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1 ミックス玉井

私の事…忘れないで

僕が初めて働き始めた介護施設で実際に体験した事を話そうと思う。
とある介護施設の介護補助アルバイトとして働いていた僕は、初めて働く職場だった事もあり、毎日が分からない事だらけで、心身ともに疲れていた。
当時、この介護施設に入所していた最年長の利用者さんは、【Mさん】という方だった。
Mさんは、僕が部屋に伺うと

「ご苦労様。」

「今日も天気が良いわね〜。」

といった様に必ず声を掛けてくれる穏やかで、優しい雰囲気の方だった。
月日が経つに連れMさんは挨拶だけではなく、昔の思い出話や家族の自慢話などを話してくれる様になっていた。
Mさんと話をしている間は、仕事の疲れを忘れる事が出来た。
また、僕が介護の仕事を始めて一番最初に親しくなった利用者さんだった事もあり、今でもハッキリと覚えている。
ただ…僕がMさんの事をハッキリと覚えている理由は、もう1つ…強烈に印象に残る出来事があったからだと思う。
ある日、僕が遅番の勤務をしていた時に、それは起こった。
遅番の際は各部屋を回り、全ての利用者さんの体温と血圧を測り、同時に安否の確認を行う時間がある。
その時間は、ほとんどの利用者さんが眠っている為、部屋には豆電球の明かりがポツンと点いているだけの状態だった。
各部屋を回り、最後にMさんが居る4人部屋に入った。
1人…2人…3人と安否確認が終わり、最後にMさんへ声を掛けた。
2、3日前から体調を崩していたMさんからは返答は無く、無言で布団の隙間から手だけをそっと出してきた。
骨に皮だけが付いた様な細くシワだらけの手を握り、体温と血圧を測り終え、早々に部屋を出た。
部屋の外で、それぞれの利用者さんの体温と血圧の数値を記録用紙に書こうとした時、Mさんの名前が無い事に気が付いた。

(記録用紙を作った職員が…名前を入れ忘れたのだろうか?)

と、一瞬だけ考えたが、直ぐにその答えは分かった。
それと同時に背筋が凍りついた。
僕が業務に入る前に確認した申し送りノートに書かれていた事…

『M様…本日の早朝、様態が急変し…永眠。』

Mさんの死因は、頭の血管に出来ていた大きなコブが破裂した事によるものだった。
Mさんは、既に亡くなっている。
しかし、僕は確実に4人分の体温と血圧を測っている。
その証拠に血圧計のメモリーには、4人分の血圧の記録がしっかりと残っている。
僕は、再び部屋に入った。
入った途端、先程と比べて明らかな違和感を感じた。
Mさんが眠っていたはずのベッド…それを囲う為のカーテンが先程は開いていたのに…今は閉まっている。
僕の心臓の鼓動がどんどん早くなっていくのが分かった。
意を決し、僕はカーテンをゆっくりと開けた。
しかし、そこには骨組みだけになったベッドが置いてあるだけだった。
その場所に置いたあったはずのMさんの家具も服も片付けられており、そこにMさんが居た痕跡は跡形も無かった。
僕は改めて、Mさんがこの世から居なくなってしまった現実を受け止めるしかなかった。
Mさんが僕に別れを告げにやってきたのか定かではない。
もしかしたら、Mさんではなかったのかも知れない。
しかし、僕は自然と手を合わせ、Mさんへの感謝と別れの言葉を心の中で呟いていた。
ナースステーションに戻り、僕がその時に測定したMさんものであろう血圧の数値を確かめてみた。

上の血圧…242

下の血圧…114

異常な数値である事は言うまでもない。
後日、この数値はMさんが亡くなる約30分前に夜勤の介護士が測定した血圧の数値と全く一緒だった事が明らかとなった。