44 通りすがりの三治郎
>>36の後半の父から聞いた話というのはそう言った例もあり私はそう育てられてきたという話
一見、この話を目にすると「疾患者であり障害者でもあることが関係してない」という話が出てきたと捉えられがちだが
私は、経験を語ってるに過ぎずグリムの意見を否定してるんじゃないんだぜ。ただ、「相手は疾患者なんだから余計に間違えやすかったりする。話す時は相手が疾患者であることも考慮してほしい」ってのが心に引っ掛かった
例えばだ。障害の事例として屡々挙げられる『言葉の意味』と『文字の意味』の話
「ねぇ、ちょっとカレーのお鍋を見ててくれる?」
「いいよ」
〜数分後〜
「ちょっと! 焦げてるじゃない! どうしてちゃんと "見て" てくれなかったの!」
「何を言う! 僕はちゃんと鍋を "見て" いたさ!」
この話の意味を理解できない人は、障害の可能性があるよ。
なんて話じゃなくて。
この時、
『鍋を見る=カレーが焦げないよう気をつける』
『鍋を見る=鍋を見つめる』
という〈意味の違い〉が生じている。
お願いした方は『言葉の意味』を伝えたくて
お願いされた方は『文字の意味』に従った。
まぁ、このような話って別に障害とか関係なくあるよね。
実際、『IQが10も違えば会話が成立しない』なんて話があるけど、相手の理解力を考慮しない指示は『指示』として成立しないというケースはざらにある。
そう考えれば『障害』なんて誰を基準にするかで変わる。
極論すれば、IQ180くらいの『天才』から見れば、この世の人間は99%くらいが『障害』かも知れない。
と、それはさておき。
じゃあ、どうするべきかといえば、とりあえず『理解力と説明力のある方が気をつける』という話に収束してしまう。
つまり
『障害者にも分かるように説明しましょうね』
だけど、これはこうも見方を変えられる。
『理解力のない人間(障害者)のために、相手が負担を強いられている』
この『負担』を『助け合い』や『支援』と言えば聞こえは良いけれど、
『助け "合って" ないじゃないか』
『一方的な支援は不平等じゃないか』とさ
ましてや私も障害持ちだからな。
たとえ障害を抱えてる人じゃない人でも皆理解し合って共有してお互いにサポートし合っていくことが大事なんじゃないか?グリムの話にはそれが見えてこなかった。
一見、この話を目にすると「疾患者であり障害者でもあることが関係してない」という話が出てきたと捉えられがちだが
私は、経験を語ってるに過ぎずグリムの意見を否定してるんじゃないんだぜ。ただ、「相手は疾患者なんだから余計に間違えやすかったりする。話す時は相手が疾患者であることも考慮してほしい」ってのが心に引っ掛かった
例えばだ。障害の事例として屡々挙げられる『言葉の意味』と『文字の意味』の話
「ねぇ、ちょっとカレーのお鍋を見ててくれる?」
「いいよ」
〜数分後〜
「ちょっと! 焦げてるじゃない! どうしてちゃんと "見て" てくれなかったの!」
「何を言う! 僕はちゃんと鍋を "見て" いたさ!」
この話の意味を理解できない人は、障害の可能性があるよ。
なんて話じゃなくて。
この時、
『鍋を見る=カレーが焦げないよう気をつける』
『鍋を見る=鍋を見つめる』
という〈意味の違い〉が生じている。
お願いした方は『言葉の意味』を伝えたくて
お願いされた方は『文字の意味』に従った。
まぁ、このような話って別に障害とか関係なくあるよね。
実際、『IQが10も違えば会話が成立しない』なんて話があるけど、相手の理解力を考慮しない指示は『指示』として成立しないというケースはざらにある。
そう考えれば『障害』なんて誰を基準にするかで変わる。
極論すれば、IQ180くらいの『天才』から見れば、この世の人間は99%くらいが『障害』かも知れない。
と、それはさておき。
じゃあ、どうするべきかといえば、とりあえず『理解力と説明力のある方が気をつける』という話に収束してしまう。
つまり
『障害者にも分かるように説明しましょうね』
だけど、これはこうも見方を変えられる。
『理解力のない人間(障害者)のために、相手が負担を強いられている』
この『負担』を『助け合い』や『支援』と言えば聞こえは良いけれど、
『助け "合って" ないじゃないか』
『一方的な支援は不平等じゃないか』とさ
ましてや私も障害持ちだからな。
たとえ障害を抱えてる人じゃない人でも皆理解し合って共有してお互いにサポートし合っていくことが大事なんじゃないか?グリムの話にはそれが見えてこなかった。
(ID:OdohFT)