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ミキスト
Re 奥羽本線 10系寝台車火災
ナロ2051様、
ありがとうございます。過去ログ読みました。昭和43年=1968年であり、ナロ2051様、仙コリ様が記された状況証拠から推測するにドンピシャ、ではないでしょうか。10系客車に付き纏う火災事故、ですね。
(ID:8mestn)
もしかして
 ミキスト様
取り上げられた火災を起こした車両
以前倶楽部メモ863で自分が質問したオハネフ12 2003ではないでしょうか?
 現車は68年1月28日付けで土崎工場で冷房、近代化を受けてナハネフ
10からオハネフ12 2003になっています。奧羽本線で試運転?を行っていた68年4月7日に何らかの原因で
車両火災を発生。その後検証等を受けて68年8月26日付けで廃車と考えるのはどうでしょうか?
 なお3両目の件ですが、当時の中距離各駅停車は荷物車郵便車を連結しており、後ろ2両はこのどちらかで試運転車両を3両目に連結しているのは違和感無いと思います。
 如何でしょうか。
(ID:5ZWAQ7)
昭和44年3月30日 奥羽本線833レの機関車次位に連結されていたお座敷客車スハ88につきまして
画像をアップしました。



スハ88-1[盛モカ]+オハフ33[秋アキ]+オハ35 [秋アキ]+オハフ33 [青アオ]+オ ハ35 [青アオ]+オハ35 [青アオ]+スハ43 [青アオ]+スハフ42 [青アオ]+オユ10 [盛郵41]+マニ36 [名荷24]+後補機 DF50567[秋]
(ID:am1XfI)
昭和44年3月30日 奥羽本線833レの機関車次位に連結されていたお座敷客車スハ88につきまして
クモイ103様

追記と訂正:

【誤】この頃、私は秋田駅旅行センターに勤務する方と知り合い、主催行事の案内は全て郵送で送られてきていましたが、お座敷客車についての案内は前述の“明治号”だけでした。
【正】秋田駅旅行センターは昭和46年7月15日開業ですので、昭和44年の情報と混同しておりました。
(ID:am1XfI)
昭和44年3月30日 奥羽本線833レの機関車次位に連結されていたお座敷客車スハ88につきまして
クモイ103様

いつもお世話になっております。
これだけの情報での特定は難しいことになりますね。
「秋田鉄道管理局または盛岡鉄道管理局の局報」という手がかりも、個人でお持ちの方がいらっしゃれば別ですが、博物館にもなさそうですね。

私の勝手な解釈で、以下のようにおおざっぱに考えました。

833レは新津発―羽越本線・奥羽本線経由青森行で、羽越本線内はC57、奥羽本線秋田からC61の運用です。盛岡客車区の客車を新鉄局まで貸し出すことがあれば別ですが、羽越本線での使用の可能性よりも奥羽本線内で使用された可能性が高いと思いました。
そしてこれは返却であれば、大館から花輪線経由の方が距離は短いですが、龍ヶ森(大場谷地峠)を越える客車の牽引定数は3両までとなっており昼間の客レは3両編成でしたから難しいはずですし、客車の仕様上3軸ボギー車が急こう配と急カーブがレ続する線区は選ばないと思いました。龍ヶ森(大場谷地峠)を越える客車の牽引定数では例外はあったようで、4両(1両は回送)や朝夕の通勤列車では補機付きですが7両の時もありました。

オハフ80には乗車の機会(昭和46年9月26日・東北本線80周年“明治号”の4両目)がありましたが、スハ88はこれ1回切りの目撃です。“明治号は盛鉄局主催でしたが、秋鉄局(特に秋田駅旅行センター開業時以後)は様々な行事が組まれていました。

長くなってしまいましたが、奥羽本線内での行事に使用されたと考えるのが無難かと思いました。あとは土崎工場からの出場後の回送も考えられると思いました。この頃、私は秋田駅旅行センターに勤務する方と知り合い、主催行事の案内は全て郵送で送られてきていましたが、お座敷客車についての案内は前述の“明治号”だけでした。
色々と可能性を探るのも楽しいと思っております。ありがとうございました。
(ID:am1XfI)
クモイ103
Re: 昭和44年3月30日 奥羽本線833レの機関車次位に連結されていたお座敷客車スハ88につきまして
studio4310様

