過去ログ39 2025/5/24 7:29

スポック
門司での入れ換えについて
一連のやりとりの中で、「天草」から「高千穂」への繋ぎ換えが、時間が短いとの指摘がありましたが、入れ替えを本務機を使用して行えば、そこまで短くないのでは、と思います。
「天草」の本務機を外し−入れ換え機で14号車を引き上げ−「高千穂」へ連結−入れ換え機引き上げ−本務機連結の流れを「天草」から引き上げるところから「高千穂」用本務機で行えば、と思ったのですが・・。
別件ですが、去年の投稿で「さつま」の食堂車の件が投稿されていたのですが、自分の手持ちの時刻表では、「さつま」に食堂車はありません。基本編成は3号車から9号車で1・2号車欠車です。
代わりと言ってはあれですが「阿蘇」に増号車の食堂車が4号車と5号車の間に挟まってます。
で、この「阿蘇」の基本編成(名古屋区担当、食堂車を除く)1号車から9号車が「天草」と共通運用との記事をどこかで見かけたのですが。この記事の通りであれば京都発着にもかかわらず「天草」は名古屋区担当と言うことなのでしょうか。


スポック
Re5: 「高千穂」の14号車
クモイ103様
有り難うございます。少なくとも619レで飯塚に下っていた時代があることが確認できただけでも収穫でした。(要は門司についた車両を飯塚に送り込む運用が存在したということ)
’61年の時刻表では門司−門司港の区間運転は146レしか載っていないのですが、’63年では144レが増えてます。146レは折り返し141レに充当かもしれません。(’61年は143レか621レ)


クモイ103
Re4: 「高千穂」の14号車
スポック様

門附3が619レに連結された区間は、少なくとも昭和36年10月改正時には門司からでした。
但し、次に改正のあった37年10月以降のことは分かりません。
門司での停車時間が短くなっているということは、おっしゃるように門司港からに変更された可能性も考えられますね。
ただ、残念ながら私はそれを判断する材料を持っていません。
鉄道博物館のライブラリーに37-10改正時や38-10改正時の客車運用表があったと思いますので、それを丹念に調べれば分かるかもしれません。


スポック
Re: 「高千穂」の14号車
クモイ103様

詳しい情報有り難うございます。現在手元で見ている時刻表が、’63、11月なのですが、これだと619レは門司港14:16、門司14:23/14:26で飯塚16:18(頃)16:23発になっています。36レの門司発は22:20なので、こちらは少し(61年)より余裕があるようです。619に3分で連結できたのですかね。多分飯塚での切り離しも考えると、最後部へ付けるだけだとは思うのですが。
もしかですが、門司港へ144レで送り込みとかないですかね?(144レは門司発門司港行13:40/13:50です)


クモイ103
Re: 「高千穂」の14号車
スポック様

幸い手元に昭和36(1961)年10月改正時の東京鉄道管理局の客車運用表があります。ご指摘の付属編成の運用は下記の通りです。

運用番号:門附3
受持駅:門司
運用順序:門司−619→飯塚−208→門司−36最前→東京−回5036→品川−回5035→東京−35最後→門司
車種:スハフ
両数:1
組数:3

運用開始の619レは門司港発筑豊本線経由原田行きの普通列車です。
東鉄の運用表なので、東鉄管内に来ないこの列車の編成は分かりません。
当時の時刻表で619レの時刻を見ると、鹿児島本線のページと筑豊本線のページで食い違いがありますが、前者を優先して書くと次の通りです。
門司港14:30→門司14:37/14:44→飯塚16:12/16:17→原田17:00

車種は「スハフ」とだけ指定されています。
当時の門司にはスハフ42と共にスハフ32も配置されていて、運転管理のルール上はそれでもOKなのですが、優等列車ですから慣例的にスハフ42が優先使用されたことでしょう。
「ARC資料館」様がスハフ42と書かれている背景にはそういう事情があります。

