過去ログ28 2024/10/5 22:45

竹中
Re:オハ31改造のオハ41について(2)
なはにぃー様
オハ31形改造のオハ41形についてオハ31(オハ44400)形の一族(下)車両史編さん会に解説と図面がありました。
座席は中央部32名分を残し、両端の48名分を撤去し木製の長手の座席を設置し、定員は座席68人、立席40人の計108人だそうです。
長手座席には背ずりがなく、残されたボックス席もひじ掛けを撤去しているとのこと、かなり粗末な車内だったようです。
東鉄、名鉄に集中的に配置されたとありますが、具体的な配置は不明です。


仙コリ
Re:オハ31改造のオハ41について
なはにぃー様

オハ31の戦時改造車オハ41についてですが、戦中・戦後すぐの事であるので
詳しい事は調べられなかったのですが、文献(写真でたどるその変遷 国鉄
鋼製客車2)によりますと、昭和18年度に腰掛減少工事(定員増)として
大宮工場・名古屋工場にて50両が施工され、改造の内容は妻寄りの腰掛を
撤去して広場を設け、その際に使用する長手腰掛は撤去したものを流用する
とあります。

戦時改造車オハ41の図面は見つけられなかったのですが、同時期の戦時
改造車オハ40(オハ35からの改造)の図面は公式図面(VC03109)があり、
どちらの戦時改造車も定員増は12名分であるため、上記文献の記述からも
同様の改造内容(両側の妻面寄り12名分の座席を撤去し、その撤去した
座席を流用して8名分の長手腰掛を設置し、20名分の立席を確保すること
によって座席定員は4名分×両側で8名分減少するが、立席の増加分との
増減で12名分の定員増)であると推測されるため、上記図面(VC03109)と
オハ31の図面(VC0361)を元にして、戦時改造車オハ41の図面を作成して
みました。

あくまでも推測ではありますが、このようなシート配置であったと考え
られますので、参考になりましたら幸いです。
https://i.imgur.com/sf2mofQ.jpeg


仙コリ
Re:2010年1月9日のあけぼの号(2022レ)に関して
中谷連様

初めまして。
遅レスで申し訳ありません。

2010年1月9日のあけぼの号(2022レ)の編成についてのご質問ですが、他の
方からの返信が無いようで、やはりピンポイントの特定日の編成となると、
当時毎日編成記録をしていた方、もしくは偶々当該日に記録していた方が
いらっしゃって、その方がこの掲示板を見ている方という偶然が無い限り、
かなり厳しいと思われます。

というだけでは何なので、ネット上で「あけぼの」の編成記録を調べてみた
ところ、30例の編成記録を掲載しているサイトがあり、お探しの2010年1月
に近い日付で、かつ記録日が近い日付での編成の差を調べてみると、
2009年4月26日と2009年5月10日(14日差)
2009年7月24日と2009年8月1日(8日差)
の2例において、寝台車はすべて同一で、電源車のみが異なっておりました。

もちろん中谷様が書かれている通り、青森での数両の差し替えの可能性を
除外することは出来ませんが、折り返しの編成は電源車以外は同一である
可能性が高いのではないかと思いますので、前日の編成がわかっているだけ
でも幸運ではないかと思います。

あくまでも確率の問題ですが、参考になりましたら幸いです。
また、引き続き記録されている方の書き込みを期待いたします。

参考Webサイト
  スリットカメラ鉄道写真館「寝台特急列車あけぼの号編成表」 Up 10/5 14:44


なはにぃー
オハ31改造のオハ41について
お久しぶりです。なはにぃーです。
オハ31の戦時改造車オハ41の活躍期間と、配置について何かご存じの方がいたら教えてください🙏(可能なら内装のシートの配置についても教えてください)


中谷連
2010年1月9日のあけぼの号(2022レ)に関して
初めて投稿及び長文失礼します。
最近、思い出の写真を漁っていたところ、高校生の時に乗ったあけぼの号の写真が出てきました。
この編成を模型化したいと思い、記録している方がいっしゃったら教えて頂けますと幸いです。

@日時は2010年1月9日 上りのあけぼのに乗車
A乗車区間は大鰐温泉から上野まで乗りました。
・その時上野で撮ったのがアップした写真になります。
・EF64-37が故障したか何かでEF81-81が長岡から上野まで牽引していたそ
 うです。
B動画も確認しているのですが、白帯車が2号車のみでした。
参考に
http://ginga55.blog76.fc2.com/blog-entry-35.html

