過去ログ30 2024/12/8 16:13

初雪
急行「ニセコ」/「大雪」愛称板は気動車なのか?客車なのか?
 はじめまして。八方ふさがりの末ここに辿り着きました。鉄道の愛称板について教えてください。
 画像のホーロー白板赤浮き文字の愛称板についてです。表面が「ニセコNISEKO,裏面が大雪TAISETUで〇札」 です。

 この愛称板に関して私が知りたいことは@「これはデーゼルで使用されたものなのか?蒸気機関車牽引の客車で使用されたものなのか?または両者なのか?」と、Aこの愛称板の主は函館から札幌までは「ニセコ」、札幌からは「大雪」に化けて北見(網走・釧路)を目指し、折り返しは「大雪」で札幌に到着し、今度は「ニセコ」に化けて函館に戻ってくるというパターンの列車だったのでしょうか?

 素人なりにニセコの登場と大雪の存在が重なる昭和43年以降の蒸気機関車牽引の時期を調べましたが、ニセコにも大雪にも蒸気牽引の客車急行とディーゼル急行があり、加えて客車夜行急行大雪の普通列車運転区間のことやらディーゼル大雪の運用が複雑なうえ始発が小樽だったり札幌だったり旭川だったりで、もう、たった数文字、盤の形、つくり、所属というヒントしかない中から糸口を自分で見出して探して追いかける限界を感じました。

 有名な記録映画「雪の行路 急行ニセコC62重連 - 雪の峠に挑む」に旧客に装着された同型の愛称板(画像)が出ていました。色・形状はそっくりですが、映画の愛称板の裏面はどうなっているのか分かりません。

 詳しい人の中には「連続運用で、ニセコ⇒大雪に運用していたもの。※大雪が函館始発だった時代は、座席車は函館所属、寝台車は札幌所属でしたが、山線区間の廃止で札幌始発になったときに、寝台車同様に札幌所属になった。以上のことから、札幌運転区所属で、スハ45などの旧型座席客車で使われていたものと推測。旧型客車時代のニセコは札幌到着後、基地へ引き揚げて整備を受けるので、そこで寝台車を連結するなどの組成替えや清掃をした後で、夜行の大雪として運転したと思われる。」とおっしゃる方もいらっしゃいます。
 しかし当時の下り大雪6号は普通列車で函館を出て札幌で寝台車をくっつけて「大雪」になるので、「ニセコ」の客車と混じるとは思えないのですが・・・

 この辺りに詳しい方がいらっしゃいましたらご教示願いませんでしょうか?
https://i.imgur.com/7H9z0Qp.jpeg
https://i.imgur.com/JWrQdsX.jpeg


秋田のho
『マイテ49‐2の屋根のベンチレーターに関しまして』
マイテ49‐2の屋根のベンチレーターに関しまして、
もしも御存知な御方がおられましたら、
御教示を御願いしたいのですけれども、
マイテ49‐2の屋根のベンチレーターは、
現役時代に、
空調機を装備した時に?、
撤去されまして、
そのままの状態で交通科学館で保存展示されまして、
国鉄末期に復元工事を開始する迄は、
撤去されたままでありましたけれども、
国鉄末期に復元工事をされました後は、
マイテ49‐2の屋根のベンチレーターも復元されまして、
現在に至りますけれども、
国鉄末期に復元工事をされました後のマイテ49‐2の屋根のベンチレーターは、
外見だけの飾りの状態ではなくベンチレーターと致しましての機能も致しておりますでしょうか?、
それとも、
外見だけの飾りの状態でありますでしょうか?、
もしも御存知な御方がおられましたら、
御教示を御願いしますです。

HP

金春 安明
スハネ30の車内・もの好きヲヤヂ様
上野駅発の北行きのスハネ30の車内の中段ベッドを山手線から見ました。ブルートレイン20系の三段ベッドでした。別の機会に東京行きの急行「大和」に名古屋から乗った際は、ナハネ10系の背もたれ兼用の中段でした。

HP

PF
ありがとうございました。
クモイ103様

ご返信ありがとうございました。
私も見返すのですが何度見ても感動します。

確かにEF80の投入に伴い、客車は電気暖房搭載車に変える必要が出てきますね。そこまで頭が回っておりませんでした。

スロ51、54がオロ61に変わったのも改造工事の手間を減らすためだったとは、寝台車も同様の事が起きていたのですね。勉強になります。

改めて映画が撮影された時期が上野〜水戸間無煙化の節目だったのだなと実感しました。
映画の中でも引きのアングルや画角の片隅にEF80、401系、キハ81等が出てきますね。

映画における急行みちのくの編成は昭和37年10月改正後の編成を基本としつつ、様々な編成を流用して撮られた。という所でしょうか。

オロネ10らしき車両、水戸駅の発車シーンでチラリと映りますね。
回復運転のシーンも次位が特ロだったり、ナハフ11のような車両がいたり。

上りの12レ機関車は水戸・上野共にC62-22でした。
実はワンカット、C62-20だったりもします。

クモイ103様、仙コリ様のご返信に重ねて感謝申し上げます。


PF
映画「ある機関助士」と急行みちのくの編成について
仙コリ様

ご返信ありがとうございます。
質問内容があまりにもマイナー過ぎたかなと反省していました。(^^;