ちなみに208レ[天草]と36レ[高千穂]の門司着発時刻を見て、大変なことに気付きました。
・208レ[天草]:22:11着/22:24発
・36レ[高千穂]:22:07着/22:18発
なんと22:11から22:18までの僅か7分間で14号車を[天草]から[高千穂]へ「移植」し、それに関門トンネル用のEF30への機関車交換も絡みますから、実に忙しい入換作業が毎晩行われていたことになります。
入換の手順がどのようなものだったか興味が湧きますが、今となっては想像(妄想?)するしかないでしょうか。


スポック
「高千穂」の14号車
古い時刻表を見ていて気がついたのですが、61年から64年9月にかけての急行「高千穂」ですが、14号車が東京−門司となっており、上りのみ飯塚−東京です。上りの飯塚ー門司間は「天草」に連結されてくるのですが、下りの送り込みが不明です。ちなみに「ARC資料館」様の記事に寄れば当該車両はスハフ42のようです。(1等寝台と13号車を除き10系客車)
どなたか詳細ご存じでしょうか?


事業用客車好き人
貨車専用の掲示板も作成しました!!!
皆様、ご無沙汰しております。
ついでに今日、客車以外の国鉄JR等に関する貨車専用の掲示板も作成しましたので、貨車に興味がある方は宜しければこちらもご活用お願い致します。

リンクはこちらです→ https://www.z-z.jp/bbs.cgi?id=kashajnrjr&p3=&th=&th2=&rekai=&style=1&wr=1

今後も宜しくお願い致します。


クモイ103
Re: マシ38 室内灯
沫菌庶町様

車両の内部の色は専門外です。
お役に立てず申し訳ありません。
その方面にお詳しい方もいらっしゃると思いますので、
どなたか話題をひろって下さることを期待したいと思います。


沫菌庶町
マシ38 室内灯
クモイ103様

供奉車330号の件では、
結構踏み込んだ御指南をいただき、小生も楽しく妄想させてもらいました。
自分なりに処遇を決めようと思います。

もう一つ「マシ38」のことでお訊ねいたします。
過去こちらの掲示板でも幾度か取り上げられてましたが、
ほとんど有名な「安芸」関連だったと記憶しております。

私が生まれも育ちも九州なので、
(生まれてもいないのに)1957年の「さちかぜ」になるのです。
なのでこの時のマシ38の正確な姿をお聞きしたいぼです。

外観はほぼ解っているつもりです (ぶどう1号、形式車番に上に東シナ等)が、
内装はアールデコ調ろ聞いただけで壁色や灯色が判りません。
いかがでしょうか?
ピンポイントで申し訳ありません。


クモイ103
Re4: マロネ29-100擬?
沫菌庶町 様

>車体色はぶどう1号に塗り替えたほうがいいのでしょうか?

供奉車として使用するなら正確には「ため色」でしょう。

お手持ちの模型の塗色はぶどう色2号のようですね。
もし下記の私の妄想を共有して頂けるなら、そのまま使う方法が全く無いわけではありません。
あくまで私の妄想ですので、お気に召さなければ読み流して下さい。

田邊幸夫著「御料車物語」に、次の記述があります。
************
昭和35年、新しい御料車の製作に伴い、これに編成される供奉車も揃えて新製されるのではないかと思われましたが(企画はされていたが)これは実現に至らず、昭和6年に造られた在来の1号編成用各車(当時で車齢30年)を改造し近代化させて間に合わすことになりました。
************
供奉車も新製するという案もあった模様です。
歴史のIFですが、もしそれが実現していれば、在来の1号編成用供奉車はその任を解かれ、何らかの形で身の振り方を検討されたことでしょう。
現実の歴史で“皇籍離脱”した供奉車としては、300号及び301号(→スイ38)、400号(→スヤ39 21)があります。
もしも330号が昭和35年に供奉車の任を解かれたなら、これらと同様に何か特殊な用途に変更されたかもしれません。
お手持ちの模型は車内が作り込まれていないようなので、それを逆手にとって空想上の新しい用途をあてがえば、ぶどう色2号で問題ないことになります。
くどくどと妄想を展開してしまい、失礼しました。


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