1 戸丸大地(良さげスポット)

養寿寺 国定忠治の墓

忠治桜と義経伝説の養寿寺。

養寿寺の義経伝説とは、源義経が奥州へ逃れる際に立ち寄り、その際にお茶を進めたことから「茶呉山相応寺」とも呼ばれています。

そしてこのお寺には国定忠治の眠るお墓もあります。
13歳の若さで人を殺め、縄張り荒らしや関所破り、裏賭場の開などの悪事に関するイメージがありますが、江戸時代後期「天保の大飢饉」において、自分が治めていた地域では、博打の稼ぎで耕作地のため池の工事を行ったりするなどしたことで餓死する者を出さずに乗り切りました。
国定忠治はとことん自分の治める土地で暮らす人々を守った大親分です。
現代では小説や映画や演劇などで国定忠治の生きざまを学ぶことができます。

国定忠治の墓

忠治桜

国定忠治の生きざまは、八木節の音頭に乗って現代にも語り継がれています。



入り口の前に自動車を数台止められる駐車場があります。
忠治桜が横にそびえたつ門をくぐると、地面は砂利になっています。

トイレはあるのですが、鍵がかかっていることもあるので注意が必要です。

国定忠治の墓へ行く途中に一か所だけ砂利が盛り上がっている場所があるので車イスユーザーの方は前輪を取られないように注意が必要です。
出来れば明るい時間にお参りするのがおすすめです。
国定忠治の墓(養寿寺)
伊勢崎市国定町1丁目1235