急行「第2石北」9519レと急行「利尻」317レの併結運転時の編成につきまして
タイトル内容の追記をいたします。
その後全く情報が見つかりませんので、自分なりに編成を考えてみました。
急行「利尻」317レの札幌出発時の編成は7両(回送運用のマニスユニを入れると9両)、定期列車急行「石北」517レの10両をそのまま併結すると19両になってしまいます。
臨時の普通座席車を1両減の4両にし、1等車、2等寝台車(1両)を併結すれば、利尻+石北=15両編成となります。これでしたら何とか機関車を重連にすれば旭川まで行けると思います。
オロハネ10*は当時、予備車が存在しないので編成に入れることは出来なませんので外します。
*オロハネ10は、昭和43年8月現在札幌客貨車区(札サツ)には501,502,503,50の4両配置で、上下の急行利尻に各1両と上下の石北に各1両の運用だったので予備車が存在せず、臨時列車などには充当できなかった。ナロハネ10-2からの改造車オロハネ10-505の登場は昭和44/1969年4月なのでオロハネ10を編成に組み込むこと自体が不可能でした。
タイトル内容の追記をいたします。
その後全く情報が見つかりませんので、自分なりに編成を考えてみました。
急行「利尻」317レの札幌出発時の編成は7両(回送運用のマニスユニを入れると9両)、定期列車急行「石北」517レの10両をそのまま併結すると19両になってしまいます。
臨時の普通座席車を1両減の4両にし、1等車、2等寝台車(1両)を併結すれば、利尻+石北=15両編成となります。これでしたら何とか機関車を重連にすれば旭川まで行けると思います。
オロハネ10*は当時、予備車が存在しないので編成に入れることは出来なませんので外します。
*オロハネ10は、昭和43年8月現在札幌客貨車区(札サツ)には501,502,503,50の4両配置で、上下の急行利尻に各1両と上下の石北に各1両の運用だったので予備車が存在せず、臨時列車などには充当できなかった。ナロハネ10-2からの改造車オロハネ10-505の登場は昭和44/1969年4月なのでオロハネ10を編成に組み込むこと自体が不可能でした。
(ID:XxlQE6)
急行「第2石北」9519レと急行「利尻」317レの併結運転時の編成につきまして
2年ほど前に、ヨンサントオ直前(昭和43年8月)の急行利尻の編成について書き込みをした者です。
実は、「交通公社の北海道時刻表」1968/昭和43年8月で急行利尻の「札幌―旭川」の時刻を見ていて不思議に思ったことがあり、自分で調べてみましたが辿りつけません。
それは、急行「第2石北」9519レと急行「利尻」317レの併結編成です。
そもそも利尻に石北を併結することが可能だったのでしょうか。
もちろん臨時列車ということで編成は短かったと考えれば可能なのでしょうが、座席車のほかに1等車、2等寝台車まで併結されています。
私が乗車した昭和43年8月11日は、ちょうど併結運転をしていない日でしたので、目撃はしていません。今回もよろしくお願いいたします。
ARC資料館では、下記のようになっていました。
S43.8.10〜S43.8.18=317レ〜9519レ、9520レ〜318レ
札幌−網走(下り第2石北、上り第2石北)9519レ、9520レ
※編成不明、1等車、2等寝台車連結。
※下り第2石北はS43.8.10〜18に運転。
※上り第2石北はS43.8.13、14に運転。
※下り第2石北のS43.7.27〜8.9、10、20は、下り利尻に札幌−旭川間併結。(317レ〜9519レ)
※上り第2石北のS43.7.28〜8.12、15〜21は、上り利尻に札幌−旭川間併結。(9520レ〜318レ)
2年ほど前に、ヨンサントオ直前(昭和43年8月)の急行利尻の編成について書き込みをした者です。
実は、「交通公社の北海道時刻表」1968/昭和43年8月で急行利尻の「札幌―旭川」の時刻を見ていて不思議に思ったことがあり、自分で調べてみましたが辿りつけません。
それは、急行「第2石北」9519レと急行「利尻」317レの併結編成です。
そもそも利尻に石北を併結することが可能だったのでしょうか。
もちろん臨時列車ということで編成は短かったと考えれば可能なのでしょうが、座席車のほかに1等車、2等寝台車まで併結されています。
私が乗車した昭和43年8月11日は、ちょうど併結運転をしていない日でしたので、目撃はしていません。今回もよろしくお願いいたします。
ARC資料館では、下記のようになっていました。
S43.8.10〜S43.8.18=317レ〜9519レ、9520レ〜318レ
札幌−網走(下り第2石北、上り第2石北)9519レ、9520レ
