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『、の部屋』

つかいみちはひろめッス
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手法
3-1. 対象授業
東京工科大学メディア学部では 2005 年度より講義科
目として『ゲーム制作技法の基礎』を実施している。
これは「ゲーム制作技術」や「インタラクティブ技術」
などを専攻する、主に 2 年生を対象とした講義である。
実際的な演習と合わせて「エンタテイメントコンテン
ツとしてのゲームの企画、開発から運用にいたる過程
とその特徴」を理解させることを方針としている。
この方針を踏襲しつつ、2012 年度後期において「ゲ
ーミフィケーション要素を意図的に盛り込み、学習意
欲の向上を目指す、新しいスタイルの授業」を実施し
た。受講生数は平均 120 名前後であった。

3-2. 授業デザインに関連するゲーミフィケーシ
ョン要素
まず、今回授業デザインをする上で考慮した 6 つの
ゲーミフィケーション要素を簡単に説明しておく[1] [3]。
(1)達成可能な目標設定
受講生が今のまま、あるいは少し頑張れば達成でき
る目標を与える。
(2)成長の可視化
目標達成やその過程で受講生が自らの成長を数字や
実感として確かめられる様にする。
(3)称賛演出
目標達成やそれを目指して頑張ったことを大げさな
ぐらいに誉める。
(4)能動的参加
座学にありがちな受動的な受講姿勢ではなく自ら能
動的に動く必要がある場を作り参加を促す。
(5)即時フィードバック
受講生の発言や行為に対してすぐに(できるだけ早
く)反応を返す。
(6)自己表現
受講生が自分自身の個性(考え方、技能)を表現す
る場を作り参加を促す。


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3-3. 授業デザイン
授業の構成は、筆者の講義とグループワークを基本
とするが、講義部分においても積極的な質疑応答など
インタラクティブな関係の構築を主眼に置いた。以下
の(1)から(12)がその概要である。
また、(13)オンデマンド授業、(14)舞台型授業は、
上記の枠を超えた更に新しい授業スタイルの試みであ
る。
(1)前回授業の振り返り
毎回の授業の最初に行う授業要素である。後述する
前回の授業後の小レポートを集計してフィードバック
することにより前回の授業内容を思い出させる。該当
するゲーミフィケーション要素は「即時フィードバッ
ク」である。
(2)今回の授業のゴール設定
授業の最初に今回の授業終了までに達成すべきゴー
ルを示し、授業後の小レポートにおいて達成の可否を
自己申告させる。受講生の集中力維持が目的で、該当
するゲーミフィケーション要素は「達成可能な目標設
定」である。
(3)対話型授業
筆者からの一方的なレクチャーではなく、受講生と
の間でインタラクティブに質問と回答を繰り返しなが
ら授業を進めることにより「自分も常に参加している」
と受講生に感じさせる。該当するゲーミフィケーショ
ン要素は「能動的参加」、「自己表現」である。
(4)グループワーク
毎回授業で少なくとも 2 回、3〜4 名ずつのグループ
による 5〜10 分程度のグループワークを講義内容に沿
ったテーマで行わせる。該当するゲーミフィケーショ
ン要素は「能動的参加」、「自己表現」である。
(5)授業後の小レポート
毎回の授業後、@その回のはじめに設定したゴール
を達成できたか否か、Aその回の授業で印象に残った
こと、B質問・要望・意見、以上 3 項目を小レポート
として PC 上で書かせ、電子提出システムにより当日中
に提出させる。該当するゲーミフィケーション要素は
「自己表現」、「能動的参加」である
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最新ゲーム業界の動向とカラクリがよ-くわかる本: 業界人, 就職, 転職に役立つ情報満載
橘ェ基
秀和システム, 2006
引用元 4
関連記事
omurice.com
ゲーミフィケーションを活用した大学教育の可能性について
岸本好弘, 三上浩司
日本デジタルゲーム学会 2012 年次大会発表原稿, 91-96, 2012
概要 本研究において筆者らは 「大学生を対象とした授業において, 受講生の授業への集中力持続および学習意欲の向上にゲーミフィケーションが有効であるか」 を検証するため, 東京工科大学メディア学部の講義において, ゲーミフィケーション要素を採り入れた複数のスタイルの授業形態をデザイン・実施した. この講義において筆者らは, 受講生への事後アンケートを通じて 「授業への集中度・学習意欲の変化, 授業に盛り込まれたゲーミフィケーション要素の理解度」 について調査した. その結果, 9 割を超える受講生より 「授業に集中できた」「学習意欲が高まった」 との回答を得るとともに, ゲーミフィケーション要素の活用ポイントについてもほぼ企図したとおりの理解を得たことを確認することができた. 本稿では, 15 回の授業の実践について報告するとともに,「ゲーミフィケーションの教育現場への導入」 に関する今後の展望について述べる.
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先師がいわれた。――
「年少者の修養の道は、家庭にあつては父母に孝養をつくし、世間に出ては長上に従順であることが、先ず何よりも大切だ。この根本に出発して万事に言動を謹み、信義を守り、進んで広く衆人を愛し、とりわけ高徳の人に親しむがいい。そして、そうしたことの実践にいそしみつつ、なお餘力があるならば、詩書・礼・楽といつたような学問に志すべきであろう。」
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先師がいわれた。――
「道に志す人は、常に言語動作を慎重にしなければならない。でないと、外見が軽っぽく見えるだけでなく、学ぶこともしっかり身につかない。むろん、忠実と信義とを第一義として一切の言動を貫くべきだ。安易に自分より知徳の劣った人と交っていい気になるのは禁物である。人間だから過失はあるだろうが、大事なのは、その過失を即座に勇敢に改めることだ。」
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子禽しきんが子貢しこうにたずねた。――
「孔先生は、どこの国に行かれても、必ずその国の政治向きのことに関係されますが、それは先生の方からのご希望でそうなるのでしょうか、それとも先方から持ちかけて来るのでしょうか。」
 子貢が答えた。――
「先生は、温・良・恭・儉・譲の五つの徳を身につけていられるので、自然にそうなるのだと私は思う。むろん、先生ご自身にも政治に関与したいというご希望がないのではない。しかし、その動機はほかの人とは全くちがっている。先生にとって大事なのは、権力の掌握でなくて徳化の実現なのだ。だから、先生はどこの国に行つても、ほかの人達のように媚びたり諂ったりして官位を求めるようなことはなさらない。ただご自身の徳をもって君主にぶっつかって行かれるのだ。それが相手の心にひびいて、自然に政治向きの相談にまで発展して行くのではないかと思われる。」
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有先生がいわれた。――
「約束したことが正義にかなっておれば、その約束どおりに履行出来るものだ。丁寧さが礼にかなっておれば、人に軽んぜられることはないものだ。人にたよる時に、たよるべき人物の選定を誤っていなければ、生涯その人を尊敬して行けるものだ。」
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子貢が先師にたずねた。――
「貧乏でも人にへつらわない、富んでも人に驕らない、というほどでしたら、立派な人物だと思いますが、いかがでしょう。」
 先師がこたえられた。――
「先ず一とおりの人物だといえるだろう。だが、貧富を超越し、へつらうまいとか驕るまいとかいうかまえ心からすっかり脱却して、貧乏してもその貧乏の中で心ゆたかに道を楽しみ、富んでもごく自然に礼を愛するというような人には及ばないね。」
 すると子貢がいった。――
「なるほど人間の修養には、上には上があるものですね。詩経に、
切きるごとく、
磋するごとく、
琢うつごとく、
磨みがくがごとく、
たゆみなく、
道にはげまん。
 とありますが、そういうことをいったものでございましょうか。」
 先師は、よろこんでいわれた。――
「賜しよ、お前はいいところに気がついた。それでこそ共に詩を談ずる資格があるのだ。君は一つのことがわかると、すぐつぎのことがわかる人物だね。」
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モンタージュとは断片群の連続性 4 4 4
と言うよりは,むしろ完全に断片群の同時性 4 4 4
を意味する……知覚者の意識のなかで,断片は断片に積み重なり,それらの断
片が,色彩,光,輪郭,サイズ,運動などで一致しないために,力動的な衝動
と衝撃の感覚をあたえる。その衝動と感覚は,単純な物理的運動の知覚 4 4 4 4 4 4 4 4
から,
隠喩的,イメージ 4 4 4 4
的,あるいは概念的な対比のモンタージュにおける概念内部 4 4 4 4
の最も複雑な形式にいたるまで,運動感覚の基礎なのである……本質的には全
4
体的過程 4 4 4 4
における連続する各位相である諸要素が,一枚のカンヴァスに同時
4 4

4
・同期的に融合し 4 4 4 4 4 4 4
,共存している 4 4 4 4 4 4
……個々の要素は個々の独立した単位 4 4 4 4 4 4 4 4 4
とし
て考察されると同時に,単一の全体における不可分の部分 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4
(あるいは,その全
体の内部における個々のグループ)としても考察される…
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11 ◆kXeycR
君と言いベムと言い何故スレを使い切らない…w
(ID:C8BnDC)
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そういや、前も言ったけど塵箱(カスフィ)より葉っぱ天国のがレベル高いんだよなあ。
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ちなみにここは議論を主軸にした板としています。なので二つに分けました
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☄️☄️☄️☄️☄️☄️ 引用☄️☄️☄️☄️☄️☄️☄️
メイヤスーの思弁的唯物論

