寝台車のリネンの運用について
上記の件ですが2パターンが考えられます
@受持区で復路分も積み込み、目的地の基地で積み込んだリネン類を使用して受持区で往復分を降ろす。
A受持区では往路のみセット、目的地で使用済みのリネン類を降ろし、
目的地で洗濯済みのリネン類を使用
の2つのパターンが考えられます。
ただ、国鉄時代は管理局の縄張り意識が強く、自局の面倒は自局の考えなら@のパターンになると思いますが10系20系なら給仕室発生の乗務員が有りリネン類の保管スペースに
問題は無いのですが、14系以降は
ハネフの乗務員室しかスペースが
無く、あの限られた空間で復路の
リネン類を保管できていたのでしょうか?となればAのパターンで運用していたのでしょうか?
客車列車直接の疑問では有りませんがご存知の方ご教示ください。
上記の件ですが2パターンが考えられます
@受持区で復路分も積み込み、目的地の基地で積み込んだリネン類を使用して受持区で往復分を降ろす。
A受持区では往路のみセット、目的地で使用済みのリネン類を降ろし、
目的地で洗濯済みのリネン類を使用
の2つのパターンが考えられます。
ただ、国鉄時代は管理局の縄張り意識が強く、自局の面倒は自局の考えなら@のパターンになると思いますが10系20系なら給仕室発生の乗務員が有りリネン類の保管スペースに
問題は無いのですが、14系以降は
ハネフの乗務員室しかスペースが
無く、あの限られた空間で復路の
リネン類を保管できていたのでしょうか?となればAのパターンで運用していたのでしょうか?
客車列車直接の疑問では有りませんがご存知の方ご教示ください。
(ID:5ZWAQ7)
急行「大雪」崩れの124レにつきまして
仙コリ様、クモイ103様
ヨンサントオ前(S43.8.10)に撮影しました同列車(このころは急行「石北」崩れ)の画像もアップしておきます。
最後の1両がカーブで写っていませんが、普通車は6両でした。

仙コリ様、クモイ103様
ヨンサントオ前(S43.8.10)に撮影しました同列車(このころは急行「石北」崩れ)の画像もアップしておきます。
最後の1両がカーブで写っていませんが、普通車は6両でした。

(ID:qaeSqm)
急行「大雪」崩れの124レにつきまして
仙コリ様
画像のアップロードが出来ました。
今回はかなり詳細な情報を教えていただき、ありがとうございました。
クモイ103様
画像がアップ出来ました。
私のARC資料館での解釈が完全ではなく、またARC資料館にも誤記があることも確認できました。
色々お世話になりました。
ありがとうございました。

仙コリ様
画像のアップロードが出来ました。
今回はかなり詳細な情報を教えていただき、ありがとうございました。
クモイ103様
画像がアップ出来ました。
私のARC資料館での解釈が完全ではなく、またARC資料館にも誤記があることも確認できました。
色々お世話になりました。
ありがとうございました。

(ID:qaeSqm)
仙コリ
Re7:急行「大雪」崩れの124レにつきまして
「大雪」崩れの124レの編成につきまして、手持ちの資料とWebで公開
されている編成をまとめてみました。

(Web掲載の名称はぼかさせていただきました…バレバレですが…)
特に全区間走破(上り列車のみ)の荷物車について、時刻表に掲載されている
編成表上で、下り列車の運行区間(札幌→網走)のみが記載され、これと
異なる上り列車の運行区間(網走→函館)に関する記載が省略されている?
ため、主にWeb上の編成表が影響を受けているように見受けられます。
実際には一次資料を参照できることは少なく、また時刻表に掲載されている
情報は、比較的信頼される情報だと思うので難しいところですが、このように
状況によっては必ず正しいというわけではなく、そういった意味でも当時の
写真などは、日時と場所が正確であれば一番信頼のおける情報となりますね。
別件で、前回の私の書き込みで、荷物車の連結場所について書きましたが、
荷物車(ニ)と郵便荷物車(ユニ)についても荷物車が優先されるのか?
について自信がなく、再度調べてみたところ、同時期の北海道の急行列車に
おいて、上り1218レ「すずらん6号」において、途中駅から増結される
スユニがマニの前位に連結されており、上り418レ「狩勝3号」・上り
104レ「ニセコ1号」にいたっては、全区間連結の荷物車と郵便荷物車が
前位からオユ・マニの順序で連結されていたようなので、前回(Re3)の
私の書き込みは間違っておりましたので、お詫びさせていただきます。
「大雪」崩れの124レの編成につきまして、手持ちの資料とWebで公開
されている編成をまとめてみました。

(Web掲載の名称はぼかさせていただきました…バレバレですが…)
特に全区間走破(上り列車のみ)の荷物車について、時刻表に掲載されている
編成表上で、下り列車の運行区間(札幌→網走)のみが記載され、これと
異なる上り列車の運行区間(網走→函館)に関する記載が省略されている?
