藤森治子
2015/4/7朴裕河著『帝国の慰安婦』を読む
長いといえば戦後70年です。今日朴裕河さんの『帝国の慰安婦 − 植民地支配と記憶の闘い』を読みながら、戦争は一旦始めれば、その後処理や、精神的遺恨が和らぐのに100年はかかると思ったことでした。

にもかかわらず、今や戦争体験のあるひとは日本人全体の2割だそうですから、70歳以下のひとが想像もつかない時代であったことは、意識的に伝えないとわからないだろうと思います。むかし、小学生のころ「一列談判破裂して 日露戦争始まった ・・・・・ハルピンまでも攻め込んで クロポトキンの首を取り・・・」などと毬つきをしながら、わけもわからず気楽に歌っていたことがありました。1950年代のことですが、あの頃、日露戦争(1905年)が終わってからまだ50年もたっていなかったのでした。それでも、日露戦争なんてもうずっとずっと大昔のことのように思っていたような気がします。まして、70年前のことを伝えるのですから至難の業です。忘れやすい、という人間の愚かさを自覚しながら、自分の心身が痛いと感じた体験を大事にしつつ、さまざまなひとの体験や、戦争の実体にせまる書物を読んで伝えるより方法はないように思います。

朴裕河さんの『帝国の慰安婦』を読みながら、知らなかったこと、考えが及ばなかったことなど、身に染みて感ずるところがありました。朴裕河さんは韓国・世宗大学日本文学科の教授で、日本で大学教育を受け、夏目漱石、大江健三郎などの韓国語への翻訳もされている女性です。この『帝国の慰安婦』は、韓国では元従軍慰安婦9人から名誉棄損で訴えられ、出版の差し止めをうけていました。先月34カ所の削除を求める仮処分が決定されたばかりです。

まだ全部読み終わっていないのですが、恐らく韓国からこのようなバランスのとれた「慰安婦」についての研究書が出たのは初めてではないでしょうか。「慰安婦」が「従軍慰安婦」になる過程というのは、人間のすべての現象がそうであるように、さまざまなケースがあっただろうと私は想像してきました。その想像が、事実として確認できただけでもよかったと思っています。その強制性も「慰安婦」の扱いも、その本質は変わらないけれど、場所、時期によって、これもまたさまざまであること。読みながら、すべての「慰安婦」が「強制連行」されたという当事者や支援者と、「強制連行」はなかったという安倍政権、この相反する両極端の意見の間に、さまざまな「従軍慰安婦」のケースがあり、しかし、戦争中に、肉体をずたずたにされ、心身ともに深い傷を負ったということは紛れもない事実なのです。人間としての複雑なプロセスをお互いに認め合いながら(特に安倍政権は)、一日も早い解決への段階へ進むべきです。

この本は、どちらの側に立つ人も読むべき本なのかもしれません。私が読んでいても、こんなふうに書かれたら、「慰安婦」だった当事者は辛かろうと、少し抵抗感のあるところがありました。まして韓国のナショナリストには我慢のならないかもしれない事実や表現もあります。それが出版差し止めになった理由でしょう。

この本の最も優れている点は、この「従軍慰安婦」という歴史的事実を、戦争の中だけに閉じ込めるのではなくて、日朝併合という植民地下で起こったことであるという視点でした。日本本土でも戦争中、国家総動員がかけられ、学徒出陣に見られるように、働けるものは全員働き戦ったわけです。同じことが朝鮮半島でもおこり、「大日本帝国のために」、「従軍慰安婦」も志願兵も募られ、特攻隊にさえ応募して戦死した人たちが大勢いたのでした。一方、併合といいつつ実態は植民地扱いに屈辱を感じ、日本政府に「恨」を抱いた人たちもいたに違いないのです。そういう屈折した気持ちが、「従軍慰安婦」の問題に収斂していると考えることもできます。

「従軍慰安婦」問題は、お金の問題以上に、日朝併合して一時独立を奪た韓国の国民としての誇りの回復の問題でもあると思うのです。だから、そこを大事にして解決に向かうことが必須だと思いました。歴史と、その歴史の背景に渦巻くひとのこころを知らなければ、外交はできないでしょう。
藤森治子
「ガンジー村通信」2015年4月7日号編集後記 朴裕河さんの「帝国の慰安婦」
2015/4/7「編集後記」
 朴裕河著『帝国の慰安婦』の表紙の中央には、なにか花押のように薄い赤紫が滲んだ小さな花がぽつんと唐突に描かれています。気にかかっていたのですが見過ごしていました。それは木槿(むくげ)の花でした。韓国の国花です。著者は、この木槿の押印に「帝国の慰安婦」を象徴させていると思われます。無視されてしまうほど小さく、薄い赤紫は涙で滲んでいるようにも見えます。「従軍慰安婦」問題を考えるとき、私たちはこの木槿の花押のように見過ごしてきたことがあるのではないか、よくよく目を凝らさなければ見えないものがあるのではないか、そういう思いにかられた本でした。

 読んでまずガーンと打ちのめされるように感じたことは、「従軍慰安婦」は「大日本帝国」下の戦争中にうみだされた存在であったということでした。タイトルの「帝国」とは「大日本帝国」のことであり、それだけで著者の視点を察しなければならないのですが、不運なことに「従軍慰安婦」問題では、当然といえば当然のこの視点が見過ごされてきたのではないでしょうか。1970年代千田夏光によって初めて「従軍慰安婦」の存在を知って以来、折にふれていろいろ読んできましたが、支配した側の日本ではこの視点がもち難くかったのかもしれません。

「・・・朝鮮人従軍慰安婦は、・・・植民地になったがために動員された<帝国主義の被害者>でありながら、実質的にはいっしょに国家への協力<戦争遂行>をしてアジアに対して加害者となった複雑な存在だった。彼女たちはかつて『誇り』を傷つけられ、しかも協力させられた存在として、一方的に被害を受けた他の国よりも『誇り』へのこだわりは強くなる。」と著者は述べています。そこに至る過程がどうであれ、韓国が日本の植民地でなければ起こりえなかったことが起こったのです。この二重に傷つけられた当事者たちの涙と苦渋の複雑な心理構造を理解しなければならないと思いました。日本では、単に「戦争犯罪」としか考えられず、「大日本帝国」の植民地人として、国家総動員がかけられた下での「従軍慰安婦」であったという認識がほとんどないといえます。

その結果、日本では「従軍慰安婦など存在しなかったのだ」という極論が飛び出し、強制性があったかどうかという問題に矮小化されてきています。先日、安倍首相はワシントンポストのインタヴューで「人身売買」という言葉を出し始めました。「人身売買」もあったでしょう。でも、それも「大日本帝国」の植民地としての韓国で、戦争中その「需要」に従って行われたことです。二重の意味で日本の責任は免れません。

 今回初めて韓国の側から、韓国、日本、双方の理解のギャップと、バランスのとれた問題解決の歴史を読み、改めて仕切り直す現在、非常に参考になる本だと思いました。この問題が浮上して以来、日本も韓国も、「従軍慰安婦」だった当事者を忘れ、あまりにも政治的に利用しすぎてきたという過程があります。本書は、日本にとって不都合なことばかりでなく、韓国にとって都合の悪いことも率直に述べられています。部分のみつまみ食いをすれば、どちらにも利用される可能性がありますが、是非トータルとして読んでほしいと思います。

 戦後70年を迎えて、このような和解を提案する書物が、韓国の女性によって書かれたことを意義深いことと思います。
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