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仙コリ
Re7: 537レ盛岡発・沼宮内止まり・区間列車?(昭和43年3月23日)
自己レスで失礼します。

今朝の書き込みで若干言葉足らずがありましたので、補足させていただきます。
臨時の留置場所として奥中山駅ではないかとした根拠についてですが、牽引機の
運用を考えますと、146レの運用に間に合わせる必要があり、535レと539レの
沼宮内発時刻と−奥中山発時刻の差は19分となっており、この時間を537レの
回送列車にあてはめますと奥中山駅着は8:09プラス19分で、8:28となります。
146レの奥中山駅発時刻が8:32となっているので、正直厳しい時間なのでが、
537レの回送列車が御堂駅を通過するとして2〜3分は短縮できると思われる
ので、本来沼宮内駅で後部に連結していた537レの牽引機を奥中山駅で連結
する事は可能だと思われ、逆説的に牽引機の運用を堅持するためには、客車の
臨時の留置場所は御堂駅か奥中山駅以外には考えられないと思います。

いずれにしても、今朝からの考え方は私の推測ですので、詳しい事情をお知りの
方がいらっしゃいましたらフォローしていただければ助かります。
(ID:A7IzXv)
仙コリ
Re6: 537レ盛岡発・沼宮内止まり・区間列車?(昭和43年3月23日)
渡辺芳夫様

撮影日当日の詳細情報ありがとうございます。

先日のクモイ103様からの情報により、定期運用においては十三本木峠側への
運用はないことは間違いないため、複線化工事及び電化工事の関係で沼宮内駅
構内(側線)の使用に制限がかかっており、臨時的な運用となっていた可能性
が高いと思われます。

当時の航空写真と現在の線路配置(グーグルマップで確認)を見てみると、
次駅である御堂駅にも留置線はあるものの機回し線が無いので、さらに隣の
奥中山駅まで運行して奥中山駅構内に臨時的に留置していた可能性が高い
のではないかと思われます。
(臨時的な留置のために峠越えまでする事はないのでは?と思われるため)

いずれにしても正規の運用ではないので、真偽のほどは留置車両を偶然撮影
している方がいるか、当時の事情を知っている国鉄職員の方がいらっしゃらない
限りわからないので、特定は非常に困難であると思われます。
(ID:A7IzXv)
537レ盛岡発・沼宮内止まり・区間列車?(昭和43年3月23日)
仙コリ様、はじめまして。

詳細な情報をご教示いただき、ありがとうございました。
昭和43年3月23日の撮影日当日の説明が不足しておりました。

この日は上野から十和田4号?で6:14に沼宮内下車、午後3時頃までの全蒸機列車を撮影し、全列車の牽引機の全機番も記録しております。
今回はたまたま友人と撮影地点が違っていたため、このような様子を確認できました。
友人の話(が正しいとすると)では、この537レは御堂側に出発したまま戻ってこなかったとのことです。また、戻ってきたなら私自身も撮影しているはずですが、ネガにも記録にもこの列車の機回しの様子は確認できません。
※本日が引っ越し日のため、資料等箱詰めしてしまいましたので移転完了後にネガと記録を確認いたします。

貨車が留置されていた様子は写真にも残っていますが、客車の留置は当日は1編成も見ていませんでした。この時期は工事中で客車を長時間留置する場所を構内や盛岡方に設置する余裕が無かった、ということでしょうか?

御堂〜奥中山〜小繋間は1966年に複線化が完了していましたが、沼宮内〜御堂間はまだ単線で、訪問時は複線化工事の真っ最中でした。(画像参照)
また、雑誌で『沼宮内駅構内はまだ架線が張られていない』という記事を見てこの時期に訪れています。

この時期はまだ新幹線建設工事が初期の段階で、工事現場にも立ち入ることが出来て構内の俯瞰撮影もさせてもらいました。(画像参照)

この撮影旅行以後は沼宮内駅を訪れていませんので、4月〜9月までとヨンサントオ後の様子はわかりませんが、工事中の特別な運用というのは考えられないでしょうか?