ため、主にWeb上の編成表が影響を受けているように見受けられます。
実際には一次資料を参照できることは少なく、また時刻表に掲載されている
情報は、比較的信頼される情報だと思うので難しいところですが、このように
状況によっては必ず正しいというわけではなく、そういった意味でも当時の
写真などは、日時と場所が正確であれば一番信頼のおける情報となりますね。
別件で、前回の私の書き込みで、荷物車の連結場所について書きましたが、
荷物車(ニ)と郵便荷物車(ユニ)についても荷物車が優先されるのか?
について自信がなく、再度調べてみたところ、同時期の北海道の急行列車に
おいて、上り1218レ「すずらん6号」において、途中駅から増結される
スユニがマニの前位に連結されており、上り418レ「狩勝3号」・上り
104レ「ニセコ1号」にいたっては、全区間連結の荷物車と郵便荷物車が
前位からオユ・マニの順序で連結されていたようなので、前回(Re3)の
私の書き込みは間違っておりましたので、お詫びさせていただきます。
(ID:A7IzXv)
急行「大雪」崩れの124レにつきまして
クモイ103様
追加の詳細情報をありがとうございました。
私は、ヨンサントオ前(S43.8.10)にも同列車を小沢にて撮影しております。
この時の列車名は「石北」崩れ124レだったと思います。
この時も普通車は6両、マニとスユニがD51の次位に連結されておりました。
画像は前回のコメントに含めましたが、再度アップいたします。
実際のところは、雑誌や資料、書籍などより当時の写真が一番たよりになるわけですね。
クモイ103様
追加の詳細情報をありがとうございました。
私は、ヨンサントオ前(S43.8.10)にも同列車を小沢にて撮影しております。
この時の列車名は「石北」崩れ124レだったと思います。
この時も普通車は6両、マニとスユニがD51の次位に連結されておりました。
画像は前回のコメントに含めましたが、再度アップいたします。
実際のところは、雑誌や資料、書籍などより当時の写真が一番たよりになるわけですね。
(ID:qaeSqm)
クモイ103
Re5:急行「大雪」崩れの124レにつきまして
studio4310様
ARC資料館様は、多数の情報を体系的に整理する地道な作業の結果を掲載されていて、その取り組みは敬意に値すると思います。
但し、さすがに情報量が膨大すぎて、たまに「あれっ?」という部分もあります。
仙コリ様が引用された「ヨンサントオ国鉄白紙ダイヤ改正 全国版優等列車編成順序表」(復刻版:ネコ・パブリッシング)は、国鉄内部資料をそのままコピーしたものなので、ほぼ一次資料と言って良いと思います。くだんの大雪6号〜124レをはじめとする客車列車関係の部分は、鉄博のライブラリーで閲覧できる「主要客車列車編成順序表」(昭和43年10月1日現在)そのものです。
studio4310様が引用されたARC資料館様の情報をこれと照らし合わせると、次の3点の違いが見られます。
・荷物車(2)は札幌−網走とありますが、下り札幌→網走、上り網走→函館です。
・荷物・郵便車は函館−釧路とありますが、函館−網走です。
・10号車は小樽−北見とありますが、倶知安−北見です。
なお、studio4310様の最初のコメントに「網走―函館間の通し運転の6両普通車」とありますが、通し運転の普通車は5両です。しかし10号車が小樽でなく倶知安まで連結されたとすれば、小沢では普通車が6両となって、studio4310様のお写真と符合します。
その写真をアップ頂けるとのことで、楽しみです。
studio4310様
ARC資料館様は、多数の情報を体系的に整理する地道な作業の結果を掲載されていて、その取り組みは敬意に値すると思います。
但し、さすがに情報量が膨大すぎて、たまに「あれっ?」という部分もあります。
仙コリ様が引用された「ヨンサントオ国鉄白紙ダイヤ改正 全国版優等列車編成順序表」(復刻版:ネコ・パブリッシング)は、国鉄内部資料をそのままコピーしたものなので、ほぼ一次資料と言って良いと思います。くだんの大雪6号〜124レをはじめとする客車列車関係の部分は、鉄博のライブラリーで閲覧できる「主要客車列車編成順序表」(昭和43年10月1日現在)そのものです。
studio4310様が引用されたARC資料館様の情報をこれと照らし合わせると、次の3点の違いが見られます。
・荷物車(2)は札幌−網走とありますが、下り札幌→網走、上り網走→函館です。
・荷物・郵便車は函館−釧路とありますが、函館−網走です。
・10号車は小樽−北見とありますが、倶知安−北見です。
なお、studio4310様の最初のコメントに「網走―函館間の通し運転の6両普通車」とありますが、通し運転の普通車は5両です。しかし10号車が小樽でなく倶知安まで連結されたとすれば、小沢では普通車が6両となって、studio4310様のお写真と符合します。
