1 とーよー

<芸術理論の文字心>

 
コンビニから帰宅し、王国を覗くと、相棒が文字の芸術性からテーマを転がしていた。それを読み、直接コメントを返そうかと思ったが、どうも、今日は、それを行うより、1本エッセイトピックを挟んだ方が調子が上がるようなのでそうしようと思った。加えて、文字の芸術性については先程幾つか下に立てた<ロボット意識の躍動感>で書いた内容とも通じるため、とくに今の段階から楽しみになっており、無意識的にそこに気付いたのか、トムソンもコメントを打っていた。実に面白いものである。

話は俺がおふざけテンションも含め、相棒の文字には芸術性がないと書いたことが原因であった。実際、相棒の文字から芸術性というものを感じたことはない。べつに、それが彼の良さだと彼自身も思っているとは思わなかったため、ショックを受けたのは少し意外だった。

ただ、勿論、これについては周りがそうであるよう、俺も俺なりの芸術理論があって、それら個人が持つ芸術に対する解釈の違いも含まれる話だろうとは予め書いておきたいと思う。そして、その手始めとし、俺個人は何を持って芸術と捉えるかというテーマをキッカケにこのトピックを推し進めてみたいと思います。今年もよろしく。

BY/とーよー
(PC ID:uT5YMk)
2 とーよー
 
文字の色とは何かというテーマから現在王国のセッションが盛り上がっている。正確に書くなら、文字の芸術性とはなんぞやという話でもある。

相棒に対しては少し違う書き方をしたが、ココではもう少し込み入らせて文字を並べたいと思う。

一言で書くなら俺は文字の芸術とは『文体の形』によってもたらされるものだと思っている。

そして、それを書くではなく、捉える方、つまりは読者目線、文字の読み方についてを語るなら、これは文字を読むのではなく、『雰囲気』で文字を眺めることが重要となって来るようにも思えている。例えば、俺はココ1月で、ざつスぺに置ける雑談コーナーの面ヅラを整えたが、これをやっている最中、そして、今も、昔も、よく、トップページや王国の文字を眺めるだけの時間というものがある。この時は、言ってしまえばボーとした状態で内容や相棒のコメントへの返しを考えるという脳ミソにはなっておらず、ただ、ただ、サイトの彩や文字の並び、大まかな文字の組み立てなどを見ているだけである。これはモンハンやその他のゲームにおいても同じ事がある。ただ、ただ、ギルドカードを眺めたり、目的無くフィールドを走り回ったり、その場の空気感に浸るだけの時間というものがあり、この時間は休憩同様大切なものだとも俺は思っている。まあ、このアクション自体が休憩に近いものだと感じるユーザーもいるだろうが、それとは少し違って来るものだとは書いておきたい。

休憩というのはその事を考えない、一切、考えないことに徹することであるが、芸術的な文字の読み込みについては、全く、そのことについては無頓着といった脳ミソでは良い影響が受けられず、脳の違う部分ではその世界に肩まで浸って置かなければならないのだ。続けて話そう。
 
(PC ID:uT5YMk)