メイヤスーは、アラン・バディウの指導のもとで研究し、現在はパリ第一大学で
教鞭をとっている。彼の処女作『有限性のあと―偶然性の必然性についての試論』
が、ブラシエの英訳によって英米圏に紹介され、それが評判となって、ワークショッ
プ「思弁的実在論」が開催されることになった。
 メイヤスーの思弁的唯物論が描くのは、相関主義を内部から打ち破り、そこから
かいま見られた、偶然性につらぬかれたモノの世界だ。
 彼は、相関主義にかんして二重の態度をとる。一方で、相関主義の立場にたつと、
人間が生まれる以前のことがらについて語ることができなくなってしまう。それゆ
えに、相関主義を乗り越えることの必要性が主張される。しかし他方で、カント以
後に哲学をするわれわれは、相関主義を安易に捨て去ることはできない。思考から
独立したモノの存在を、けっきょくわれわれは思考しているのであって、相関主義
から抜け出すことはできないのだ。このようにメイヤスーは、相関主義の乗り越え
の必要性を主張すると同時に、その不可能性を主張していて、そのことが彼の哲学
の論証を複雑なものにしているように思われる。
 ハーマンは『クァンタン・メイヤスー ―つくられつつある哲学』において、メ
イヤスーの哲学を詳細に考察している。そのなかでハーマンは、カント哲学の要素
として、つぎのふたつを挙げている。
a. 思考せずになにかを思考することはできないのだから、〈人間‐世界〉関係
が哲学の中心に置かれる(⇒〈人間‐世界〉関係の特権化)。
b. あらゆる認識は有限であり、権利上、実在を把握することは不可能である
(⇒認識の有限性)。
メイヤスーの思弁的唯物論
キーワード: カント、相関主義、偶然性
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 カントによれば、われわれがアクセスできるのは、われわれに現象しているかぎ
りでのモノだけである(a)。そうした現象としてのモノは、人間の認識のしかたに
したがったかたちでのみ存在する。とはいえカントは、この現象としてあらわれて
いるモノの背後に、ほんとうのモノそのものが存在することを否定しない。だが、
人間の有限な認識によって、それを把握することはできないのだ(b)。
 ハーマンによれば、メイヤスーは a を肯定し、b を否定している(ハーマン自身は
反対に a を否定し、b を肯定)。メイヤスーはあくまでも、人間と世界、思考とモノの
相関関係の枠内で哲学をする(a の肯定)。だが、彼はその枠内から、認識の有限性
を超え出て、モノそのものにアクセスできる道を切り開こうとする(b の否定)。そ
の論証過程はひじょうに複雑であるが、簡略化すれば、メイヤスーはつぎのような
筋道をたどっているように思われる。
 われわれは、思考とモノの相関関係の外部を思考することはできない。この相関
関係という事実そのものは、ただ受け入れて記述することができるだけであって、
それを説明して、べつの原理へと還元することはできない。つまり、それは偶然的
なものである。思考は、この「偶然性の必然性」(『有限性のあと』の副題は「偶然性の
必然性についての試論」)を把握する。そして、この偶然性が成り立つためには、偶然
的なモノそのものが存在しなければならない。
 こうしてメイヤスーは、モノそのものの実在を、相関関係の内部から導き出す。
彼の思弁的唯物論が描くのは、モノたちがどんな法則にもしたがわずに乱舞する世
界だ。いま成立している自然法則も、つぎの瞬間には成り立たなくなっているかも
しれない。衝突するふたつのビリヤードボールは、これまでとはまったくべつのし
かたで飛んで行くかもしれない。世界は、そうした絶対的な偶然性につらぬかれて
いる。メイヤスーの思弁的唯物論において、モノたちはあらゆる法から解放される
のだ。
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透視図法(線遠近法)は、数ある遠近法の中でも、もっとも科学的で体系化された空間表現法です。具体的には、遠方の水平線HLに向けて真っすぐ延びる一本道の真ん中に立ち、風景画を描くとします。まず、視点は常に一定方向に固定する必要があり、遙かに続く道の先を見ているとします。その場合、道は道路脇の輪郭線A・A’を遠方に行くにつれ水平線上の一点(消失点VP)に向けて収束するように描き、道に並走する電線Bなども同様にその一点に向けて描くことで遠近表現をするというものです。この場合、画面は視点から消失点をつなぐ線上の任意の位置で直交した平面部分Cになります。
西洋では、平面(2次元)への立体空間(3次元)表現の試みは、古代ギリシャ・ローマ時代にすでに見ることができます。その後15世紀、イタリアのルネサンス期に至り「線遠近法」としての理論が確立されました。この時期に活躍した建築家のブルネレスキがその方法論を生み出し、同じく建築家で芸術理論家のアルベルティによって体系化されました。17世紀には、フランスの数学者デザルグやモンジュによって、より完成されたといわれています。
線遠近法の発見当初は、消失点を一つ持つ「一点透視法」が多く用いられていましたが、場合によっては不自然な部分が生じ、それを補うべく、消失点を二つ持つ「二点透視法」や、消失点を三つ持つ「三点透視法」などが開発されました。ちなみに、透視図法の一般的な別称として、パースペクティブ、その略語でパースとも呼びます。
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【線遠近法とは】

遠近法とは、平面の画面に三次元の空間や立体を描き出す方法の総称です。
遠近法には「線遠近法」・「色彩遠近法」・「重畳遠近法」等がありますが、狭義には「線遠近法」を指します。
これは任意の一点に向かって複数の線を集約させ、その線に沿って、手前から奥に向かってものを徐々に小さく描いていく方法で、透視図法とも呼ばれます。
線遠近法の理論が確立したのは15世紀初頭のフィレンツェで、建築家のブルネレスキが考案しました。
その後、ブルネレスキに学んだマザッチオが絵画における空間表現に取り入れ、15世紀のフィレンツェで盛んに研究されました。
このような合理的な作図によって三次元空間を表現する線遠近法は、西洋絵画の大きな特徴です。
線遠近法は、室内空間や都市景観といった人工的な直線が見られる場所を描く際には非常に適していますが、直線が存在しにくい自然の風景を描く際には向いていない方法といえます。



【線遠近法を見抜く方法】
線遠近法を見抜く方法は、さほど難しくはありません。
画中にある複数の直線を探し、それらを伸ばした時に各線の先が一点(もしくは二点)に集中していたら、線遠近法を用いていることになります。
線が集中する点は、消失点と呼ばれます。消失点は、画中の中心・上方・下方・左右にあるばかりでなく、画面の外に飛び出していることさえあります。画面の中に捉われずに、消失点を探してみましょう。
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我々人間の目には近くのものは大きく、遠くのものは小さく見える特性があります。その特性を活かして三次元の世界を二次元に描く技術が「線遠近法」です。線遠近法には3つの透視図法があり、下図はその内の一つで、静物画などで多用する二点透視図法です。
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 2つの消失点に向かって各々のパースラインが伸びていることが分かると思います。ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」では、下図で分かるように、消失点がキリストの顔の部分に1つ設定されており、全てのパースラインはその一点に向かって集中しています。左右両壁面と天井の矩形は全てパースラインに沿って描かれることによって、遠近感を生み出す事に成功しています。また同時に、鑑賞者の意識をキリストの顔に集中させる効果もあるのです。
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次の風景画はアレキサンダー・ネイミス作の「エディンバラの街の眺め」です。非常に雄大な景色が描かれており、この場の大気の湿度や香りまで感じるようです。やはり遠近感は見事に表現されている訳ですが、この作品で顕著に使用されている技法は「空気遠近法」です。
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アレキサンダー・ネイスミス「エディンバラの街の眺め」

 空気遠近法とは、近景より大気の層が厚くなる遠景ほど青味が増し、コントラストやフォーカスが弱まるという原理を利用した方法です。
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マニエリスム第一世代を代表する画家、ロッソ・フィオレンティーノ フィレンツェ時代の名作『聖母の結婚』。本作の主題≪聖母の結婚≫とは、聖母マリアが14歳のときに、国中の独身者に一本杖を持たせて集め、杖の先に花の咲いた者を夫に選べという聖告に基づいて選ばれたヨセフが、他の求婚者や侍女たちが群れなす中、司祭の目前で聖母マリアに指輪をはめるという場面を指す。本作で最も大きな表現的特徴は人体のやや引き伸ばされた長身的な各登場人物の奇抜な描写にある。図像学的な伝統的色彩配色が用いられながらも、金属的な光沢感や明暗対比の強い立体的造形はマニエリスム様式の作品の中でも特に注目すべき表現であり、観る者に強い印象を与えている。また画面上部から下部までに配される20人以上の人物の多さも本作の特異的特長のひとつである。
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左手を差し出し、貞淑に婚姻を受けるマリア。戒律の中でおこなわれる結婚という儀式の典型が描かれる本作ではあるが、その表現手法は数多いマニエリスム様式の作品の中でも特に注目すべき表現である。




司祭の導きでマリアの指に指輪をはめるヨセフ。図像学的な伝統的色彩配色が用いられながらも、金属的な光沢感や明暗対比の強い立体的造形など人体のやや引き伸ばされた長身的な各登場人物の奇抜な描写は特筆すべき点である。


神の導きによって聖母の夫に選ばれたことを示す、杖の先に咲く花。咲く花は生命の誕生であり、神の祝福でもある。結婚が神の導きであることを示す教義を表すものとして、この主題は数多くの教会から発注された。
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1508年、教皇ユリウス2世の注文で着工され、4年もの歳月をかけ完成された世界最大の壁画『システィーナ礼拝堂天井画』。主題は旧約聖書の冒頭書に50章から書かれ、神による世界と人間の創造から、楽園追放、バベルの塔、ノアの箱舟などの神話的伝承と、アブラハム・イサク・ヤコブ・ヨセフらの族長伝承などから成る≪創世記≫で、壮大な図解が意味する解釈は諸説あるが、明確な体系的・教義的な秩序の中に組み込んだ宇宙論的な展開を為すとされている。また1980年から10年かけて全面的に洗浄・修復作業がおこなわれ、現在は制作当時の鮮やかな色彩が蘇っている。創世記が記書される旧約聖書とは、ユダヤ教の正典を自己の正典の一部としたキリスト教における名称で、後に福音書や使徒書簡を神との新しい契約(新約)の書としてまとめたのに対し、当初から保持していたユダヤ教の文書をキリストの出現を預言した古い契約の書とみなしたことから旧約の名が付けられた。律法・預言・諸書の3部39巻からなる
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.:引用♭

さてこのシリーズ最後の質問です。

D どの大学、美大で美術解剖学をやっていますか?