※編成不明、1等車、2等寝台車連結。
※下り第2石北はS43.8.10〜18に運転。
※上り第2石北はS43.8.13、14に運転。
※下り第2石北のS43.7.27〜8.9、10、20は、下り利尻に札幌−旭川間併結。(317レ〜9519レ)
※上り第2石北のS43.7.28〜8.12、15〜21は、上り利尻に札幌−旭川間併結。(9520レ〜318レ)
(ID:imWjyK)
仙コリ
Re:寝台車のリネンの運用について
ナロ2051様
リネンの運用についてまったく詳しくはないのですが、書籍の記事で読んだ
ような記憶があり、時間が掛かってしまいましたがようやく見つけました。
鉄道ピクトリアル2013年1月号【特集】ブルートレイン に掲載されている
「JR東日本 上野発ブルートレイン 保守の最前線を見る」という記事の中で
尾久車両センターでの「北斗星」の折返しリネン作業に触れられており、
・東日本車で交換したリネンは袋にまとめて、上野回送時に降ろす
・北海道車の交換済みリネンは機器室のような物置に札幌まで搭載し、
札幌到着後に降ろしてクリーニングする。
・リネンはそれぞれの会社が各所属車のものを用意する。
・「カシオペア」の場合はリネン搭載のスペースがないため、札幌にリネンを
一組送っておき、クリーニングも委託している。
と書かれておりますので、例外となる「カシオペア」を除いては、リネンは
寝台客車運用の最後まで、受持区で往復分の運用を担っていたようです。
ナロ2051様
リネンの運用についてまったく詳しくはないのですが、書籍の記事で読んだ
ような記憶があり、時間が掛かってしまいましたがようやく見つけました。
鉄道ピクトリアル2013年1月号【特集】ブルートレイン に掲載されている
「JR東日本 上野発ブルートレイン 保守の最前線を見る」という記事の中で
尾久車両センターでの「北斗星」の折返しリネン作業に触れられており、
・東日本車で交換したリネンは袋にまとめて、上野回送時に降ろす
・北海道車の交換済みリネンは機器室のような物置に札幌まで搭載し、
札幌到着後に降ろしてクリーニングする。
・リネンはそれぞれの会社が各所属車のものを用意する。
・「カシオペア」の場合はリネン搭載のスペースがないため、札幌にリネンを
一組送っておき、クリーニングも委託している。
と書かれておりますので、例外となる「カシオペア」を除いては、リネンは
寝台客車運用の最後まで、受持区で往復分の運用を担っていたようです。
(ID:A7IzXv)
クモイ103
【訂正】Re11: 急行「大雪」崩れの124レにつきまして
>なお、この達は昭和30(1955)年、次の達に伴って廃止されました。
→昭和33(1958)年でした。失礼しました。
>なお、この達は昭和30(1955)年、次の達に伴って廃止されました。
→昭和33(1958)年でした。失礼しました。
(ID:1oZdnv)
クモイ103
Re11: 急行「大雪」崩れの124レにつきまして
studio4310様
貴重な写真をご紹介下さり、ありがとうございます。
まさにマニ+スユニ+旅客車6両で、
後ろから2両目にもスハフが入っていることから、
最後部の1両は附属編成であることが伺えますね。
仙コリ様
荷物車と郵便荷物車の連結順序の件で、
ちょっと関連しそうな国鉄内規があることはあります。
ただ、合造車を想定した条文は見当たりません。
【昭和4(1929)年9月14日 達第721号】
旅客列車編成心得左ノ通リ定メ九月十五日ヨリ施行ス
(中略)
第五条
旅客列車ノ本編成ハ基準寄ヨリ左ノ順位ニ車室ヲ配列スヘシ
但シ当該車室ナキトキハ之ヲ欠位トス
一 郵便室
二 荷物室
三 客室及食堂
(以下略)
この定めはあくまで「本編成」の中について言っているので、
郵便車や荷物車が附属編成扱いの場合は当てはまりません。
附属編成の連結順序には細かい規定はありませんでした。
なお、この達は昭和30(1955)年、次の達に伴って廃止されました。
【昭和33(1958)年9月30日 総裁達第494号】(施行は10月1日)
旅客及び荷物輸送手続を次のように定める。
(中略)
(列車本編成の編成順序)
第114条 列車の本編成は、基準寄から次の各号に掲げる順序に車室を配列しなければならない。但し、該当する車室がない場合は、これを欠位とする。
(1) 荷物室
(2) 郵便室
(3) 客室及び食堂
(以下略)
なぜか荷物室と郵便室の順序が入れ替わっています。
その後昭和42(1967)年4月1日、この達の内容は
「旅客輸送基準規程」に概ね引き継がれましたが、
客車の連結順序に関する条項は姿を消しました。
