「高千穂」の14号車
古い時刻表を見ていて気がついたのですが、61年から64年9月にかけての急行「高千穂」ですが、14号車が東京−門司となっており、上りのみ飯塚−東京です。上りの飯塚ー門司間は「天草」に連結されてくるのですが、下りの送り込みが不明です。ちなみに「ARC資料館」様の記事に寄れば当該車両はスハフ42のようです。(1等寝台と13号車を除き10系客車)
どなたか詳細ご存じでしょうか?
古い時刻表を見ていて気がついたのですが、61年から64年9月にかけての急行「高千穂」ですが、14号車が東京−門司となっており、上りのみ飯塚−東京です。上りの飯塚ー門司間は「天草」に連結されてくるのですが、下りの送り込みが不明です。ちなみに「ARC資料館」様の記事に寄れば当該車両はスハフ42のようです。(1等寝台と13号車を除き10系客車)
どなたか詳細ご存じでしょうか?
(ID:O9o85V)
貨車専用の掲示板も作成しました!!!
皆様、ご無沙汰しております。
ついでに今日、客車以外の国鉄JR等に関する貨車専用の掲示板も作成しましたので、貨車に興味がある方は宜しければこちらもご活用お願い致します。
リンクはこちらです→ https://www.z-z.jp/bbs.cgi?id=kashajnrjr&p3=&th=&th2=&rekai=&style=1&wr=1
今後も宜しくお願い致します。
皆様、ご無沙汰しております。
ついでに今日、客車以外の国鉄JR等に関する貨車専用の掲示板も作成しましたので、貨車に興味がある方は宜しければこちらもご活用お願い致します。
リンクはこちらです→ https://www.z-z.jp/bbs.cgi?id=kashajnrjr&p3=&th=&th2=&rekai=&style=1&wr=1
今後も宜しくお願い致します。
(ID:qenu8x)
クモイ103
Re: マシ38 室内灯
沫菌庶町様
車両の内部の色は専門外です。
お役に立てず申し訳ありません。
その方面にお詳しい方もいらっしゃると思いますので、
どなたか話題をひろって下さることを期待したいと思います。
沫菌庶町様
車両の内部の色は専門外です。
お役に立てず申し訳ありません。
その方面にお詳しい方もいらっしゃると思いますので、
どなたか話題をひろって下さることを期待したいと思います。
(ID:6cmpRx)
マシ38 室内灯
クモイ103様
供奉車330号の件では、
結構踏み込んだ御指南をいただき、小生も楽しく妄想させてもらいました。
自分なりに処遇を決めようと思います。
もう一つ「マシ38」のことでお訊ねいたします。
過去こちらの掲示板でも幾度か取り上げられてましたが、
ほとんど有名な「安芸」関連だったと記憶しております。
私が生まれも育ちも九州なので、
(生まれてもいないのに)1957年の「さちかぜ」になるのです。
なのでこの時のマシ38の正確な姿をお聞きしたいぼです。
外観はほぼ解っているつもりです (ぶどう1号、形式車番に上に東シナ等)が、
内装はアールデコ調ろ聞いただけで壁色や灯色が判りません。
いかがでしょうか?
ピンポイントで申し訳ありません。
クモイ103様
供奉車330号の件では、
結構踏み込んだ御指南をいただき、小生も楽しく妄想させてもらいました。
自分なりに処遇を決めようと思います。
もう一つ「マシ38」のことでお訊ねいたします。
過去こちらの掲示板でも幾度か取り上げられてましたが、
ほとんど有名な「安芸」関連だったと記憶しております。
私が生まれも育ちも九州なので、
(生まれてもいないのに)1957年の「さちかぜ」になるのです。
なのでこの時のマシ38の正確な姿をお聞きしたいぼです。
外観はほぼ解っているつもりです (ぶどう1号、形式車番に上に東シナ等)が、
内装はアールデコ調ろ聞いただけで壁色や灯色が判りません。
いかがでしょうか?
ピンポイントで申し訳ありません。
(ID:9A0jBI)
クモイ103
Re4: マロネ29-100擬?
沫菌庶町 様
>車体色はぶどう1号に塗り替えたほうがいいのでしょうか?
