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クモイ103
Re: AREBブレーキ20系とP型
ナロ2051様

意外な盲点で、私もこれまで全然気にしたことがありませんでした。
ピクの特集号などでもそこまでの説明はなかなかありませんね。
知り合いの研究者に相談したところ、「車輌工学」1968年9月号P.19〜21に掲載された「20系固定編成用特急客車」(景山允男・国鉄車両設計事務所)に、下記の記述があることが分かりました。

************
 MRP引通しの設けていない機関車又は客車と連結される場合は,その部分のMRPアングルコックを〆切り,従来どおりの使用方法とすればよい。20系客車相互間はMRPをつないだままとしてよい。
 なおMRPを使用しない区間(例えば門司〜下関,米原〜田村など)から使用する区間に移り,機関車を付替えたときにはBPおよびMRPの貫通試験が必要となるが,MRPの貫通確認は最後部緩急車又は電源車のMRP圧力計の上昇を目視することによる。これの自動化についても目下検討が進められている。
************

そもそも国鉄式のやり方の一般論として、AREBブレーキのような特殊なシステムを組み込んだ車両が一部発生する場合、それに対応していない車両とも連結してそのシステムを使用せず運転することも考慮されたはず、と私も想像していましたが、やはりその通りでした。
昭和30年代に始まった一般形客車の電気暖房も、碓氷峠のEF63による押し上げに対応した台枠強化も、そしてこのAREBブレーキも、そうした基本的な思想に則って実用化されたと考えることができそうです。
(ID:tcoNOk)
AREBブレーキ20系とP型
 表題の件、43年10月改正以後20系客車の牽引機は原則P型限定になりました。ELは疑問点は無いのですが、DLは最高速度95キロのDD51
DD54の2型式のみP型改造されました。
 例外で大分以南のDF50(最高速度
75キロ)米原田村間のDD50DE10
特例?で陸羽東線う回時のC58が
有ります。
 C58は例外としてもP型以外でも
牽引可能の場合、最高速度、走行距離などの線引き?は有るのでしょうか。
 ご存知の方ご教示下さい。
(ID:5ZWAQ7)
仙コリ(管理人)
Re:客車の所属表記の関係
宮田豊秋様

ご指摘ありがとうございます。

>高崎鉄道管理局の所で高崎客車区が抜けています。

との事ですが、「高崎鉄道管理局の所で」というので思いあたるのは、
当サイトの3号車「客車資料館」の「客車所属標記について」の中の
「客車配置区名および所属標記(昭和40年頃)」なのですが、
この一覧表においては「高崎鉄道管理局」の2行目に高崎(高タカ)
は表記しております。

ここ以外に、「高崎鉄道管理局」の表記をした部分が思い出せないの
ですが、私が忘れているだけだと思いますので、どの部分の表記であるか
ご教示頂ければ幸いです。

今後ともよろしくお願いいたします。 Up 6/12 19:22
(ID:FLDrkY)
客車の所属表記の関係
高崎鉄道管理局の所で 高崎客車区が抜けています。 高タカ です。
(ID:25tM1q)
仙コリ(管理人)
Re:テールランプのリングについて
ナロ2051様

テールランプのリング(尾灯円板)のご質問について、私自身には回答できるほどの
知識は無いのですが、過去にこの客車倶楽部で何度か話題になったことがあり、
その際の書き込みから引用させていただくと、

・使用された期間について

 ・スハネ30生様 2013年 4月11日(木)21時52分3秒の書き込みから引用

  ・新製時(昭和26年)から妻板にテールライトが設けられたオハフ60・61、
   スハフ42が最初
  ・その後、戦前型でも改造に拠り車掌室のある客車すべての形式に設置
  ・円板が使用されなくなったのは昭和40年

 ・クモイ103様 2013年12月 1日(日)14時29分7秒の書き込みから引用

  ・「1965(昭和40)年7月15日」、運転取扱基準規程が施行されて円板が廃止された
   (鉄道ピクトリアル2014年1月号「【特集】客車の時代」からの引用)

・電車、気動車特急にてリングが使用されていない件

 ・スハネ30生様 2013年 4月11日(木)21時52分3秒の書き込みから引用

  ・当時この円板が設置されていた車両は、貨車の車掌車(ワフ等の合造車を含む)、
   車掌室のある客車(郵便荷物車を含む)および気動車(特急用キハ81・82を除く)
   ディーゼル機関車のすべてです。
   蒸気機関車と電気機関車では一部の形式に設置されていました。
   設置の目的としては列車の進行方向の視認性を高めるためと思われます
   (単線区間において効果があったようです・・・
   当時から複線化された区間を主に走行していた電車には設置義務なし)

この一連の話題については「倶楽部メモ(掲示板過去ログ)」の「主な話題」
「客車の編成運用についての話題」にまとめてありますので、ぜひご覧ください。
(過去ログの見方は上部説明書きをご覧ください。)

