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1 無名さん

きっとまた会える

あの頃は、どこの街にもそんな古本屋があった。
入り口にはダンボールいっぱいの古びた本が並んでいて、店の中はどこかすすけたような空気とほこりの匂いが漂っている。いつ寄っても客は俺ひとりか、多くても他にあと二人。みな、黙って、立ったりしゃがんだりしながら、本棚の隅から隅へと視線を走らせている。店の奥には決まって無愛想な店主が座っていて、ラジオを聴いているか、くたびれた背表紙の本を読んでいた。
30代になったばかりの頃、当時、俺が住んでいた街の駅近くにもそんな古本屋があって、俺は休日の夕方、酒を買うついでに、その古本屋によく立ち寄ることがあった。
ある日、いつものようにそこで数冊の古本を買った。ジャンルはまぜこぜ、ミステリー小説からエッセイ、漫画にエロ本などなど。いろいろな意味で時間をつぶせるものなら、内容はどうでもよかった。
古本に名前が書かれていたり、マーカーラインや、なにがしかのメモが書かれていることはそれほど珍しいことではない。だが、その日、俺が買った本には不思議ものがはさまれていた。栞(しおり)。いや、本に栞がはさんであることは別に珍しくもない。奇妙だったのはその栞が和紙を素材にした明らかな手作りで、女性っぽい柔らかな文字で“きっとまた会えるね”と書かれていたことだ。
誰かへのメッセージか、それとも願い事か。はさんであった本はまだ俺が高校生だった頃に流行った女流作家の短編小説集だった。映画の原作にもなった恋愛小説で一大ブームを巻き起こしたその作家は、その頃、十代、二十代の女子たちに熱烈な支持を得ていた。
この本の持ち主も、その一人だったに違いない。
2 続き
濃いめのウィスキーの水割りを飲みながら、俺はその栞を灰皿に放り投げた。あの頃は、まだタバコを吸っていた。潔癖症ではないが、その思い入れたっぷりの文字を眼にしたとき、俺はなにか気味の悪いものを感じた。見知らぬ人間の髪の毛とか、そういう他人の生命の残りかすに素手で触れたようなそんな気分だった。
その本と本の昔の持ち主にどんな人間ドラマがあったにしろ、俺には関係ないことだ。吸いかけのセブンスターを灰皿に置くと、和紙でつくられた栞はまたたくまに燃えた。
焦げ臭い匂いが部屋の中を漂い、俺は栞が燃え尽きていくのを少し酔った眼でじっと見つめいていた。意外なことに、栞は完全に燃え尽きてしまわなかった。
灰皿の中に燃えカスと、“会えるね”の文字だけが残っていた。
なぜか俺は意地になったように、指にはさんだ火のついたセブンスターを“会えるね”の文字に押しつけた。燃え残った文字になかなか火は燃え移らなかったが、何度も試みるうちにそれはようやく完全な灰になった。
そのときのほっとした気持ちを今でも俺はよく憶えている。
やがて、俺はいつのまにか酔いつぶれて眠ってしまっていた。どのくらい時間がたったろうか、ゾクゾクとする寒気で目が覚めた。部屋は明かりがついたままで、俺はソファの上に横たわっていた。
部屋はしんと静まり返っている。まだ夏が終わったばかりなのに、空気が冷たい。冷たいだけでなく、まるで音がしそうなくらいにピンと張り詰めているのを感じた。
なぜか俺の体はまったく動かず、俺は眼だけをキョロキョロと動かした。そしてそれを視界にとらえたとき、俺は眼を大きく見開いた。横たわった俺からそれほど離れていないところに女が座っていた。黒いスカートに黒いカーディガン、白いブラウス、そして長い髪を後ろで結んでいる。女はこちら向きにきちんと正座していて、その膝にはあの栞がはさまっていた本があった。女の顔は本の方に向けられているのだが、俺は上目遣いに女が俺を見ているのを感じた。

「・・・たのに」

女の声を聴いた気がした。

「・・・たから・・・、たのに」

女は何度もそう繰り返しているようだった。

「・・・たのに。・・・たから・・・、たのに」

女の唇は動いているように見えなかったが、その繰り返しだけが俺の頭の中に響いていた。女の全身からどす黒い怒りがにじんでいるのを俺は感じた。夢やうつつではなく、なにもかもが現実だった。
「ごめんなさい」俺は子供のように心の中で女に謝った。
「悪気はなかったんだ。そんな大切なものとは思わなくて」
心の中の声とは裏腹に、俺の口の中でうまく動かない舌が、お・・・っ、お・・・っと意味不明な音声を発していた。

「・・・たから、たのに・・・。・・・してやろうか?」

言葉が少し変わり、女が指先で本のページをめくりはじめた。

「・・・してやろうか?・・・してやろうか?」

本を見ていた女が顔をゆっくりとこちらに向けはじめた。俺は女とはっきりと目が合うのだけは絶対に避けなければならないと心のどこかで感じた。おそらく、俺はそのとき、ありとあらゆるものに祈った。神様に仏様に、守護霊や守護天使、ご先祖様、こういうときに自分を守ってくれると聞いていたすべてのものに祈った。当時はまだ生きていた、じいちゃんと、ばあちゃんにも祈った。
「・・・してやろうか?・・・してやろうか?」
女の灰色の瞳が見えた気がしたそのとき、突然パンっ!と柏手をひとつ打つようなかわいた音がした。
その瞬間、俺の体は自由になった。俺はソファに横たわっていて、見回しても、俺以外の誰も部屋にはいなかった。俺は起き上がると、灰皿の灰のもとは栞だったと思われる部分をあわててかき集め、台所にあったビニール袋に入れた。それを例の本と一緒に置くと、大音量でテレビをつけ、朝まで一睡もせずコーヒーを飲み続けた。
完全に夜が明けると、俺は近くの神社にいき、本と灰の入ったビニール袋をおさめた。古い御札やお守りをおさめる、あの場所だ。それからきちんとお社で参拝をすませ帰宅すると、行きたくはなかったが仕事にいった。アルコールの力を借りながらも、まともに眠れるようになるまで、三週間ほどかかった。あの晩以降、女が現れることはなかったが、知人に紹介してもらい、その筋の有名なところでお祓いもしてもらった。
わかってくれると思うが、あれ以来、俺は古着、古本、中古車がすべてダメだ。
独身時代も、アパートはかなり割高だろうが新築を探して借りるほどだった。生きていくには随分と不便なことだ。