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なはにぃー
ホシ3307について
お久しぶりです。
2008年3月26日に投稿されていた下記の編成についての質問なのですが、ホシ3307とは一体何者なのかどなたか教えて頂けませんか?あと、マニMB-3201についても教えて欲しいですm(*_ _)m

1954.10.24 急行「十和田」 1201列車 東京→青森
 EF56 9 浜
 ホシ3307
 マロネフ38 2 仙台行
 スハフ42 259
 スハフ42 125
 スハ43 251
 スロハ32 2
 マシ29 2
 スロ60 29
 マロネ29 25
 マロネ29 31
 マイネ38 5
 カニMB-3201
 マニ31 28
(客車の配置区は全て東シナ)
(ID:/W.3ZO)
白帯は事業用代用貨車の意味なので
bb様、
ここは客車関係ですが、一応私から白帯の意味を説明しますので…。
白帯というのは事業用代用貨車と言える、一般用と区別する為に有蓋車、無蓋車等に白帯が巻かれていました。配給車代用、救援車代用等が多かったかと思われます。(中には巻いていない車両や緑帯青帯もありました)

私は2002年生まれ山口県在住なので、事業用客車と同じで一度も地元でも見かけず、撮影もしていない中の貨車ファンですが、白帯を巻いた貨車及び事業用代用貨車は当方が大好きなうちの一つなので…

質問なのですが、bb様は白帯を巻いた貨車及び事業用代用貨車については一度も地元などで実車現車を見かけた事や撮影した事や車番等記録資料をお持ちでしょうか?
(ID:mxTnAU)
Re:xx 旧田端運転所(尾久車両センター?!)の某車両について
こんにちはー
マロネフですかー
なんだかこの屋根見たことあるような気がします。
しかも三軸ですね・・・おおお

白帯とは、北斗星のような金帯が白になっていることかな?!
左側にいたのが二本入っていたような気がします。
(白かは不明です・・・)

既述ですが、写真を撮っているので実家物置やごみ溜めを
ひっくり返して探したいと思います。
(ID:pZddlZ)
田端運転所に救援車代用の貨車は連結されてました?
bb様

田端運転所のスエxxという救援客車に白帯を巻いたか巻いていない救援車代用の貨車って連結されていましたか?

私は事業用車の研究調査をしていて形式写真や当時の記録資料を探しているのですが、なかなか救援客車か配給客車等の鉄道写真に白帯及び事業用代用の貨車が連結された実車現車の記録メモノートや形式写真が見つからなくて…

本当なら白帯を巻いた貨車及び事業用代用貨車関係は貨車の掲示板か事業用車の掲示板で呟きたいのですが、なかなか貨車の掲示板や事業用車の掲示板があんまり無いので…
(ID:mxTnAU)
仙コリ
Re3:旧田端運転所(尾久車両センター?!)の某車両について
bb様

マヤ38は別の検収庫にいたものとそっくりとのことで、やはりマヤ38ではなかった
ようですね。

次の可能性としては、最初にbb様が書き込まれたスエxxである「救援車」なのですが
当時関東地方に在籍した三軸ボギー台車の救援車としてはスエ38が6両存在しますが
救援車は元荷物車等であり、外観がマヤ38に似ているということはありません。

ということで、ここからは推測というよりも推理になってしまうのですが、そもそも
「救護車」という車両分類?を聞いたことがないので、非公式である車両であり、廃車
済みの車両で車籍は無いのではないか?

「救護車」という名称から、広大な敷地である運転所?客車区?において急病人が発生
した場合の一時救護場所であったのではないか?また、元マイネロであったマヤ38に
似ているという点から元寝台車ではないかと考えられます。

と考えると、ちょうどこの頃に廃車となっている三軸ボギー台車の寝台車が数両あり
まして、マロネ29・マロネ39・マロネフ58が昭和40年頃、マロネフ29・マロネフ38が
昭和42年頃に数両(品川・尾久配置車トータルで19両)廃車となっているので、
このうちの数両が廃車後に非公式に「救護車」として使用されていたのではないか?
と推理しました。

