オロ11 青サッシ
どなた様かご教示お願いします。
急行雲仙編成のオロ11ですが 門サキ所属オロ11 5〜8と思われますがサッシは青サッシでしょうか?またいつ頃から青サッシとなったのでしょうか?
昔の保育社カラーブック245『新しいの日本の鉄道』 P67 DD51牽引の急行雲仙編成の模型化したいのです写真では判明できませんでした。なんとなく銀サッシのような気がしますが…。
どなた様かご教示お願いします。
急行雲仙編成のオロ11ですが 門サキ所属オロ11 5〜8と思われますがサッシは青サッシでしょうか?またいつ頃から青サッシとなったのでしょうか?
昔の保育社カラーブック245『新しいの日本の鉄道』 P67 DD51牽引の急行雲仙編成の模型化したいのです写真では判明できませんでした。なんとなく銀サッシのような気がしますが…。
(ID:IQHrGu)
仙コリ
Re:急行 しろやまについて
ナロ2051様
急行しろやまについてのご質問ですが、私自身急行しろやまについて詳しくは
わからないのですが、手持ちの資料などからご質問の内容につながる事項だけ
お伝えしたいと思います。
まず、新設時の受持区についてですが、新設時(1963年度)に関する資料は
見つけることが出来なかったのですが、翌1964年の10月1日の編成記録が
鉄道ピクトリアル2022年8月号別冊の「国鉄型車両の記録 鋼製1等座席
客車(特ロ 並ロ)に掲載されており、受持区は全車両が大ムコ(向日町)
となっており、1年前の新設時から受持区は大ムコであったと思われます。
そのことを踏まえて車両の捻出についてですが、この場合に対象となるのは
優等車(1等座席車・1等寝台車)だと思われるので、大ムコの配置車両を
調べてみました。
1963年10月改正で新設された時点での優等車は1等座席車が1両のみで、
リンク先のARC資料館様の記載によりますとスロ60が充当されていた
ようなので、大ムコの配置状況を見てみると、1962年10月時点では1両も
配置がなく、1964年4月時点では6両(1・2・27・28・113・114)の配置
があるので、この6両が充当されたものと思われます。
ちなみに、この6両の1962年10月時点での配置、は金サワと大ミハが2両
新ナオと新ニイが1両となっています。
なお、後にスロ54も充当されているようですが、スロ54は1962年10月
時点において4両(14・15・16・17)配置されており、1964年4月時点
においても同様に4両配置なので、「しろやま」新設時に増備されては
いないようです。
1964年10月改正で1等寝台車が1両追加されており、これにマロネ29が
充当されていたようで(先に挙げた鉄道ピクトリアル別冊記載の編成表では
マロネフ29 111が記載されているので、マロネフ29も共通運用されていた
可能性もあります)、同様に大ムコの配置状況を見てみると、1964年4月
時点では配置なし(マロネフ29は111・112の2両が配置)、1965年3月
31日時点では4両(101・106・110・111)が配置されているので、この
4両が充当されたものと思われます。
ちなみに、この4両の1964年4月時点での配置、は分オイが3両、
熊クマが1両となっています。
「西海」と共通運用の件ですが、その後の「しろやま」及び「屋久島」と
「西海」の編成を調べてみますと、「しろやま」の時代には「西海」との
共通点が無く(時刻表1970年8月号まで確認)、「屋久島」となった
1972年3月改正において5号車から14号車が完全に同じ編成になって
いるので、共通運用は「屋久島」となった時点からであると思われます。
以上、手持ちの資料から読み取れる範囲での状況だけですが、参考に
なりましたら幸いです。
ナロ2051様
急行しろやまについてのご質問ですが、私自身急行しろやまについて詳しくは
わからないのですが、手持ちの資料などからご質問の内容につながる事項だけ
お伝えしたいと思います。
まず、新設時の受持区についてですが、新設時(1963年度)に関する資料は
見つけることが出来なかったのですが、翌1964年の10月1日の編成記録が
鉄道ピクトリアル2022年8月号別冊の「国鉄型車両の記録 鋼製1等座席
客車(特ロ 並ロ)に掲載されており、受持区は全車両が大ムコ(向日町)
となっており、1年前の新設時から受持区は大ムコであったと思われます。
そのことを踏まえて車両の捻出についてですが、この場合に対象となるのは
優等車(1等座席車・1等寝台車)だと思われるので、大ムコの配置車両を
調べてみました。
1963年10月改正で新設された時点での優等車は1等座席車が1両のみで、
リンク先のARC資料館様の記載によりますとスロ60が充当されていた
ようなので、大ムコの配置状況を見てみると、1962年10月時点では1両も
配置がなく、1964年4月時点では6両(1・2・27・28・113・114)の配置