以上のように、あくまで本編成の中身についてだけ
「郵便室」と「荷物室」の配列順序が示されていました。
しかし実際には荷物車や郵便車は附属編成扱いのことが多く、
その場合はそもそもこの規程の対象でないことに加え、
現実には入換作業のし易さや駅での停車位置の都合など
列車個別の事情に応じていくらでも変則的な連結順序がありました。
なおご参考までに、以上の国鉄内規に規定された客車の連結順序の法則に関して、数年前の雑誌にまとまった解説記事があります。
月刊レイルマガジン 412・413(2018年1月号・2月号)
「考察・国鉄旧型客車の連結順序(前編・後編)」
興味のある方は探してみては如何でしょうか。
studio4310様
貴重な写真をご紹介下さり、ありがとうございます。
まさにマニ+スユニ+旅客車6両で、
後ろから2両目にもスハフが入っていることから、
最後部の1両は附属編成であることが伺えますね。
仙コリ様
荷物車と郵便荷物車の連結順序の件で、
ちょっと関連しそうな国鉄内規があることはあります。
ただ、合造車を想定した条文は見当たりません。
【昭和4(1929)年9月14日 達第721号】
旅客列車編成心得左ノ通リ定メ九月十五日ヨリ施行ス
(中略)
第五条
旅客列車ノ本編成ハ基準寄ヨリ左ノ順位ニ車室ヲ配列スヘシ
但シ当該車室ナキトキハ之ヲ欠位トス
一 郵便室
二 荷物室
三 客室及食堂
(以下略)
この定めはあくまで「本編成」の中について言っているので、
郵便車や荷物車が附属編成扱いの場合は当てはまりません。
附属編成の連結順序には細かい規定はありませんでした。
なお、この達は昭和30(1955)年、次の達に伴って廃止されました。
【昭和33(1958)年9月30日 総裁達第494号】(施行は10月1日)
旅客及び荷物輸送手続を次のように定める。
(中略)
(列車本編成の編成順序)
第114条 列車の本編成は、基準寄から次の各号に掲げる順序に車室を配列しなければならない。但し、該当する車室がない場合は、これを欠位とする。
(1) 荷物室
(2) 郵便室
(3) 客室及び食堂
(以下略)
なぜか荷物室と郵便室の順序が入れ替わっています。
その後昭和42(1967)年4月1日、この達の内容は
「旅客輸送基準規程」に概ね引き継がれましたが、
客車の連結順序に関する条項は姿を消しました。
以上のように、あくまで本編成の中身についてだけ
「郵便室」と「荷物室」の配列順序が示されていました。
しかし実際には荷物車や郵便車は附属編成扱いのことが多く、
その場合はそもそもこの規程の対象でないことに加え、
現実には入換作業のし易さや駅での停車位置の都合など
列車個別の事情に応じていくらでも変則的な連結順序がありました。
なおご参考までに、以上の国鉄内規に規定された客車の連結順序の法則に関して、数年前の雑誌にまとまった解説記事があります。
月刊レイルマガジン 412・413(2018年1月号・2月号)
「考察・国鉄旧型客車の連結順序(前編・後編)」
興味のある方は探してみては如何でしょうか。
(ID:1oZdnv)
寝台車のリネンの運用について
上記の件ですが2パターンが考えられます
@受持区で復路分も積み込み、目的地の基地で積み込んだリネン類を使用して受持区で往復分を降ろす。
A受持区では往路のみセット、目的地で使用済みのリネン類を降ろし、
目的地で洗濯済みのリネン類を使用
の2つのパターンが考えられます。
ただ、国鉄時代は管理局の縄張り意識が強く、自局の面倒は自局の考えなら@のパターンになると思いますが10系20系なら給仕室発生の乗務員が有りリネン類の保管スペースに
問題は無いのですが、14系以降は
ハネフの乗務員室しかスペースが
無く、あの限られた空間で復路の
リネン類を保管できていたのでしょうか?となればAのパターンで運用していたのでしょうか?
客車列車直接の疑問では有りませんがご存知の方ご教示ください。
上記の件ですが2パターンが考えられます
@受持区で復路分も積み込み、目的地の基地で積み込んだリネン類を使用して受持区で往復分を降ろす。
A受持区では往路のみセット、目的地で使用済みのリネン類を降ろし、
目的地で洗濯済みのリネン類を使用
の2つのパターンが考えられます。
ただ、国鉄時代は管理局の縄張り意識が強く、自局の面倒は自局の考えなら@のパターンになると思いますが10系20系なら給仕室発生の乗務員が有りリネン類の保管スペースに
問題は無いのですが、14系以降は
ハネフの乗務員室しかスペースが
無く、あの限られた空間で復路の
リネン類を保管できていたのでしょうか?となればAのパターンで運用していたのでしょうか?