というものですが、知恵袋から拾ったものをまず挙げます ⇓

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borislissさん

【東京芸術大学】
美術研究科大学院から学べます。
分野は造形理論・芸術学になります。社会人で研究生もいます。
美術解剖学は特殊で、日本では東京芸術大学にしかありません。
受験者は、絵画や彫刻、プロダクトデザイン、建築、被服、芸術学などを大学で学んだ人
あるいは企業のデザイン部門などに所属している社会人など。

講義は美術大学などで広く行われています。筋学と骨学、身体機能とデザイン、美術作品と解剖学との関係など。

・大学院以上は芸術と解剖学との関わり(文献研究)
・人体計測(マルチン)実習
・身体機能を図像化、計量化するための実験
・動物解剖実習
・科目を履修して最終的に修士論文や博士論文を提出します。

・実技と絡ませる場合は制作した作品を提出します。 (論文を書かなければ修了できません)

くわしくはこちらです↓
http://www.geidai.ac.jp/labs/artistic-anatomy/about.html
http://www.geidai.ac.jp/art/graduate.html#14

解剖学をきちんと学ぶなら医学部に再入学したほうが良いですよ。
芸大の美術解剖学は森鴎外からの歴史がありますが、美学でも美術史でもなく純粋な解剖学でもなく、独自の路線を歩んでいます。

(以上)



つまり、結論としてあまり盛んにやってない、という事でもあります。この知恵袋の投稿が正しいかどうかという前に現実として盛んには行われておりません。だから僕がやっているのですけどね。

このシリーズ記事の(1)(2)に書いたように作品の為には美術解剖学は必要な事なんですが、日本ではまともに学べる環境がない。

この春から、それを穴埋めする何かをやらなきゃなー、と思ってます。

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アートモデル(美術モデル)とは、美術家の作品創作のためのモチーフとして人体の造形を視覚面で提供して美術家のインスピレーションを惹起する存在です。また、平面や立体にかかわらずその実習の為のモチーフとしても活躍します。


人はなぜこのような形をしているのか。ヌードでポーズを取るアートモデルには美術解剖学的な知識があることが望ましいです。
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背中と腕は密接な関係にあります。というのも、腕を動かす筋肉は背中に沢山ついているからです。腕は腕についている筋肉だけでは動くことができません。必ず体幹(胴体)についている筋肉との連動になり、背中の表情はつまり腕の位置との連動になるのです。腕は肩ともつながっており、一連の動きは関数となって動き、それに伴って「見え方」も違ってくる。ほんとに厄介な部分です。

(ID:unMA01)
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構造主義というのは、ひとことで言ってしまえば、次のような考え方のことです。
私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。むしろ私たちは、ほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け容れたものだけを選択的に「見せられ」「感じさせられ」「考えさせられている」。そして自分の属する社会集団が無意識的に排除してしまったものは、そもそも私たちの視界に入ることがなく、それゆえ、私たちの感受性に触れることも、私たちの思索の主題となることもない。
私たちは自分では判断や行動の「自律的な主体」であると信じているけれども、実は、その自由や自律性はかなり限定的なものである、という事実を徹底的に掘り下げたことが構造主義という方法の功績なのです。
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ジャック・ラカン
一番言ってることが難しい。フロイトの流れをくみ、人間の精神がどのように形成されるのかを述べた人。
そこで重要な役割を果たすのが「鏡」である。赤ちゃんは鏡に映っているものが「自分だ」と見立てることで自分を確立させていくのだが、実際には鏡のなかのそれは自分自身ではないので、人間はそもそも自我を確立した瞬間から「私」の原点を自身の中に持っていない不安定で危うい存在であるとしている。
つまり、自我というのはそもそもそのように生まれたものだから、記憶とは過去の真実であるわけではない。
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東京成徳大学研究紀要 ―人文学部・応用心理学部― 第 19 号(2012)
Ovidiusの時代までさかのぼることができる。それでは、今日の「自閉症」はいつ「発見」されたの
だろうか?この点について次に述べる。
6.Early infantile autism (Kanner, L., 1943, 1944)
 Kanner, L. は1943年に今日の「自閉症」について、初めての症例報告を行った(Kanner, L.,
1943)。彼は「これまでに報告されてきたことのない非常にユニークな症状を呈する一群の子どもた
ち」(邦訳p.10)11例(男性8名、女性3名)を報告し、この子どもたちを「情緒的交流の自閉的障害
(Autistic Disturbances of Affective Contact)」と呼んだ。そして翌年の1944年に、この障害を「早
期小児自閉症(Early infantile autism)」と名づけた(Kanner, L., 1944)。Kanner, L.(1943, 1944)
が用いたAutism(Autistic)という言葉は、先述のBleuler, E.(1911)のAutismusが由来である。
Kanner, L.(1943)は、自閉症の子どもたちの特徴として「極端な自閉的な孤立」、「自発的構文の
欠如と反響言語的構成」、「同一性保持への強迫的願望」などを挙げている。これらの特徴につい
て、Kanner, L.(1943)が“CASE 1”として最初に報告した“Donald T.”の症例に沿って見てい
く。
極端な自閉的な孤立:「部屋の中に入れられると、彼は人を無視して、物、それも回すことのでき
る物のところにすぐ行った。どうしても無視できない命令や行動は迷惑でありじゃまであり不快に思
われた。しかし彼は干渉する人にはけっして腹を立てなかった。彼はじゃまな手を、あるいは彼のブ
ロックを踏みつけた足を怒って押しのける」(邦訳p.14)。Kanner, L.(1943)はこの特徴を「極端な
自閉的な孤立」と表現し、「分裂病的な子どもやおとなのように、初めに存在していた関係からの離
脱」でもなく、「以前存在していた参加からの『ひきこもり』」でもなく、「初めから、外からやっ
てくるものはなるべく無視してかえりみず、閉め出そうとする」ものとしている(邦訳p.44)。
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自発的構文の欠如と反響言語的構成:「話しかけられ聞いたことばをおうむ返ししているようで、
聞いたままの人称代名詞を用い、その抑揚までまねた」(邦訳p.13)。Kanner, L.(1943)はこれを
「自発的構文の欠如と反響言語的構成」と呼び、「じゃまされないでいたいという欲求」の強さと、
「外部からもたらされること、外的なあるいは内的な環境を変えること」が「恐るべき侵入」である
とみなされるためであるとした(邦訳p.47)。
同一性保持への強迫的願望:「自発的な行動にははっきり限界がある。笑いながら歩き回り、指を
常同的に動かし、それらを空中で交差させた。頭を左右に振り、3拍子でつぶやいたりした。回せる
ものなら何でも喜んで回した。床に物を投げつづけ、その音を楽しんでいるようだった。彼は、ビー
ズや棒やブロックをさまざまな系列の色にわけて配列した。これらの行為の一つが完成したときはい
つでも、きいきい声をあげて飛び跳ねた。それ以外のことはいつも(母親からの)指示を要し、彼
が夢中になる限られたものごと以外に自発的に行動することはなかった」(邦訳pp.12-13)。Kanner,
L.(1943)はこうした特徴を「同一性保持への強迫的願望」(邦訳p.48)と呼び、「外観と位置を変
えない物は同一性を保持しており、子どもの孤立をじゃまするおそれがまったくないので、自閉的な
子どもにすんなりと受け入れられる」(邦訳p.50)としている。
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Artpedia 近現代美術の百科事典
近現代美術
【美術解説】近代美術「モダンアート」


近代美術 / Modern art
近代人の芸術を創造するため伝統的な芸術を破壊した19世紀後半の芸術

概要
近代美術とは
近代美術(モダンアート)は、実験精神を重視し、過去の伝統的な美術様式から脱しようとした思想や様式を抱いた芸術作品。期間としてはおおよそ1860年代から1970年代までに制作された作品で、それ以降は現代美術と区別される。写実的な初期印象派から脱しようとした後期印象派や新印象派、またリアリズムから脱しようとした象徴主義が近代美術の源流とされている。



近代美術の代表的な始祖は、フィンセント・ファン・ゴッホ、ポール・ゴーギャン、ポール・セザンヌ、ジョルジュ・スーラ、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックといった後期印象派の画家たちで、彼らの動向こそが近代美術の発展における本質的な存在だった。
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近代美術の起源
近代彫刻や建築は19世紀の終わりに現れたとみなされているが、近代絵画の起源はもう少し早い。おそらく、最も一般的に近代美術の誕生年とみなされているのは1863年である。この年は、エドワード・マネがパリの落選展で「草上の昼食」を展示して、批評家たちに批判されるなどスキャンダルを巻き起こした年である。
マネ以前の日付もいくつか提案されている。たとえば、ギュスターヴ・クールベの1855年作「画家のアトリエ」や、ジャック=ルイ・ダヴィッドの1784年作「ホラティウス兄弟の誓い」を近代美術の始まりとみなす人もいる。

美術史家のH.ハーバード・アーナソンによれば「それぞれの日付は、近代美術の発展において重要な意味を持つが、まったく新しい始まりの年ではない。近代美術は100年かけてゆっくりと生成されてきた」と話している。

