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2025/10/21 23:07
クモイ103【訂正】Re11: 急行「大雪」崩れの124レにつきまして>なお、この達は昭和30(1955)年、次の達に伴って廃止されました。
→昭和33(1958)年でした。失礼しました。
クモイ103Re11: 急行「大雪」崩れの124レにつきましてstudio4310様
貴重な写真をご紹介下さり、ありがとうございます。
まさにマニ+スユニ+旅客車6両で、
後ろから2両目にもスハフが入っていることから、
最後部の1両は附属編成であることが伺えますね。
仙コリ様
荷物車と郵便荷物車の連結順序の件で、
ちょっと関連しそうな国鉄内規があることはあります。
ただ、合造車を想定した条文は見当たりません。
【昭和4(1929)年9月14日 達第721号】
旅客列車編成心得左ノ通リ定メ九月十五日ヨリ施行ス
 (中略)
第五条
旅客列車ノ本編成ハ基準寄ヨリ左ノ順位ニ車室ヲ配列スヘシ
但シ当該車室ナキトキハ之ヲ欠位トス
一 郵便室
二 荷物室
三 客室及食堂
 (以下略)
この定めはあくまで「本編成」の中について言っているので、
郵便車や荷物車が附属編成扱いの場合は当てはまりません。
附属編成の連結順序には細かい規定はありませんでした。
なお、この達は昭和30(1955)年、次の達に伴って廃止されました。
【昭和33(1958)年9月30日 総裁達第494号】(施行は10月1日)
旅客及び荷物輸送手続を次のように定める。
 (中略)
(列車本編成の編成順序)
第114条 列車の本編成は、基準寄から次の各号に掲げる順序に車室を配列しなければならない。但し、該当する車室がない場合は、これを欠位とする。
(1) 荷物室
(2) 郵便室
(3) 客室及び食堂
 (以下略)
なぜか荷物室と郵便室の順序が入れ替わっています。
その後昭和42(1967)年4月1日、この達の内容は
「旅客輸送基準規程」に概ね引き継がれましたが、
客車の連結順序に関する条項は姿を消しました。
以上のように、あくまで本編成の中身についてだけ
「郵便室」と「荷物室」の配列順序が示されていました。
しかし実際には荷物車や郵便車は附属編成扱いのことが多く、
その場合はそもそもこの規程の対象でないことに加え、
現実には入換作業のし易さや駅での停車位置の都合など
列車個別の事情に応じていくらでも変則的な連結順序がありました。
なおご参考までに、以上の国鉄内規に規定された客車の連結順序の法則に関して、数年前の雑誌にまとまった解説記事があります。
月刊レイルマガジン 412・413(2018年1月号・2月号)
「考察・国鉄旧型客車の連結順序(前編・後編)」
興味のある方は探してみては如何でしょうか。
ナロ2051寝台車のリネンの運用について上記の件ですが2パターンが考えられます
@受持区で復路分も積み込み、目的地の基地で積み込んだリネン類を使用して受持区で往復分を降ろす。
A受持区では往路のみセット、目的地で使用済みのリネン類を降ろし、
目的地で洗濯済みのリネン類を使用
の2つのパターンが考えられます。
ただ、国鉄時代は管理局の縄張り意識が強く、自局の面倒は自局の考えなら@のパターンになると思いますが10系20系なら給仕室発生の乗務員が有りリネン類の保管スペースに
問題は無いのですが、14系以降は
ハネフの乗務員室しかスペースが
無く、あの限られた空間で復路の
リネン類を保管できていたのでしょうか?となればAのパターンで運用していたのでしょうか?
