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旧田端運転所(尾久車両センター?!)の某車両について
仙コリ様
時期があやふやですいませんです。
D51がまだ放置(留置)されていた時ですからそのへんですねー
ブルーではなく黒いシートが車両全体にかけられていました。
テンダーの後方がつぶれ、運転台の右側が大破していました・・・
さて、
当時写真を撮っていたんですが気が付いたらどこにも見つからず
保線員の方に中に入れてもらったこともあり、話の中に救護車という言葉が脳裏にあって、その記憶ですが、
いつも右側の線に二両留置されていて青っぽい車両と茶色の車両でした。
たまに二線に三両入っていることもありました。
さっそくマヤ38をWebで見てみました。
青っぽいやつが似ているかもしれません。
ただ、このマヤ38は、さらに尾久車両センター側の北斗星の予備車両が入っていた検収庫にいたものとそっくりです。
なにぶん子供の頃の話なのでごちゃまぜになっている可能性もあります。
でもかなり近づけたと思います。
かなりすっきりしました。
ありがとうございます!!!
写真出てきましたら共有いたします。
(ID:pZddlZ)
仙コリ
Re:旧田端運転所(尾久車両センター?!)の某車両について
bb様

旧田端運転所に留置されていた三軸ボギー台車の客車が何であったかですが、
書き込みいただいた情報からだけですと時期が特定できないのですが、三河島
事故車のD51が横に留置されていたとの事で、三河島事故が昭和37年5月3日、
ネット上で調べると事故車両のD51 364が解体されたのが昭和47年8月頃と
されているので、この間である昭和39年・43年の国鉄車両配置表で尾久配置車
を調べてみると、三軸ボギー台車の客車に該当する車両は車輌性能試験用の
試験車であった マヤ38 51 だけであるようです。

書き込んでいただいた情報では「救護車」「多い時は三両くらい」とあるので、
この マヤ38 51 ではない可能性もありますので、詳しい情報をお持ちの方が
いらっしゃいましたらフォローしていただけると幸いです。
(ID:FLDrkY)
旧田端運転所(尾久車両センター?!)の某車両について
こんにちは
某サイトから紹介されましてここでお聞きしたいことがあります。
(もしかしたら過去レスにすでに上がっているかもしれませんが・・・)
知っていらっしゃる方がいらしたら教えてもらいたいことがあります。
もう何年も知りたかったことです。
幼少期の話ですが、
尾久車両センターに割と近くに住んでいたので
今の尾久車両センターと旧田端運転所の中間あたりの
現在の「上中里つつじ苑」が出来る前の空き地でよく
草野球をしていました。
入り口には馬頭観音、お地蔵さんのあるところです。
そばには三河島事故車のD51も横に留置されていました。
(つまり傷おいのD51がまだあった頃です。その後方では、スハ43のような古めな客車が上野へ推進運転してゆく姿も見られました。)
その空き地と現在の新幹線基地との間を分ける今も現存する道路が
あり、その道際に尾久でよく見られた長屋のような検収・格納庫がありました。
その中をよく除いていました。
現在のJR保守関連会社がある場所です。
格納庫の中には、救護車なる当時すでに古めな茶色の客車が入っていました。
何故興味をもって見ていたかというと、
台車が三軸ボギーだったからです。
幼少の自分には客車の台車は車輪が二個と決まっていたので
不思議で仕方なかったからです。
この救護車と思われる車両の形式をずっと調べていました。
おそらく、
スエxx、とかだと思うのですが色々あるようで特定できません。
多い時は、二線あったので三両くらい入っていました。
xxを、知っていらっしゃる方いるかなあ?!と思ってお聞きしました。
(ID:pZddlZ)
竹中@ノーブルジョーカー
RE:郵便車の自車電源による冷暖房について
ナロ2051様
始発駅や列車継走時に機関車を連結していない状態でも冷暖房を稼働できるよう自車の発電機から給電する機能を持っていると聞いています(連絡船の船内でも稼働していたのか?これは不明です)。
天井水槽を採用していたのも同様の理由で、天井水槽の荷物車もありましたね。
(ID:/yQ2.E)
クモイ103
JRも歴史になった
本日2025年1月28日は歴史の節目?

かつて公共企業体日本国有鉄道は
1949年6月1日に発足し、1987年3月31日で役目を終えました。
存在期間は13,818日でした。
翌日の1987年4月1日に発足したJR各社は
本日をもって存在期間が13,818日となり、
日本国有鉄道に並びました。

私も年をとるわけだ…と思った人も多いのでは?
(ID:tcoNOk)
仙コリ
Re3:20系天の川併結のスユ16について
ナロ2051様

オユ14形式・スユ16形式について、ある程度推測になってしまいますが…

両形式の最大の特徴のひとつが、TR217E台車とCLブレーキ装置の搭載により
110km/h走行が可能となっている点であり、ピクトリアル818号のP48には、これに
よりブルートレイン連結可能となったとあります。

結果として20系客車との連結は「天の川」だけとなったようですが、所有者である
郵政省の思わくとしては、将来的な寝台特急列車などとの連結というも想定して
いたのではないでしょうか?
(ID:FLDrkY)
竹中@ノーブルジョーカー様仙コリ様
オユ14スユ16についてのご返答ありがとうございました。ただ、直ぐに疑問が浮かびました。牽引機関車がSG EG装備なら自車発電機による
暖房は必要無いと思うのです。
自分が質問した天の川の編成は極めて特殊で、関門間もしくは米原田村
間或いは本線間の繋ぎ変え中(例えば東海道線から山陰本線)の対策なのでしょうか。
(ID:5ZWAQ7)
仙コリ
Re2:20系天の川併結のスユ16について
ナロ2051様

20系天の川併結のスユ16について、すでに竹中@ノーブルジョーカー様からお答えを頂いて
おりますが、補足情報としてピクトリアル670号「国鉄形(10系)軽量客車・座席車編特集」に、

オユ14・自車の冷房用電源を使用した電気暖房を設置
   ・電気暖房引通しは設けず、蒸気暖房管のみ設置

スユ16・オユ14形式に一般電気暖房の引通しを追加
   ・機関車電源による電気暖房も可能
   ・トランス等の設備増加による重量増加によりスユとなった

といった内容の記載がありました。
参考になりましたら幸いです。
(ID:FLDrkY)
竹中@ノーブルジョーカー
re:20系天の川併結のスユ16について
ナロ2051様

ピクトリアル818号のP30にオユ14、スユ16とも自車の冷房用電源からの給電による電気暖房を持っていると書かれています。
(ID:dNlI1Q)
20系天の川併結のスユ16について
タイトルのスユ16ですが、自車で
ディーゼル発電機を装備しており
冷房は問題は無いのですが、電暖
2000番台暖房はどうしていたので
しょうか?上り列車は機関車の次位
で疑問は無いのですが、下りは最後部連結です。20系には電暖引き通しが有るはずも無く自車のディーゼル発電機で暖房電源も供給していた
のでしょうか?
(ID:5ZWAQ7)