また537レの変遷(列車番号が変わり沼宮内行は存続)も確認させていただきました。

以上、追加情報と画像貼付になりますが、よろしくお願いいたします。
(ID:/.mpV1)
クモイ103
Re4: 537レ盛岡発・沼宮内止まり・区間列車?(昭和43年3月23日)
仙コリ様

フォローありがとうございます。

> 46レ 沼宮内始発 沼宮内発17:28−盛岡着18:20 北上行き

見落としておりました。申し訳ありません。

なお、この列車は青森発隅田川行きの荷46レが一部区間で客扱いするもののようですね。
朝方に沼宮内止まりの下り列車で到着した客車が夕方の上り列車で帰っていくという
仙コリ様のご推察は、私もその通りであろうと思います。

機関車は前書き込みで述べた通り9:04発の146レの後部について帰って行きますから、
客車だけ日中ずっと沼宮内で過ごしていたのでしょう。
(ID:6cmpRx)
仙コリ
Re3: 537レ盛岡発・沼宮内止まり・区間列車?(昭和43年3月23日)
渡辺芳夫様、はじめまして。

東北本線537レについては、すでにクモイ103様からコメントがありましたが、
時刻表および昔の航空写真から補足させていただきます。

ネット上で見ることができる昔の航空写真があるのですが、ヨンサントウ前
ではありませんが、昭和44年・50年・51年の沼宮内駅周辺の航空写真を見て
みますと、駅の東側(現在の新幹線の駅舎あたり)に側線(留置線)が3線
あることを確認できますので、クモイ103様の述べられている「構内入換運転で
引き上げる場面」というのは、十三本木峠側に少し進んで停車し、推進運転
状態で駅構内の側線(留置線)へ移動するという事だと思います。

また、昭和42年10月号と昭和43年10月号の時刻表から、盛岡−沼宮内間の
朝の列車を見てみますと、

昭和42年10月号
 535レ 盛岡始発  盛岡発6:00−沼宮内発6:58 青森行き
 537レ 盛岡始発  盛岡発7:18−沼宮内着8:09 沼宮内止まり
 539レ 一ノ関始発 盛岡発7:50−沼宮内発9:00 青森行き

昭和43年10月号
 537レ 盛岡始発  盛岡発6:30−沼宮内発7:16 青森行き
 539レ 盛岡始発  盛岡発7:10−沼宮内着7:53 沼宮内止まり
 541レ 一ノ関始発 盛岡発7:50    好摩(8:18着)止まり

となっており、運用的にはヨンサントウ前の537レが青森まで延長されたわけ
ではなく、列車番号が変更になり、ヨンサントウ後は539レになったようです。

また、クモイ103様の書き込みでは折り返しの沼宮内始発の上り列車はない
とのことでしたが、時刻表を見ますと

昭和42年10月号
 46レ 沼宮内始発 沼宮内発17:28−盛岡着18:20 北上行き

昭和43年10月号
 46レ 沼宮内始発 沼宮内発17:40−盛岡着18:20 北上行き

がありまして、さらに前述の航空写真を見ますと、どの年代の写真においても
沼宮内駅構内(側線)に4両程度の客車編成が留置されているのを確認する
事が出来ます。

航空写真については、いずれの写真もヨンサントウより後ではあるのですが、
前述のとおり、ヨンサントウ前後どちらにも、朝7時台に盛岡始発−沼宮内
止まりの列車があり、夕方18時頃に沼宮内始発−北上行きの列車が存在する
ので、朝の列車で到着後、いったん十三本木峠側に引き上げ、側線に転線して
夕方まで留置され、夕方の沼宮内始発の列車で盛岡方面に戻るといった運用
であった可能性が高いと思われます。
(ID:A7IzXv)
537レ盛岡発・沼宮内止まり・区間列車?(昭和43年3月23日)
クモイ103様、はじめまして。

早速のご教示ありがとうございます。
また、ダイヤグラムや運用表もお調べいただきありがとうございました。

沼宮内駅下り方、陸橋から先は電化工事及び線路付け替え工事が行われており、列車を引き上げて留置する場所は存在していませんでした。

>上記の機関車運用から推察して、537レで沼宮内に着いた機関車+客車の編成が、丸ごと全部146レの後部に連結されて折り返した?と考えると、ストーリーが成り立ちます。

