59歳 東京
常盤台(三菱美唄)の出身者です。閉山により転居するまでヤマの炭鉱長屋で暮らしていました。
貴重な美唄鉄道の写真、懐かしく拝見しました。私が育った頃は本数も少なく、ヤマの上まで来るバスが主要な交通手段であったため、美唄鉄道のSLに乗車したのは数えるほどでした。しかし、常盤台駅の広くて薄暗くガランとした様子、夏の日に叔父に連れられ転車台で遊んだ記憶は、なぜか鮮明に覚えています。
山の渓谷伝いに走る美唄鉄道は森の中をくねくねとカーブし、何本もある鉄橋をガタゴトを音を立てて通過するので子どもにはちょっと怖かったですね(笑い)
とても懐かしいものを拝見させていただき、薄れかけていた記憶が鮮明によみがえったことに感謝を伝えたくてカキコミさせていただきました。ありがとうございました。
あの頃のヤマのにぎわい、良くも悪くも人と人の距離感が密接で人間関係が濃厚な暮らしは、今にして思えば奇跡的で、不思議な幻のようです。
北海道
KJN_Japon様:当HPを拝見いただき、また貴重な情報をお知らせいただき、ありがとうございます。よろしければぜひ写真も拝見させていただきたいと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。
神奈川
地形図1/25000の小樽東部についてですが,地図と同じ1950年(12月)の小樽市高島町のニップンの手宮線の写真がありますので,参考までにお送りします. 写真中央部のトラック右のバス停は現在と同じ名称の“日粉前”のようです. ニップンは澱粉工場とも呼ばれていたようです.
跨線橋の線路上部部分が黒ずんでいますので,この辺りは蒸気機関車が通っていたのではないかと思います. 以上です.
Up 3/9 16:01
北海道
本日より「2万5千分の1地形図 記録された線形」を公開します。ご覧いただければ、幸いです。
北海道
「古き5万分の1地形図 失われた鉄路」はアクセス数の多いページですが、現在、2万5千分の1地形図でも、同様のご紹介が出来ないか検討中です。現在は、とりあえず資料を集めているところ。添付の画像は、鶴野線開通後の雄別鉄道の線形を示した「大楽毛」です。5万分の1地形図と比較すると、作成年代と範囲が限られるのですが、2万5千分の1地形図ならではの新しい情報がどれくらいあるか、検討しています。
北海道
12月に松山・道後温泉に行ってきました。その模様は、少しだけ参照URLにて紹介しています。画像は、道後温泉近くで撮影した伊予鉄道の路面電車です。みかん色の統一感に地方色があふれていてグッドです。
北海道
ドローンを使用して、北海道内の廃道を中心とした素晴らしい映像作品を制作されている44ヤマグチさんの「【廃道】北海道の廃トンネル第8集 ついに国道229号の完結!館の岬トンネル起点側手前で発生した岩盤崩落についても収録(島歌〜館の岬/大森山道)Hokkaido Old Road」にて、当HP「1974年8月 瀬棚の風景」内の写真を紹介いただいています。この場でも情報提供させていただきます。「HP」クリックでリンク先となります。 Up 11/30 12:02
北海道

画像をテスト投稿しました。留萌線幌糠駅です。 Up 11/30 11:53
北海道
HP「1970年代 北海道鉄道写真」の掲示板です。旧掲示板をteacupのサービス停止に伴い、閉鎖しておりましたが、再開の要望があったため、開設させていただきました。HPを見ての情報提供、感想、その他関連事項であれば、ご自由にご使用ください。
Z-Z BOARDをレンタルして頂き有難う御座います。
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