その写真をアップ頂けるとのことで、楽しみです。
(ID:1oZdnv)
急行「大雪」崩れの124レにつきまして
仙コリ様、クモイ103様
貴重な情報をお教えいただき、感謝いたします。
私が閲覧した記述は、「ARC資料館」からになります。
以下がその内容でした。
S43.10.1〜S45.9.30 123レ〜517レ〜1527レ、1528レ〜518レ〜124レ
函館−網走(下り6号、上り6号)123レ〜517レ〜1527レ、1528レ〜518レ〜124レ
←函館
マニ60荷物(1)+マニ60荷物(2)+スユニ61荷郵+オハネフ12(1)+オハネ12(2)+オロハネ10(3)+スロ52(4)+オハ+オハフ+スハフ44(5)+スハ45(6)+スハ45(7)+スハ45(8)+スハフ44(9)+スハフ(10)+オハ+オハフ
※荷物車(1)は函館−長万部、上りのみ
※荷物車(2)、1〜4号車は札幌−網走
※荷物・郵便車は函館−釧路
※10号車は小樽−北見
※4号車のあとの号車番号のない2両は函館−森、上りのみ連結。
※10号車のあとの号車番号のない2両は函館−長万部
※函館−札幌、北見−網走間は普通列車。(123レ、1527レ、1528レ、124レ)
※4号車はスロ54のことがある。
※下りは函館〜D51〜小樽築港〜ED76〜滝川〜C57〜旭川〜D51〜上川〜D51、DD51〜遠軽〜D51、9600〜北見〜C58〜網走
※上りは函館〜D51〜小樽〜ED76〜滝川〜D51〜上川〜D51、DD51〜遠軽〜D51、9600〜北見〜C58〜網走
私の解釈不足もありまして、お手数をおかけしました。
そういえば同時期に旭川駅で撮影した被写体に、
C55がマニを1両連結して到着番線の隣ホームで、稚内からの322レ到着待ちをしている様子を確認しています。
これは322レの前にマニを1両連結して機関車交換後、滝川まで行く前の様子でした。
小沢で撮影しました124レの画像がアップできましたらいたします。
ありがとうございました。
仙コリ様、クモイ103様
貴重な情報をお教えいただき、感謝いたします。
私が閲覧した記述は、「ARC資料館」からになります。
以下がその内容でした。
S43.10.1〜S45.9.30 123レ〜517レ〜1527レ、1528レ〜518レ〜124レ
函館−網走(下り6号、上り6号)123レ〜517レ〜1527レ、1528レ〜518レ〜124レ
←函館
マニ60荷物(1)+マニ60荷物(2)+スユニ61荷郵+オハネフ12(1)+オハネ12(2)+オロハネ10(3)+スロ52(4)+オハ+オハフ+スハフ44(5)+スハ45(6)+スハ45(7)+スハ45(8)+スハフ44(9)+スハフ(10)+オハ+オハフ
※荷物車(1)は函館−長万部、上りのみ
※荷物車(2)、1〜4号車は札幌−網走
※荷物・郵便車は函館−釧路
※10号車は小樽−北見
※4号車のあとの号車番号のない2両は函館−森、上りのみ連結。
※10号車のあとの号車番号のない2両は函館−長万部
※函館−札幌、北見−網走間は普通列車。(123レ、1527レ、1528レ、124レ)
※4号車はスロ54のことがある。
※下りは函館〜D51〜小樽築港〜ED76〜滝川〜C57〜旭川〜D51〜上川〜D51、DD51〜遠軽〜D51、9600〜北見〜C58〜網走
※上りは函館〜D51〜小樽〜ED76〜滝川〜D51〜上川〜D51、DD51〜遠軽〜D51、9600〜北見〜C58〜網走
私の解釈不足もありまして、お手数をおかけしました。
そういえば同時期に旭川駅で撮影した被写体に、
C55がマニを1両連結して到着番線の隣ホームで、稚内からの322レ到着待ちをしている様子を確認しています。
これは322レの前にマニを1両連結して機関車交換後、滝川まで行く前の様子でした。
小沢で撮影しました124レの画像がアップできましたらいたします。
ありがとうございました。
(ID:qaeSqm)
仙コリ
Re3:急行「大雪」崩れの124レにつきまして
クモイ103様
いつもフォローしていただきまして、ありがとうございます。
いつもながら、私の言葉足らずで申し訳ありません。
ただ、私の解釈は少し違っていまして、studio4310様の文章中に「スユニは
一度編成から外して再度マニの間に挟むように連結していたのでしょうか?」
とあるので、「再度マニの間に挟む」というところから、
1、駅到着後、スユニ+寝台車+グリーン車を引き上げる。
2、スユニと寝台車等を分割し、スユニのみを編成に戻す。
3、再度機関車単体で引き揚げ、マニを連結する。
4、マニを伴った機関車が、スユニの前に連結する。