最終的に近代美術と結びつきのある思考の源は、17世紀の啓蒙主義にまで遡ることができる。美術批評家のクレメント・グリーンバーグは、たとえば哲学者のエマニエル・カントを「最初の実際のモダニスト」と描写し、「啓蒙主義は外部から批判し、モダニズムは内部から批判する」と書いた。
1789年のフランス革命とナポレオン時代は、何世紀にもわたってほとんど疑問ももたず慣れ親しんできた政治や社会制度を根絶やしにしたことで、近代美術の発展のルーツであるともいえる。ジャック・ルイ・タヴィッドが描いた《皇帝ナポレオン一世の聖別式》やアングルの《玉座のナポレオン一世》の主役は、国王でも、教皇でもなく、庶民からの圧倒的なカリスマによって最高権力にのぼりつめた個人が描かれた。
エドゥアール・マネ《草上の昼食》(1862-1863年)

アングル『玉座のナポレオン1世』(1806年)
19世紀になると多くの芸術家たちが、自分たちが興味のある人物、場所、考えを自由にキャンバスに描写するようになった。ジグムント・フロイトの『夢の解釈』が1899年に出版され無意識の世界に興味が示されるようになると、多くの芸術家たちは、自己の経験を表現する手段として、夢、象徴性、個人的ビジョンを探求し始めた。
また、こうしたなか芸術は現実的な世界を描写する必要があるという觀念に挑戦し、色、非伝統的な素材、新しいテクニックとメディウムを利用して実験的な芸術制作を行うようになった。
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装幀 とは、一般的には本を綴じて表紙などをつける作業を指す。広義には、カバー、表紙、見返し、扉、帯、外箱のある本は外箱のデザイン、また製本材料の選択までを含めた、造本の一連の工程またはその意匠を意味する。そして、装幀を担当する専門家のことを装幀家、装丁家と呼ぶ。
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本が好きなら装幀も好き?表紙デザインの歴史を知ろう
「装幀(装丁)」とは、表紙や帯、ページレイアウトから紙質の選択に至るまで、「本のデザイン」にまつわる一連の工程のことを指します。今回は、長い装幀の歴史に影響を与えた数々の技術革新や、21世紀の装幀文化におけるトレンドまで、一挙に解説します!

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私たちが本と最初に出会う要素の1つ、装幀。書店や図書館で装幀に惹かれ、思わず本を手に取った経験がある人もいるのではないでしょうか。

この装幀について、世界で唯一の国際的なコンクールが1963年よりドイツで開催されています。その名も「世界で最も美しい本コンクール」。このコンクールには「造本装幀コンクール」で選ばれた、日本を代表する作品も多数応募されており、世界的に見ても本の装幀は現在でも大きな注目を集めています。

当初、装幀とは、ページを順序良く並べ、ばらばらになってしまうのを防ぐためのものでした。しかし、時代を経るにつれ、装幀には書物の保存以外の目的も加わることとなります。今回はそんな装幀の世界に変化をもたらした技術革新の歴史、更に、日本を代表する文豪と装幀との密接な関わりについて紐解いてみましょう。
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書物の形態が、今日見られるような形の「本」となったのは、紀元後の早い時期とされています。それまでは、本といえば両手で持たなければ読めない「巻物」でしたが、紙葉を重ね合わせて閉じる冊子は保管がしやすい、持ち歩きに便利という点だけでなく、表裏両面に文字を書くことができる点で優れていたのです。古代ローマで発明された冊子は、聖書をきっかけに各地に広まっていくこととなります。

長らくキリスト教圏の人々が聖書に対して抱いている敬意は、金銀や宝石、象牙で装幀に飾り付けを施すなど、装飾的な形で表されていました。しかし、15世紀、ヨハン・グーテンベルクが活版印刷を用いて聖書の印刷に挑んだことにより、このような聖書の崇高な装いは大きく変化することになります。当時、聖書は僧侶たちによって書き写すのが基本でしたが、このグーテンベルクの挑戦により、それまでは貴重品であった本を容易に安く生産できるようになりました。活版印刷は羅針盤、火薬と共にルネサンス期の三大発明と言われるほど、大きな革命だったのです。

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活版印刷の発明から紙製の本が大量印刷されたことに伴い、大衆化した本を「自分だけの1冊」にするため、所有者の個性を強調することが求められていたという背景もあり、装幀の文化は更に活発になっていきます。やがて贅沢を嫌うプロテスタントの国々では華やかな製本は廃れてしまいますが、フランスだけは別でした。

グーテンベルクの発明で製本・印刷・出版の境界線が曖昧になったことを危惧したルイ14世は17世紀末、「印刷業者と装幀業者は兼業してはならない」という法律を定めます。この法律で製本する権利を失った印刷業者は、細い糸で綴じただけの「仮綴じ本」の状態で出版せざるを得ませんでした。しかしこの時、味気無く、保存状態も悪い仮綴じ本を購入した人からの依頼で装幀を行う職人が生まれました。その職人はフランス語で「製本工芸」の意味を持つ「ルリユール」と呼ばれ、ルリユールが装幀した美しい本は、印刷技術の革新を経て社会的地位を誇示するための道具となっていきます。

数こそ少なくなったものの、ルリユールはフランスで今なお存在している職業です。本を保存する手段にしか過ぎなかった装幀が、グーテンベルクのもたらした技術革命を経て次第に美を追求するための技能へと発展し、現在にまで受け継がれているのです。
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装幀は実に著書の品格と書物そのものの生命の鼓動を表現し、象徴するものである。しかも、著者こそもっともよくその書物の内容と香味とを知るものであるから、書籍の刊行によって物質的利益と、低級な売名を欲する者でない限り、言葉を変えていえば、真に自己の研究と芸術を世に問うものならば、著者こそ自著の装幀者とならねばならない。本の一冊も著そうとする人で自分で、自分の本を装幀出来ぬような者はその資格がない。
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アヴァンギャルドの概念は、アートはアーティストの着想とビジョンの中にある独創性と質によって評価されるべきだ、という考えを基にしています。これは、伝統的な遠近法や肉付け、短縮法などの技法を拒否し、その代わりキャンバスの二次元性を強調し、複数のあるいは対照的な視点を用いた、キュビスムのような形態の革新も含まれます。
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ポストモダン
現代という時代を、近代が終わった「後」の時代として特徴づけようとする言葉。各人がそれぞれの趣味を生き、人々に共通する大きな価値観が消失してしまった現代的状況を指す。現代フランスの哲学者リオタールが著書のなかで用いて、広く知られるようになった。リオタールによれば、近代においては「人間性と社会とは、理性と学問によって、真理と正義へ向かって進歩していく」「自由がますます広がり、人々は解放されていく」といった「歴史の大きな物語」が信じられていたが、情報が世界規模で流通し人々の価値観も多様化した現在、そのような一方向への歴史の進歩を信ずる者はいなくなった、とされる(『ポスト・モダンの条件』1979年)。また、ポストモダンという言葉は、ポスト構造主義の思想傾向を指す言葉としても用いられ、その際はポスト構造主義とほぼ同義である。唯一の真理をどこかに求めようとする思考を徹底的に批判しようとしたデリダ、近代は自由を求め拡大したのではなく、むしろ人々の内面と身体を管理する技術を発達させたと述べたフーコーなどは、共に、近代的な物語を解体しようとした思想家として見られるからである。
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ポスト構造主義
ポストこうぞうしゅぎ
post-structuralisme(仏)
1960年代後半から 70年代後半のフランスにおいて登場した,構造主義を批判的に継承しつつそれを乗り越えようとする思想運動。代表的人物に J.デリダ,G.ドゥルーズなどがいる。ポスト構造主義は,西欧近代の主流的見解であった人間主体中心主義,すなわち認識の原理でありかつ世界存在の原理である「主観性」の哲学を解体させた構造主義による認識論的革命を踏まえつつ,構造主義が代置した諸関係の構造化の視座が持つ,依然として閉鎖体系を構築して構造を主体化させる傾向,要するに暗黙裏の形而 (けいじ) 上学的思考を批判し,非形而上学的思考の可能性を模索するものである。デリダの脱構築も,ドゥルーズのノマドロジーも,西欧思想を貫く,客観的,普遍的な世界認識を支えるロゴス (言葉の働き) の企てとその背後にある欲望を問題にすることによって「主観性」の哲学の持つ認識論を乗り越えようとする試みであるといえよう。
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ノマドロジー
nomadologie(仏)
ノマド (遊牧民) からの造語。ノマディズムともいう。 G.ドゥルーズ,F.ガタリの用語。定住民が閉じられた空間を人間たちに分配する機能を持つのに対し,ノマドの経路は人間たちを開かれた空間内に分配する。したがってノマドロジーとは,ヨーロッパ思想が追い求めてきた,自己同一的なるものへの固定・固着と対立するもので,完結性・閉鎖性さらに国家機構から離脱したり,それを破壊するもの (脱属領化) で,常に運動のさ中にあって「外」や「他」と変幻自在の関係をもって,自己を壊しつつ,自己をつくっていく多義的・多型的生を徹底的に生きる生の在り方である。
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ポストモダン文学(ポストモダンぶんがく、英語: postmodern literature)は近代文学の特徴に反する特徴を持つ文学のことである。

近代文学は無矛盾性、秩序性、明晰性、簡潔性、建設性、独創性、普遍性などの特徴を持つ。これに対し、ポストモダン文学は物語の矛盾を肯定的に含んだり(むしろ物語は常に矛盾を含むものである、といった姿勢)、時間軸の無秩序性、衒学性、蕩尽性、記号性、全面的破壊、模倣、大きな物語の終焉、普遍性への懐疑、自己の解体等々である。

ポストモダン文学は近代文学へのアンチテーゼということ以外、明確な定義はない。通常○○文学という場合には、それを特徴づける形質があるが、ポストモダン文学の場合には、そのような形質には乏しく、単に近代文学の補集合という意味合いが強い。これは他のポストモダン建築、思想、芸術と同じである。
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葉っぱの切り絵アート






