仙コリ
Re7:急行「大雪」崩れの124レにつきまして
「大雪」崩れの124レの編成につきまして、手持ちの資料とWebで公開
されている編成をまとめてみました。

(Web掲載の名称はぼかさせていただきました…バレバレですが…)
特に全区間走破(上り列車のみ)の荷物車について、時刻表に掲載されている
編成表上で、下り列車の運行区間(札幌→網走)のみが記載され、これと
異なる上り列車の運行区間(網走→函館)に関する記載が省略されている?
ため、主にWeb上の編成表が影響を受けているように見受けられます。
実際には一次資料を参照できることは少なく、また時刻表に掲載されている
情報は、比較的信頼される情報だと思うので難しいところですが、このように
状況によっては必ず正しいというわけではなく、そういった意味でも当時の
写真などは、日時と場所が正確であれば一番信頼のおける情報となりますね。
別件で、前回の私の書き込みで、荷物車の連結場所について書きましたが、
荷物車(ニ)と郵便荷物車(ユニ)についても荷物車が優先されるのか?
について自信がなく、再度調べてみたところ、同時期の北海道の急行列車に
おいて、上り1218レ「すずらん6号」において、途中駅から増結される
スユニがマニの前位に連結されており、上り418レ「狩勝3号」・上り
104レ「ニセコ1号」にいたっては、全区間連結の荷物車と郵便荷物車が
前位からオユ・マニの順序で連結されていたようなので、前回(Re3)の
私の書き込みは間違っておりましたので、お詫びさせていただきます。
「大雪」崩れの124レの編成につきまして、手持ちの資料とWebで公開
されている編成をまとめてみました。

(Web掲載の名称はぼかさせていただきました…バレバレですが…)
特に全区間走破(上り列車のみ)の荷物車について、時刻表に掲載されている
編成表上で、下り列車の運行区間(札幌→網走)のみが記載され、これと
異なる上り列車の運行区間(網走→函館)に関する記載が省略されている?
ため、主にWeb上の編成表が影響を受けているように見受けられます。
実際には一次資料を参照できることは少なく、また時刻表に掲載されている
情報は、比較的信頼される情報だと思うので難しいところですが、このように
状況によっては必ず正しいというわけではなく、そういった意味でも当時の
写真などは、日時と場所が正確であれば一番信頼のおける情報となりますね。
別件で、前回の私の書き込みで、荷物車の連結場所について書きましたが、
荷物車(ニ)と郵便荷物車(ユニ)についても荷物車が優先されるのか?
について自信がなく、再度調べてみたところ、同時期の北海道の急行列車に
おいて、上り1218レ「すずらん6号」において、途中駅から増結される
スユニがマニの前位に連結されており、上り418レ「狩勝3号」・上り
104レ「ニセコ1号」にいたっては、全区間連結の荷物車と郵便荷物車が
前位からオユ・マニの順序で連結されていたようなので、前回(Re3)の
私の書き込みは間違っておりましたので、お詫びさせていただきます。
(ID:A7IzXv)
急行「大雪」崩れの124レにつきまして
クモイ103様
追加の詳細情報をありがとうございました。
私は、ヨンサントオ前(S43.8.10)にも同列車を小沢にて撮影しております。
この時の列車名は「石北」崩れ124レだったと思います。
この時も普通車は6両、マニとスユニがD51の次位に連結されておりました。
画像は前回のコメントに含めましたが、再度アップいたします。
実際のところは、雑誌や資料、書籍などより当時の写真が一番たよりになるわけですね。
クモイ103様
追加の詳細情報をありがとうございました。
私は、ヨンサントオ前(S43.8.10)にも同列車を小沢にて撮影しております。
この時の列車名は「石北」崩れ124レだったと思います。
この時も普通車は6両、マニとスユニがD51の次位に連結されておりました。
