クモイ103
Re5: 客車急行越後について
皆様
マロネ29の動向には興味があって調査していますが、まだ断片的な情報だけです。
但し、新ニイに絡むものは大体把握できています。
昭和36年11月17日総裁達第634号(客車の所属変更)
関東支社→新潟支社 マロネ29 123・124
西部支社→新潟支社 マロネ29 25
※ 昭和36年10月時刻改正に伴う移動です。
昭和37年9月5日総裁達第401号(客車の所属変更)
西部支社→新潟支社 マロネ29 108
※ この時同時にオハシ30が新潟支社へ移動しているので、
6月の新潟電化に対応した移動の可能性があります。
昭和38年1月8日総裁達第7号(客車の用途廃止)
新潟支社 マロネ29 25(新津工場で解体)
昭和38年8月10日総裁達第399号(客車の用途廃止)
新潟支社 マロネ29 108・123・124(新津工場で解体)
つまり、36-10改正に伴ってマロネ29 25・123・124の3両が新潟に転入し、
その後108が加わり、入れ替わりで25が廃車、
そして38年の夏に108・123・124が廃車されて消滅 という流れでした。
なお、仙コリ様が引用されたピク誌掲載の昭和37年の編成記録で
マロネ29 124の所属が東オクとなっている件ですが、
上記の通り、公報の流れを追えばこの時同車は新ニイにいた筈で、
また36-10現在の東オク配置表には記載がありませんので、
編成記録の情報は不思議です。
皆様
マロネ29の動向には興味があって調査していますが、まだ断片的な情報だけです。
但し、新ニイに絡むものは大体把握できています。
昭和36年11月17日総裁達第634号(客車の所属変更)
関東支社→新潟支社 マロネ29 123・124
西部支社→新潟支社 マロネ29 25
※ 昭和36年10月時刻改正に伴う移動です。
昭和37年9月5日総裁達第401号(客車の所属変更)
西部支社→新潟支社 マロネ29 108
※ この時同時にオハシ30が新潟支社へ移動しているので、
6月の新潟電化に対応した移動の可能性があります。
昭和38年1月8日総裁達第7号(客車の用途廃止)
新潟支社 マロネ29 25(新津工場で解体)
昭和38年8月10日総裁達第399号(客車の用途廃止)
新潟支社 マロネ29 108・123・124(新津工場で解体)
つまり、36-10改正に伴ってマロネ29 25・123・124の3両が新潟に転入し、
その後108が加わり、入れ替わりで25が廃車、
そして38年の夏に108・123・124が廃車されて消滅 という流れでした。
なお、仙コリ様が引用されたピク誌掲載の昭和37年の編成記録で
マロネ29 124の所属が東オクとなっている件ですが、
上記の通り、公報の流れを追えばこの時同車は新ニイにいた筈で、
また36-10現在の東オク配置表には記載がありませんので、
編成記録の情報は不思議です。
(ID:1oZdnv)
仙コリ
Re4:客車急行越後について
ナロ2051様
竹中@ノーブルジョーカー様
「越後」及び「天の川」に使用された車両について、オロネ10について
ですが、68〜70の3両が1963/5/28付けで新潟に配置されているので、
1963/6/1運転開始の急行「天の川」用に充当されたのは間違いなく、
また、かなり後にはなりますが1976/8/13の「天の川」のオロネ10には
2084が充当されており、その他の車両についてもすべて電暖車である
2000番台が充当されております。
そこで、新潟への配置歴のあるオロネ10の68〜70及び2083〜2085の配置
歴を調べてみると、
オロネ10 68〜70 1963/5/28 新潟に新製配置
1964/4/1時点では名ナコに配置(転属月日は不明)
オロネ10 2083〜2085 1963/11/28 新潟に新製配置
となっておりまして、このことから「天の川」用としては、本来は最初から
電暖車を用意すべきところが間に合わず、一時的に68〜70を充当しておき、
冬季にむけて電暖車である2083〜2085を投入し、それまでの半年間に使用
していた68〜70を名古屋に転属させたのではないかと思われます。
よって、68〜70も2083〜2085も「天の川」用(入れ替わり)であったと