供奉車として使用するなら正確には「ため色」でしょう。
お手持ちの模型の塗色はぶどう色2号のようですね。
もし下記の私の妄想を共有して頂けるなら、そのまま使う方法が全く無いわけではありません。
あくまで私の妄想ですので、お気に召さなければ読み流して下さい。
田邊幸夫著「御料車物語」に、次の記述があります。
************
昭和35年、新しい御料車の製作に伴い、これに編成される供奉車も揃えて新製されるのではないかと思われましたが(企画はされていたが)これは実現に至らず、昭和6年に造られた在来の1号編成用各車(当時で車齢30年)を改造し近代化させて間に合わすことになりました。
************
供奉車も新製するという案もあった模様です。
歴史のIFですが、もしそれが実現していれば、在来の1号編成用供奉車はその任を解かれ、何らかの形で身の振り方を検討されたことでしょう。
現実の歴史で“皇籍離脱”した供奉車としては、300号及び301号(→スイ38)、400号(→スヤ39 21)があります。
もしも330号が昭和35年に供奉車の任を解かれたなら、これらと同様に何か特殊な用途に変更されたかもしれません。
お手持ちの模型は車内が作り込まれていないようなので、それを逆手にとって空想上の新しい用途をあてがえば、ぶどう色2号で問題ないことになります。
くどくどと妄想を展開してしまい、失礼しました。
沫菌庶町 様
>車体色はぶどう1号に塗り替えたほうがいいのでしょうか?
供奉車として使用するなら正確には「ため色」でしょう。
お手持ちの模型の塗色はぶどう色2号のようですね。
もし下記の私の妄想を共有して頂けるなら、そのまま使う方法が全く無いわけではありません。
あくまで私の妄想ですので、お気に召さなければ読み流して下さい。
田邊幸夫著「御料車物語」に、次の記述があります。
************
昭和35年、新しい御料車の製作に伴い、これに編成される供奉車も揃えて新製されるのではないかと思われましたが(企画はされていたが)これは実現に至らず、昭和6年に造られた在来の1号編成用各車(当時で車齢30年)を改造し近代化させて間に合わすことになりました。
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供奉車も新製するという案もあった模様です。
歴史のIFですが、もしそれが実現していれば、在来の1号編成用供奉車はその任を解かれ、何らかの形で身の振り方を検討されたことでしょう。
現実の歴史で“皇籍離脱”した供奉車としては、300号及び301号(→スイ38)、400号(→スヤ39 21)があります。
もしも330号が昭和35年に供奉車の任を解かれたなら、これらと同様に何か特殊な用途に変更されたかもしれません。
お手持ちの模型は車内が作り込まれていないようなので、それを逆手にとって空想上の新しい用途をあてがえば、ぶどう色2号で問題ないことになります。
くどくどと妄想を展開してしまい、失礼しました。
(ID:6cmpRx)
ご丁寧なご回答ありがとうございます。
クモイ103様
解り易い解説もありがとうございました。
供奉車330の原型ということですね。
大仰ですが、精神的にスッキリしました。
ということは、
車体色はぶどう1号に塗り替えたほうがいいのでしょうか?
なんにせよ、ありがとうございました。
クモイ103様
解り易い解説もありがとうございました。
供奉車330の原型ということですね。
大仰ですが、精神的にスッキリしました。
ということは、
車体色はぶどう1号に塗り替えたほうがいいのでしょうか?
なんにせよ、ありがとうございました。
(ID:Nyz1XD)
クモイ103
Re: マロネ29-100擬?
沫菌庶町 様 はじめまして。
画像を拝見したとたん、これは皇室用の供奉車だと直感しました。
車端部形状、それに客扉周辺の造作が供奉車特有の雰囲気です。
ただおっしゃる通り、元供奉車のスイ38とは窓配置が異なります。
この窓配置は、供奉車330号が該当します。
但し、昭和35年にいわゆる新1号御料車編成用として改造される前の、
おそらく新製時に近い姿と思われます。
TR73台車はもとより、通風器の数も図面と一致します。
対してマロネ29は、塗装や標記以外の車体外観はスハ32によく似ており、
窓は2連、車端部は一般的な戦前形の形状です。
画像の車両がマロネ29と一致するのは台車形式くらいです。
これは珍しいものを入手されましたね。
沫菌庶町 様 はじめまして。
画像を拝見したとたん、これは皇室用の供奉車だと直感しました。
車端部形状、それに客扉周辺の造作が供奉車特有の雰囲気です。
ただおっしゃる通り、元供奉車のスイ38とは窓配置が異なります。
この窓配置は、供奉車330号が該当します。
但し、昭和35年にいわゆる新1号御料車編成用として改造される前の、
おそらく新製時に近い姿と思われます。
TR73台車はもとより、通風器の数も図面と一致します。
対してマロネ29は、塗装や標記以外の車体外観はスハ32によく似ており、
窓は2連、車端部は一般的な戦前形の形状です。
画像の車両がマロネ29と一致するのは台車形式くらいです。
これは珍しいものを入手されましたね。
(ID:6cmpRx)
マロネ29-100擬?
