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怒りの掲示板

過去ログ303 2025/8/16 23:16

koe
アスペ障・発達障害者がほんと増えた。職場でも、辻K明という34の奴が、もう12年勤めても口きかない先輩に挨拶しない、謝らない、お礼言わない平気でシカトする奴がいる。かつて他社工場3日でクビになり出戻りの男。しかも平気な顔してこの態度。非常識すぎ。勝手に発達障害と決めつけたが間違いないと自信あり!誰がみてもな。

発達障害と言わず普通の顔してバイトしてるのが納得できない。せめて発達障害であると告白すれば印象もましなのに〜ぶっちゃけるとこの世からいなくなって欲しい。こういう非常識な発達障害者はそんな施設で働くか、個人で運営できる仕事を選ぶべき。

職場の回りが大迷惑で悪影響だし。そのくせ一丁前にアマでギターライブしてやがる〜人気なし当然だろ!無礼な奴がそもそも人前に出る資格がない〜事実です!礼儀をまとってから出直せ!もうこいつには遅すぎだが〜ご愁傷様〜
[怒り度数は??]
120


匿名
原、小田、荒川、近所に住んでる連中でしんでほしい人たち。
不思議だな。



いじめによる勝利はない。いじめで勝利したとしても、その勝利には価値がない。いじめにはいかなるポジティブな要素もなく、ただひたすらに悲惨なだけだ。そしていじめはあらゆるものを破壊する。またいじめは信頼を失い、希望も失い、なにもかも失う。特に大切な人、守ってくれた人を失う。ただ悲しいだけだ。それに、いじめの責任から逃げる事はできない。いじめを選択し、実行したら、すべてが終わる。実行しなくても、いじめを計画したり、誰か他の者にやらせたり、画策したら、それもまずい。いじめは周囲にもダメージを与える。いじめの被害者だけでなく、いじめ加害者の人生も破壊する。そして、家族、友人知人、親戚、親しい人がすべて離れてしまう。いじめによる恐ろしい結末は、所属する組織も地域社会も破壊する。いじめの結末は悲惨であり、その影響は大きい。人間だけでなく、犬や猫やあらゆる動物が、いじめを感知する。植物もいじめを感知する。いじめはいかなる疾患よりもひどい。いじめをすればするほど人間性は失われ、恐ろしい怪物となる。それは、呪いであり、ほとんど人間以外の別の世界である。いじめは災いであり、呪いであり憑依である。それは暗黒の世界であり、健全ではない。いじめをやればやるほどそれが日常化して抜けられなくなる。最初は、いじめをやっていても、いつの間にかいじめに支配されてしまう。いじめは代償を求める。いじめは犠牲を求める。いじめにより、他者を支配しコントロールしていても、やがて自分自身がいじめの奴隷となる。だからいじめによる勝利などない。勝利するなら、いじめをする人間ではなく、いじめそのものが勝利する。しかし、そのいじめも破壊される。破壊されるというより、消滅する。いじめは単独では生存できない。いじめの加害者はいじめの被害者がいないと生きられない。いじめに依存しているからだ。いじめという形でしか、他者と関われない。だからいじめができないと、いじめ加害者は苦しむ。いじめを恐れるのは当然だが、それはいじめに力を与えてしまう。いじめ加害者に力があるのではなく、いじめそのものに力がある。だがいじめを使うとやがていじめに支配されるし、やがていじめの奴隷となって破滅する。いじめをすればするほど本当の仲間は離れてしまう。いじめ加害者には仲間などいない。ただ他の者を支配しているだけだ。いじめをもたらすのは厳しい環境である。劣悪な恐ろしい環境。まったく自由がなく、ゆとりのない閉鎖的な環境。将来に希望がなく、夢がもてない環境。絶対的な閉塞感。完全に他者から支配されている状態。あまりにも体力や神経を使い過ぎて緊張感が続いていじめとなる。いじめは恐ろしいもので、いじめを軽く見てはならない。いじめは犯罪であり、正当化できない。たとえ高校野球でも。



2025年8月14日午後4時頃、2900-1にあるの100円ショップで買い物をしていたところ、不良学生グループが出現した。ここは学生の不良グループが集まりやすい場所だ。何しろ周囲には他に店らしい店がないからだ。この近くにはあまり店がない。不良学生グループは、とにかく騒ぐし、うるさい。ただうろつくだけで、買い物などはしない。そもそも買い物が目的ではないからだ。ただ騒ぐのが目的である。こういう連中は、何か面白いことはないかとうろつくが、この周辺にはそんなものはない。南あたりなら、いろいろある。それにこういう連中の面白いことというのはろくでもないことばかりだ。どんなことでも、ただ面白く楽しいことばかりではないし、何であれそれなりの心が必要となる。不良学生にとって、面白いことは何も無いだろう。むしろ、苦難の連続である。こういう連中をまともに相手をする人はいない。誰もが忙しいし、暇でも相手をしたくない。こういう連中はいくら若くても、どうにもならないし、かなり厳しいものが要求されるが、そもそもそういう生き方を拒絶するし、逃げるし、どうにもならない。あまりにも疲れる。だが若いので希望はあるかもしれない。その女子学生の二人組は、よほど金に困っているのか、金を持っている者を狙ってつきまとう感じだった。金をせびるというか、金を奪うというか、金を騙し取るカモを探している感じだった。ダイソーの店員は、こちらではなく、警察に言って欲しいということだった。夏休みということもあり、いろんなことが起きやすい時期である。学校からもはなれ、自由な生活をしやすい。元気な姿でまた学校での生活をしてほしい。だらけた生活では絶対に良くない。自由と危険は表裏一体である。自覚と責任を求めても難しい年代かもしれないが、考えてほしい。誰も見ていないようでも、見ている人は多い。いろんなことを守らねばならないし、それはとても面倒臭いかもしれない。自由に勝手気ままに何でもやりたいと思うかもしれない。そしてあれやこれやとやっていろんなことが起きるのも、仕方がないかも知れないが、それを心配している人もいる。驚いたことに、こういう話をしても、ほとんどがまともに対応しない。まったくどうでもいいという感じで、いちいちそんなことに構ってはいられないということらしい。つまり、世間一般では、こういう連中に対しては、もはや何も対応しないし、放置されているらしい。なるほどそうかもしれない。だがそれではあまりにも悲しいのではないだろうか?そういうことではあまりにも冷たいし、ある程度は対応するべきである。しかし、ふと気がつくと、そういえば注意するような人は誰もいなくなってしまった。日本が滅亡するのは近いのかもしれない。