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コイン♭ や お金♭も…
日常に潜む
アート🎨

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どの偉大な社会にも創造的な魂が存在します。それは真の芸術家たちのことです。古代ギリシャやローマから、そしてルネッサンスを経て、現代の世界に至るまで、人々は芸術家の並外れた創造性を目にし、畏敬の念を抱いてきました。

有名な米国人ライターのヘンリー・ジェームズはこのように語っています。「この世を生み出すのは芸術だ。」「この世を生み出すのは芸術だ…」それは今日においても変わらず真実です。 実際、芸術家は私たちの未来を夢見て、そして明日の現実性を創り出す人だからです。工学者や企業家、他の分野における空想家もまた同様です。しかし概して彼らの創り出す未来は広く私たちの物質的な豊かさの中に溶けこんでいます。精神を高揚させ、私たちを笑わせたり泣かせたり、さらには私たちの未来の精神文化を形成できるのが芸術家なのです。この世を生み出すのは芸術家なのです。

これは芸術家というこの世の財産が、なぜ常に破滅させられるのかを説明しています。

彼らがかけがえのない財産であるにもかかわらず、いくつかの場合においては、その命はあまりにもはかないのです。 この損失により、私たちの心には空虚さが残りました。 この数十年、偉大な芸術家たちが本分を成就しないまま急逝した時、誰もが嘆き悲しみに暮れました。文学、映画、劇場やコンサート・ステージの偉大な人物には、アーネスト・へミングウェイ、フランスの偉大な作家アントナン・アルトー、ジャズ・シンガーであるビリー・ホリディ、ジュディ・ガーランド、マリリン・モンロー、ビビアン・リー、カート・コバーン、マイケル・ハッチェンス、フィル・ハートマンなど、枚挙に暇がありません
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まだまだこういった人物はいますが、これだけでも芸術家の人生は喧騒に溢れているという印象があります。過剰な成功へのプレッシャーが、彼らにかかっているからです。人は、芸術家として成功するには、ノイローゼか何か悲劇的な状態になる必要があると、たやすく信じてしまうほどです。

これは、全く真実ではありません。

先に挙げた個々の事例の裏には、悲劇的な結果をもたらした影の影響力がありました。真実はこうです。命を落とした多くの偉大な芸術家たちとその他大勢の人たち一人一人が「援助」を得ていました。 そして彼らは援助してもらう代わりに裏切られ、破壊に向かうように仕向けられたのです。

精神科医そして心理学者がその裏切りに直接、または間接的に関わっていました。彼らは助けると主張しながら、結果はこれらの芸術家たちに破滅的な影響を及ぼし、能力や自信の源を引き裂きました。 その後、彼らは生命を落としたのです。

今、このメッセージがすぐに受け取られ、理解されなければなりません。 というのも、様々な分野の芸術家が圧力を受けており、その力がどんどん増してきているからです。今の兵器は一そろいの致命的な薬物であり、それらはかつてロボトミー手術がそうであったように、これは見かけだけの療法に過ぎません。エンターテインメント業界のメッカであるハリウッドでは、依存性のある向精神病薬によって、多くの芸術家が人生を台無しにされています。その損害はあまりにも甚大です。
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一流の芸術家たちの間で創り出された荒廃はさておき、私たちはこれを忘れてはなりません。「芸術家が私たちの未来の文化を創造する」のです。

これが私たちが向っている未来でしょうか? 私たちは、これら大衆のオピニオン・リーダーに従い、創造的な個性の阻害や崩壊した家庭、無駄な生活、自己崩壊といった素晴らしきセラピーの新世界へと突き進むのでしょうか?

もし大げさだと感じるなら、下記の数字に目を通してください。そして未来を予測してみてください。大きな変革が必要とされています。現在、世界で2000万人以上の子どもたちが抗精神病薬を処方されており、英国と合衆国の薬物取締局が警告を発しています。抗うつ剤は自殺や暴力的行為を引き起こす恐れがあると知られています。事実、十代の若者が学校で銃乱射事件や暴力犯罪といった事件を起こし、その数の増加はこれらの薬物処方の急増と相まっています。また、何百万もの人がコカインより強力とされる覚せい剤(中枢神経刺激剤)を処方されています。

この何百万人のうちで、どれだけ偉大になる可能性のあった芸術家が自分たちの人生を全うできなかったのでしょう?そして彼らがいなくなることで、私たちの文化はどれだけの損害を被ったのでしょう?

私たちはあまりに早く世を去った偉大な芸術家を思い、嘆き悲しみました。もうこれ以上悲嘆に暮れるのはやめましょう。
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市民の人権擁護の会国際本部は詳細な情報、調査結果を常に用意しており、作家や脚本家に精神医学という主題に関する資料や情報を提供しています。これは書籍「Shadowland」という女優フランシス・ファーマーの物語にも載っています。オーストラリアの「60分」という番組で提供された有力な証拠によって、この番組に対して全国テレビ賞が送られ、ドキュメンタリーに対する事例研究は英国のチャンネル4でドイツ、イタリアなどの国々で放映されました。ちなみに、CCHR国際本部はハリウッドのサンセット大通りにあり、最新技術を駆使した常設の「精神医学:死を生み出している産業博物館」が設置され、精神医学のさまざまな側面に関する14種類のドキュメンタリーには、精神医学の暗黒の歴史からホロコーストにおけるその役割まで、憎むべき民族浄化、アパルトヘイト・プログラム、人種差別から有害で時には致命的な精神医学の療法、診断、危険で中毒性のある向精神薬、電気ショック、精神外科手術、子どもを薬漬けにする中枢神経刺激剤まで紹介します。


この博物館とCCHRの何十年もの調査は、脚本家、テレビ台本作家、劇作家、小説家にとっての資料です。この情報をさらに普及するために協力してください。支援が必要な芸術家たちを保護しましょう。未来が裏切られないように。
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生沼泉 生命科学研究科助教と田坂元一 同博士後期課程学生、根岸学 同教授は、マウスの大脳皮質において、神経細胞が自身の周辺の「道しるべ」を感知して自らの樹状突起の形と向きを決定していくメカニズムを解明しました。

 神経細胞は、1本の長い軸索と複数の複雑に分枝した樹状突起を持っています。軸索は、他の細胞への情報の出力元として、樹状突起は他の細胞からの情報の受け手として働きます。胎児の脳内で神経回路網が形成される際、軸索や樹状突起が的確な位置へ伸びていきシナプスを形成しますが、その際迷子になったり混線したりしないのは、脳内に「軸索ガイダンス因子」という物質が「道しるべ」として働き、軸索の形や向きを変化させるからです。軸索側を制御するガイダンス因子は、20年ほど前からよく研究されてきました。しかし、的確な回路網形成には、軸索だけでなく、樹状突起側の制御も必要ですが、樹状突起側の詳しい制御メカニズムは明らかになっていませんでした。

 生沼助教らは今回、マウスの脳で軸索ガイダンス因子の一つであるセマフォリンと結合する受容体たんぱく質「プレキシン」が、樹状突起の形や向きを制御していることを突き止めました。さらに、プレキシンの活性を阻害する分子をマウスの大脳皮質に遺伝子導入したところ、神経細胞の樹状突起の枝分かれを増加させることに成功しました。これまで、セマフォリンがプレキシンを介して、軸索の伸長を阻害することは分かっていましたが、今回、樹状突起の伸長をも阻害することが世界で初めて分かり、さらにはその阻害メカニズムの詳細も明らかになりました。

 セマフォリンやプレキシンは線虫からヒトまで、種を超えて存在している重要な分子で、損傷後の神経再生を阻害することが知られています。今回の成果により、損傷神経細胞の神経突起の再生誘導への応用が期待されます。
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軸索
じくさく
axon
神経細胞のもつ突起で,多くの場合,各神経細胞体または太い樹状突起の基部から1本ずつ出ている。長く伸び,被膜に包まれて神経線維となるので,樹状突起に対して軸索突起または神経突起ともいう。末端は分枝して次の神経細胞などに接合し,神経の興奮を伝える。軸索の内部は,多くの神経原線維と,その間を満たす神経形質とから成り,5〜10nmの原形質膜に包まれている
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1.1.2 人間の情報処理活動を調べる
知覚→情報処理→運動サイクル
人間は活動している間、絶え間無く情報処理を行っている。たとえば、
歩いている時を考えてみよう。常に周囲を見て、障害物があれば方向や
足のあげ方を変えて対応しないと、ぶつかったりつまづいたりしてしま
う。また、楽器を合奏している時はどうだろうか。自分や他人が出して
いる音を聴き、それに応じて弦やバルブの押え具合、息や弓運びの強さ
を調節することで、調和の取れた演奏が進んで行く。


このようなとき、一般に「外界→知覚→脳 (情報処理による調節) →
運動→外界」というサイクルができることによって、人間はうまく活動
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長期記憶と短期記憶
前節では「知覚→判断→運動」サイクルについて見たが、では「記憶」
についてはどうだろうか。人間の脳の記憶機能については、次のような
ことが分かっている (図 1.5):
• 記憶は長期記憶と短期記憶 (作業記憶) に分かれている。
• 短期記憶には情報の「かたまり」が数個 (7 ± 2 と言われる) 程度
しか入らず、その記憶はすぐに減衰してしまう。
• 長期記憶はいくらでも沢山の情報が蓄えられるが、情報を格納す
るのにはかなり時間が掛かり、また格納された情報を取り出すの
も時間が掛かったり、場合によってはうまく取り出せないことも
ある。
• 外から (知覚機能を通して) やってきた情報は、まず短期記憶に入
り、そこで忘れないまま反芻されていると、次第に長期記憶に入っ
て定着する。
これらのことがらも、ユーザインタフェースなどの設計に重要な指針
を与えてくれる。たとえば、短期記憶の容量は 7 程度だから、メニュー
項目でいちどに提示する選択肢の数、文章における章や節の数などは多
くても 7 程度にとどめるのがよいとされている。
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主観的輪郭の形成に関する視覚情報処理モデル
石寺永記, 荒井祐之, 土屋雅彦, 宮内裕子, 高橋信一, 栗田正一
電子情報通信学会論文誌 D 76 (4), 873-880, 1993
我々人間の視覚系は,点パターンのように離散的な対象でも仮想線を知覚でき,色や明るさの段差がなくてもそこに明りょうな主観的輪郭を知覚することがある.これは補間問題と考えることができる.そこで,本論文では生理学的データに基礎をおく階層的視覚情報処理モデルを提案し,仮想線と主観的輪郭の知覚といった補間問題に応用する.主観的輪郭を形成するためには,実際の輪郭,主観的輪郭の通る点,そしてその輪郭の伸びていく方向を決定することが重要であり,本モデルではこれらの処理を並列処理で実現する.このモデルは2種類のSimpleセル(StypeとLtype)の出力から,大域的処理によ …
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力覚
力覚 ( force sensation ) とは、五感情報のうち触覚情報に関係する感覚で、主に物体と接触した際に人間が感じる力感覚のことを指す。