初めまして、沫菌と申します。
右も左も分からない若輩者ですが、よろしくお願いします。
写メの客車の形式が判りません。
マロネ29-100擬という触れ込みでしたが、どうも違う様です。
両出入りドア、シングルルーフで3軸ボギー、狭窓がズラっと並んでいますが、
スイ38とも違う様です。他のマロネとも窓配置が明らかに異なります。
どなたかご教示歌だけますでしょうか?

初めまして、沫菌と申します。
右も左も分からない若輩者ですが、よろしくお願いします。
写メの客車の形式が判りません。
マロネ29-100擬という触れ込みでしたが、どうも違う様です。
両出入りドア、シングルルーフで3軸ボギー、狭窓がズラっと並んでいますが、
スイ38とも違う様です。他のマロネとも窓配置が明らかに異なります。
どなたかご教示歌だけますでしょうか?

(ID:Nyz1XD)
初雪
北海道の昭和期の優等列車の愛称板の形状の変遷について
北海道の優等列車の愛称板の登場時期・使用期間についてご教示願いたく投稿いたしました。
帯なし白板では「返し取っ手」が昭和20年代から30年代初めで、「半楕円形取っ手」が昭和30年代中から後半、「半円形取っ手」が昭和40年代初めから中頃、その後に帯付きの愛称版が云々・・・などなど言われておりますが、実のところはどうなのでしょうか?
と申しますのは古い写真などを調べると昭和45年撮影の旧型客車急行(利尻 下り317列車 C55牽引)に半楕円形の取っ手の白板愛称板がついています。写真で確認できる範囲では愛称板も種別板も全て半楕円形です。こういう事実を目にするとよく分からなくなってきます。
愛称板については管理局?ごとの管轄で一概に言い切ることはできないのかもしれませんが、「返し取っ手」「楕円形取っ手」「円形取っ手」それぞれの登場時期(製造期間)と使用期間などがわかる方がいらっしゃれば是非ご教示願います。
また楕円形取っ手と円形取っ手、あるいは帯付きのものは登場時期こそ違えど混用されたのでしょうか?
北海道の優等列車の愛称板の登場時期・使用期間についてご教示願いたく投稿いたしました。
帯なし白板では「返し取っ手」が昭和20年代から30年代初めで、「半楕円形取っ手」が昭和30年代中から後半、「半円形取っ手」が昭和40年代初めから中頃、その後に帯付きの愛称版が云々・・・などなど言われておりますが、実のところはどうなのでしょうか?
と申しますのは古い写真などを調べると昭和45年撮影の旧型客車急行(利尻 下り317列車 C55牽引)に半楕円形の取っ手の白板愛称板がついています。写真で確認できる範囲では愛称板も種別板も全て半楕円形です。こういう事実を目にするとよく分からなくなってきます。
愛称板については管理局?ごとの管轄で一概に言い切ることはできないのかもしれませんが、「返し取っ手」「楕円形取っ手」「円形取っ手」それぞれの登場時期(製造期間)と使用期間などがわかる方がいらっしゃれば是非ご教示願います。
また楕円形取っ手と円形取っ手、あるいは帯付きのものは登場時期こそ違えど混用されたのでしょうか?
(ID:Crz/tS)
国鉄龍ヶ森ヒュッテ・オハ31宿泊車両の内装につきまして
花輪線『龍ヶ森駅』に設置されたオハ31の廃車体利用による国鉄初の列車ホテルに昭和43年12月に宿泊しましたが、3〜5号車の宿泊車両の内装につきまして、どなたかご存じの方がいらしたら是非とも情報をお教えください。
私の記憶では、座席を使用して客車通路両側に簡易ベッドがあったと思うのですが、通路の片側(スキー場側)だけだったという方がほとんどでした。
各車両にストーブがあったとはいえ、木造客車の隙間からの風と寒さだけが記憶として残っていて、写真さえ写していませんでした。床にも穴があいていたのを覚えています。
私自身が作成した図をアップしておきます。
よろしくお願いいたします。


花輪線『龍ヶ森駅』に設置されたオハ31の廃車体利用による国鉄初の列車ホテルに昭和43年12月に宿泊しましたが、3〜5号車の宿泊車両の内装につきまして、どなたかご存じの方がいらしたら是非とも情報をお教えください。
私の記憶では、座席を使用して客車通路両側に簡易ベッドがあったと思うのですが、通路の片側(スキー場側)だけだったという方がほとんどでした。
各車両にストーブがあったとはいえ、木造客車の隙間からの風と寒さだけが記憶として残っていて、写真さえ写していませんでした。床にも穴があいていたのを覚えています。
私自身が作成した図をアップしておきます。
よろしくお願いいたします。


(ID:/.mpV1)