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PF
ありがとうございました。
クモイ103様

ご返信ありがとうございました。
私も見返すのですが何度見ても感動します。

確かにEF80の投入に伴い、客車は電気暖房搭載車に変える必要が出てきますね。そこまで頭が回っておりませんでした。

スロ51、54がオロ61に変わったのも改造工事の手間を減らすためだったとは、寝台車も同様の事が起きていたのですね。勉強になります。

改めて映画が撮影された時期が上野〜水戸間無煙化の節目だったのだなと実感しました。
映画の中でも引きのアングルや画角の片隅にEF80、401系、キハ81等が出てきますね。

映画における急行みちのくの編成は昭和37年10月改正後の編成を基本としつつ、様々な編成を流用して撮られた。という所でしょうか。

オロネ10らしき車両、水戸駅の発車シーンでチラリと映りますね。
回復運転のシーンも次位が特ロだったり、ナハフ11のような車両がいたり。

上りの12レ機関車は水戸・上野共にC62-22でした。
実はワンカット、C62-20だったりもします。

クモイ103様、仙コリ様のご返信に重ねて感謝申し上げます。
(ID:.DekIJ)
PF
映画「ある機関助士」と急行みちのくの編成について
仙コリ様

ご返信ありがとうございます。
質問内容があまりにもマイナー過ぎたかなと反省していました。(^^;

昭和37年10月改正前後では編成が異なるのですね。
撮影時のデータと合わせると改正後の編成で撮影していた事になりますね。

仙コリ様の考察と昭和36年10月ダイヤ改正における所定編成を見ると
自分も現車10両の時もあったではと思います。

やはり換算両数「34車」という部分は謎ですね。
ご指摘の通り編成の大半がス級なので、40車前後になりますから…

台本の間違いだったのか、本当に340t編成だったのか。
真相は分かりませんね^^;
(ID:.DekIJ)
クモイ103
Re2: 映画「ある機関助士」と急行みちのくの編成について
「ある機関助士」は時々見返すことがある好きな作品ですが、
撮影に関して深く考えたことはありませんでした。
詳しい事は分かりませんが、関係ありそうな話でお茶を濁させて頂きます。

仙コリ様が言われた撮影期間によれば、確かに37-10改正後でEF80が登場していた筈ですね。
常磐線の客車編成の変遷を考える上で、このタイミングは重要な節目です。
客車を電気暖房搭載車にしなければならなかったからです。

常磐線系統の急行列車の編成史を見ると、それまでスロ51や54が多用されていたものが
この改正を機に軒並みオロ61(→後年冷房化でスロ62)に統一されています。
これは電暖化改造工事の手間を軽減するため、
当時オハ61からの改造によって増備が進んでいたオロ61を電暖付きとして常磐線へ投入し、
非電暖車を他線区へ転属させたためです。
寝台車についても同様の動きがみられ、
以後東北方面のハネ車からはナハネ11(→後年冷房化でオハネ12)がいなくなり、
当時増備が進んでいたオハネ17(→後年冷房化でスハネ16)が主力となりました。

映画の方ですが、3分の遅れを背負って水戸駅を発車するホーム上のシーンでは、
一瞬ですがオロネ10と思しき車両が写っているので、
明らかに「みちのく」とは別の列車が代役を務めています。
また緊迫の回復運転中の走行シーンでは
機関車次位に荷物車でなく特ロが連結されている場面もありますから、
列車シーンはいろいろな材料を寄せ集めたように見受けられます。

さすがに機関車は水戸駅発車シーンと上野駅到着シーンで同じC62 22ですね。
(ID:tcoNOk)
仙コリ
Re:映画「ある機関助士」と急行みちのくの編成について
PF様

映画「ある機関助士」の撮影に使用された急行みちのくの編成についてとの事
ですが、今のところレスも無く、やはり撮影に使われた車両の特定はかなり困難
であると思われます。

実際の撮影日(ネット上の情報によると昭和37年10月25日クランクイン・
昭和38年2月16日クランクアップ)には、舞台である上野-水戸間の牽引機は
電気機関車(EF80)に変更になっているようなので、走行シーンの撮影は
水戸以北で行われたのか、撮影用の臨時列車を運行したのか、はたまた
まったく別の列車を撮影したのかと思われますが、いずれにしても基本的には
その時点での「みちのく」の編成が使用されていた事が多いのではないか
と思います。