これが正解でしょうか。
私は、ヨンサントオ後の青森直通のことが頭にこびりついていたため、どうしても青森まで行かせたかったのかもしれません。
お手数おかけしました。ありがとうございました。
(ID:/.mpV1)
クモイ103
Re: 537レ盛岡発・沼宮内止まり・区間列車?(昭和43年3月23日)
渡辺芳夫様、はじめまして。

手元に昭和42年10月1日改正時のダイヤグラムがあるので、細かいのですが読み取れる範囲で確認しました。同時期の時刻表と照らし合わせて見てみます。
8:09に537レが沼宮内に着いたあと、その先につながりそうな下り回送などの列車線は見当たりません。
また「機関車及び乗務員ダイヤ」によると、537レを牽引してきた機関車は、約1時間後(9:04発)の上り146レ(鮫→黒磯)の後部について好摩へ、そのあと花輪線から来る1326レ(大館→盛岡)を牽引して盛岡へ戻る運用だったようです。

ご友人が撮影された沼宮内駅下り方でのお写真ですが、これはもしかして、十三本木峠へ向けた発車でなく、構内入換運転で引き上げる場面ということは考えられないでしょうか?
上記の機関車運用から推察して、537レで沼宮内に着いた機関車+客車の編成が、丸ごと全部146レの後部に連結されて折り返した?と考えると、ストーリーが成り立ちます。
時刻表をよく見ると、沼宮内終着の下り客車列車は2本ありますが、沼宮内始発の上り客車列車はありませんので、これらはいずれも、十三本木峠を越えてくる上り列車に増結されて戻ったのかもしれません。峠を越えた沼宮内以南では乗客数も増えるでしょうから、それで輸送上も適正な編成調整になったのではないでしょうか。
(ID:6cmpRx)
537レ盛岡発・沼宮内止まり・区間列車?(昭和43年3月23日)
この『537レ』はヨンサントオ後の方がテレホンカードにもなっていて有名ですが、ヨンサントオ前は一時期、盛岡発・沼宮内行の区間列車でした。昭和30年代は、C61牽引の一戸発・青森行ででしたが、私が訪れた昭和43年3月23日は盛岡発・沼宮内行の区間列車として設定されていました。
私は沼宮内駅で到着シーンを撮影しましたが、同行した友人は駅を出発した姿を御堂側の陸橋上から捉えていました。「なぜ沼宮内駅止まりの列車が十三本木峠に向けて出発したのか?」という疑問にぶつかりました。ダイヤグラムがないと解明できない謎なので、私なりに推測してみました。
推測1. 客扱い無しで十三本木峠を越えて一戸まで行き、545レに増結されてそこから青森行となる変則運用。
盛岡7:18発→客扱い→沼宮内8:09着→回送→一戸≪545レ≫一戸15:04発→青森19:12着
推測2. 次の539レに一戸から増結されたという運用。
≪539レ≫一ノ関5:26発→(沼宮内発9:00)→一戸で537レを増結・9:53発→青森14:17着
ちなみに、『537レ』はヨンサントオ後に初めて青森までの直通となっています。ご存じの方がいらしたら、ご教示願えればと思います。


(ID:/.mpV1)
オハ35
仙コリ様
はじめまして。情報ありがとうございます!
このNゲージのオハ35、続番で「オハ35 697」とでも名付けようと思います。

意外と種類が多いようで、これはちょっとした「沼」ですね。T◯MIX様、次の製品化にこのネタはいかがでしょうか?
(ID:RLOjx8)
仙コリ
Re:オハ35試作形態のNゲージ加工品
陸蒸氣P様
はじめまして。

ご質問のオハ35についてですが、残念ながら「ノーシルノーヘッダー」で
「張り上げ屋根」のオハ35は実在していなかったようですが、模型として
こんな車両があったらと楽しむのは大いにありだと思います。

参考までに、「張り上げ屋根車」と「ノーシルノーヘッダー車」の一覧表を
作成してみました。

参考文献:鉄道ピクトリアルNo748 特集オハ35系(1)
(ID:FLDrkY)