画像は前回のコメントに含めましたが、再度アップいたします。
実際のところは、雑誌や資料、書籍などより当時の写真が一番たよりになるわけですね。
(ID:qaeSqm)
クモイ103
Re5:急行「大雪」崩れの124レにつきまして
studio4310様
ARC資料館様は、多数の情報を体系的に整理する地道な作業の結果を掲載されていて、その取り組みは敬意に値すると思います。
但し、さすがに情報量が膨大すぎて、たまに「あれっ?」という部分もあります。
仙コリ様が引用された「ヨンサントオ国鉄白紙ダイヤ改正 全国版優等列車編成順序表」(復刻版:ネコ・パブリッシング)は、国鉄内部資料をそのままコピーしたものなので、ほぼ一次資料と言って良いと思います。くだんの大雪6号〜124レをはじめとする客車列車関係の部分は、鉄博のライブラリーで閲覧できる「主要客車列車編成順序表」(昭和43年10月1日現在)そのものです。
studio4310様が引用されたARC資料館様の情報をこれと照らし合わせると、次の3点の違いが見られます。
・荷物車(2)は札幌−網走とありますが、下り札幌→網走、上り網走→函館です。
・荷物・郵便車は函館−釧路とありますが、函館−網走です。
・10号車は小樽−北見とありますが、倶知安−北見です。
なお、studio4310様の最初のコメントに「網走―函館間の通し運転の6両普通車」とありますが、通し運転の普通車は5両です。しかし10号車が小樽でなく倶知安まで連結されたとすれば、小沢では普通車が6両となって、studio4310様のお写真と符合します。
その写真をアップ頂けるとのことで、楽しみです。
studio4310様
ARC資料館様は、多数の情報を体系的に整理する地道な作業の結果を掲載されていて、その取り組みは敬意に値すると思います。
但し、さすがに情報量が膨大すぎて、たまに「あれっ?」という部分もあります。
仙コリ様が引用された「ヨンサントオ国鉄白紙ダイヤ改正 全国版優等列車編成順序表」(復刻版:ネコ・パブリッシング)は、国鉄内部資料をそのままコピーしたものなので、ほぼ一次資料と言って良いと思います。くだんの大雪6号〜124レをはじめとする客車列車関係の部分は、鉄博のライブラリーで閲覧できる「主要客車列車編成順序表」(昭和43年10月1日現在)そのものです。
studio4310様が引用されたARC資料館様の情報をこれと照らし合わせると、次の3点の違いが見られます。
・荷物車(2)は札幌−網走とありますが、下り札幌→網走、上り網走→函館です。
・荷物・郵便車は函館−釧路とありますが、函館−網走です。
・10号車は小樽−北見とありますが、倶知安−北見です。
なお、studio4310様の最初のコメントに「網走―函館間の通し運転の6両普通車」とありますが、通し運転の普通車は5両です。しかし10号車が小樽でなく倶知安まで連結されたとすれば、小沢では普通車が6両となって、studio4310様のお写真と符合します。
その写真をアップ頂けるとのことで、楽しみです。
(ID:1oZdnv)
急行「大雪」崩れの124レにつきまして
仙コリ様、クモイ103様
貴重な情報をお教えいただき、感謝いたします。
私が閲覧した記述は、「ARC資料館」からになります。
以下がその内容でした。
S43.10.1〜S45.9.30 123レ〜517レ〜1527レ、1528レ〜518レ〜124レ
函館−網走(下り6号、上り6号)123レ〜517レ〜1527レ、1528レ〜518レ〜124レ
←函館
マニ60荷物(1)+マニ60荷物(2)+スユニ61荷郵+オハネフ12(1)+オハネ12(2)+オロハネ10(3)+スロ52(4)+オハ+オハフ+スハフ44(5)+スハ45(6)+スハ45(7)+スハ45(8)+スハフ44(9)+スハフ(10)+オハ+オハフ
※荷物車(1)は函館−長万部、上りのみ
※荷物車(2)、1〜4号車は札幌−網走
※荷物・郵便車は函館−釧路
