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クモイ103
Re5: 音戸のマロネ41からオロネ10への置き換えについて
補足の余談です。
[安芸]は下り広島着と上り広島発の時刻が近接していて当日折返しができず、
3組運用を余儀なくされていましたが、そんな中でも、
各時代の状況に応じて、できる範囲の工夫はおこなわれていました。
最末期の43-10改正時の場合、編成中の上り方3両を付属編成扱いとし、
[音戸1-2号]の広島回転車と共通運用して、2往復を4組で回していました。
(ID:6cmpRx)
クモイ103
Re4: 音戸のマロネ41からオロネ10への置き換えについて
ナロ2051 様

[銀河1-1号]のマロネ41は、47-3改正前まで存続しましたよ。
45-10改正前はマロネ40+マロネ41、改正後はオロネ10+マロネ41の編成でした。
なお、ここのマロネ41は23と24の2両のみでした。
オロネ10が検査予備だったと考えられます。
(ID:6cmpRx)
クモイ103様
 車番入りの丁寧なご返答ありがとうございました。
 そもそも急行安芸は3編成での運用だったのですね。広島での折り返し時間2時間しか無く、阿蘇/天草
はやぶさ/あかつきの様に共通運用を組む列車も無く、やむを得ないでしょうか。
 45年10月改正でマロネ41の使用列車は209/210レ日南3.1号(大分?)216/215レつくし3号(竹下)の
2列車で47年3月改正で運用を終了したという認識で宜しいでしょうか
 もう1つ些細な疑問ですが、銀河のマロネ40マロネ41の置き換えですが宮原に転属したオロネ10は2両です。もう2両はどの様に捻出したのでしょうか?
 増結 音戸のロネ、オロネ10にあたったらラッキーですかね。男女別の広い洗面所と休憩室にこだわる人以外。
(ID:5ZWAQ7)
クモイ103
Re2: 【訂正】音戸のマロネ41からオロネ10への置き換えについて
訂正の自己レスです。
「中セキ」「中ヒロ」と書きましたが、それぞれ「広セキ」「広ヒロ」の誤りでした。
昭和45年8月20日の工達第3号で塗色基準規程が改正され、中国支社の「中」が広島鉄道管理局の「広」に変更されています。
申し訳ありませんでした。
変に略号で書かず普通に駅名で書けば良かったですね…
(ID:6cmpRx)
クモイ103
Re: 音戸のマロネ41からオロネ10への置き換えについて
ナロ2051 様

その辺りの経緯について、マロネ41の歴史という切り口から追ったことがあります。

45-10改正の前、301/302[音戸1-2号]に使用される中セキのマロネ41は4と5の2両のみでしたが、他に1両だけオロネ10 41が配置され、これが予備車と考えられます。
また、[安芸]に使用される中ヒロのオロネ10は2両×3組+予備1両の合計7両(4、5、6、24、25、26、31)でした。

45-10改正でのこれらオロネ10の動きは次の通りです。
 ・オロネ10 4、5、6 中ヒロ→大ムコ
 ・オロネ10 24、25、26 中ヒロ→中セキ
 ・オロネ10 31 中ヒロ→大ミハ
 ・オロネ10 41 中セキ→大ミハ

大ムコでは3両を迎え、205/206[日南1-3号]の大分回転編成に入っていたマロネ41を置き換えました。
中セキではやはり3両を迎え、301/302[音戸1-2号]のマロネ41を置き換えました。
大ミハでは2両を迎え、101/102[銀河1-1号]で最後の活躍をしていたマロネ40を置き換えました。

マロネ41の運用はこの改正で大きく減少し廃車も発生、そして新幹線岡山開業の47-3改正でついに引退することとなります。
(ID:6cmpRx)
救援客車、配給客車についての話題
皆様、ご無沙汰しております。
最近は客車以外の車両の研究調査が多くて客車関係はあまり研究調査しておりませんが、その中でも白帯車及び事業用代用車の救援客車や配給客車は私も興味あるのですが、なかなか最近写真や車番等記録資料がインターネットや書籍にも見つからない為、情報収集に困っております。もし救援客車配給客車について既に他の鉄道書籍やインターネット検索で掲載された以外の分でこの掲示板の皆様が撮影している車両の写真が1枚でもあれば是非ご投稿をお願い致します。再度申し上げますが私は2002年生まれで地元の山口県でも救援客車配給客車を見かけた事や撮影してもいない中のお若い鉄道ファンですので…
(ID:qenu8x)
音戸のマロネ41からオロネ10への置き換えについて
表題の件、45年10月改正でマロネ
41からオロネ10に置き換えられましたが、オロネ10は度の様に捻出したのでしょうか?45年10月改正で
急行安芸が下関あさかぜに格上げされ、捻出されたオロネ10は銀河の
マロネ40.41の置き換えに転用されました。広島配置のオロネ10 6両
(予備車も含めて多分)のうち4両を
宮原に転属させ、残った2両を下関
に転属させたのでしょうか?
(宮原は複数の列車を受け持っており予備車の共用は可能と思われる)
また下関配置のマロネ41は2両で
検査時は竹下、広島などの近隣?
の区から借用していたのでしょうか
(ID:5ZWAQ7)
Re6: 門司での入れ換えについて
クモイ103 様
何度もご教示いただき有り難うございます。
てっきり、食堂車も運用数を減らすため、当日の「阿蘇」で戻しているのかと思いました。
(ID:O9o85V)
クモイ103
Re5: 門司での入れ換えについて
スポック様
史実として熊本で[阿蘇]と[天草]は入れ違いに折り返していたのですから、時間は十分とれていた筈です。

食堂車については、熊本でまる1日滞泊し、翌日折返す3組運用でした。
36-10改正時点の名古屋の食堂車配置は、
マシ49 1、2、3
マシ29 101
スシ48 2
の合計5両でした。
[阿蘇]の所定使用車はマシ49ですが、両数がぎりぎりのなので、検査時は他の2両のいずれかが代走に入ったはずです。
マシ29はマシ49と同じく冷房付きですが、車内設備が一段古いもので当時の感覚的には若干見劣りしたと思われます。
スシ48はマシ49と同等の車内設備ですが、非冷房です。
このスシ48 2は、37年に電気暖房取付改造を受けてスシ48 2002となり青森へ転属、37-10改正の高萩電化でEF80牽引となった常磐急行に活躍することになります。これと入れ替わりにそれまで青森にいたスシ28 104が名古屋へ移ってきますが、これは非冷房で車内設備も古いですから、実質的には保留車だったろうと私は思っています。

39-10改正で[阿蘇]の食堂車は廃止され、マシ49の3両は名古屋配置のまま[さつま]の名古屋−門司間に連結されるようになります。運用組数が2組に減り、マシ49形だけで検査予備もまかなえるようになりました。
(ID:6cmpRx)
Re4: 門司での入れ換えについて
クモイ103様
有り難うございます。それでも熊本での折り返しは時間的に厳しいのでは?
「天草」から「阿蘇」へは3時間半弱しかなく、「阿蘇」から「阿蘇」への食堂車の受け渡しが必要ですよね。食堂車の受け渡しは2時間ほどしかなく、清掃などの準備作業が大変そうです。
(ID:O9o85V)