詳細
人間が有する五感情報(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)のうち、力覚情報は触覚情報と関連する感覚情報である。触覚情報は、人が物体表面を撫でた際などに感じるザラザラ感などの皮膚感覚を意味するのに対し、力覚情報は物体と接触した際の反力感覚を意味するものとして、区別されることが多い。
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「押す・引っ張る・浮き上がる」を体感、バーチャルリアリティ分野における画期的な力覚感覚提示インターフェイスを開発


従来のバーチャルリアリティにおける力覚感覚提示インターフェイスは、ワイヤやアームが人間の動きを拘束し操作を制限するなどの問題点があった。
新開発のGyroCubeテクノロジーを用い、ワイヤで吊ったりアームで支えることが不要な、3次元空間の任意の方向に並進力と回転力の両方の感覚を提示するハイブリッド型力覚感覚提示インターフェイス"GyroCubeSensuous"を開発。
人間の感覚特性を利用することにより、手に持ったGyroCubeSensuousが重くなったり、軽くなったり、ついには、浮き上がって感じられる、力覚感覚のイリュージョン効果を実現。
応用は、医療・福祉・宇宙からゲーム機・携帯電話まで。力覚感覚を用いた視覚障害者歩行誘導、手術シミュレータにおける力覚フィードバック、宇宙・無重力空間での力覚感覚提示などがあげられる。
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独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】(以下「産総研」という)人間福祉医工学研究部門【部門長 赤松 幹之】は、国立大学法人 筑波大学【学長 岩崎 洋一】(以下「筑波大」という)大学院 システム情報工学研究科と、バーチャルリアリティ(VR)の分野における力覚や触覚を提示するインターフェイスとして、任意の方向に並進力および回転力(トルク)の両方を発生させることで、「押す・引く・浮き上がる」などの感覚を提示できる 力・トルクハイブリッド型の『力覚感覚提示インターフェイス"ジャイロ キューブ センサス"(GyroCubeSensuous)』を開発した【図1参照】。

 次世代マルチメディアと関連して、五感の全てを情報提示に用いるマルチモーダル・インターフェイスが注目されている。特に物体に触っている感触(触覚)やその物体から受ける反力(力覚)などの触力覚感覚を提示するインターフェイスは、臨場感の大幅な増大につながるため、従来型インターフェイスの操作性や情報の知覚・理解の向上が可能である。従来技術ではピンやマニピュレータアームを用いた情報提示手法が主流となっており、装置が大きい、アームやワイヤなどでユーザが装置につながれるため身体の動きが拘束される、などの問題点があった。また、来るべきユビキタス社会においての利用を考えた場合、従来型の力覚感覚インターフェイスは同様の理由からモバイル利用に適していない。

 本研究ではこの課題を解決するために、インターフェイスに組み込まれた複数の回転体の角運動量を制御し、任意の大きさ、任意の方向に、力および回転力を発生することで、バーチャル物体の存在や衝突の衝撃力を提示する方法を考案した。これにより、2つの偏心回転子の回転方向および位相を同期制御することで、トルク、力、および振動感覚の1つの機構上での提示を実現した力覚感覚提示インターフェイス"ジャイロ キューブ センサス"の開発に至った。ジャイロ キューブ センサスは、手のひらに乗るサイズで、人間の感覚特性を巧みに利用することで、前後に微小変位の振動運動を繰り返すだけなのに、感覚的には前方向の一方向にのみ力を感じさせることができる。この結果、手のひら上でジャイロ キューブ センサスが重くなったり、軽くなったり、ついには、浮き上がって感じられる力覚感覚のイリュージョンを体感することが可能となった。
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今回開発したジャイロ キューブ センサスは、引っ張られる感覚で進行すべき方向に誘導するヒューマンナビゲーションシステムや、手術シミュレータ・遠隔手術の実現のためには不可欠な技術の一つであり、医療・福祉分野やIT産業・VR産業において新たな展開を与えることが可能な技術である。特に、触力覚感覚が重要な情報獲得手段の一つである視覚障害者に対する支援への貢献が期待される。この他、パソコン用3Dマウス、ゲーム機、VRなどのIT機器インターフェイスに応用することができる。今後は、さらに小型・軽量化を図り、インターフェイス・メーカーとの共同研究を推進することで製品化につなげる予定である。
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次世代マルチメディアと関連して五感を用いたマルチモーダル・インターフェイスが注目されている。特に、触力覚感覚を用いることで、従来型インターフェイスの操作性や情報の知覚・理解を向上させることが可能と考えられており、各種職業技術訓練、遠隔操作、健康医療福祉機器などへの応用が期待されている。しかし、従来の触力覚感覚の情報を提示する技術は、ピンやマニピュレータアームなどによるものが主流であるため、装置につながれることで身体の動きが拘束される、アームがお互いに干渉し合って複数の装置が共存できない、装置が大きくなるなどの問題があった。また、来るべきユビキタス社会においては、いつでもどこでも、そして、歩きながらでも利用できるインターフェイスが必要とされているが、従来型の力覚感覚インターフェイスは、同様の理由からモバイルでの利用には適していない。

 力覚感覚提示インターフェイスは、大きく「接地型」と「非接地・可搬型」の2つに分類できる。接地型インターフェイスは、アームやワイヤの抗力や張力によって人に力覚感覚を提示する【図2(左)、(中央)参照】。そのため、原則として、反力を支えるベースが必要であり、携帯での利用には適していない。この携帯性の問題を解決するために身体の一部に反力を支えるベースを設けた非接地型インターフェイスが開発されたが【図2(右)参照】、この非接地・可搬型は反力を支えるベースがユーザ自身の身体内にあるため、物を押している感覚や外部から力を受けたという感覚に乏しいなどの問題点があった。
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これに対して、産総研と筑波大では、身体内に反力用のベースがなくても外部からの力覚感覚が得られる非接地・非身体内ベース型の力覚感覚提示インターフェイスの開発を行ってきた。2001年の先行研究において、今回の開発の基礎となるトルク提示インターフェイス"ジャイロ キューブ"(GyroCube)【図3参照】の開発を行った。ジャイロ キューブは、x−y−z軸座標に配置された3つのモータの回転を制御することで、任意の方向にトルクを提示する非接地・非身体内ベース型インターフェイスである。3つのモータの回転によって合成された角運動量の時間的な変化がトルクであり、モータの回転を加減速することで、任意の方向にトルクを提示することができる。しかし、この手法によるトルクの提示には大きな電力が必要であり、また、連続的にトルクを提示できないという課題が残っていた。

 そこで、産総研 人間福祉医工学研究部門 感覚知覚グループの 中村 則雄 主任研究員(現:産総研 ベンチャー開発戦略研究センター 開発戦略企画室 シニアリサーチャー)と筑波大学大学院 システム情報工学研究科 コンピュータサイエンス専攻 福井 幸男 教授は、感覚知覚心理学を情報システム工学に応用することで、この課題の解決を図った。中村主任研究員は聴覚などの感覚知覚を専門とし、携帯電話を用いた聴力測定装置の開発、携帯電話のナビゲーション機能に力覚感覚による方向誘導を付加するマルチモーダル・ヒューマンナビゲーションシステムの開発を行っている。福井教授は、VRの分野で使う触力覚インターフェイスの研究を行ってきた。今回開発した力覚感覚提示インターフェイスは原理的に無限大の剛性を表現できるインターフェイスであり、硬いものから柔らかい仮想形状まで幅広い表現力をもつ力覚感覚インターフェイスを実現することができる。本研究成果は、専門が異なる二人の研究者が協力することによって実現されたものである。
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開発の基礎となった2001年に試作した合成角運動量ベクトル微分方式のトルク提示インターフェイス"ジャイロ キューブ"(GyroCube)(左)とその構造図(右)

 x軸、y軸、z軸に固定された3つの回転子の回転数 ωx、ωy、ωz を独立に制御して、それぞれの回転子が発生する角運動量を合成することで任意の方向に角運動量ベクトルを発生することができる。これを適切に制御すれば任意の方向にトルクを発生させることができる。角運動量ベクトルLを変化させた時に発生するトルクは以下のように表される。
 各x、y、z軸周りに角速度ωiで回転する角運動量Liは、各軸周りの慣性モーメントをIiとすると、
 Li = Ii ωi、i= x, y, z
と表わされる。これらの各軸周りの角運動量から構成される合成角運動量ベクトルは、x、y、z軸方向の基本ベクトルをi、 j、kとすると、
 L = Lxi +Ly j +Lzk
と表わされる。この合成角運動量ベクトルの時間微分が発生するトルクベクトルτである。
 τ = d L/d t
 x、y、z軸方向の角速度の比ωx:ωy:ωzを変えることで任意の方向に角運動量ベクトルの発生方向を制御することができる。
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課題(1):従来のVRにおける力覚感覚提示インターフェイスは、提示機構であるアームやワイヤに加え、それを支えるベースが不可欠であったが、今後のモバイル・ユビキタス社会での、いつでもどこでも、そして、歩きながらでの利用を考えた場合、人間の動きや操作を拘束・制限する、手のひらサイズへの小型化が難しい、などの問題点があった。