客車列車直接の疑問では有りませんがご存知の方ご教示ください。
studio4310急行「大雪」崩れの124レにつきまして仙コリ様、クモイ103様
ヨンサントオ前(S43.8.10)に撮影しました同列車(このころは急行「石北」崩れ)の画像もアップしておきます。
最後の1両がカーブで写っていませんが、普通車は6両でした。
https://i.imgur.com/W91Bc3zh.jpgHP
studio4310急行「大雪」崩れの124レにつきまして仙コリ様
画像のアップロードが出来ました。
今回はかなり詳細な情報を教えていただき、ありがとうございました。
クモイ103様
画像がアップ出来ました。
私のARC資料館での解釈が完全ではなく、またARC資料館にも誤記があることも確認できました。
色々お世話になりました。
ありがとうございました。
https://i.imgur.com/fJy448hh.jpgHP
studio4310急行「大雪」崩れの124レにつきまして仙コリ様
画像のアップロード方法をお教えいただき、ありがとうございます。
このコメント欄内にアップしてみます。
https://i.imgur.com/DgMC2guh.jpgHP
仙コリ(管理人)画像のアップロード方法につきましてこのレンタル掲示板のシステムにおける画像のアップロードの方法が、
いつのまにか変更されていたようです。
いろいろと試してみましたが、PCの場合は、投稿フォーム下部の
「lmgurに画像をアップ」または「複数アップ用」をクリックして、
「Drop images Here」に画像ファイルをドロップするか、
「Choose Photo/Video」をクリックして画像ファイルを選択した後に
上部に表示されるURL(
https://imgur.com/a/〇〇〇)をコピーして
投稿する本文(コメント)中にペーストすれば表示されるようです。
私自身も方法を見つけるのに苦労しましたが、画像をアップされる際には、
試していただければ幸いです。
 Up 10/21 18:57
仙コリRe7:急行「大雪」崩れの124レにつきまして「大雪」崩れの124レの編成につきまして、手持ちの資料とWebで公開
されている編成をまとめてみました。
https://i.imgur.com/WppYYxch.jpg(Web掲載の名称はぼかさせていただきました…バレバレですが…)
特に全区間走破(上り列車のみ)の荷物車について、時刻表に掲載されている
編成表上で、下り列車の運行区間(札幌→網走)のみが記載され、これと
異なる上り列車の運行区間(網走→函館)に関する記載が省略されている?
ため、主にWeb上の編成表が影響を受けているように見受けられます。
実際には一次資料を参照できることは少なく、また時刻表に掲載されている
情報は、比較的信頼される情報だと思うので難しいところですが、このように
状況によっては必ず正しいというわけではなく、そういった意味でも当時の
写真などは、日時と場所が正確であれば一番信頼のおける情報となりますね。
別件で、前回の私の書き込みで、荷物車の連結場所について書きましたが、
荷物車(ニ)と郵便荷物車(ユニ)についても荷物車が優先されるのか?
について自信がなく、再度調べてみたところ、同時期の北海道の急行列車に
おいて、上り1218レ「すずらん6号」において、途中駅から増結される
スユニがマニの前位に連結されており、上り418レ「狩勝3号」・上り
104レ「ニセコ1号」にいたっては、全区間連結の荷物車と郵便荷物車が
前位からオユ・マニの順序で連結されていたようなので、前回(Re3)の
私の書き込みは間違っておりましたので、お詫びさせていただきます。
studio4310急行「大雪」崩れの124レにつきましてクモイ103様
追加の詳細情報をありがとうございました。
私は、ヨンサントオ前(S43.8.10)にも同列車を小沢にて撮影しております。
この時の列車名は「石北」崩れ124レだったと思います。
この時も普通車は6両、マニとスユニがD51の次位に連結されておりました。
画像は前回のコメントに含めましたが、再度アップいたします。
実際のところは、雑誌や資料、書籍などより当時の写真が一番たよりになるわけですね。
HP
クモイ103Re5:急行「大雪」崩れの124レにつきましてstudio4310様
ARC資料館様は、多数の情報を体系的に整理する地道な作業の結果を掲載されていて、その取り組みは敬意に値すると思います。
但し、さすがに情報量が膨大すぎて、たまに「あれっ?」という部分もあります。
仙コリ様が引用された「ヨンサントオ国鉄白紙ダイヤ改正 全国版優等列車編成順序表」(復刻版:ネコ・パブリッシング)は、国鉄内部資料をそのままコピーしたものなので、ほぼ一次資料と言って良いと思います。くだんの大雪6号〜124レをはじめとする客車列車関係の部分は、鉄博のライブラリーで閲覧できる「主要客車列車編成順序表」(昭和43年10月1日現在)そのものです。
studio4310様が引用されたARC資料館様の情報をこれと照らし合わせると、次の3点の違いが見られます。
・荷物車(2)は札幌−網走とありますが、下り札幌→網走、上り網走→函館です。
・荷物・郵便車は函館−釧路とありますが、函館−網走です。
・10号車は小樽−北見とありますが、倶知安−北見です。
なお、studio4310様の最初のコメントに「網走―函館間の通し運転の6両普通車」とありますが、通し運転の普通車は5両です。しかし10号車が小樽でなく倶知安まで連結されたとすれば、小沢では普通車が6両となって、studio4310様のお写真と符合します。
その写真をアップ頂けるとのことで、楽しみです。