない。

部分的には変わり、部分的には変わらぬことがある。それは誰にとっても当たり前のことではあるのだろうし、俺も俺の思考を読み解き、明日は更に、もうこれ以上は何も書くことはないだろうというところまで自分を追い込みながら文字を打ち続けたいと思っている。理由は今の俺にとって、それこそが最高に幸せな形のように感じているからである。

BY/東洋
(NP602SH/home ID:PcxSo0)
2 とーよー
 
いいね。未来の俺も今を楽しみ続けて来たようだね。
有難い限りさ。
 
BY/とーよー
(PC ID:uT5YMk)
3 ゴットーヨー
 
こーゆー部分がファンの心を惹き付けて止まないポイントともなっているんだろうね。
(PC ID:uT5YMk)