課題(2):非接地・非身体内ベース型力覚感覚提示インターフェイスの実現にあたり、ジャイロスコープによって発生する回転トルクを利用するジャイロスコープ方式や空気圧の反力を利用する方法を検討したが、操作性・制御の難しさに加え、小型化が困難などの問題があった。また、ジャイロスコープ方式では、連続して一定方向にトルクを提示し続けることは不可能であった。


解決法(1):これらの問題意識から、先行研究において、回転体の回転速度を制御して、角運動量の時間的な変化でトルクを提示するインターフェイス"ジャイロ キューブ"(GyroCube)を考案した。この方法では、アームやワイヤが不要となり、非接地・非身体内ベースでありながら、バーチャル物体から人に力が働いている外力感覚を実現できる。今回さらに、2つの偏心回転子からなる"ツイン偏心回転子方式"を考案することで、回転力に加えて並進力も同時に提示できるハイブリッド型力覚感覚提示インターフェイス"ジャイロ キューブ センサス"の実現に至った。2つの偏心回転子の回転方向・回転速度・位相関係を制御することで、任意の方向・強度・周波数の振動・回転力・力感覚を提示することができる【図4参照】。例えば、以下のようなことが可能である。
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物体には質量と大きさがあるものですが、大きさが無く質量だけがあるとみなしたものを質点といい、大きさも質量もあるとみなしたものを剛体といいます。

物理では、物体がどのくらいの速さで動くのか、どのくらいの力が加わったのか、ということを考えますが、物体に大きさがあるときは、その物体が回転しているかどうかも考えます。これは、物体に大きさが無いときは考えないことです。つまり、剛体と質点の大きな違いは、回転を考えるかどうかです。回転を考慮することが剛体の運動を分析する上での最大のポイントです。*
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本論文は奥行知覚をもたらす多くの視覚要因の効果を定量的に評価することを目的とする. まず, 評価量として各視距離とその距離における奥行弁別閾との比を奥行感度と定めた. つぎに静止状態での観察および体を左右に動かした状態での観察を 4 種の視距離について行い, 奥行弁別閾を測定した. その結果より各要因の奥行感度を求め, 距離 10m 以内では両眼視差がもっとも有効であり, 遠距離では運動速度が最適であれば運動視差が有効であることを確かめた.
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ポルノグラフィに関する一試論
――哲学・倫理学における議論を中心に――
根 村 直 美
はじめに
本研究は、お茶の水女子大学ジェンダー研究センターにおいて平成12年度にあらたに立ち上げられた
研究プロジェクト「健康とジェンダー」の一環として行われているものである。「健康とジェンダー」
研究プロジェクトは、平成 8 年度から11年度にかけて同センターで実施された「アジアにおけるリプロ
ダクティブ・ヘルス/ライツ」に関する研究プロジェクトにおいて残された課題に取り組むことを目的としている。
前プロジェクトにおいて残された課題には、リプロダクティブ・ヘルス/ライツの概念のもとで考察されるべきでありながら、十分に取り組むことができなかったものとして「性暴力」の問題があった。
「性暴力」の問題と一口に言っても、さまざまな局面を問題視することができるであろうが、筆者は、そのうちでも、ポルノグラフィを「性暴力」の文脈で考察してみたい。
1993年に国連が採択した「女性に対する暴力の撤廃に関する宣言」では、「女性に対する暴力」を肉体的、精神的、性的、心理的に苦痛を生じさせる性に基づくあらゆる暴力行為」と定義した1
。また、岩男寿美子・加藤千恵編『女性学キーワード』によれば、現代社会における「性暴力」とは、社会的に弱者である女性が、強者の立場である男性から、性行動というかたちをとって受ける肉体的・精神的な虐待、と言い換えることができるとしている2
。ポルノグラフィの場合には、そもそも、そのような意味において「女性に対する暴力」あるいは「性暴力」にあたるのかどうかということ自体が問題となってきたといってよい。本稿では、ポルノグラフィをめぐる問題の所在を明らかにすることで、ポルノグラフィがどのような意味で「女性に対する暴力」あるいは「性暴力」と言いうるかを検討していく。ポルノグラフィをめぐる考察は、日本でも、法学、社会学、心理学、女性学など様々な分野でなされている。とりわけ、各分野でのフェミニストたちの研究の蓄積は非常に目覚しいものがある。しかしながら、この問題に関しては、「倫理」の視点は欠かすことができない。そこで、本稿では、
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日本の哲学・倫理学の分野ではこれまでどのような議論が行われてきているかをおさえてみたいと思う。そして、多分野にわたる研究者によって行われる本研究プロジェクトにおいて、その考察を逐次深めていきたいと考えている。
1.「猥褻」と同義のポルノグラフィをめぐる議論
ポルノグラフィとは、そもそも何をさしているのか。実は、ポルノグラフィを定義することもそれほど簡単ではない。ポルノグラフィは辞書によると、「わいせつな文学・絵・写真など」3と記載されてい
〈研究報告〉
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― 1 ―
No. 24 『人文社会科学論叢』 March 2015

モ ダ ン・ア ー ト
代芸術という「歴史=物語」
―モダニスム再考*―
森   雅 彦
1. 近代芸術の外部
2. モダニスムの原型としてのマネ―マネをめぐる言説たち
3. ポスト印象派:虚構の「発明」
4. 20 世紀美術のチャート図式
5. まとめ:アンビギュアス・モダン―モダニスム/フォーマリスムの意義と限界
1. 近代芸術の外部
芸術ははじめからこれは芸術である、これは芸術でないといったかたちで存在するわけではな
い。いわばあるコンテクストの中で芸術となる、あるいは芸術にならされるのです。それは近・現
代のモダン・アートにおいても変わらないので、ここでの話はそうしたことの一端に関わるもので
す。
市民社会において育まれた近代芸術は、とうぜんながら大きな特色を持っている。こころみに、
何でもよい、皆さんのお手元にある美術史の教科書を開いてみていただきたい。近代以前、すなわ
ちプレモダンの芸術について、それらはたとえばロマネスク、ゴシック、ルネサンス、マニエリス
ム、バロック、ロココといったように、おおきな時空間の枠組みで語ることを怪しまないけれど
も、近代になると実に多様な傾向の芸術に出会うし、めまぐるしく変わるイズムの変貌に圧倒され
るに相違ない(図 1)。むろんロマネスク、ゴシックにせよ何にせよ、そこに多彩な傾向はあるに
しても、それ以上にいわばある種の類似した表現傾向を持っていると思われているため、こうした
記述になるのであって、その意味では、各時代ごとにある種の共通した表現形式を有していた近代
以前の(単数の)大文字の Style から、近代以降はひじょうに多彩な表現形式、つまりは(複数
の)小文字の styles へと変貌したかのように映ると言ってもよいわけである。しかもこうした(複
* 本稿は、人文社会科学研究所主催による公開講演会(2014 年 11 月 1 日)のための原稿に基づいている。授
業でもときに話すことのあるごく一般向けの概説であるから、美術史家には常識に属する以上のことを記し
ていないし、むろん論文を意図しているわけでもない。むしろ学生のための資料に供することを勘案して、
註もできるだけ簡単に参照しやすいものに限定した。
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books.google.co.jp
コンピュータ音楽: 歴史・テクノロジー・アート
ROADS Curtis
東京電機大学出版局, 2001
音楽は変遷する, 新しい形式が次から次へと現れてくる, 新しい別の解釈が古いジャンルに新鮮な息吹を吹き込む. 新たな形式が誕生し世界に広まっていく中で, 音楽文化の波が重なり合う國音楽を演奏したり作曲したりする技術は, この波の中をあてもなく進んでいく, 音楽技法の発展は. 音楽制作における絶え間ない新技術の開発と密接に関連している. どんな音楽でも. それを演奏するためにはー群の楽器が必要となる. 今曰, たとえアコースティックな楽器に限定したとしても, 我々のまわりには演奏に用いられる何百という楽器を見ることができる.
20 世紀に入ると. 電子工学のおかげで. 楽器設計という分野の進歩は. 沸騰するが如く飛躍的に速くなつた. 電気の利用により. ギター, ベース. ピアノ, オルガン, ドラムなどは工業社会の民族楽器に変貌した. アナログシンセサィザは音というものの幅を広げ. 音素材を用いて実験を行うという領域を生み出した. しかし, アナログシンセサィザにはプログラミングされる機能と, 正確さ, 記憶, 知的な振るまいという能力が欠けており, それが足かせとなった. ー方, デジタルコンピュータはこれらの能力を兼ね備えており. 豊富な種類の音色の筆を持ち, 音色操作の機能を実現することができた. デジタルコンピュータは, 音楽を聴き. 分析し. 洗練された手法で音楽的な身体動作に応答する. さらにデジタルコンピュータは. 論理的な規則に従って音楽家に音楽を編集させたり作曲させたり, 結果を五線譜の形式で出力したりする, また, 対話的に教育をしたり, 音と映像を用いて音楽のあらゆる側面をデモンストレーションすることもできる. コンピュータ音楽の研究から. 常に新しい音楽応用が生まれ続けている.
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Japanese Society of Psychosomatic Medicine
NII-Electronic Library Service
◆特別講演 ◆
音楽 療法の 歴 史 と発 展
一 心 身医学 の 立 場 か ら一
筒 井 末 春