これは難しいご質問ですね。
スハ88のような団体使用を前提とした特殊車両の場合、決まった定期運用はありませんので、運転にあたってはその都度、前日以前のおよそ一週間程度?の間に、達が発せられていたはずです。
当時の秋田鉄道管理局または盛岡鉄道管理局の局報を見ることができれば、所属基地からの一連の運用が書かれていると思われます。
私が思いつく調査方法はそれくらいです。
(ID:1oZdnv)
ミキスト
奥羽本線 10系寝台車火災
山形の某図書館で閲覧した県史の記事です。
昭和43年4月7日13:42頃、奥羽本線蔵王−山形間にて、福島発能代行き普通列車(8両編成)の3両目から出火し、燃える寝台車を切り離し、客車1両のみの被害で済んだ。乗客全員無事。との記事です。
写真は切り離された3両目の10系ハネフのようです。
・この時代、この区間に寝台車連結の普通列車があったのか(福島発能代行きで、13時台に山形通過で翌朝終着は考えにくいのですが)
・回送だとしても3両目にハネフとは、これ如何に。
関係文献など、ご存じの方よろしくお願いいたします。
(ID:mdB4lT)
EF58牽引「あかつき+彗星」のヘッドマークについて
鉄爺です。
いつも楽しく拝見しています。
昭和48年10月から昭和50年3月まで運転されていた「あかつき+彗星」のヘッドマークについて質問です。
当列車は、ブルートレインでは初めてのWネームでEF58がけん引していました。ヘッドマークは、掲げられていたのでしょうか。
私は、2度見かけましたが、ヘッドマークは、掲げられていませんでした。あかつきは、度々増発されたので、ヘッドマークが足りなくなりこの列車に限らず、一部のあかつきにもヘッドマークは、ついていませんでした。
ところが、JTBキャンブックス「寝台急行銀河物語」のP57にはヘッドマークが掲げられています。実際はどうだったんでしょう。
私もそのころは、全廃間近のSLを撮るのに必死で、ブルートレインには目を向けていませんでした。
ご存知の方がいれば、ご教授願います。
(ID:LP5fYo)
昭和44年3月30日 奥羽本線833レの機関車次位に連結されていたお座敷客車スハ88につきまして
タイトルの通り、奥羽本線833レの機関車次位に連結されていたスハ88につきまして、実際にどこで使用されたかわかりません。津軽湯の沢駅で撮影していますが、撮影時は日の入り時刻近く(17:54発)で暗くて詳細をつかめていません。車内が暗かったので回送だと思われます。運用上は、C6120が秋田から833レを牽いてきていますから、一緒に秋田から来て青森に向かう途中と思われます。盛岡へ回送途中とも思いますが、団体での貸切用だと実情はなかなかつかめないと思います。どなたか当時のスハ88の運用などについてご存じでしたら是非ともご教示願います。
(ID:am1XfI)
北陸、北星の10号車欠車の件
 金沢在住のナロ20 51です。昭和
50年寝台特急北陸に乗車しました。当時の北陸は品川から転属した
20系が編成の大半で晩年の20系で
使用されていた紺色のカーテンでは
無く、ラメの入った黄緑のカーテン
(多少色褪せていました)1959年
HITACHIの切り抜き文字を直接目に
するなど20系全盛の雰囲気を感じる事が出来ました。
 当時の北陸、北星は10号車が51年10月改正迄欠車になっていましたが、50年3月改正直後に品川で日立製の車両が5両程廃車になっており
欠車にするならなぜ廃車にするのか
と疑問に思っていました。
 この辺の事情をご存知のでしたら
ご教示して頂けませんでしょうか?
 宜しくお願いします。
(ID:5ZWAQ7)