思われます。
マロネ29については、1958/10/1時点での配置が108は門ハイ、123と124
については東オクとなっており、1962/10/1時点では3両とも新ニイと
なっています。
この間の配置歴、転属日の情報を持ち合わせてないので、新潟配置となった
のがいつかはわからないのですが、前述の1962/7/28の編成記録に間違いが
なければ、1962年の7/28から10/1の間に新潟に転属となったものであると
思われます。
詳しい事情をお知りの方がいらっしゃいましたらフォローをお願いします。
ナロ2051様
竹中@ノーブルジョーカー様
「越後」及び「天の川」に使用された車両について、オロネ10について
ですが、68〜70の3両が1963/5/28付けで新潟に配置されているので、
1963/6/1運転開始の急行「天の川」用に充当されたのは間違いなく、
また、かなり後にはなりますが1976/8/13の「天の川」のオロネ10には
2084が充当されており、その他の車両についてもすべて電暖車である
2000番台が充当されております。
そこで、新潟への配置歴のあるオロネ10の68〜70及び2083〜2085の配置
歴を調べてみると、
オロネ10 68〜70 1963/5/28 新潟に新製配置
1964/4/1時点では名ナコに配置(転属月日は不明)
オロネ10 2083〜2085 1963/11/28 新潟に新製配置
となっておりまして、このことから「天の川」用としては、本来は最初から
電暖車を用意すべきところが間に合わず、一時的に68〜70を充当しておき、
冬季にむけて電暖車である2083〜2085を投入し、それまでの半年間に使用
していた68〜70を名古屋に転属させたのではないかと思われます。
よって、68〜70も2083〜2085も「天の川」用(入れ替わり)であったと
思われます。
マロネ29については、1958/10/1時点での配置が108は門ハイ、123と124
については東オクとなっており、1962/10/1時点では3両とも新ニイと
なっています。
この間の配置歴、転属日の情報を持ち合わせてないので、新潟配置となった
のがいつかはわからないのですが、前述の1962/7/28の編成記録に間違いが
なければ、1962年の7/28から10/1の間に新潟に転属となったものであると
思われます。
詳しい事情をお知りの方がいらっしゃいましたらフォローをお願いします。
(ID:A7IzXv)
仙コリ様竹中@ノーブルジョーカー様
客車列車越後について編成入りの返答ありがとうございました。編成を
見て感じたのですが、準急にしては
かなり良い車両を使用している事、
高い料金が必要なCロネが戦前製とは何とも言えません。もう一つ気になるのはマロネ29の所属が東オクになっているのですが、P誌別冊に
よれば63年8月10日付でマロネ29
108.123.124が新潟で廃車になっており、63年6月に天の川が新設された時期と一致しており、新ニイの
表記変更が遅れていたのでしょうか
天の川用のオロネ10の新潟の配置も新設の時期と一致するのですが、
P誌別冊のオロネ10の車歴表を見ると、63年11月に2083.2084.2085
3両が新潟に新製配置されていますが、使用列車は何でしょうか?
新潟で関係有るオロネ10の使用列車は天の川の他日本海(当時)ですが
日本海はすでにオロネ10になっており、受持は宮原のはずです。
細かな疑問ばかり挙げましたが
ご存知の方ご教示ください。
客車列車越後について編成入りの返答ありがとうございました。編成を
見て感じたのですが、準急にしては
かなり良い車両を使用している事、
高い料金が必要なCロネが戦前製とは何とも言えません。もう一つ気になるのはマロネ29の所属が東オクになっているのですが、P誌別冊に
よれば63年8月10日付でマロネ29
108.123.124が新潟で廃車になっており、63年6月に天の川が新設された時期と一致しており、新ニイの
表記変更が遅れていたのでしょうか
天の川用のオロネ10の新潟の配置も新設の時期と一致するのですが、
P誌別冊のオロネ10の車歴表を見ると、63年11月に2083.2084.2085
3両が新潟に新製配置されていますが、使用列車は何でしょうか?