客車列車直接の疑問では有りませんがご存知の方ご教示ください。
(ID:5ZWAQ7)
急行「大雪」崩れの124レにつきまして
仙コリ様、クモイ103様
ヨンサントオ前(S43.8.10)に撮影しました同列車(このころは急行「石北」崩れ)の画像もアップしておきます。
最後の1両がカーブで写っていませんが、普通車は6両でした。

仙コリ様、クモイ103様
ヨンサントオ前(S43.8.10)に撮影しました同列車(このころは急行「石北」崩れ)の画像もアップしておきます。
最後の1両がカーブで写っていませんが、普通車は6両でした。

(ID:qaeSqm)
急行「大雪」崩れの124レにつきまして
仙コリ様
画像のアップロードが出来ました。
今回はかなり詳細な情報を教えていただき、ありがとうございました。
クモイ103様
画像がアップ出来ました。
私のARC資料館での解釈が完全ではなく、またARC資料館にも誤記があることも確認できました。
色々お世話になりました。
ありがとうございました。

仙コリ様
画像のアップロードが出来ました。
今回はかなり詳細な情報を教えていただき、ありがとうございました。
クモイ103様
画像がアップ出来ました。
私のARC資料館での解釈が完全ではなく、またARC資料館にも誤記があることも確認できました。
色々お世話になりました。
ありがとうございました。

(ID:qaeSqm)
仙コリ
Re7:急行「大雪」崩れの124レにつきまして
「大雪」崩れの124レの編成につきまして、手持ちの資料とWebで公開
されている編成をまとめてみました。

(Web掲載の名称はぼかさせていただきました…バレバレですが…)
特に全区間走破(上り列車のみ)の荷物車について、時刻表に掲載されている
編成表上で、下り列車の運行区間(札幌→網走)のみが記載され、これと
異なる上り列車の運行区間(網走→函館)に関する記載が省略されている?
ため、主にWeb上の編成表が影響を受けているように見受けられます。
実際には一次資料を参照できることは少なく、また時刻表に掲載されている
情報は、比較的信頼される情報だと思うので難しいところですが、このように
状況によっては必ず正しいというわけではなく、そういった意味でも当時の
写真などは、日時と場所が正確であれば一番信頼のおける情報となりますね。
別件で、前回の私の書き込みで、荷物車の連結場所について書きましたが、
荷物車(ニ)と郵便荷物車(ユニ)についても荷物車が優先されるのか?
について自信がなく、再度調べてみたところ、同時期の北海道の急行列車に
おいて、上り1218レ「すずらん6号」において、途中駅から増結される
スユニがマニの前位に連結されており、上り418レ「狩勝3号」・上り
104レ「ニセコ1号」にいたっては、全区間連結の荷物車と郵便荷物車が
前位からオユ・マニの順序で連結されていたようなので、前回(Re3)の
私の書き込みは間違っておりましたので、お詫びさせていただきます。
「大雪」崩れの124レの編成につきまして、手持ちの資料とWebで公開
されている編成をまとめてみました。

(Web掲載の名称はぼかさせていただきました…バレバレですが…)
特に全区間走破(上り列車のみ)の荷物車について、時刻表に掲載されている
編成表上で、下り列車の運行区間(札幌→網走)のみが記載され、これと
異なる上り列車の運行区間(網走→函館)に関する記載が省略されている?
ため、主にWeb上の編成表が影響を受けているように見受けられます。
実際には一次資料を参照できることは少なく、また時刻表に掲載されている
情報は、比較的信頼される情報だと思うので難しいところですが、このように
状況によっては必ず正しいというわけではなく、そういった意味でも当時の
写真などは、日時と場所が正確であれば一番信頼のおける情報となりますね。
別件で、前回の私の書き込みで、荷物車の連結場所について書きましたが、
荷物車(ニ)と郵便荷物車(ユニ)についても荷物車が優先されるのか?
について自信がなく、再度調べてみたところ、同時期の北海道の急行列車に
おいて、上り1218レ「すずらん6号」において、途中駅から増結される
スユニがマニの前位に連結されており、上り418レ「狩勝3号」・上り
104レ「ニセコ1号」にいたっては、全区間連結の荷物車と郵便荷物車が
前位からオユ・マニの順序で連結されていたようなので、前回(Re3)の
私の書き込みは間違っておりましたので、お詫びさせていただきます。
(ID:A7IzXv)