といったような同じ駅での3度手間?と考えているのかと思った次第です。
その点から、マニとスユニはどちらも全区間通しの運用である。
増結のマニについても、寝台車等を解結する駅とは異なっているので、一つの
駅で3度手間?がかかるわけではないと書き込んだ次第です。
もっとも違った視点で、スユニと寝台車等を分割したあと、そこにマニを連結
して、スユニ+マニ+普通車編成としたほうが簡単なのではと考えられている
可能性があるので、その場合は、各駅における荷扱いの場所が統一されている
ため、荷物車の連結場所は決められていて、北海道の場合は最も函館寄りに
荷物車を連結するのがルールとなっていると答えるべきでした。
studio4310様の疑問点を勝手に解釈してしまったため、言葉足らずの中途
半端な答えとなってしまい、申し訳ありませんでした。
改めて、studio4310様の疑問点を書き込みしていただければ幸いです。
クモイ103様
いつもフォローしていただきまして、ありがとうございます。
いつもながら、私の言葉足らずで申し訳ありません。
ただ、私の解釈は少し違っていまして、studio4310様の文章中に「スユニは
一度編成から外して再度マニの間に挟むように連結していたのでしょうか?」
とあるので、「再度マニの間に挟む」というところから、
1、駅到着後、スユニ+寝台車+グリーン車を引き上げる。
2、スユニと寝台車等を分割し、スユニのみを編成に戻す。
3、再度機関車単体で引き揚げ、マニを連結する。
4、マニを伴った機関車が、スユニの前に連結する。
といったような同じ駅での3度手間?と考えているのかと思った次第です。
その点から、マニとスユニはどちらも全区間通しの運用である。
増結のマニについても、寝台車等を解結する駅とは異なっているので、一つの
駅で3度手間?がかかるわけではないと書き込んだ次第です。
もっとも違った視点で、スユニと寝台車等を分割したあと、そこにマニを連結
して、スユニ+マニ+普通車編成としたほうが簡単なのではと考えられている
可能性があるので、その場合は、各駅における荷扱いの場所が統一されている
ため、荷物車の連結場所は決められていて、北海道の場合は最も函館寄りに
荷物車を連結するのがルールとなっていると答えるべきでした。
studio4310様の疑問点を勝手に解釈してしまったため、言葉足らずの中途
半端な答えとなってしまい、申し訳ありませんでした。
改めて、studio4310様の疑問点を書き込みしていただければ幸いです。
(ID:A7IzXv)
クモイ103
Re2: 急行「大雪」崩れの124レにつきまして
横から失礼します。
仙コリ様の参照された資料を私も確認しました。
124レの編成は仙コリ様のおっしゃる通りで、studio4310様が小沢でご覧になったマニとスユニは、いずれも網走から連結されてきたと思われます。
ですがそもそも、studio4310様が持たれた疑問は、
「札幌で寝台車を切り離す際、それより前に連結されたスユニも一緒に引上げなければならない筈なのに、その後またスユニを編成に戻すという二度手間をやったのか?」
と私は解釈しました。そうではありませんか?
だとすれば、それに対する答えは、
「そのような入換作業は、かつては全国どこでも普通に行われていました。」
となります。
こうした編成途中からの「中抜き」や「差し込み」はもちろん手間がかかるので、時代が下るにつれてやらずに済む方向へシフトしていったと思われますが、逆に時代を遡れば、機関車を使って客車や貨車を押したり引いたり、切ったりつないだりというのは日常茶飯事でしたから、その程度の作業は日常のルーチンの何でも無い一コマだったと思われます。
横から失礼します。
仙コリ様の参照された資料を私も確認しました。
124レの編成は仙コリ様のおっしゃる通りで、studio4310様が小沢でご覧になったマニとスユニは、いずれも網走から連結されてきたと思われます。
ですがそもそも、studio4310様が持たれた疑問は、
「札幌で寝台車を切り離す際、それより前に連結されたスユニも一緒に引上げなければならない筈なのに、その後またスユニを編成に戻すという二度手間をやったのか?」
と私は解釈しました。そうではありませんか?
だとすれば、それに対する答えは、
「そのような入換作業は、かつては全国どこでも普通に行われていました。」
となります。
こうした編成途中からの「中抜き」や「差し込み」はもちろん手間がかかるので、時代が下るにつれてやらずに済む方向へシフトしていったと思われますが、逆に時代を遡れば、機関車を使って客車や貨車を押したり引いたり、切ったりつないだりというのは日常茶飯事でしたから、その程度の作業は日常のルーチンの何でも無い一コマだったと思われます。
(ID:1oZdnv)