あくまでも私の勝手な推理であり、的違いである可能性の方が高いものですが、
ここから何か思い出していただける方などがいらっしゃいましたらフォローして
いただければ幸いです。
(ID:FLDrkY)
旧田端運転所(尾久車両センター?!)の某車両について
仙コリ様
時期があやふやですいませんです。
D51がまだ放置(留置)されていた時ですからそのへんですねー
ブルーではなく黒いシートが車両全体にかけられていました。
テンダーの後方がつぶれ、運転台の右側が大破していました・・・
さて、
当時写真を撮っていたんですが気が付いたらどこにも見つからず
保線員の方に中に入れてもらったこともあり、話の中に救護車という言葉が脳裏にあって、その記憶ですが、
いつも右側の線に二両留置されていて青っぽい車両と茶色の車両でした。
たまに二線に三両入っていることもありました。
さっそくマヤ38をWebで見てみました。
青っぽいやつが似ているかもしれません。
ただ、このマヤ38は、さらに尾久車両センター側の北斗星の予備車両が入っていた検収庫にいたものとそっくりです。
なにぶん子供の頃の話なのでごちゃまぜになっている可能性もあります。
でもかなり近づけたと思います。
かなりすっきりしました。
ありがとうございます!!!
写真出てきましたら共有いたします。
(ID:pZddlZ)
仙コリ
Re:旧田端運転所(尾久車両センター?!)の某車両について
bb様

旧田端運転所に留置されていた三軸ボギー台車の客車が何であったかですが、
書き込みいただいた情報からだけですと時期が特定できないのですが、三河島
事故車のD51が横に留置されていたとの事で、三河島事故が昭和37年5月3日、
ネット上で調べると事故車両のD51 364が解体されたのが昭和47年8月頃と
されているので、この間である昭和39年・43年の国鉄車両配置表で尾久配置車
を調べてみると、三軸ボギー台車の客車に該当する車両は車輌性能試験用の
試験車であった マヤ38 51 だけであるようです。

書き込んでいただいた情報では「救護車」「多い時は三両くらい」とあるので、
この マヤ38 51 ではない可能性もありますので、詳しい情報をお持ちの方が
いらっしゃいましたらフォローしていただけると幸いです。
(ID:FLDrkY)
旧田端運転所(尾久車両センター?!)の某車両について
こんにちは
某サイトから紹介されましてここでお聞きしたいことがあります。
(もしかしたら過去レスにすでに上がっているかもしれませんが・・・)
知っていらっしゃる方がいらしたら教えてもらいたいことがあります。
もう何年も知りたかったことです。
幼少期の話ですが、
尾久車両センターに割と近くに住んでいたので
今の尾久車両センターと旧田端運転所の中間あたりの
現在の「上中里つつじ苑」が出来る前の空き地でよく
草野球をしていました。
入り口には馬頭観音、お地蔵さんのあるところです。
そばには三河島事故車のD51も横に留置されていました。
(つまり傷おいのD51がまだあった頃です。その後方では、スハ43のような古めな客車が上野へ推進運転してゆく姿も見られました。)
その空き地と現在の新幹線基地との間を分ける今も現存する道路が
あり、その道際に尾久でよく見られた長屋のような検収・格納庫がありました。
その中をよく除いていました。
現在のJR保守関連会社がある場所です。
格納庫の中には、救護車なる当時すでに古めな茶色の客車が入っていました。
何故興味をもって見ていたかというと、
台車が三軸ボギーだったからです。
幼少の自分には客車の台車は車輪が二個と決まっていたので
不思議で仕方なかったからです。
この救護車と思われる車両の形式をずっと調べていました。
おそらく、
スエxx、とかだと思うのですが色々あるようで特定できません。
多い時は、二線あったので三両くらい入っていました。
xxを、知っていらっしゃる方いるかなあ?!と思ってお聞きしました。
(ID:pZddlZ)
竹中@ノーブルジョーカー
RE:郵便車の自車電源による冷暖房について
ナロ2051様
始発駅や列車継走時に機関車を連結していない状態でも冷暖房を稼働できるよう自車の発電機から給電する機能を持っていると聞いています(連絡船の船内でも稼働していたのか?これは不明です)。
天井水槽を採用していたのも同様の理由で、天井水槽の荷物車もありましたね。
(ID:/yQ2.E)
クモイ103
JRも歴史になった
本日2025年1月28日は歴史の節目?

かつて公共企業体日本国有鉄道は
1949年6月1日に発足し、1987年3月31日で役目を終えました。
存在期間は13,818日でした。
翌日の1987年4月1日に発足したJR各社は
本日をもって存在期間が13,818日となり、
日本国有鉄道に並びました。

私も年をとるわけだ…と思った人も多いのでは?
(ID:tcoNOk)