過去ログ29
2024/10/15 15:04
仙コリRe:オハ31改造のオハ41について(11)竹中@ノーブルジョーカー様
「〇〇系の一族」についてお調べいただきましてありがとうございます。
VC図面については、本物の図面をそのまま掲載している資料は見たことが無く、
「鋼製客車形式図1951(日本国有鉄道車両局)」でさえも元図面そのままでは
なく、文字部分等についてはすべてキャプション表示となっております。
もっとも、VC図面そのものは一部が汚れていたり(私の持っている複写データ
についてのみかもしれませんが)、当時の書き方の文章なので、読み取りが困難
だったりしております。
「オハ31系の一族」に掲載されているオハ41の図面について考えられるのは、
オハ41の公式図面(VC図面)が存在していないため、タネ車であるオハ31の
座席減少車の図面であるVC03312がオハ41の図面であるというのが一般的な認識
として広まってしまっている(定員及び作図年月日が合致しないのですが)
のではないかと思われます。
スハ36の図面は存在する(VC03110)のに、VC03314が掲載されているのは謎を
深めてしまいますが…
なぜオハ41の図面が存在しないのかですが、前述した一覧表における戦時改造
車の図面(VC03105〜VC03112)の直前の図面番号であるVC03102〜VC03104
が欠番となっているので、ここに本来オハ41とオハフ40の図面があり、戦中戦後の
混乱期に紛失?焼失?などにより欠番となってしまった可能性があるのかなと
思います。
また、戦後の座席減少車(VC03311〜VC03315)について記述してある文献は
ほとんどなく、私の調べでもオハ35系だけで、唯一「鉄道ピクトリアル 別冊
国鉄形車両の記録 オハ35系客車」に通勤客車改造計画として改造内容と図面が
掲載されており、「VC図面には描かれているものの、実際にどの程度の両数が
施工されたかどうかは不明である。」とあるので、特にオハ31系とスハ32系
については、それこそ図面だけで実現しなかった車両(いわゆる幻の図面)である
可能性もあるのかなと思います。
その点からも、戦時改造車の図面(VC03105〜VC03112)と、戦後の座席減少車の
図面(VC03311〜VC03315)が混同されている原因になっているのではないか?
と思われます。
どなかか当時の事情を知っておられる方はいらっしゃらないでしょうか?
竹中@ノーブルジョーカーRe:オハ31改造のオハ41について(10)仙コリさま
一族の本を開いてみましたが、悩ましい結果となりました。
最初にお伝えするのは、この本ではVC番号は図のキャプションとして入れられており、図面内に書かれているものが表示されているわけではない、ということです。
一族に掲載されている図面とその番号は仙コリさまの一覧表通りなのですが、戦時下の座席減少工事としてのオハ31→オハ41にVC03312が、スハ32(丸屋根)→スハ36(82〜102)にVC03314が掲載されていました。
番号から3100番代は戦前、3300番代は終戦直後とするのが自然かと思います。
3100番代の図面に比べ、3300番代はクロスシートの撤去数が多く、ロングシートが木製となっています。オハ41の解説に木製のロングシートの図面は戦災復旧車にも使われたようだと記述もあり、混同していた可能性があるのではないか?と思われます。
この一連の本は前号の訂正も載っているのですが、これら図面に関する訂正・修正はありませんでした。
なお、戦後の座席減少車はオハ35(VC03311)、オハフ33(VC03315)のみ記述があり、オハ31系、スハ32系には記述はありませんでした。
仙コリRe:オハ31改造のオハ41について(9)竹中@ノーブルジョーカー様
謎の多いオハ41ですが、公式資料に両数などが記録されているのにも
かかわらず公式図面が存在していなく、スハ36の図面(VC03110:昭和
18年5月14日作図)とオハ40の図面(VC03109:昭和18年5月14日作図)
は存在するのにオハ41のVC図面は存在しない、同様に緩急車についても
オハフ34の図面(VC03108:昭和18年5月10日作図)とスハフ35の図面
(VC03106及びVC03107:昭和18年5月10日作図)は存在しているのに
オハフ40のVC図面は存在していません。
一方、戦後の座席減少(定員増)改造の図面はオハ31(VC03312:昭和
22年8月25日作図)スハ32(VC03314:昭和22年9月5日作図)オハ35
(VC03311:昭和22年8月18日作図)と存在するのですよね。
ただしこちらは、「鋼製客車形式図1951(日本国有鉄道車両局)」には
掲載されておりません。
参考までに前述の「鋼製客車形式図1951(日本国有鉄道車両局)鋼製
客車形式図目録」及びVC図面記載データから読み取れる、戦時改造車と
戦後の座席減少(定員増)車の各種データを一覧表にしてみました。
ちなみに「オハ31系の一族」に掲載されているオハ41の図面は、先日
私が掲載したオハ31の戦後の座席減少(定員増)車の図面とされる
VC03312の模写とほぼ同じでしょうか?
