北海道
オホーツク管内の狭軌軌道を中心に廃線跡を探索してきました。データを整理したうえで、今後ホームページに掲載してまいりたいと思います。
北海道
M・Tさま
このたびは当ホームページをごらんいただき、また素敵な貨車のサイトをおしらせいただき、ありがとうございました。桂沢ダム建設事業線については、資料がほとんどなく、私もその存在を知ったのは最近のことです。貴重な体験談をおしらせいただき、とてもうれしく思います。この遺構に関する資料については、引き続き探してまいりたいと思います。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
61歳 北海道
初めて投稿させていただきます。いつも貴サイト興味深く拝見しております。さて、幾春別付近の桂沢建設線の高架施設をアップされているのを拝見しまして、早速尋ねて来ました。小生、三笠に生まれ育って60年、故郷を離れてもちょくちょく帰郷しておりましたが、この遺構のことは寡聞にして知りませんでした。これを見て、長年の疑問が氷解しました。子供の時分、幾春別から汽車に乗った際、南側の本線脇に並走する赤錆びた側線が延々と続いていたのを記憶しておりました。恐らくはこの施設へ伸びていたものではなかったかと。長文にて失礼致しました。
北海道
先日、芦別森林鉄道の廃線跡を探索し、いくつかの鉄道遺構をカメラに収めることが出来ました。本日、そのいくつかを当該ページにアップさせていただきましたので、お知らせいたします。
北海道
常盤台(三菱美唄)さま:
このたびは当HPをご覧いただき、また暖かいコメントをいただき、ありがとうございました。当時、地元にいらした方のお話は、私にとってもたいへん貴重なものです。また、今回のようなコメントをいただけると、ホームページを作成して、本当に良かったと思います。70年代の写真を撮影した父に次に会うとき、いただいたコメントについて、伝えようと思います。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
59歳 東京
常盤台(三菱美唄)の出身者です。閉山により転居するまでヤマの炭鉱長屋で暮らしていました。
貴重な美唄鉄道の写真、懐かしく拝見しました。私が育った頃は本数も少なく、ヤマの上まで来るバスが主要な交通手段であったため、美唄鉄道のSLに乗車したのは数えるほどでした。しかし、常盤台駅の広くて薄暗くガランとした様子、夏の日に叔父に連れられ転車台で遊んだ記憶は、なぜか鮮明に覚えています。
山の渓谷伝いに走る美唄鉄道は森の中をくねくねとカーブし、何本もある鉄橋をガタゴトを音を立てて通過するので子どもにはちょっと怖かったですね(笑い)
とても懐かしいものを拝見させていただき、薄れかけていた記憶が鮮明によみがえったことに感謝を伝えたくてカキコミさせていただきました。ありがとうございました。
あの頃のヤマのにぎわい、良くも悪くも人と人の距離感が密接で人間関係が濃厚な暮らしは、今にして思えば奇跡的で、不思議な幻のようです。
北海道
KJN_Japon様:当HPを拝見いただき、また貴重な情報をお知らせいただき、ありがとうございます。よろしければぜひ写真も拝見させていただきたいと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。
神奈川
地形図1/25000の小樽東部についてですが,地図と同じ1950年(12月)の小樽市高島町のニップンの手宮線の写真がありますので,参考までにお送りします. 写真中央部のトラック右のバス停は現在と同じ名称の“日粉前”のようです. ニップンは澱粉工場とも呼ばれていたようです.
跨線橋の線路上部部分が黒ずんでいますので,この辺りは蒸気機関車が通っていたのではないかと思います. 以上です.
Up 3/9 16:01
北海道
本日より「2万5千分の1地形図 記録された線形」を公開します。ご覧いただければ、幸いです。
北海道
「古き5万分の1地形図 失われた鉄路」はアクセス数の多いページですが、現在、2万5千分の1地形図でも、同様のご紹介が出来ないか検討中です。現在は、とりあえず資料を集めているところ。添付の画像は、鶴野線開通後の雄別鉄道の線形を示した「大楽毛」です。5万分の1地形図と比較すると、作成年代と範囲が限られるのですが、2万5千分の1地形図ならではの新しい情報がどれくらいあるか、検討しています。