駒形神社掲示板

過去ログ39 2007/5/26 7:09

▼禰宜
 日本の皇室は125代、常に男系により皇位を継承してきました。日本人は先祖代々、男系でなければ皇位継承は不安定になると考えていたのです。男子の直系だけで継承されてきたわけではありませんが、直系がいない場合は男系をたどって天皇を立てるという営みを積み重ねてきたのです。
 2600年以上の歴史で、この男系継承という原則の維持が脅かされた時が一度だけありました。西暦765年、称徳天皇の御代、弓削道鏡という人がいて、女帝であられた称徳天皇の大変な寵愛と信頼を受けて太政大臣禅師になり、翌766年には法王になりました。称徳天皇は道鏡を天皇にしよう、あるいは道鏡と自分の間に生まれた子に皇位を渡そうとお考えになったようです。
 しかし当時も神託を受けるべきであると考えた人たちがいて、和気清麻呂が宇佐八幡宮でご神託を受けたところ絶対に許されないと言われた。清麻呂には道鏡サイドから「道鏡の即位を認める報告をしたら太政大臣にしてやる。反対のことを報告したら許さない」と圧力がかかっていましたが、彼は「皇統は皇胤に限る」という神託を正直に報告します。それで彼は大隅半島に流されます。結局、道鏡の系統が皇位に就くことはありませんでした。
 それから1240年後のいま、突如道鏡まがいのことをしようという人たちが現れたのです。いま、ご皇室の将来を心配する国民は平成の和気清麻呂です。
昔の日本人であれば、「道鏡のような真似をするな」と言えばその恐ろしい意味が通じました。
 明治22年に制定された旧皇室典範は、天皇でも勝手に作ることができないし、憲法とは関係ないとされていました。GHQはこのことをいとも簡単に変えましたが、それでも男系男子が皇位を継承する伝統は変えませんでした。にもかかわらず、有識者会議のメンバーたちは、天皇も変えることができない皇室の伝統を皇室にお諮りすることなく変えようとしているのです。
◇「道鏡」の史実を思い起こせ
 2005〜上智大学名誉教授 渡部昇一さんより
5/26 7:09
HP

▼ピーチソーダ
坂口安吾は道鏡を天智天皇の皇孫として道鏡に同情的な小説を書いているようですが、本当に道鏡が天智天皇の皇孫だったなら、文句なしに天皇になっても可笑しくはないのでは……。同情が先に立って本質が見えない人が多いのでは。
5/25 7:47

▼岩手富士
 今週の「その時」。神社業界にとって道鏡は最大の商売敵か。
 ゲストの里中満智子は案の定、女帝に同情的。番組自体は誰かを断罪するような内容ではなかったがそれだけに迫力不足、結局何が言いたいのか。「大日本史」の道鏡伝では道鏡が左遷程度で済んだことについて「先帝厚恩、不忍致刑」としている。中国では君主の代替わりによって先代の重臣が誅殺、という話はいくつもある。尚、紀伝体の「大日本史」で宇佐八幡信託事件を載せているのは称徳紀でも道鏡伝でもなく、和気清麻呂伝。
 番組内の字幕で「璽」を「爾」と誤記していた。「天之日嗣」を「テンノヒツギ」と読んでいたけれど「アマツヒツギ」ではないのか。
 ネット上で検索してみると、どうも最近は道鏡を「理想の仏教王国を建設しようとした名僧」とする見方もあるようだ。
 いずれにしてもあまりにも不可解で、そして話に巨大な尾ひれがいくつもついてしまった事件。

 ところで最近、岩手県が韓国人観光客の呼び込みに力を入れていると言う話を聞く。是非、見学コースに齋藤實記念館も入れて欲しいものだ。
5/25 4:05

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