もしそうであれば、同シリーズの「スハ32系」「オハ35系」をお持ち
でしたら、オハ31系も含めて各形式の戦後の座席減少(定員増)車に
ついて記載されているかどうか教えていただけると助かります。
よろしくお願いいたします。
https://i.imgur.com/Xblyu34.jpeg
竹中@ノーブルジョーカーRe:オハ31改造のオハ41について(8)仙コリ管理人様
なはにぃー様
オハ31系の一族を開いてみたら、管理人様の推測図と異なる記述、図面がありましたので紹介した次第です。
確かにオハ40形とは同じ18年度にもかかわらず改造内容が異なり、不自然と思います。
図面だけで実車は異なっていたのか?謎ですね。
仙コリRe:オハ31改造のオハ41について(7)なはにぃー様
オハ31改造のオハ41の存在時期ですが、私の調べでも昭和24年度から復元
されているようですが、「に」ではなく「から」であって、前述の「鋼製
客車形式図 1951」の記載では昭和25年度末両数12両とあるので、1951年
3月までは存在していたようです。
ちなみに昭和29年3月発行の同形式図追録に記載されている昭和28年度末
には現車なしとなっています。
シート配置については、私が掲載したオハ41の図面とオハ31の図面のどち
らが正しいかはわかりませんが(といってもオハ41の図面は公式の物では
なく、あくまでもオハ40(オハ35戦時改造)の図面(VC03109)を元に
私が作成したものですが、スハ36(スハ32戦時改造)の図面(VC03110)
においても、改造内容はほぼ同様ですので、同時期の改造であるオハ41
(オハ31戦時改造)だけ仕様が違う、と考える方が不自然であると思わ
れます)車端部のみロングシート化した、いわゆるセミクロスシート状
のシート配置であったのは間違いないと思われます。
なはにぃーRe:オハ31改造のオハ41について(6)仙コリ様 竹中様
なるほど、ロングシートがボックスシートを挟み込む様な内装なんですね!戦後直後に復元されていたとは言っても1950年頃までいるかと思いましたが1949年頃に無くなっていたとは…。
戦時~終戦直後の車両なだけに資料が少ないのは知っていましたが、ご丁寧に教えて下さりありがとうございますm(*_ _)m
PF映画「ある機関助士」と急行みちのくの編成について皆様こんばんは。
20年近く前にこちらのBBSで質問をしたPFと申します。
その節は私の稚拙な質問を諸先輩方より丁寧にお答えして頂き、本当にありがとうございました。
大のブルトレ好きでしたが全廃になり鉄道趣味から遠ざかっていました。ところが、ふとしたきっかけで映画「ある機関助士」を視聴し、C62を始めとしたSLや旧客の魅力に取りつかれてしまいました笑
今回も皆様にご質問したい事があり、投稿致します。
1.映画の撮影で使われた急行みちのくの編成について
当方で調べた所、昭和37年頃の急行みちのくの編成は
マニ60+オロ61+オロ61+スシ48+スハ43+スハ43+スハ43+スハフ42+スハ43+スハ43+スハフ42なのですが、映画ではカット毎で編成が異なったり、(そもそも単機で撮影していますが…)水戸駅の引き継ぎシーンでは「現車10両の34車」と言われているので、映画での編成は正規の編成と違うのではないかと思い、ご存知の方いらっしゃいましたら、ご教示頂ければと思います。
2.「ある機関助士」について取り上げている雑誌について
上記の編成が載っているのではないかと思うのと、映画の内容を掘り下げたいと考えています。当方では
・ネコ・パブリッシング「SL甲組の肖像3」
・潟Gリエイ「とれいん No.205」
・イカロス出版「蒸気機関車EX Vol.44」
上記を入手したのですが、これら以外で「ある機関助士」の特集や撮影の事、編成について等、載っている雑誌や書籍等、ご存知の方いらっしゃいましたら、ご教示頂ければと思います。
以上、長文失礼しました。m(_ _)m
仙コリRe:オハ31改造のオハ41について(5)念のためですが、けっして竹中様の書き込みや車両史編さん会様の資料が
間違っていると断言しているわけではなく、発行が古い国鉄の資料の方が
正しいのか?新しく発行された資料が過去の間違いを訂正して正しい内容
となっているのか?どちらが真実であるのか現時点ではわからないという
意味での書き込みですので、悪しからずご了承ください。
仙コリRe:オハ31改造のオハ41について(4)竹中様
フォローありがとうございます。
車両史編さん会様の資料であれば信憑性は高いと思われるのですが、前述の
「国鉄鋼製客車2」にはオハ41の定員は92名と記述してあり、日本国有鉄道
車両局発行の「鋼製客車形式図 1951」においても、形式図そのもは掲載
されていないのですが、巻頭の目次にあたる鋼製客車形式図目録にはオハ41
について、番号1〜50 定員92 改造年昭和18年 昭和25年度末両数12両
と記載されており、「国鉄鋼製客車2」の記述とも一致しております。
それでは、竹中様ご紹介の、定員が座席68人立席40人の計108人という車両
がなにかというと、「国鉄鋼製客車2」のオハ41についての記述のあとに
「その後形式の変更もしないで定員の増加した車が10数両出ました。」と
ありまして、手持ちのVC図面(画像データですが)にもオハ31形式として
昭和22年8月25日付けのVC03312があり、
改造後 オハ31形式 定員 座席68人 立席40人 計108人
との記述もあります。
国鉄作成・発行の資料ですので、最も信頼のおける資料ではあると思うの
ですが、いわゆる幻の図面が存在するのも事実なので、真実はどこに?
といったところでしょうか。
念のため、前回作成したオハ41の図面(多少手直してました)と、定員増
改造されたオハ31の図面(VC03312の模写)を掲載してみます。
https://i.imgur.com/nl1tis8.jpeghttps://i.imgur.com/4ZrlcQD.jpeg
竹中@ノーブルジョーカーRe:オハ31改造のオハ41について(3)オハ41形の活躍期間ですが、昭和24年度(1949)から始まった更新修繕で復元され元の形式、番号に戻されたそうです。