駒形神社掲示板

過去ログ41 2007/11/15 12:01

▼禰宜
岩手富士さま
神社では何千年と神勅を守ってきたことを考えると、守っていくことと思います。
例えば神勅が「1+1=3である」。
数学的な神勅なので、そうじゃないのではというイメージが沸いてきますが、時代に適した受け止め方をするならば、一人と一人の力を合わせると三人分になりますよ。というようになると思います。
神社界では、時代に沿った考え方をしていると思います。こういうと、全然伝統的でもないし継承もされていないのでは・・・。と思われるかもしれませんが、「正義」というものの見方が時代と共に変わるのと同じように、神様のお言葉も時代に適した受け方をすることが、神様のお言葉を埋もれさせること無く、後世に伝わった要因になったのではと感じます。
11/15 12:01
HP

▼ピーチソーダ
小沢さん、どうなるのでしょうかねぇ……。
平成の世、水沢からの総理大臣誕生しますかね?
11/14 18:41

▼岩手富士
 話を単純化して「1+1=?」で例えれば、1+1の正解が本当は2なのか3なのか、そんなことは問題ではない。肝心なのは為政者なり世論なり「力」を持つ者の支持を得ているかどうかと言うこと。もし「1+1=3」と言うマニフェストを掲げた政党が政権を取れば正解は3になる。小澤一郎が「1+1=3」と言えば岩手県知事や袋町、南町の住民は「先生の言うことだからそのとおり」と言うだろう。「軍の命令」「南京虐殺」実際にあったかどうかなんてどうでもいい、要はどちらの意見が世間に受け入れられているかだ。幅広く、強く支持を得ている方の意見が「正しい」。
 ところで、もし「1+1=3」という神勅が降りたら神社業界はそれに従うのでしょうか。「そんなおかしな神勅は降りない」等とは言わないこと、神ならぬ人間がどうして「降りない」と言い切れる。
11/13 23:51

▼禰宜
つじつまが合っているかどうか判りませんが、民主主義はもともと政治の手法として取り入れたもので、政治の中ではマイノリティも考慮して、妥協して、あらかたの議員が納得行く形で最終的に民主主義的に治まった形をとっているように思えます。そうならない場合が多いので政党同士のけんかが絶えないように思います。全ての物事を客観的に前向きに先見的に捕らえられる政治家が多くなればなるほど安定した政治につながると思いますが、重要点の置き場所が違うもの同志の集まりではなかなか難しいことと思います。
民意の民主主義の場合は、専門家がいない限りは、少数意見でも強く発したほうが効力があるように思えます。ディベートの技法やマインドコントロールによっても少数意見または誤った考えが世に広がってしまう可能性が大です。
先生は、児童同志で多数決をとって、もし多数のほうが間違っている場合は、訂正しなければならないのではないのでしょうか。
民主主義のあり方を教える分にはいいかもしれませんが、誤った答えを正しい答えとすり替えるのは、何かほかの事をたくらんでいるとしか思えません。
民主主義は一人ひとりが自覚して物事を見極め、己に決議する資格があるのかを考慮した上でなければ危なっかしいようにも思います。
民主主義を否定しているわけではないのですが、民主主義を逆手にとって悪さをする人がなければ問題ないのですが。
11/11 22:33
HP

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