過去ログ48 2026/5/11 10:03

仙コリ
Re:昭和初期の客車列車の編成について
マイテスイテ様

昭和初期の客車列車の編成についてですが、ネット上で探すのは困難である
と思われますので、書籍を紹介させていただきます。

アルモデルさん発行の「改訂版 往年の客車列車編成表」という書籍があり
まして、大正末期から昭和30年代までの編成例708本が収録されており、
特急・急行列車が中心ですが、主要幹線における普通列車の編成例も戦前
だけでも25本掲載されておりますので、入手されることをお勧めします。

発行は2017年ですが、「往年の客車列車編成表」で検索していただければ、
現在でも購入可能のようなので、試してみてください。


マイテスイテ
昭和初期の客車列車の編成について
始めて書き込ませていただきます。マイテスイテです。最近中古で旧型客車を集めているのですが、昭和初期〜30年代までの普通列車や急行列車の編成が検索しても出てこないので困っています。もしその時代のオハ31やスハ32、オハ35が混在している編成を知っている方が居ましたが、教えて頂けますととても嬉しいです。よろしくお願いします。


太田拓也
オロネ25-0の施錠について
オロネ25-0(初代シングルデラックス)で(食堂車に行くときなどに)外から施錠できるようになったのはいつでしょうか?

製造当初は編成端であることや専務車掌が常駐していてセキュリテイ的にも問題なかったようですが、JR九州でははやぶさ・富士が13号車に移ったためテンキーが取り付けられたようですが時期がわかりません。

あさかぜは700番台改造時にデュエットと同じカードキー式になったと思われますが、出雲(東日本0番台)は廃止まで1号車だったため対応しなかったのでしょうか?


事業用客車好き人
新潟運転所配置のスエ31 12(救援客車)について
新潟運転所配置のスエ31 12(救援客車)についてお伺いします。

RMLIBRARY228掲載の写真画像は確認しておりますが、
それ以外でスエ31 12に救援車代用の貨車(いわゆるエ含む救援貨車)が連結されている事例をご存じの方はいらっしゃいますでしょうか。

特に、連結されていた貨車の形式・車番など分かる範囲でも構いませんので、
ご教示いただけますと大変助かります。

断片的な情報でも構いませんので、どうぞよろしくお願いいたします。

※なお、関連情報の整理用として当方から掲示板も運用しております。
もし差し支えなければ、そちらへの情報共有も歓迎しております。


仙コリ
Re:長い間のモヤモヤ
ナロ2051様

20系客車のユニットクーラーの設置位置についてですが、20系特集の各種文献を
あたってみて記述は見かけなかったのですが、灯台下暗しでナロ2051様が参考と
された鉄道ピクトリアル1003号の27ページに、ダクト位置について
・寝台車は客車中央部の寝台仕切りを広げて立ち上がりダクトを内蔵、
・座席車は車内見通しを重視し、前位仕切り壁に立ち上がりダクトを内蔵し、
 ユニットクーラーを前位側に寄せている
との記述がありました。

機器の効率(この場合は温度・風量)を考えると、ダクト長は短い方が良いと
思われるので、立ち上がりダクト及びユニットクーラーの配置は寝台車の位置が
理想的であると考えられますが、座席車は上記の理由により双方とも前位側に
寄せたものだと考えられます。


ナロ2051
長い間のモヤモヤ
20系客車のユニットクーラーの設置位置は寝台車食堂車、座席車と
では違います。寝台車食堂車は車体のほぼ中央、ダクトを介して天井?
に上げます。(ダクトの横の寝台に
あたるとややうるさい)
座席車は車端から3分の1位の位置です。ナハネフ20窓がハメ殺しになっている場所。10センチの高さの
座席下の空間を介して室内車端に設置してあるダクトで天井に上げます
素人考え?では座席全体にダクトが
通っているなら、寝台車食堂車と同様に車体中央でもかまわないと思うのですが。
やはり、ダクトに少しでも近い場所が理想的なのでしょうか。
参考 鉄道ピクトリアル 1003号
   ハネ 28ページ


ミキスト
Re 奥羽本線 10系寝台車火災
ナロ2051様、
ありがとうございます。過去ログ読みました。昭和43年=1968年であり、ナロ2051様、仙コリ様が記された状況証拠から推測するにドンピシャ、ではないでしょうか。10系客車に付き纏う火災事故、ですね。


ナロ2051
もしかして
 ミキスト様
取り上げられた火災を起こした車両
以前倶楽部メモ863で自分が質問したオハネフ12 2003ではないでしょうか?
 現車は68年1月28日付けで土崎工場で冷房、近代化を受けてナハネフ
10からオハネフ12 2003になっています。奧羽本線で試運転?を行っていた68年4月7日に何らかの原因で
車両火災を発生。その後検証等を受けて68年8月26日付けで廃車と考えるのはどうでしょうか?
 なお3両目の件ですが、当時の中距離各駅停車は荷物車郵便車を連結しており、後ろ2両はこのどちらかで試運転車両を3両目に連結しているのは違和感無いと思います。
 如何でしょうか。


studio4310
昭和44年3月30日 奥羽本線833レの機関車次位に連結されていたお座敷客車スハ88につきまして
画像をアップしました。

https://i.imgur.com/XDLl2a2h.jpg

スハ88-1[盛モカ]+オハフ33[秋アキ]+オハ35 [秋アキ]+オハフ33 [青アオ]+オ ハ35 [青アオ]+オハ35 [青アオ]+スハ43 [青アオ]+スハフ42 [青アオ]+オユ10 [盛郵41]+マニ36 [名荷24]+後補機 DF50567[秋]

HP

studio4310
昭和44年3月30日 奥羽本線833レの機関車次位に連結されていたお座敷客車スハ88につきまして
クモイ103様

追記と訂正:

【誤】この頃、私は秋田駅旅行センターに勤務する方と知り合い、主催行事の案内は全て郵送で送られてきていましたが、お座敷客車についての案内は前述の“明治号”だけでした。
【正】秋田駅旅行センターは昭和46年7月15日開業ですので、昭和44年の情報と混同しておりました。

HP

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