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テツヲヤヂ
スハ32 田子の浦事故復旧車の車内
復旧工事の際に車体をスハ43系の完全切妻車体と同様として幅1000mmの広窓となったことからオハ35に編入された話は有名ですが、座席はどのような形態だったのでしょうか。
車体形状に合わせたスハ43タイプの背ズリ二段で頭もたせ付だったのか、種車のスハ32や編入されたオハ35と同様の平板にモケット付き背ズリものだったのか、それとも当時最新鋭だった軽量客車タイプ?
いろいろ探してみましたが外観の画像はあっても車内見付の画像が見当たりません。
外観写真の窓からのぞく車内も判別できないようなものばかりです。
ご存じの方がおいでになりましたらご教授いただけると幸いです。
(ID:JwNAR8)
ある疑問
10系寝台ファンのバイブル?のP誌
2022年10月号の配置変遷表題を見ての疑問ですが、ゴーマルサン前後の日付でスハネ16.オハネフ12合計30両程が尾久で廃車になっています。当時の尾久の受け持ちは津軽
2本、おが、妙高、十和田でハネの
連結両数見直し、十和田のゆうづる
格上げがあったとしても廃車両数が
多過ぎる気がします。操配用または
予備車の大幅な見直しが有ったのでしょうか?
(ID:5ZWAQ7)
クモイ103
Re2: 交通科学館食堂車について
補足です。
前投稿でアップしたスシ28の撮影日は1989年7月23日、
鉄博のTR73は2009年8月14日です。
(ID:tcoNOk)
クモイ103
Re: 交通科学館食堂車について
でる様

交通科学館で展示されていたマシ29 107をご覧になっているとのことで羨ましく感じます。
その当時は大阪方面に縁がなくお答えすることが出来ませんが、後にナシ20に代わってからの状況を考えると、やはり少なくとも通常はマシだけで営業していたのではないでしょうか?(全く自信なし)

スシ28でかき氷が提供されていたのは一夏だけのこと?でしたか。幸運な所に出くわしたものです。ただナシ20で食事をしただけでスシ28に入らなかったのが今となっては悔やまれます。


スシ28 301(本当はスハシ38 102)は昭和37年の同館開設当初から展示されていた古株で、マシ29 107は廃車が昭和41年度末なのでその後という事になります。
マシがナシに置き換わったのは昭和51年頃とのことで、解体されたマシが履いていたTR73形台車の片方だけが東京神田の交通博物館に保存・展示され、現在は大宮の鉄道博物館で見ることが出来ます。
(ID:tcoNOk)
でる
訂正
マシスハシ ですね。↓
いくつかおかしくなってしまっています。すみません。
(ID:vVkxR/)
でる
交通科学館食堂車について
マロネ58に引き続き、少し質問させてください。

初めて交通科学館に行きましたのは昭和53年ごろ、当時大阪に住んでいた祖父母を休みには訪ねる習慣になっていましたので、祖父にねだって連れて行って貰ったのでした。それが客車趣味に火をつける事になってしまいました。

2両ある茶色い古い食堂車でしたが、ちょうどマシ29解体→ナシ20搬入の前あたりだったようで、マシスシ(スハシ)両方とも営業しておらず、長い間のご愛顧感謝 のような張り紙がしてありました。

その次に行ってみると、なんとマシは解体中で大いに驚いたのを覚えています。

さてこの2両、どのような使われ方をしていたのでしょうか。まず最初にスハシがあり、その後マシが仲間入りしたのだったと思います。2両とも営業していたのでしょうか?それともスシでの営業開始後はスハシでの営業は無くなったのでしょうか。

科学館のナシ20には随分昼食のお世話になりましたし、今となっては現存唯一の貴重な車両ですが、当時はまだまだ真新しい製造後数年の車両が早くも博物館入りし、茶色い客車を駆逐したのも腑に落ちない感じがしていました。

スシスハシでの食事の経験のある方、内部の状況など教えて頂けましたら嬉しいです。営業当時の情報が写真を含め見つける事が出来ません。

スハシは、確か一夏だけ「かき氷」を食べさせるために営業されており、その時に車内を楽しめたのが懐かしいです。
(ID:vVkxR/)
クモイ103
Re5: マロネ58について
でる様

