1 佐藤 祐

A

祖母を家に連れてきた2日後、仙台で被災した、おばといとこも会津に避難してきました。おばといとこは宮城県山本町の避難所にいました。かなり大変な生活だったようで、その話を聞くとテレビで見ているだけではわからないことが多くありました。そしてそこにはもういるのが限界だと思ったらしく、ガソリンがもつかわからない中で避難所から山形経由で会津になんとかたどり着きました。現在は私の家(1Kの部屋)に4人で生活しています。避難所にいる人たちや命を落とされた方がたくさんいる中で、こうしていられるだけで幸せだと毎日のように話がでます。しかし、皆さんもご存知の通り原発の問題は深刻です。航空隊支援のために現地に乗っていた車両の数値を測定しましたが、空気中や他の車両よりも数値は高く、また帰ってきた先輩の1人が「怖かった」と言っていました。リアルな一言でした。直ちに人体に影響はしないと言っていますが、将来的にどんな影響がでるのか…なんの情報が本当なのか、誰の言っていることが正しいのか…職業柄少しは情報が入ってきますがそれぞれ情報は違い不安は消えません。万が一、中が爆発した時に北の山形方面に逃げるか、西の新潟に逃げるか、南の栃木方面に逃げるかの確認を家でしました。こういう仕事を選び辞令をもらった以上私は最後まで逃げることはできませんが、祖母たちが少ないガソリンでより安全な場所に避難するためにこうして事前の確認もしました。