一方、物語の設定は上野-水戸間がC62牽引であった昭和37年10月ダイヤ改正前
なので、物語の中のセリフとしては当然C62牽引時代を再現するはずであり、
映像の編成とセリフには乖離があるものと思われます。

昭和37年10月ダイヤ改正直前の昭和36年10月ダイヤ改正における所定編成は
マニ スロ54 スロ51 スシ28 スハ43 スハ43 スハ43 スハフ42 スハ43 スハ43 スハフ42
といった11両編成であったようです。

閑散期には1両程度減車され10両編成での運行もあったのではないかと思われる
ので、現車10両というのはありえたのではないかと思います。
ただ、劇中のセリフでの「現車10両の34車」の「34車」という部分は謎です。
私の認識ではこの部分は換算両数だったと思うのですが、上記編成はほとんどの
車両が「ス」級であり積車換算両数は4.0なので、スハ43の一部がオハ47等に
代わっていても、10両編成では換算両数は40前後になると思われます。

私の認識が間違っているのか?、どなたか詳しいことがわかる方がいらっしゃい
ましたらフォローお願いできればと思います。

参考資料
 改訂版往年の客車列車編成表(アルモデル)
 名列車列伝シリーズ18 東北客車急行(イカロス出版)
 日本国有鉄道監修時刻表 1961年10月号
(ID:FLDrkY)
訂正します
訂正です、
鉄道ピクトリアルは客車特集ではなく、2012年9月号事業用車特集でしたね。
(ID:mxTnAU)
無題
仙コリ様
遅くなりましたが、この度は掲示板内でご教授いただき大変ありがとうございます!!!
鉄道ピクトリアルの客車特集はまだ所持していない本の為、今後時間をかけて探してみる事に致します…

ちなみにメールのハンドルネームについてですが、普段はハンドルネームの通り白帯貨車及び事業用代用貨車の研究調査が忙しい為、あまり事業用客車は白帯車と連結されている写真をあまり拝見していない事もあり、客車についてもあまり不得手の様で、しかもここは客車内に限られる為、貨車倶楽部のサイトがあれば白帯貨車についても発言出来たのですが…

まだまだ客車については勉強不足ですが、これからも宜しくお願い致します…
(ID:mxTnAU)
仙コリ
Re:オハ31改造のオハ41について(12)
なはにぃー様

オハ31改造のオハ41の存在時期ですが、図面について調べているうちに
前述の「鋼製客車形式図」の追録に昭和27年度末の形式別両数表もある
ことに気が付きまして、昭和25年度末両数12両、昭和27年度末両数4両、
昭和28年度末には現車なしとなっていますので、実際に使用されていた
かどうかは不明ですが、昭和28年(1953年)まで実在していたようです。
(ID:FLDrkY)
仙コリ
Re:オハ31改造のオハ41について(11)
竹中@ノーブルジョーカー様

「〇〇系の一族」についてお調べいただきましてありがとうございます。

VC図面については、本物の図面をそのまま掲載している資料は見たことが無く、
「鋼製客車形式図1951(日本国有鉄道車両局)」でさえも元図面そのままでは
なく、文字部分等についてはすべてキャプション表示となっております。

もっとも、VC図面そのものは一部が汚れていたり(私の持っている複写データ
についてのみかもしれませんが)、当時の書き方の文章なので、読み取りが困難
だったりしております。

「オハ31系の一族」に掲載されているオハ41の図面について考えられるのは、
オハ41の公式図面(VC図面)が存在していないため、タネ車であるオハ31の
座席減少車の図面であるVC03312がオハ41の図面であるというのが一般的な認識
として広まってしまっている(定員及び作図年月日が合致しないのですが)
のではないかと思われます。