新潟で関係有るオロネ10の使用列車は天の川の他日本海(当時)ですが
日本海はすでにオロネ10になっており、受持は宮原のはずです。
細かな疑問ばかり挙げましたが
ご存知の方ご教示ください。
(ID:5ZWAQ7)
竹中@ノーブルジョーカー
RE:客車急行越後について
ナロ2051さま
仙コリさま
ピクトリアル別冊の巻末の車歴表を見ると、1963年5月に落成したオロネ10の68〜70が新潟に配置されているので、これが「天の川」用で間違いなさそうですね。
ダイヤ改正前に「越後」に使用されたか?といえば、料金も異なるので使わなかったのではないでしょうか。
手元に1963年6月号の時刻表がありましたが、「天の川」以外の「高千穂」などはまだCロネでした。
ナロ2051さま
仙コリさま
ピクトリアル別冊の巻末の車歴表を見ると、1963年5月に落成したオロネ10の68〜70が新潟に配置されているので、これが「天の川」用で間違いなさそうですね。
ダイヤ改正前に「越後」に使用されたか?といえば、料金も異なるので使わなかったのではないでしょうか。
手元に1963年6月号の時刻表がありましたが、「天の川」以外の「高千穂」などはまだCロネでした。
(ID:dNlI1Q)
仙コリ
Re:客車急行越後について
ナロ2051様
客車列車時代の「越後」についてですが、ピクトリアル誌2002年6月号
(No718:スハ43系特集)に昭和37年7月28日の準急「越後」の編成
記録が掲載されています。
1962/7/28 上野→新潟 709レ 準急「越後」
牽引機 C57 132
1号車 オハフ45 2 新ニイ
2号車 オハ46 532 新ニイ
3号車 オハ46 526 新ニイ
4号車 オハ46 533 新ニイ
5号車 オハ46 531 新ニイ
6号車 スロ51 6 新ニイ
7号車 ナハネ11 9 新ニイ
8号車 ナハネ10 42 新ニイ
9号車 マロネ29 124 東オク
10号車 オユ61 3 新ニイ
11号車 マニ71 3 新ニイ
なお、客車列車時代の「越後」は上記のとおり準急であるため、ネット上で
「急行越後」と検索すると、客車時代は記載されていない事もあるのかと
思います。
また、準急ゆえにオロネ10の投入優先順位は低かったと思われるので、
客車時代の「越後」は最後までマロネ29を使用していた可能性が高いの
ではないかと思います。(あくまでも可能性の話ですが…)
運用等はわからないので、詳しい事情をお知りの方がいらっしゃいましたら
フォーローをお願いします。
ナロ2051様
客車列車時代の「越後」についてですが、ピクトリアル誌2002年6月号
(No718:スハ43系特集)に昭和37年7月28日の準急「越後」の編成
記録が掲載されています。
1962/7/28 上野→新潟 709レ 準急「越後」
牽引機 C57 132
1号車 オハフ45 2 新ニイ
2号車 オハ46 532 新ニイ
3号車 オハ46 526 新ニイ
4号車 オハ46 533 新ニイ
5号車 オハ46 531 新ニイ
6号車 スロ51 6 新ニイ
7号車 ナハネ11 9 新ニイ
8号車 ナハネ10 42 新ニイ
9号車 マロネ29 124 東オク
10号車 オユ61 3 新ニイ
11号車 マニ71 3 新ニイ
なお、客車列車時代の「越後」は上記のとおり準急であるため、ネット上で
「急行越後」と検索すると、客車時代は記載されていない事もあるのかと
思います。
また、準急ゆえにオロネ10の投入優先順位は低かったと思われるので、
客車時代の「越後」は最後までマロネ29を使用していた可能性が高いの
ではないかと思います。(あくまでも可能性の話ですが…)
運用等はわからないので、詳しい事情をお知りの方がいらっしゃいましたら
フォーローをお願いします。
(ID:A7IzXv)
客車急行越後について
最近マロネ、マロネフ29がいつ頃
迄運用されていたのか調べています
P誌別冊鋼製在来型寝台客車によれば、37年11月現在運用されている
列車名が記されていますが、ネット
で調べると殆どの列車が38年39年でオロネ10に置き換えられています
ところが、急行越後はDC急行越後
の記述ばかりで上越線での客車急行の記録が殆ど有りません。マロネ29の運用は38年6月に天の川に
名称変更され、ほぼ寝台列車化された時点で廃車された認識で良いのですか?また、編成の一部は昼行越路
と共通運用だったのでしょうか?