※10号車は小樽−北見
※4号車のあとの号車番号のない2両は函館−森、上りのみ連結。
※10号車のあとの号車番号のない2両は函館−長万部
※函館−札幌、北見−網走間は普通列車。(123レ、1527レ、1528レ、124レ)
※4号車はスロ54のことがある。
※下りは函館〜D51〜小樽築港〜ED76〜滝川〜C57〜旭川〜D51〜上川〜D51、DD51〜遠軽〜D51、9600〜北見〜C58〜網走
※上りは函館〜D51〜小樽〜ED76〜滝川〜D51〜上川〜D51、DD51〜遠軽〜D51、9600〜北見〜C58〜網走
私の解釈不足もありまして、お手数をおかけしました。
そういえば同時期に旭川駅で撮影した被写体に、
C55がマニを1両連結して到着番線の隣ホームで、稚内からの322レ到着待ちをしている様子を確認しています。
これは322レの前にマニを1両連結して機関車交換後、滝川まで行く前の様子でした。
小沢で撮影しました124レの画像がアップできましたらいたします。
ありがとうございました。
仙コリ様、クモイ103様
貴重な情報をお教えいただき、感謝いたします。
私が閲覧した記述は、「ARC資料館」からになります。
以下がその内容でした。
S43.10.1〜S45.9.30 123レ〜517レ〜1527レ、1528レ〜518レ〜124レ
函館−網走(下り6号、上り6号)123レ〜517レ〜1527レ、1528レ〜518レ〜124レ
←函館
マニ60荷物(1)+マニ60荷物(2)+スユニ61荷郵+オハネフ12(1)+オハネ12(2)+オロハネ10(3)+スロ52(4)+オハ+オハフ+スハフ44(5)+スハ45(6)+スハ45(7)+スハ45(8)+スハフ44(9)+スハフ(10)+オハ+オハフ
※荷物車(1)は函館−長万部、上りのみ
※荷物車(2)、1〜4号車は札幌−網走
※荷物・郵便車は函館−釧路
※10号車は小樽−北見
※4号車のあとの号車番号のない2両は函館−森、上りのみ連結。
※10号車のあとの号車番号のない2両は函館−長万部
※函館−札幌、北見−網走間は普通列車。(123レ、1527レ、1528レ、124レ)
※4号車はスロ54のことがある。
※下りは函館〜D51〜小樽築港〜ED76〜滝川〜C57〜旭川〜D51〜上川〜D51、DD51〜遠軽〜D51、9600〜北見〜C58〜網走
※上りは函館〜D51〜小樽〜ED76〜滝川〜D51〜上川〜D51、DD51〜遠軽〜D51、9600〜北見〜C58〜網走
私の解釈不足もありまして、お手数をおかけしました。
そういえば同時期に旭川駅で撮影した被写体に、
C55がマニを1両連結して到着番線の隣ホームで、稚内からの322レ到着待ちをしている様子を確認しています。
これは322レの前にマニを1両連結して機関車交換後、滝川まで行く前の様子でした。
小沢で撮影しました124レの画像がアップできましたらいたします。
ありがとうございました。
(ID:qaeSqm)
仙コリ
Re3:急行「大雪」崩れの124レにつきまして
クモイ103様
いつもフォローしていただきまして、ありがとうございます。
いつもながら、私の言葉足らずで申し訳ありません。
ただ、私の解釈は少し違っていまして、studio4310様の文章中に「スユニは
一度編成から外して再度マニの間に挟むように連結していたのでしょうか?」
とあるので、「再度マニの間に挟む」というところから、
1、駅到着後、スユニ+寝台車+グリーン車を引き上げる。
2、スユニと寝台車等を分割し、スユニのみを編成に戻す。
3、再度機関車単体で引き揚げ、マニを連結する。
4、マニを伴った機関車が、スユニの前に連結する。
といったような同じ駅での3度手間?と考えているのかと思った次第です。
その点から、マニとスユニはどちらも全区間通しの運用である。
増結のマニについても、寝台車等を解結する駅とは異なっているので、一つの
駅で3度手間?がかかるわけではないと書き込んだ次第です。