があるので、この6両が充当されたものと思われます。
ちなみに、この6両の1962年10月時点での配置、は金サワと大ミハが2両
新ナオと新ニイが1両となっています。
なお、後にスロ54も充当されているようですが、スロ54は1962年10月
時点において4両(14・15・16・17)配置されており、1964年4月時点
においても同様に4両配置なので、「しろやま」新設時に増備されては
いないようです。
1964年10月改正で1等寝台車が1両追加されており、これにマロネ29が
充当されていたようで(先に挙げた鉄道ピクトリアル別冊記載の編成表では
マロネフ29 111が記載されているので、マロネフ29も共通運用されていた
可能性もあります)、同様に大ムコの配置状況を見てみると、1964年4月
時点では配置なし(マロネフ29は111・112の2両が配置)、1965年3月
31日時点では4両(101・106・110・111)が配置されているので、この
4両が充当されたものと思われます。
ちなみに、この4両の1964年4月時点での配置、は分オイが3両、
熊クマが1両となっています。
「西海」と共通運用の件ですが、その後の「しろやま」及び「屋久島」と
「西海」の編成を調べてみますと、「しろやま」の時代には「西海」との
共通点が無く(時刻表1970年8月号まで確認)、「屋久島」となった
1972年3月改正において5号車から14号車が完全に同じ編成になって
いるので、共通運用は「屋久島」となった時点からであると思われます。
以上、手持ちの資料から読み取れる範囲での状況だけですが、参考に
なりましたら幸いです。
(ID:A7IzXv)
急行 しろやまについて
本年も宜しくお願いします。
1963年10月改正で新設された急行しろやま(後の屋久島)ですが、運転区間が長く3編成必要で、車両は
どの様に捻出したのでしょうか?
新幹線開業以降なら寝台特急格上げによる捻出車がそのまま流用される事が殆どですが、新設時期が微妙です。後の屋久島は西海と共通運用で本来5編成必要な所4編成で回していたのは知る人ぞ知る?事ですが
新設時の受持区、またいつの改正で
西海と共通運用になったのでしょうか。
また、マロネ29が1965年の春頃迄使用され、マロネ29の最終使用列車で間違いないか?
ご存知の方、ご教示下さい。
本年も宜しくお願いします。
1963年10月改正で新設された急行しろやま(後の屋久島)ですが、運転区間が長く3編成必要で、車両は
どの様に捻出したのでしょうか?
新幹線開業以降なら寝台特急格上げによる捻出車がそのまま流用される事が殆どですが、新設時期が微妙です。後の屋久島は西海と共通運用で本来5編成必要な所4編成で回していたのは知る人ぞ知る?事ですが
新設時の受持区、またいつの改正で
西海と共通運用になったのでしょうか。
また、マロネ29が1965年の春頃迄使用され、マロネ29の最終使用列車で間違いないか?
ご存知の方、ご教示下さい。
(ID:5ZWAQ7)
仙コリ
Re:年賀R8午(再挑戦)
クモイ103様
無事、画像を投稿できたようで良かったです。
うま年つながりで高田馬場駅ですね。
実は私、学生時代に一年だけですが高田馬場に住んでおり、毎日のように
高田馬場駅を利用していたので、大変懐かしく拝見させていただきました。
今年もよろしくお願いいたします。
クモイ103様
無事、画像を投稿できたようで良かったです。
うま年つながりで高田馬場駅ですね。
実は私、学生時代に一年だけですが高田馬場に住んでおり、毎日のように
高田馬場駅を利用していたので、大変懐かしく拝見させていただきました。
今年もよろしくお願いいたします。
(ID:A7IzXv)
仙コリ(管理人)
画像の投稿方法について
クモイ103様
新年のご挨拶を頂きましてありがとうございます。
掲示板のシステムがいつのまにか変わってしまいまして、画像の投稿方法が
変わってしまい、皆様にはご迷惑をお掛けしております。
画像の投稿方法については、上部の掲載させていただいておりましたが、
分かりにくい点もあったと思うので、文章を訂正させていただきました。
再掲させていただくと、
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
画像を投稿する場合は、投稿フォーム下部の「lmgurに画像をアップ」をクリックして、
「Drop images Here」に画像ファイルをドロップし、投稿画像が表示された画面に
表示されるURL(https://imgur.com/a/〇〇〇)の右側に表示される「Copy」を
クリックし、投稿する本文(コメント)中にペーストして下さい。
簡単にいえば
@投稿フォーム下部の「lmgurに画像をアップ」をクリック(画面が変わります)
A「Drop images Here」に画像ファイルをドロップ(画面が変わります)
BURL表示右横の「Copy」をクリックし、投稿する本文(コメント)中にペースト