〔抄 録 〕
音楽療 法の 歴 史を振 り返 り,特 に米国にお ける 音楽療 法の 発 達の 歴史 を紹 介 し,本邦で の 音楽療
法に 関 し ,心身 医学領域 を主体 と して設立 された日本バ イオ ミュ ージッ ク研 究会 (後 に学 会に 改称 )
の 発展 に つ い て概 説 し た.
そ の 発 展の 歩 みは米国 で の 音楽 療法 の 歴史 より 新 し い も の の ,他 の 団 体 と 連 盟 を 結 び , 2001年に
は 日本バ イ オ ミュ ージ ッ ク学会と臨床音楽療法協会が統 合し, 新た に 日本音 楽療法学 会が発足 し,
急 速に学 会活動 が高 まる に 至 り, 認定音楽療法士 も 誕生する 中で発展 を遂 げている.本稿で は心身
医 学領域 で の 本邦および 諸外国 で の 音 楽療法 を紹介 し,その発展 の歩み につ い て 論 じた.
■ Keg WOtTts :全米音楽療法協会 ,
療 法学会,心身症
Eヨ本バイオ ミュ ージッ ク 学会 ,全 日 本音楽 療法 連 盟 ,日本 音 楽
は じ めに
音 楽の 源 泉 を さか の ぼ る と, ギ リシ ャ 神話 に
登 場 す る オ ル フ ェ ウ ス (Orpheus) は 堅琴 弾 き
で ある と同時 に , 音 楽 の 力 を病 の 治癒 に も用 い
た と さ れ , 旧約聖書 の 中に は ユ ダヤ の 王 サ ウ ル
(Sau1)の 心 の 病 を, 羊 飼 い の 若 者 ダ ビ デ
(David )が 堅琴 を弾 い て 治 し た 逸 話 が 残 され て
い る.
ギ リシ ャ の 哲 学 者 で あ る ア リ ス ト テ レ ス
(Aristoteles) は音 楽 に は 情 緒 を発散 さ せ る カ
タ ル シ ス 効 果 が あ る と し, プ ラ トン (Platon)
は音楽は魂 の 薬 で あ る と して い る .
古代 医療 が 音楽 と密接 に 交流 す る中で 音 楽療
法 の 基盤 が 定着 し, 音楽 の もつ 癒 しの 力が 近代
科学 の 発 達 と と もに ,
一度 は 医学 と分 離 され る
中 で 20 世紀 に 至 っ て再 び評 価 さ れ , 米 国 を は
じめ と す る諸 外 国 で の 音 楽療 法 が 発 達 す る に
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至 っ た .
今 回 は まず米 国 に お け る音 楽療 法 の 展開 を歴
史的 に 眺 め , そ の う えで 本邦 に お け る音楽療法
の 歴史 と発展 に つ い て 心 身医学 の 立 場 か ら論 じ
て み る こ と に す る.
米国 で の 音楽療法の 発 達1)2)
米 国で は 1940 年代 に ミ シ ガ ン 州 立 大学 , カ
ン ザ ス 大 学, シ カ ゴ 大学 , パ シ フ ィ ッ ク 大 学,
ア ル ヴ ェ ル ノ 大学 な どで 音楽療 法 士 の 養成 が 始
ま り, 音 楽療 法の コ ース が 開設 さ れ , こ れ らの
音楽 療法 コ ース の 卒 業生 は, い わ ば最初の 専門
的訓 練 を受 けた 音楽療法 士 で あ り, 彼 らの 大多
数 は精神 病院 で 働 い て い た .
こ の よ うな状 況 の 中 で 1950 年 に 全米 音 楽療
’ 人 間 総 合 科 学 大 学
802 心身医 ・2002 年 12 月 ・第 42 巻 第 12 号
N 工 工 一Electronlc Llbrary
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表現法
意義素類語
表現の様式のことスタイル ・ 形式 ・ 作風 ・ 画風 ・ 芸風 ・ 持ち味 ・ 表現形式 ・ 表現法 ・ 制作スタイル ・ タッチ
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修辞法」とは?
修辞法とは、文章に豊かな表現を与えるための文章表現の総称です。物事を別の事柄に例えたり、繰り返し表記することで、特定の文章を強調したり連想を促すことができます。

小説から批評文まで幅広く使われており「感情」「情景」などを表現ができるため、書き手の主観やを交えた文章を執筆する際に活用できます。

修辞法は「比喩」「倒置法」「擬人法」「体言止め」など用途に応じて使い分けられるため、用例を学ぶことで文章の表現力向上に繋げられるでしょう。

ただ、使い方によっては文章の結論がぼやけてしまったり、「回りくどい」と感じられるので、多用せず文中のアクセントとして使いましょう。

次に、修辞法の種類とそれぞれの用例をご紹介します。
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比喩
「比喩」は、文章中に登場する物事を関連した他の物事に例える手法です。例えを用いることで、読者に対して対象の物事のイメージを深めやすくする効果があります。比喩に用いられる例えには、「一般的に知られている物事」が利用されることが多いです。

比喩の表現方法は「直喩」「隠喩」「換喩」に分類できます。

・直喩
「直喩」は、比喩表現(例え)であることが明らかにわかる表現方法を指します。「まるで〜のような◯◯だ」という形式で表現されることが多いです。わかりやすい物後に例えることで、理解しやすい文章が作れます。

【用例】
通常:「人工知能は言葉を覚えられる」
直喩:「人工知能はまるで人間のように言葉を覚えられる」
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隠喩
「隠喩」は、比喩表現(例え)でありながら、例えていることを明らかにしない表現方法を指します。よく「◯◯は××だ」と異なる物事同士を繋げて表現されます。一見すると唐突な印象を持ちますが、シンプルに物事のイメージを伝えたい時に活用できます。

【用例】
通常:「パソコンのCPUはソフトやキーボード操作など動作を制御するものである」
隠喩:「パソコンのCPUは頭脳である」
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換喩
「換喩」は、表現対象と関連性の高い(意味が近い)物事に置き換える表現方法を指します。「◯◯の××が好きだ」を「◯◯が好きだ」と表現されます。対象の言葉を省いても意味が伝わる場合に活用できます。

【用例】
通常:「パソコンの OSを起動する」
換喩:「パソコンを起動する」
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国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。
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すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
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国家権力というものは、時として暴走してしまうものです。
それは、歴史が示しているので、皆さんもご存知のことでしょう。

人間というものは弱いもので、どんな人でも一旦強大な権力を握ると、自分たちの都合のいいように権力を発動しがちですよね。私は世界史に詳しくないので良くは分かりませんが、ヒトラーなどは典型例なのでしょうね。現代社会でもそんな光景は散見されます。

中世の王様のぼやき

「立憲主義」とは
いにしえの人たちは、そんな光景をよく見ていたので、教訓にしていたのです。

そこで、国家権力を担う人たちが法律等によって国民たちの権利・自由を
不当に侵害しないよう、一定の歯止めをかけようとしました。

それが「憲法」です。

このように、国家権力に対してその権力行使を制限し、
憲法に基づく政治をすることを「立憲主義」と言います。

立憲主義に基づく憲法は、人間の権利・自由の保障と、
そのための国家組織の基本を制度化したものになります。

ここの、国家権力の横暴による人権侵害に歯止めをかけるためのものが憲法、そして、その憲法に基づく政治をすることを立憲主義、という感覚は、是非、身に付けておくべきです。
近代憲法の基本理念ですし、日本国憲法も近代憲法ですからね。ちなみに、日本は「立憲君主国」です。
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ジョン・ロックの自然権思想が立憲主義の根源
この立憲主義は、中世ヨーロッパにその根源を求めることができます。
立憲主義の根源は17〜18世紀頃ですが、それ以前にも国家権力に歯止
めをかけるという思想は存在しました。

しかし、それは貴族や僧侶などの一定の身分の特権を守るものであって、
一般市民の権利を守るためのものではなかったのです。

ここから一歩進んで国民個人個人を一人の人間として尊重し、そのため
に国家権力に歯止めをかけていくべきというジョン・ロック(1632−1704)
やジャン・ジャック・ルソー(1712-1778)らによって説かれていきました。

ジョン・ロックはのちのアメリカ独立宣言(1776)
や日本国憲法の第13条に引き継がれる「自然権思想」を提示します。

人間は生まれながらにして自由かつ平等であり、生来の権利である自然権『生命(life)・自由(liberty)・財産(property)』を持っている。
この自然権を確実なものとするために、国民は相互に社会契約を結び政府に権力行使を委任した。(契約による政府)
そして、その政府が権力を恣意的に行使して国民の権利を不当に制限する場合には、国民は政府に抵抗する権利(抵抗権)を保障する。
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このように、個人の人権を守るために国家権力に歯止めをかけるシステム、
すなわち、立憲主義の基礎が確立されていったのです。
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成文憲法
せいぶんけんぽう
実質憲法つまり国家統治の組織と作用に関する基本法が正式の立法手続を経た成文の形式をとって存在するものをいい,慣習や判例の形式で存在する慣習憲法や判例憲法など不文憲法に対する。イギリスでは,実質憲法は一部はさまざまな不文の慣習の形式で,一部はいろいろな成文の議会制定法の形式をとって存在している。しかし成文憲法という語は,特に憲法と呼ばれる1つの法典の形式をとって存在する憲法をさしても用いられる。イギリスは,この意味での成文憲法はもたず,今日の世界にあってユニークな存在となっている
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硬性憲法
こうせいけんぽう
その改正について,通常の立法手続よりも厳格な手続を要求している成文憲法。軟性憲法に相対する。今日のほとんどすべての成文憲法は,硬性憲法である。議会の特別多数決を要求するほかに国民投票に付すという方法をとるのが一般的である。日本国憲法の場合は,各議院の総議員の3分の2以上の賛成で国会が発議し,さらに国民投票または国会の定める選挙の際行われる投票において過半数の賛成を得なければならない,とされている (96条) 。
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