もっとも違った視点で、スユニと寝台車等を分割したあと、そこにマニを連結
して、スユニ+マニ+普通車編成としたほうが簡単なのではと考えられている
可能性があるので、その場合は、各駅における荷扱いの場所が統一されている
ため、荷物車の連結場所は決められていて、北海道の場合は最も函館寄りに
荷物車を連結するのがルールとなっていると答えるべきでした。
studio4310様の疑問点を勝手に解釈してしまったため、言葉足らずの中途
半端な答えとなってしまい、申し訳ありませんでした。
改めて、studio4310様の疑問点を書き込みしていただければ幸いです。
クモイ103様
いつもフォローしていただきまして、ありがとうございます。
いつもながら、私の言葉足らずで申し訳ありません。
ただ、私の解釈は少し違っていまして、studio4310様の文章中に「スユニは
一度編成から外して再度マニの間に挟むように連結していたのでしょうか?」
とあるので、「再度マニの間に挟む」というところから、
1、駅到着後、スユニ+寝台車+グリーン車を引き上げる。
2、スユニと寝台車等を分割し、スユニのみを編成に戻す。
3、再度機関車単体で引き揚げ、マニを連結する。
4、マニを伴った機関車が、スユニの前に連結する。
といったような同じ駅での3度手間?と考えているのかと思った次第です。
その点から、マニとスユニはどちらも全区間通しの運用である。
増結のマニについても、寝台車等を解結する駅とは異なっているので、一つの
駅で3度手間?がかかるわけではないと書き込んだ次第です。
もっとも違った視点で、スユニと寝台車等を分割したあと、そこにマニを連結
して、スユニ+マニ+普通車編成としたほうが簡単なのではと考えられている
可能性があるので、その場合は、各駅における荷扱いの場所が統一されている
ため、荷物車の連結場所は決められていて、北海道の場合は最も函館寄りに
荷物車を連結するのがルールとなっていると答えるべきでした。
studio4310様の疑問点を勝手に解釈してしまったため、言葉足らずの中途
半端な答えとなってしまい、申し訳ありませんでした。
改めて、studio4310様の疑問点を書き込みしていただければ幸いです。
(ID:A7IzXv)
クモイ103
Re2: 急行「大雪」崩れの124レにつきまして
横から失礼します。
仙コリ様の参照された資料を私も確認しました。
124レの編成は仙コリ様のおっしゃる通りで、studio4310様が小沢でご覧になったマニとスユニは、いずれも網走から連結されてきたと思われます。
ですがそもそも、studio4310様が持たれた疑問は、
「札幌で寝台車を切り離す際、それより前に連結されたスユニも一緒に引上げなければならない筈なのに、その後またスユニを編成に戻すという二度手間をやったのか?」
と私は解釈しました。そうではありませんか?
だとすれば、それに対する答えは、
「そのような入換作業は、かつては全国どこでも普通に行われていました。」
となります。
こうした編成途中からの「中抜き」や「差し込み」はもちろん手間がかかるので、時代が下るにつれてやらずに済む方向へシフトしていったと思われますが、逆に時代を遡れば、機関車を使って客車や貨車を押したり引いたり、切ったりつないだりというのは日常茶飯事でしたから、その程度の作業は日常のルーチンの何でも無い一コマだったと思われます。
横から失礼します。
仙コリ様の参照された資料を私も確認しました。
124レの編成は仙コリ様のおっしゃる通りで、studio4310様が小沢でご覧になったマニとスユニは、いずれも網走から連結されてきたと思われます。
ですがそもそも、studio4310様が持たれた疑問は、
「札幌で寝台車を切り離す際、それより前に連結されたスユニも一緒に引上げなければならない筈なのに、その後またスユニを編成に戻すという二度手間をやったのか?」
と私は解釈しました。そうではありませんか?
