48 南◆QyhO
>グリムせんせ

誰だったか忘れたけど…こんなニュアンスのことを言ってました。

「論理とは、詩的なところから始まり、アレコレと論理的思考を経て、また詩的なところへ還っていくのではないか」

バンプの歌詞にこんなのもありんす。


理屈ばかりこねまわして
すっかり冷めた胸の奥が
ただ一度の微笑みで
こんなに見事に燃えるとは


誰もが母親の腹の中で感じたであろう温もりは、理屈ではない、唯一の人から人へと注がれる優しさであるのかもしれません。

理屈は希望。
理屈は絶望。

起立、礼!
中出し!
着床。

そう、本来“中出し”に理屈は要らないんです。

ええ。

そして死の刹那も、きっと理屈ではない何かがよぎる気がする。

礼に始まり礼に終わる。
情緒に始まり情緒に還る。

「アッ、すみません、中に出してしまいました」

こんな事態にも、変にこじつけて言い訳も要りません。

詰まるところ、中出しの温もりはそんな優しさの疑似体験みたいなもんですかね。

まあ中出しの企画モノのAVなんかは、なんだか子供騙しのように思えてきます。理屈抜きで勃ちますけどね。

そうです本能です。

下ネタですそんな息子の話です自分自身がしたいんです優劣も利害もなく。

“自分がしたいから”を共有出来るのが、家族ってやつなんでしょうかね。


未来の僕はどう思っているのかなw
(ID:7xcaPt)