他客車系サイトで公開していた「イネ格下げロネ」と「食堂車」について
ご記憶頂いていて有難うございます。
当該サイトが管理人氏のご都合でやむなく閉鎖されたのは残念でした。
かつて神田の交通博物館の図書室で文献を漁って書いたもので、
そのうちまたどこか発表する機会があればとも思っていますが、
今のところ具体的な計画には至っていません。
web上でなく紙媒体に残す事が出来れば一番良いのですが。

マロネ58を含む特別な優等客車は用途があっても稼働率は低く、
客車区で鎮座していることが多かったと思われます。
そこでモデラ―的には、こうした客車で架空の臨時列車を仕立て、
模型で具現化するものまた一興です。
各模型鉄道の「社長専用編成」などと妄想が広がります。
すみません、余計な脱線話でした。
(ID:tcoNOk)
なぜオハネ12は電暖化されなかったのか
文献では「ナハネ11は重量区分ギリギリなので電暖化できなかった」という記述がありますが、同じく重量区分ギリギリだったオハネ17の台車の扱いから「重量区分ギリギリのハネに電気暖房と冷房を搭載しても2ランク上昇はない」ことがわかります。

つまりオハネ12であれば電気暖房を搭載可能だったのになぜ改造例がなかったのでしょうか? 既に配置が固まっていて動かしたくなかったというのはあるでしょうが、東日本の現場が軽いオハネ12を欲しがったりしなかったのでしょうか?(西日本は重量より長さの上限が先に来やすいのでスハネ16でもよい)
(ID:B2Sdos)
仙コリ
Re:オハネフ12 2003の廃車について
オハネフ12 2003の廃車についてですが、確かに冷房改造の数か月後に廃車となっている
車両でありますが、個々の車両の廃車理由については大きな事故による廃車や戦災による
廃車を除いて、理由が明確になっていない車両がほとんどですよね。

ご推測のとおり、この車両は急行「天の川」にて使用されていたようなので、事故等を含む
突発的な理由による廃車であれば、運用上必要となる代わりの車両がすぐに用意されたと
思われるので、当時の新潟への配置状況を調べてみると

1965/3/31及び1966/3/31及び1967/3/31
ナハネフ10 2008 2009 2011

1968/3/31
オハネフ12 2003 2076 2093

1969/3/31
オハネフ12 2076 2093 2094

となっていて、2003が廃車となった年度中に2094が代わりに配置となっているので、やはり
2003は事故等を含む突発的な理由による廃車であることは間違いないと思われます。

ところで、この配置車両の変遷ですが、新潟配置のナハネフ10の3両が、そのまま冷房改造
されて再び新潟配置となったわけではなく、推測ではありますが、当時予備車両の余裕が
あった?盛岡配置のナハネフ10 2079が冷房改造されオハネフ12 2003となり新潟に転属
となり、順次ナハネフ10 2009→オハネフ12 2076 ナハネフ10 2008→オハネフ12 2093
と冷房改造され、オハネフ12が3両そろった頃に、残ったナハネフ10 2011が代わりに盛岡に
転属となったと思われます。

ところが運命のいたずらか、最初に冷房化されたオハネフ12 2003が短期間で廃車となって
しまい、代わりに盛岡から転属してきたのが新潟から転属したナハネフ10 2011が冷房改造
されたオハネフ12 2094であったという不思議なめぐり合わせの転属となったようです。

ちなみに、この2両(ナハネフ10 2011と2079)が、どこかで入れ替わったのではないかと
疑ってしまったのですが、1968/3/31時点の配置表でそれぞれ別に配置(ナハネフ10 2011
は盛岡、2079が冷房改造されたオハネフ12 2003が新潟)されているので、そこまでの
ミステリー的要素はなかったようです。

といったところですが、配置状況と冷房改造の履歴以外のほとんどが推測でありますので、
どなたか、オハネフ12 2003の廃車理由、及び上記転属の転属日等の情報をお持ちの方が
いらっしゃいましたら、フォローしていただければ幸いです。
(ID:FLDrkY)
オハネフ12 2003の廃車について
表題の車輌、冷房改造後わずか7ヶ月後の1968年8月26日付で廃車に
なっています。配置は新潟なので
急行天の川に使用されていた車輌
だと思われますが、廃車の理由を
ご存知のかたおられますか?推測
ですが、事故による廃車だと思い
ます。
(ID:5ZWAQ7)