昭和37年10月改正前後では編成が異なるのですね。
撮影時のデータと合わせると改正後の編成で撮影していた事になりますね。

仙コリ様の考察と昭和36年10月ダイヤ改正における所定編成を見ると
自分も現車10両の時もあったではと思います。

やはり換算両数「34車」という部分は謎ですね。
ご指摘の通り編成の大半がス級なので、40車前後になりますから…

台本の間違いだったのか、本当に340t編成だったのか。
真相は分かりませんね^^;


クモイ103
Re2: 映画「ある機関助士」と急行みちのくの編成について
「ある機関助士」は時々見返すことがある好きな作品ですが、
撮影に関して深く考えたことはありませんでした。
詳しい事は分かりませんが、関係ありそうな話でお茶を濁させて頂きます。

仙コリ様が言われた撮影期間によれば、確かに37-10改正後でEF80が登場していた筈ですね。
常磐線の客車編成の変遷を考える上で、このタイミングは重要な節目です。
客車を電気暖房搭載車にしなければならなかったからです。

常磐線系統の急行列車の編成史を見ると、それまでスロ51や54が多用されていたものが
この改正を機に軒並みオロ61(→後年冷房化でスロ62)に統一されています。
これは電暖化改造工事の手間を軽減するため、
当時オハ61からの改造によって増備が進んでいたオロ61を電暖付きとして常磐線へ投入し、
非電暖車を他線区へ転属させたためです。
寝台車についても同様の動きがみられ、
以後東北方面のハネ車からはナハネ11(→後年冷房化でオハネ12)がいなくなり、
当時増備が進んでいたオハネ17(→後年冷房化でスハネ16)が主力となりました。

映画の方ですが、3分の遅れを背負って水戸駅を発車するホーム上のシーンでは、
一瞬ですがオロネ10と思しき車両が写っているので、
明らかに「みちのく」とは別の列車が代役を務めています。
また緊迫の回復運転中の走行シーンでは
機関車次位に荷物車でなく特ロが連結されている場面もありますから、
列車シーンはいろいろな材料を寄せ集めたように見受けられます。

さすがに機関車は水戸駅発車シーンと上野駅到着シーンで同じC62 22ですね。


仙コリ
Re:映画「ある機関助士」と急行みちのくの編成について
PF様

映画「ある機関助士」の撮影に使用された急行みちのくの編成についてとの事
ですが、今のところレスも無く、やはり撮影に使われた車両の特定はかなり困難
であると思われます。

実際の撮影日(ネット上の情報によると昭和37年10月25日クランクイン・
昭和38年2月16日クランクアップ)には、舞台である上野-水戸間の牽引機は
電気機関車(EF80)に変更になっているようなので、走行シーンの撮影は
水戸以北で行われたのか、撮影用の臨時列車を運行したのか、はたまた
まったく別の列車を撮影したのかと思われますが、いずれにしても基本的には
その時点での「みちのく」の編成が使用されていた事が多いのではないか
と思います。

一方、物語の設定は上野-水戸間がC62牽引であった昭和37年10月ダイヤ改正前
なので、物語の中のセリフとしては当然C62牽引時代を再現するはずであり、
映像の編成とセリフには乖離があるものと思われます。

昭和37年10月ダイヤ改正直前の昭和36年10月ダイヤ改正における所定編成は
マニ スロ54 スロ51 スシ28 スハ43 スハ43 スハ43 スハフ42 スハ43 スハ43 スハフ42
といった11両編成であったようです。

閑散期には1両程度減車され10両編成での運行もあったのではないかと思われる
ので、現車10両というのはありえたのではないかと思います。
ただ、劇中のセリフでの「現車10両の34車」の「34車」という部分は謎です。
私の認識ではこの部分は換算両数だったと思うのですが、上記編成はほとんどの
車両が「ス」級であり積車換算両数は4.0なので、スハ43の一部がオハ47等に
代わっていても、10両編成では換算両数は40前後になると思われます。

私の認識が間違っているのか?、どなたか詳しいことがわかる方がいらっしゃい
ましたらフォローお願いできればと思います。

参考資料
 改訂版往年の客車列車編成表(アルモデル)
 名列車列伝シリーズ18 東北客車急行(イカロス出版)
 日本国有鉄道監修時刻表 1961年10月号


事業用客車好き人
訂正します
訂正です、
鉄道ピクトリアルは客車特集ではなく、2012年9月号事業用車特集でしたね。


事業用客車好き人
無題
仙コリ様
遅くなりましたが、この度は掲示板内でご教授いただき大変ありがとうございます!!!
鉄道ピクトリアルの客車特集はまだ所持していない本の為、今後時間をかけて探してみる事に致します…

ちなみにメールのハンドルネームについてですが、普段はハンドルネームの通り白帯貨車及び事業用代用貨車の研究調査が忙しい為、あまり事業用客車は白帯車と連結されている写真をあまり拝見していない事もあり、客車についてもあまり不得手の様で、しかもここは客車内に限られる為、貨車倶楽部のサイトがあれば白帯貨車についても発言出来たのですが…

まだまだ客車については勉強不足ですが、これからも宜しくお願い致します…


仙コリ
Re:オハ31改造のオハ41について(12)
なはにぃー様

オハ31改造のオハ41の存在時期ですが、図面について調べているうちに
前述の「鋼製客車形式図」の追録に昭和27年度末の形式別両数表もある
ことに気が付きまして、昭和25年度末両数12両、昭和27年度末両数4両、
昭和28年度末には現車なしとなっていますので、実際に使用されていた
かどうかは不明ですが、昭和28年(1953年)まで実在していたようです。


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