路駐creature婆
mauga fam bahor khoobsurti Καλ

sliabh afa alte froy Marw


路上駐車をやめられないBrutta vecchia
野田583の863dark purplek


тоо umunwa kevad skønhed Mouri
[怒り度数は??]
最大級



高校野球を楽しみにしている人は多い。また地元住民からも熱烈な支持をされている。地方の田舎においては、あまり目立った話題がない。実際に高校野球に出場する生徒だけではなく、父兄や学校関係者、卒業生、OBが存在する。甲子園に出場するだけでも大変であり、なかなかそう簡単には出場できない。同じ地区にも数多くの強豪がいて、その中を勝ち進むのは難しい。選手は長く厳しい練習をたえず続けており、毎日が練習である。休みなどない。練習そのものもかなり過酷であり、厳しい。レギュラーになることも難しい。選手の数が少なければ試合にも出してもらえるかもしれないが、多少技術があり、体力があっても、数が多いと、レギュラーにもなれない。それでも勝利するために、協力する。監督は絶対的な存在であり、歯向かうことは許されない。そうしないと勝てないということもある。だが、ここに恐ろしい落とし穴がある。人間だから仕方がないが、どうしても傲慢となる。まるで王様になったかのように錯覚する。すべての支配者となる。誰も彼もが支持し、支援し、熱烈歓迎で服従していると、どうしても傲慢になる。ふてぶてしくなり、謙虚さが失われ、周囲が見えなくなり、裸の王様となる。ここで本当の友人なら、きちんと警告し、注意するべきだが、誰もしない。ただ絶対服従である。するとおかしくなってくる。何もかもわからなくなる。それで試合に勝ち進んだりすると、さらに悪化する。そうなるともう手が付けられない化け物となり、鬼となり、怪物となり、もう人間ではない。完全におかしい。でもそれがわからなくなる。それに周囲はイエスマンばかりで、何も注意しない。また他人の意見など受け入れない。これではさらにますます傲慢になるばかりでどうしょうもない。しかし、勝つためには、和気あいあいと仲良しこよしで楽しくやろうでは勝てないのも事実だ。だからバランスが大切だ。バランスが重要だ。勝つのも大切だが、高校野球にはそれ以上にもっと大切なものがある。勝敗だけではない大切なものがある。日本はなんでもかんでも隠蔽して、闇に葬るがそれでは健全性は失われるし、間違っている。



今年の今の夏の高校野球について、またしてもある学校において不祥事が発生し、試合継続中止となった。今までにもこういうことは何度も繰り返されてきた。スポーツというと健康的で健康的で明るく秩序正しいものというイメージがある。もちろんそういうこともあるかもしれない。しかし、必ずしもそうとは限らない。そんなに理想的な状況ではない。またとかくいろんなことがあっても、隠蔽されやすい。容易に隠蔽されてしまう。スポーツ業界というのは芸能界と同じように、必ずしもすべてが健康的で健全とは限らない。いろんなことが起きる。特に高校野球というのは、微妙なところにあり、プロではないが、プロへの道もある。また学校なのでさらに微妙であり、地元の期待や親や親戚、友人知人の期待もある。高校野球は地元関係者が総力をあげて応援しているし、いろんな支援をしている。甲子園で活躍し、勝利したりすると大変な騒ぎとなる。周囲の期待も大きい。また学校関係としても、甲子園で活躍する学生を全面的に応援しているし、誇りでもある。有名校といえども、勝利することは簡単ではない。それに高校野球に出場できる期間は限られており、進学や就職のこともある。規律を守らせるために、厳しい指導や管理があり、これがまた容易にいきすぎてしまうことが多い。仲良しグループで和気あいあいと笑顔で楽しくやるのが、理想的だが、それでは勝てない。最初からただ出場することだけが目的であり、勝たなくても良いというなら、それほど厳しい必要はない。だが勝つためなら何をしても良いということではない。それは正しくない。そこを大切にするのがスポーツであり、勝つためなら何をしてもよいということではない。スポーツでは勝つこともあるし、負けることもある。勝つために努力することは当然であるが、勝つためなら何をしてもよいということではない。むしろ、負けたとしても、スポーツの心を守れば別の意味の勝利者である。逆に試合に勝ってもスポーツの心を踏みにじり、いじめをしたり、何かの悪いことをするなら、負けである。スポーツをする資格はない。スポーツにはスポーツの心がある。