ご存知の方ご教示して頂けないでしょうか
最近マロネ、マロネフ29がいつ頃
迄運用されていたのか調べています
P誌別冊鋼製在来型寝台客車によれば、37年11月現在運用されている
列車名が記されていますが、ネット
で調べると殆どの列車が38年39年でオロネ10に置き換えられています
ところが、急行越後はDC急行越後
の記述ばかりで上越線での客車急行の記録が殆ど有りません。マロネ29の運用は38年6月に天の川に
名称変更され、ほぼ寝台列車化された時点で廃車された認識で良いのですか?また、編成の一部は昼行越路
と共通運用だったのでしょうか?
ご存知の方ご教示して頂けないでしょうか
(ID:5ZWAQ7)
machi
Re: Re: 戦後のオロ36・オロ40の運用について
クモイ103様
返信ありがとうございます。
そうなのですね。するとたまたま余っていたのか,それとも同乗する関係者向けに2等車を用意したのか……。
わざわざ本にあたってくださりありがとうございました。参考にさせていただきます。
クモイ103様
返信ありがとうございます。
そうなのですね。するとたまたま余っていたのか,それとも同乗する関係者向けに2等車を用意したのか……。
わざわざ本にあたってくださりありがとうございました。参考にさせていただきます。
(ID:4zv03D)
クモイ103
Re: 戦後のオロ36・オロ40の運用について
machi様
車両史編さん会「国鉄鋼製客車史 第4編 オハ35形の一族 下巻」を確認しましたが、オロ36・オロ40で連合軍専用車に召し上げられたものはいずれも一部で、接収されなかった車両も多数いたようです。ですから普通の用途(性能試験列車ですから普通でもないか…)に使用されても不思議ではなかったと思われます。
machi様
車両史編さん会「国鉄鋼製客車史 第4編 オハ35形の一族 下巻」を確認しましたが、オロ36・オロ40で連合軍専用車に召し上げられたものはいずれも一部で、接収されなかった車両も多数いたようです。ですから普通の用途(性能試験列車ですから普通でもないか…)に使用されても不思議ではなかったと思われます。
(ID:1oZdnv)
machi
戦後のオロ36・オロ40の運用について
初めまして。machiと申します。よろしくお願いいたします。
今、1948年奥羽本線のE10性能試験列車の編成について調べています。
編成中、丸屋根で窓が9枚の車輛があり、オロ36かオロ40のように見えます。しかし私の理解では、当時それらは優等に使われたり、連合軍に接収されたりしているはずで、試験列車に組み込まれる可能性があるのか疑問なのです。
そこでなのですが、終戦直後のオロ36・オロ40はどのように使われていたのでしょうか?
また、「丸屋根で窓が9枚」である他の形式や、E10性能試験列車自体についてご存知のことがあれば、ご教示いただけますと幸いです。
初めまして。machiと申します。よろしくお願いいたします。
今、1948年奥羽本線のE10性能試験列車の編成について調べています。
編成中、丸屋根で窓が9枚の車輛があり、オロ36かオロ40のように見えます。しかし私の理解では、当時それらは優等に使われたり、連合軍に接収されたりしているはずで、試験列車に組み込まれる可能性があるのか疑問なのです。
そこでなのですが、終戦直後のオロ36・オロ40はどのように使われていたのでしょうか?
また、「丸屋根で窓が9枚」である他の形式や、E10性能試験列車自体についてご存知のことがあれば、ご教示いただけますと幸いです。
(ID:4zv03D)
間カサ
Re3: カシオペアの車体長について
ガンバレール9様
クモイ103様
仙コリ様
鉄道ファンNo.460(1999年8月号)に、
スロネE26及びスロネE27 0-400各番台の形式図が収録されています。
いずれも車体長20,800mm、全長21,300mmです。
ガンバレール9様
クモイ103様
仙コリ様
鉄道ファンNo.460(1999年8月号)に、
スロネE26及びスロネE27 0-400各番台の形式図が収録されています。
いずれも車体長20,800mm、全長21,300mmです。
(ID:AHSrQ3)