あかつきのナロネ22に関しては、まったくわかりませんでした。
申し訳ございません。
(ID:FLDrkY)
テールランプのリングについて
 表題の件、昭和30年代中頃の写真を見ると客車、気動車のテール
ランプは赤色(朱色)のリングの囲いが有ります。ところが昭和40年頃
の写真になると、リングは半円のみ
又は使用されず、その後40年代半ばになるとリングは使用されなくなります。この10年程の間にリングの
使用規定が変わったのでしょうか?
また、このコーナーには直接関係ありませんが電車、気動車特急にはこのリングは使用されていません。
特別な規定が有ったのでしょうか?
 もし、ご存知ならご教示下さい。
 増結。あかつきのナロネ22 ハードル高かった様ですね。
(ID:5ZWAQ7)
ミキスト
Re 改めて 急行さつま 増結Re
クモイ103様
有難うございます.
増結車扱いの件,なるほど納得いたしました.
号車割り振りもさることながら,その連結位置にも興味がそそられました.乗客の利便性と,車両の運用効率との妥協点なのでしょうか.
連合軍用列車か何かで,尾灯を付けた食堂車が最後尾に連結されてる写真を見たことがありますが,「さつま」の増食堂車の写真も見てみたいところです.
重ねて,ありがとうございました.
(ID:K088gF)
クモイ103
改めて 急行さつま 増結食堂車
先の自分の投稿を読み返していて、
ミキスト様の最初のご質問に完全にお答えしていなかったのではないか?と思い直しました。
[さつま]の食堂車の号車番号が数字でなく「増」になっている点についてです。
(5/4 9:48 の私の投稿の最後で「2号車」と書きましたが「増号車」でしたね。失礼しました。)

改めて1964(昭和39)年10月1日改正時の601レ急行[さつま]の編成をおさらいします。
(主要客車列車編成順序表より)
スハニ(鹿荷47 門司→八代)
マニ(鹿荷1 門司→鹿児島)
オユ(東郵1 門司→鹿児島)
@スハフ43
増マシ49(以上2両:名附1 名古屋→門司)
Aオハネ17
Bナハネ11
C・Dナロ10
F〜I号車ナハ
Jナハフ(以上A〜J9両:本編成・鹿1)
Kスハ
Lスハフ(以上2両:門附4 京都→門司)

すぐに気づくのは、食堂車が「増」で数字を与えられていないのに、
本編成の途中6号車が抜けていることです。

実はこの本編成「鹿1」は、東京→鹿児島間31レ急行[霧島]がメインの仕事で、
[さつま]はいわばアルバイトでした。
霧島の編成は次の通りです。
マニ(鹿荷1 東京→鹿児島)
@オハネ17(門附1 東京→博多)
A〜Dは[さつま]と同じ本編成・鹿1
Eオシ17(鹿附1 東京→鹿児島)
F〜Jも[さつま]と同じ本編成・鹿1
K・Lオハ
Mスハフ(以上3両:熊附1 東京→熊本)

これを見れば明らかなように、「鹿1」の編成は[霧島]の時に6号車にオシ17を組み込み、
さらに編成の鹿児島寄りには寝台車1両の附属編成を連結するため、
A〜D・F〜Jという一見変則的な号車番号になっているのです。
これで[霧島]は1号車から14号車まできれいに揃った編成になりますが、
[さつま]は増結車2両に数字2つが与えられず、食堂車が割を食って「増」になってしまったのです。

なお[霧島]の食堂車も附属編成でこちらは本編成の途中に割り込んでいますが、
東京→鹿児島の全区間に連結されるので、[さつま]と違って増解結は車両基地内で行なわれます。

「鹿1」運用は32レ[霧島]→31レ[霧島]→602レ[さつま]→601レ[さつま]の2往復で、
使用組数は6組です。これを[霧島]と[さつま]で別々の運用にすると、
鹿児島での折返し時間の関係で霧島4組、さつま3組と合計7組の客車編成が必要になります。
限られた車両数を効率的に活用する運用の工夫でした。
(ID:tcoNOk)
クモイ103
Re: モハ30・31改造のオハ70
なはにぃー様

実に返答のしづらいご質問で、やはりなかなか反応がありませんね。
なはにぃー様が戦災復旧客車の模型に対してどこまでの正確性を求められるかによって答えは変わります。

もしも「戦災復旧客車っぽい雰囲気」を求められているならば、妻面や屋根の処理もご自身の感性でそれらしく自由に工作されれば良いと思います。
一般論として、電車の車体を利用とは言っても、だいたい屋根は作り直されてキャンパスが掛けられ、雨樋はドアの上だけちょっと付けられているのがよくあるパターンです。

それに対して、あくまで実車の形態を正確に再現する方向性を求められるならば、実車1両ごとに異なる形態を、写真などで詳細に調査されることをお勧めします。
よく知られている通り、戦災復旧客車は非常事態の中で応急的に製作されたものですから、公式図面はあくまで参考に過ぎません。
損傷した種車の状態、それに復旧を担当した工場の個別の事情に応じて、1両ごとにいわば現物合わせで作られた車両なので、窓配置なども図面通りだったらラッキーです。
例外的にマニ72など同形態でまとまったグループもありますが、基本的に戦災復旧客車の形態は「同じものは2両と無い」と考えるのが出発点です。

ちょうど直近で出版された RM LIBRARY 277〜279「70系戦災復旧客車(上・中・下)」 が優れた解説本になっており、これも含めて写真はあちこちで見ることができますので、まずは画像データを収集されることをお勧めします。
(ID:tcoNOk)
なはにぃー
モハ30・31改造のオハ70
こんばんは。
この度名前を「国鉄マニアのモデラー」から「なはにぃー」に変更致しましたので把握宜しくお願いします。

早速質問なのですが、モハ30・31改造のオハ70の妻面と屋根って種車のまま落成されたのでしょうか?側面の図面しか手元にありませんので全体像がわかりません…。知っている方は教えて下さいm(_ _)m
(ID:/W.3ZO)