上記のブログの方の情報ですと、1月8日の下り編成は以下の通りだったそうです。
EF65-1032
カニ24-102
オハネフ24-22
スロネ24-553
オハネ24-554
オハネ24-552
オハネフ25-202
オハネ25-216
オハネ24-49
オハネフ25-205

撮影した動画と同じ情報になるのですが、青森到着後に入れ替えや差し替えが行われている可能性があることから断定することが出来ませんでした。

長文で大変読みづらいと思いますが、教えて頂けると幸いです。
よろしくお願いいたします。
https://i.imgur.com/2ekzGfJ.jpeg


ナロ2051
何回ものご回答ありがとうございます
@12両編成の出雲
結果論ですが、山陰本線の有効長が
幸いした。
Aはやぶさあかつきの共通運用
そう言えば、以前にあかつきのナロネ22の件で投稿していました。向日町、長崎の折り返し時間は問題無いのですが、鹿児島での21レから4レの3時間強の折り返し時間、かなりタイトだったと想像出来ます。
B品川の予備車
47.3改正で殿様あさかぜでない博多
あさかぜの14系化、12両編成の出雲で品川の使用車両が36両減少しており、品川の予備車減少当然かと
思います。
C向日町の予備車
P誌444号54ページ20系客車需給表によると、ハネフの使用は16両に
対し予備車は僅か3両。正しく綱渡りの運用だったのではないでしょうか。特にやむを得ずに22.23に寝台数が6少ない21を使用する時は冷や汗ものだったと想像します。ただ
7ヶ月後の10月改正で14系の新製投入が決まっており、7ヶ月なら全般検査の期限を考慮すれば、なんとか
乗り切れるとの判断だった様な気がします。


仙コリ
Re4:とある疑問
ついでといってはなんですが、47年3月改正に向けて品川以外から向日町へ
転属した5両の転属元である青森客貨車区における、同期間の20系客車の
運用・両数の変遷表を作成してみました。
https://i.imgur.com/gu3PLql.jpeg


仙コリ
Re3:とある疑問
ナロ2051様

文章だけではわかりにくい面もあると思いまして、比較できる表を作成してみました。

参考になれば幸いです。
https://i.imgur.com/VmwBDX6.jpeg
https://i.imgur.com/rbBqbAW.jpeg


仙コリ
Re2:とある疑問
ナロ2051様

自己レスとなりますが、前回投稿した内容について、品川配置の20系予備車が
9両少なくなっていると書きましたが、これは43年10月改正時点から47年3月
改正時点の差でありまして、これらのダイヤ改正の間に品川にナハネ20が2両
増備(1両は青森から転属)されていたので、実際には11両の予備車が少なく
なっております。

これで残りは5両分となり、この5両については青森から向日町に転属となって
おります。


仙コリ
Re:とある疑問
ナロ2051様

 47年3月改正における20系客車の運用の変更についての質問ですが、確かにおっしゃる通り
当時の20系寝台特急の基本的な編成は15両なので、単純計算で30両の不足が出そうですが、
当時の状況を調べてみますと、

1、急行格上げにより20系寝台特急となった「出雲」の編成は15両ではなく12両であった
ので、ここで6両分の余裕が生まれました。

2,47年3月改正前の21レ・22レ「あかつき1・2号」の受け持ちは基本編成(鹿児島編成)は
向日町、付属編成(長崎編成)は品川であり、付属編成が「はやぶさ」と共通運用でしたが、
47年3月改正後は21レ・22レ「あかつき1・3号」の基本編成の受け持ちも品川に変更となり、
編成全体が「はやぶさ」と共通運用となりました。
この変更により、「はやぶさ」の基本編成がひとつの運用で8両編成が3編成必要であったのが
鹿児島側の間合い運用で21レ・22レ「あかつき1・3号」の基本編成の運用を賄うことにより、
改正前の「はやぶさ」運用で3編成、「あかつき」運用で2編成の計5編成が必要であった
ところを、4編成で賄えるようになったため、ここで8両の余裕が生まれました。

3,上記の余裕分により、47年3月改正において、品川配置の20系予備車が9両少なくなって
おります。(ちなみに向日町の予備車両数は変更なし。)

1〜3によって、合計23両分が捻出されており、残りの7両分は全国的な配置数量の見直し
によって捻出された模様です。


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