といった手順になります。
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
となりますので、わかりにくいかと思いますが、よろしければお試し下さい。
クモイ103様
新年のご挨拶を頂きましてありがとうございます。
掲示板のシステムがいつのまにか変わってしまいまして、画像の投稿方法が
変わってしまい、皆様にはご迷惑をお掛けしております。
画像の投稿方法については、上部の掲載させていただいておりましたが、
分かりにくい点もあったと思うので、文章を訂正させていただきました。
再掲させていただくと、
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画像を投稿する場合は、投稿フォーム下部の「lmgurに画像をアップ」をクリックして、
「Drop images Here」に画像ファイルをドロップし、投稿画像が表示された画面に
表示されるURL(https://imgur.com/a/〇〇〇)の右側に表示される「Copy」を
クリックし、投稿する本文(コメント)中にペーストして下さい。
簡単にいえば
@投稿フォーム下部の「lmgurに画像をアップ」をクリック(画面が変わります)
A「Drop images Here」に画像ファイルをドロップ(画面が変わります)
BURL表示右横の「Copy」をクリックし、投稿する本文(コメント)中にペースト
といった手順になります。
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となりますので、わかりにくいかと思いますが、よろしければお試し下さい。
(ID:A7IzXv)
クモイ103
年賀R8午
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
(画像を用意してあるのですが、貼り付けの方法が分からず省略させて頂きます)
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
(画像を用意してあるのですが、貼り付けの方法が分からず省略させて頂きます)
(ID:1oZdnv)
42年10月オロネ10の予備車
鉄道ピクトリアルアーカイブス
国鉄の客車。42年10月からの
寝台客車の配置と運用を見て気が
ついたのですが、仙台オロネ10
新星用配置4両使用4両
竜華オロネ10大和用配置2両
配置2両
予備車はどの様にやり繰りしてい
たのでしょうか?
鉄道ピクトリアルアーカイブス
国鉄の客車。42年10月からの
寝台客車の配置と運用を見て気が
ついたのですが、仙台オロネ10
新星用配置4両使用4両
竜華オロネ10大和用配置2両
配置2両
予備車はどの様にやり繰りしてい
たのでしょうか?
(ID:5ZWAQ7)
ミキスト
Re7:急行「第2石北」9519レと急行「利尻」317レの併結運転時の編成につきまして
studio4310様
興味深いお題ありがとうございました。
仙コリ様
増解結事情は深いですね。仙コリ様が提示された資料の利尻の時刻表を見ると、改めて道央−道北直通列車は貴重だったと感じます。当時にしてみれば上下ともに旭川の発着時刻は何とか有効時間といえないでしょうか。だとすれば、下りは旭川到着時に既に満員であるため、旭川から乗車する多くの乗客のために増結したのでしょうね。上りの旭川着はかなり眠そうですが、当時は国鉄が主たる交通インフラであり、深夜未明の乗り換えも日常手段のひとつだったのではないでしょうか。たとえ街の成りは小さくても、交通要衝の駅前には仮眠客を受け入れる駅前旅館、駅前食堂があったものです。
もしかしたら3時台に旭川で解結された1両は増結して下りの始発になったりして、そしてそれまでは車内に留まれた、なんてことはないでしょうか。仙台回転の八甲田付属のように。(まあ当時の運用を紐解けばわかるのでしょうが)
studio4310様
興味深いお題ありがとうございました。
仙コリ様
増解結事情は深いですね。仙コリ様が提示された資料の利尻の時刻表を見ると、改めて道央−道北直通列車は貴重だったと感じます。当時にしてみれば上下ともに旭川の発着時刻は何とか有効時間といえないでしょうか。だとすれば、下りは旭川到着時に既に満員であるため、旭川から乗車する多くの乗客のために増結したのでしょうね。上りの旭川着はかなり眠そうですが、当時は国鉄が主たる交通インフラであり、深夜未明の乗り換えも日常手段のひとつだったのではないでしょうか。たとえ街の成りは小さくても、交通要衝の駅前には仮眠客を受け入れる駅前旅館、駅前食堂があったものです。
もしかしたら3時台に旭川で解結された1両は増結して下りの始発になったりして、そしてそれまでは車内に留まれた、なんてことはないでしょうか。仙台回転の八甲田付属のように。(まあ当時の運用を紐解けばわかるのでしょうが)
(ID:mdB4lT)