だとすれば、それに対する答えは、
「そのような入換作業は、かつては全国どこでも普通に行われていました。」
となります。
こうした編成途中からの「中抜き」や「差し込み」はもちろん手間がかかるので、時代が下るにつれてやらずに済む方向へシフトしていったと思われますが、逆に時代を遡れば、機関車を使って客車や貨車を押したり引いたり、切ったりつないだりというのは日常茶飯事でしたから、その程度の作業は日常のルーチンの何でも無い一コマだったと思われます。
(ID:1oZdnv)
仙コリ
Re:急行「大雪」崩れの124レにつきまして
studio4310様
ヨンサントオ後の124レの編成についてとのことで、「ヨンサントオ国鉄白紙
ダイヤ改正 全国版優等列車編成順序表」(復刻版:ネコ・パブリッシング)
によると、124レの小沢駅付近での編成は機関車(D51)次位から
マニ 網走→函館:東航2運用
スユニ 網走→函館:旭郵71運用
スハフ+スハ+スハ+スハ+スハフ 網走→函館:函3運用
スハフ 北見→倶知安:旭附171運用
となっているので、その時点でのマニ・スユニは2両とも網走→函館間通し
運用の車両であったようです。
ちなみに長万部からさらに前位(機関車次位)にマニが1両(長万部→函館
:旭荷52運用)増結されたようなので、この車両がどこかの時点で小樽から
連結されることになったのか?そうであっても寝台車・グリーン車の運用は
札幌までのようですので、寝台車等の解結とマニの増結は異なる駅のよう
ですので、問題ないと思われます。
あくまでもヨンサントオ改正時点での運用ですが、studio4310様が撮影
された半年後までに運用が変わっている可能性は少なく、マニが1両との
事なので、上記のように小沢駅付近での編成のマニ+スユニは通し運用の
車両であったと思われます。
参考になりましたら幸いです。
studio4310様
ヨンサントオ後の124レの編成についてとのことで、「ヨンサントオ国鉄白紙
ダイヤ改正 全国版優等列車編成順序表」(復刻版:ネコ・パブリッシング)
によると、124レの小沢駅付近での編成は機関車(D51)次位から
マニ 網走→函館:東航2運用
スユニ 網走→函館:旭郵71運用
スハフ+スハ+スハ+スハ+スハフ 網走→函館:函3運用
スハフ 北見→倶知安:旭附171運用
となっているので、その時点でのマニ・スユニは2両とも網走→函館間通し
運用の車両であったようです。
ちなみに長万部からさらに前位(機関車次位)にマニが1両(長万部→函館
:旭荷52運用)増結されたようなので、この車両がどこかの時点で小樽から
連結されることになったのか?そうであっても寝台車・グリーン車の運用は
札幌までのようですので、寝台車等の解結とマニの増結は異なる駅のよう
ですので、問題ないと思われます。
あくまでもヨンサントオ改正時点での運用ですが、studio4310様が撮影
された半年後までに運用が変わっている可能性は少なく、マニが1両との
事なので、上記のように小沢駅付近での編成のマニ+スユニは通し運用の
車両であったと思われます。
参考になりましたら幸いです。
(ID:A7IzXv)
急行「大雪」崩れの124レにつきまして
ヨンサントオ後、函館本線山線の撮影に数回訪れて、小沢付近で撮影をしたときのネガをスキャンして不思議に思ったことがあります。
急行「大雪」崩れの124レを1969.4.1に撮影したネガを見ると、網走―函館間の通し運転の6両普通車の前に、D51を先頭にマニ+スユニが連結されていました。
マニは小樽→函館、スユニは網走→函館間という記述を見つけました。
中間の寝台車やグリーン車を抜いた後に、マニを連結するのはわかりますが、スユニは一度編成から外して再度マニの間に挟むように連結していたのでしょうか?