スハ36の図面は存在する(VC03110)のに、VC03314が掲載されているのは謎を
深めてしまいますが…

なぜオハ41の図面が存在しないのかですが、前述した一覧表における戦時改造
車の図面(VC03105〜VC03112)の直前の図面番号であるVC03102〜VC03104
が欠番となっているので、ここに本来オハ41とオハフ40の図面があり、戦中戦後の
混乱期に紛失?焼失?などにより欠番となってしまった可能性があるのかなと
思います。

また、戦後の座席減少車(VC03311〜VC03315)について記述してある文献は
ほとんどなく、私の調べでもオハ35系だけで、唯一「鉄道ピクトリアル 別冊 
国鉄形車両の記録 オハ35系客車」に通勤客車改造計画として改造内容と図面が
掲載されており、「VC図面には描かれているものの、実際にどの程度の両数が
施工されたかどうかは不明である。」とあるので、特にオハ31系とスハ32系
については、それこそ図面だけで実現しなかった車両(いわゆる幻の図面)である
可能性もあるのかなと思います。

その点からも、戦時改造車の図面(VC03105〜VC03112)と、戦後の座席減少車の
図面(VC03311〜VC03315)が混同されている原因になっているのではないか?
と思われます。

どなかか当時の事情を知っておられる方はいらっしゃらないでしょうか?
(ID:FLDrkY)
竹中@ノーブルジョーカー
Re:オハ31改造のオハ41について(10)
仙コリさま

一族の本を開いてみましたが、悩ましい結果となりました。
最初にお伝えするのは、この本ではVC番号は図のキャプションとして入れられており、図面内に書かれているものが表示されているわけではない、ということです。

一族に掲載されている図面とその番号は仙コリさまの一覧表通りなのですが、戦時下の座席減少工事としてのオハ31→オハ41にVC03312が、スハ32(丸屋根)→スハ36(82〜102)にVC03314が掲載されていました。

番号から3100番代は戦前、3300番代は終戦直後とするのが自然かと思います。
3100番代の図面に比べ、3300番代はクロスシートの撤去数が多く、ロングシートが木製となっています。オハ41の解説に木製のロングシートの図面は戦災復旧車にも使われたようだと記述もあり、混同していた可能性があるのではないか?と思われます。
この一連の本は前号の訂正も載っているのですが、これら図面に関する訂正・修正はありませんでした。

なお、戦後の座席減少車はオハ35(VC03311)、オハフ33(VC03315)のみ記述があり、オハ31系、スハ32系には記述はありませんでした。
(ID:/yQ2.E)
仙コリ
Re:オハ31改造のオハ41について(9)
竹中@ノーブルジョーカー様

謎の多いオハ41ですが、公式資料に両数などが記録されているのにも
かかわらず公式図面が存在していなく、スハ36の図面(VC03110:昭和
18年5月14日作図)とオハ40の図面(VC03109:昭和18年5月14日作図)
は存在するのにオハ41のVC図面は存在しない、同様に緩急車についても
オハフ34の図面(VC03108:昭和18年5月10日作図)とスハフ35の図面
(VC03106及びVC03107:昭和18年5月10日作図)は存在しているのに
オハフ40のVC図面は存在していません。

一方、戦後の座席減少(定員増)改造の図面はオハ31(VC03312:昭和
22年8月25日作図)スハ32(VC03314:昭和22年9月5日作図)オハ35
(VC03311:昭和22年8月18日作図)と存在するのですよね。
ただしこちらは、「鋼製客車形式図1951(日本国有鉄道車両局)」には
掲載されておりません。

参考までに前述の「鋼製客車形式図1951(日本国有鉄道車両局)鋼製
客車形式図目録」及びVC図面記載データから読み取れる、戦時改造車と
戦後の座席減少(定員増)車の各種データを一覧表にしてみました。

ちなみに「オハ31系の一族」に掲載されているオハ41の図面は、先日
私が掲載したオハ31の戦後の座席減少(定員増)車の図面とされる
VC03312の模写とほぼ同じでしょうか?
もしそうであれば、同シリーズの「スハ32系」「オハ35系」をお持ち
でしたら、オハ31系も含めて各形式の戦後の座席減少(定員増)車に
ついて記載されているかどうか教えていただけると助かります。

よろしくお願いいたします。
(ID:FLDrkY)