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国鉄マニアのモデラー
富士、燕(つばめ)以外の特急にEF55が使われた可能性について
こんばんは、国鉄マニアのモデラーです。
EF55は富士、燕、戦後はつばめに使用されていましたが、他の特急の牽引機にEF55が使用されたことはありましたか?
どなたか教えてください🙏
(ID:/W.3ZO)
でる
Re7: 交通科学館食堂車について
太田拓也さま

マシ29の調理室撤去については、Twitterでの書き込みを見ただけですので、真偽は不明です。

とはいえ、そう考えると貴重な本物の全室食堂車の方をアッサリ解体したのも頷けますし、食堂前の看板もしっくりきます。

車内写真や、中で食事した人のお話が聞けるまで待たねばなりませんね。
(ID:vVkxR/)
テツヲヤヂ
RE: スハ32 田子の浦事故復旧車の車内
竹中@ノーブルジョーカーさま
貴重な情報、まことにありがとうございました。
あの車体にあの座席の取り合わせ・・・
違和感ばりばりですね。
乗ってみたかったです。
(ID:BA8Q6q)
竹中@ノーブルジョーカー
RE:スハ32 田子の浦事故復旧車の車内
テツヲヤヂ様

東田子の浦事故の復旧車は興味深いですよね。私はオハフ33の1011と627の写真が撮れたのですが、細かな観察をしていませんでした。
解体待ちで留置されていたオハフ33の1011と1517を調査した報告が法政大学鉄道研究会の会報にあります。これによれば、「両者ともオハ35系と同じ座席である」と書かれています。1517の車内の画像もあるのですが、背もたれのフチはニス塗ではなくグレーのように見えます。近代化改造を受けているので妥当なところでしょうね。

ネガの痛みがひどくてお恥ずかしい写真ですが627をご覧ください。
オハフ33 627 昭和56年11月13日 若桜駅
(ID:TX2e1y)
Re6: 交通科学館食堂車について
横レス失礼します。

マシが解体されたのって、休憩所に改装されて食堂車として保存されてなかったというのが理由だったのですね。小樽のキシ80も同じように改造されていました。なんで食堂車を原形のまま保存しないのか、今となっては貴重な資料なのに。

現存するスシ28は厨房こそ原形をとどめてますが、スハシを引退後に改造したため窓割りが不自然、旧客ではありえない横2+2といった違和感があります。ナシ20搬入後はかき氷でしか使われなかったようですが、1999年に食堂車100周年の企画展の関連で戦前の「富士」を再現したメニューで営業されたことがあります。京都鉄道博物館2階のどこかにあった食品サンプルと同じものが提供されました。
(ID:B2Sdos)
仙コリ様
明瞭な返答ありがとうございました。なるほど寝台列車を含めて臨時
列車の設定が7往復有り、1974〜1975年の年末年始輸送が終了すれ
ば10系ハネの廃車が多数発生する
のも納得です。
 今さらですが、西日本から(勿論
JRではない)10系寝台が九州内を除いてほぼ壊滅状態になり、20系客車が東海道山陽から大幅に撤退するゴーマルサン迄が最後の客車ファンにとってよき時代だった気がします。(といってもほぼ半世紀前の話です。)
とって
(ID:5ZWAQ7)
仙コリ
Re:ある疑問
ナロ2051様

ゴーマルサン前後の日付で尾久にて廃車になった10系寝台車についてですが、
手持ちの資料を調べてみても、明確な回答にはたどり着けなかったので、
あくまでも推測ですが、

ゴーマルサン前後での廃車両数ですが、
1974/12 5両 1975/1 11両 1975/2 12両 1975/4 13両 1975/6 13両
といったように、期間を約半年に広げると50両以上が廃車となったようです。
この要因としては、十和田のゆうづる格上げが大きかったと思われます。