どなたか情報をお持ちの方、教えていただければ幸いです。
ヨンサントオ後、函館本線山線の撮影に数回訪れて、小沢付近で撮影をしたときのネガをスキャンして不思議に思ったことがあります。
急行「大雪」崩れの124レを1969.4.1に撮影したネガを見ると、網走―函館間の通し運転の6両普通車の前に、D51を先頭にマニ+スユニが連結されていました。
マニは小樽→函館、スユニは網走→函館間という記述を見つけました。
中間の寝台車やグリーン車を抜いた後に、マニを連結するのはわかりますが、スユニは一度編成から外して再度マニの間に挟むように連結していたのでしょうか?
どなたか情報をお持ちの方、教えていただければ幸いです。
(ID:h5yxvv)
クモイ103
Re7: 客車急行越後について
仙コリ様
ナハネ11 9とスロ51 6については気付きませんでした。確かにおかしいですね。
もう一つ、日付も違っている可能性が考えられます。
「越後」のマロネ29は36-10改正以前は尾久持ちの附属編成扱いだったようなので、その時期かもしれません。
いろいろ謎の多い編成記録ですね…
仙コリ様
ナハネ11 9とスロ51 6については気付きませんでした。確かにおかしいですね。
もう一つ、日付も違っている可能性が考えられます。
「越後」のマロネ29は36-10改正以前は尾久持ちの附属編成扱いだったようなので、その時期かもしれません。
いろいろ謎の多い編成記録ですね…
(ID:1oZdnv)
仙コリ
Re6:客車急行越後について
クモイ103様
フォローしていただきましてありがとうございます。
ピク誌掲載の昭和37年の編成記録でのマロネ29 124の件ですが、昭和36年
10月改正時点で新ニイ配置となっているのは確実であるようなので、編成記録
のどこかが間違っているのも確実なので、「東オク」配置の点であるのか?
記録年月日の間違いなのか?と思いまして、参考までに編成記録の他の車両
についての配置記録を調べてみると、数点の間違いを発見しました。
6号車のスロ51ですが、スロ51 6は昭和26年度中に北海道向けのスロ52
になっており、編成記録の直近の昭和37年10月時点での新ニイ配置の
スロ51を調べてみると、39・51・52・56・57の5両が該当するので、
下一桁が同一となる56の記載(転記?)ミスではないかと思います。
7号車のナハネ11ですが、ナハネ11 9 の配置歴を調べると昭和33年時点
では東シナ、昭和37年時点で大ムコとなっているので、こちらも昭和37年
10月時点での新ニイ配置のナハネ11を調べてみると、41・42・43・68・69
の5両が該当するので、こちらも下一桁が同一となる69の記載(転記?)
ミスではないかと思います。
以上のとおり、編成記録上に記載ミスが数点あるため、マロネ29の車番又は
配置についても、記載ミスが考えられるのではないかと思います。
クモイ103様
フォローしていただきましてありがとうございます。
ピク誌掲載の昭和37年の編成記録でのマロネ29 124の件ですが、昭和36年
10月改正時点で新ニイ配置となっているのは確実であるようなので、編成記録
のどこかが間違っているのも確実なので、「東オク」配置の点であるのか?
記録年月日の間違いなのか?と思いまして、参考までに編成記録の他の車両
についての配置記録を調べてみると、数点の間違いを発見しました。
6号車のスロ51ですが、スロ51 6は昭和26年度中に北海道向けのスロ52
になっており、編成記録の直近の昭和37年10月時点での新ニイ配置の
スロ51を調べてみると、39・51・52・56・57の5両が該当するので、
下一桁が同一となる56の記載(転記?)ミスではないかと思います。
7号車のナハネ11ですが、ナハネ11 9 の配置歴を調べると昭和33年時点
では東シナ、昭和37年時点で大ムコとなっているので、こちらも昭和37年
10月時点での新ニイ配置のナハネ11を調べてみると、41・42・43・68・69
の5両が該当するので、こちらも下一桁が同一となる69の記載(転記?)
ミスではないかと思います。
以上のとおり、編成記録上に記載ミスが数点あるため、マロネ29の車番又は
配置についても、記載ミスが考えられるのではないかと思います。
(ID:A7IzXv)