昭和49年8月の時刻表を見ると、十和田は定期2往復、臨時7往復が設定され、
ハネの両数は19両×2(往復分)で38両となっています。
なお、臨時列車分の両数は他の資料からの推測ですが、時刻表の編成表に掲載
されていない臨時列車(下り1号、上り2号)の編成はハネのみの12両であった
可能性が高いと思われます。

いっぽう、昭和50年3月の時刻表を見ると、十和田は定期2往復、臨時2往復に
激減しており、ハネの両数は1両×2(往復分)で2両のみとなっています。
時期(季節)による差がある可能性はありますが、この通りであれば、36両の
余剰車が発生したことになります。

常磐線におけるハネの全体両数としては、特急「ゆうづる」の増発・増結分で
22両×2(往復分)の44両が増えているので、問題はなかったものと思われます。

あくまでも私の推測ですが、以上のような理由によって、この時期に多くの
10系寝台車が廃止になったものと思われます。
(ID:FLDrkY)
でる
Re5: 交通科学館食堂車について
クモイ103様、竹中@ノーブルジョーカー様

貴重な情報、そして写真ありがとうございます。
お二人の写真から様々見え隠れしてまいりますね。

クモイ103様の最初の投稿時点では、あぁやはりマシ入館後はスシではなくマシ側での営業であろうな・・と思っておりました。その後、竹中様の写真で、食堂メニューはスシ側に、幕の内などの弁当メニューがマシ側にということを確認。自分でも調べてみるうち、真偽不明ながら「マシは厨房設備を全て撤去されていた」との書き込みを発見。

その時点での想像は・・科学館には一階展示スペース側にカラス張りの弁当売り場(兼中で食べれるスペース)がありましたね。そこで・・・

・マシ入館後も食堂はスシにて営業。マシは厨房が撤去された広いスペースを使った弁当の販売と飲食場。

これが正解かと思われたのですが、クモイ103様ご指摘のナプキンのこと。確かにナシ20時代は芦の家さんが相当きちんと「食堂」営業をしていましたね。子供でしたのでいつもカレーかスパゲッティでしたが、きちんとその場で調理されたものも提供されていたはずです。それ以前も同じとイメージすると、スシの窓からそういったナプキンのようなものが見えないというのもおかしなことに思えます。

当時実際に飲食をされた方のお話、或いは内部写真が出てきて欲しいものです。

さて先日の書き込みとクモイ103様が下さったお返事に関してです。当時毎夏行っていた科学館。記憶にある中でかき氷はただ一回でしたもので、鮮烈に覚えており、調理室の中まで覗かせてもらってバイトのお姉さんに笑われました。なので一夏だけ、と思っておりましたが1989年には既に祖父も亡くなってその頃は行っておりませんので、私が科学館に祖父訪問の一連の流れの最後に行った時がかき氷初回だったのかもしれません。

ナシ20につきまして、当24号車は20系「あさかぜ」最終日近くまで営業に入っていた車両ですから、置き換わったのは早くとも昭和53年以降ではないかと思われます。僭越ですみません。

長年の疑問がだんだんと解け、珍しい画像も見せていただきながらの楽しいやりとり、とてもうれしく思います。ありがとうございます!
(ID:Qax0Fq)
クモイ103
Re4: 交通科学館食堂車について
竹中@ノーブルジョーカー様

交通科学館にマシ29 107が居た時代の貴重な写真をありがとうございます。
ところで1989年7月23日に私が撮った写真を見返したところ、
営業中のナシ20には窓からナプキンなどの調度品が見えます。
竹中様の写真ではスシ28の窓にそのようなものが見当たりませんので、
果たしてこちらは営業していたのかと疑問が生じました。
(ID:tcoNOk)
竹中@ノーブルジョーカー
Re: 交通科学館食堂車について
でる様

交通科学館に行った時の画像がありましたのでご覧ください。
スシ28301で営業していたようでメニューが見えますが、記憶のほうは全くありません・・・
撮影日は昭和50年(1975)10月25日です。
(ID:TX2e1y)