藤森治子
「ガンジー村」のみなさ〜ん
「ガンジー村」の皆さ〜ん!
明日4月9日(火)正午から、恒例の「9の日・9条・ハンスト・イン」の日ですよ〜。誘いあってご参加下さ〜い。新しい方も、かつて参加した方も、心ある方は誰でもど〜うぞ。詳細は、「ガンジー村通信」523号をご覧下さい。
末延芳
第218回「9の日・9条・ハンスト・イン」参加してます
218回目の「ハンストイン」に、本日正午より参加しています。

ところで、一昨日の午前7時に発行予定の「ガンジー村通信」は、発行の準備は済んでいるのですが、編集・発行作業を進めてくれている藤森治子さんの、パソコンがトラブルを起こし、本日午後2時現在、発行できていません。

発行の体制が整うまで、もうしばらくお待ち下さい。
藤森治子
第217回「9の日・9条・ハンスト・イン」に参加します
第217回「9の日・9条・ハンスト・イン」に参加します。

ようやくHPを開くことが出来ました。便利は「厄介」でもあるので、これ以上物事が進歩してしまうと、ついていけそうも無くなりそうです。ともかく、とりあえず一段落。お騒がせしました。

久々に大雪が降って、やっと冬らしくなり、鮭と里芋や大根をや金時人参を入れて、この冬初めての鮭の粕汁を作りました。国会中継に腹を立てても、持ち堪えるように、しっかり食べてハンストに臨みます。
岡山・鈴木實
20周年最初の断食デモに参加致します。
20年間も長きにわたり身を傷めて、平和と正義のために努力された方々に感動します。ウチナンチュウ沖縄の人が何度も口にする、あきらめないことが勝つことであるとの言は、長い人類史が証明しています。孫子の兵法にもあるようです。今回まとめられた末延さんのクレドに賛同します。
岡山 鈴木實
参加連絡
ウクライナもガザ侵攻も拡大しながら止む様相ではありません。
断食デモに参加します。
藤森治子
第215回「9の日・9条・ハンスト・イン」に参加します。
12月9日(土)正午より、第215回「9の日・9条・ハンスト・イン」に参加します。
今日はいいお天気。紅葉も先週あたりに最後の彩を競い、今はもうすっかり枯葉になるか散ってしまいました。
午後にでも、枯葉の道をさくさくと散歩してみようと思います。

自民党も解党的出直しをする最後のチャンスかもしれないですね。これで変われなかったら・・・もうダメでしょう。
岡山 鈴木實
断食デモ
12/8の、身を痛めるデモに参加します。
同時代の悼みに万分のTでも参与できればと・・・。
末延芳晴
「ハンスト・イン」参加申し込み
12月9日正午より、215回目の「ハンスト・イン」に参加します。
藤森治子
第214回「9の日・9条・ハンスト・イン」に参加します。
11月の「9の日・9条・ハンスト・イン」に11月9日(木)正午から参加します。

「新しい戦前」などと言っているうちに、ズルズルずるずると戦争の方へ傾いていくようです。「9条」などというと、白けた顔をされ、戦争は当たり前という人も多くなってきて、ウクライナ戦争やイスラエルーパレスチナ戦争の悲惨さを目の当たりにしても、まだ戦争に幻想を持っている人々も多そうで、1941年生まれの御婆さんたちには理解できないことばかりです。

先日大学の時からのお仲間たちと、多分これが最後の集まりになるだろうと、信州でも山奥の奥山田温泉で同級会もどきをしました。温泉に入って、美味しい食事をいただいて、さあ寝ようとお布団に入ってからが同級会でした。50年に近い付き合いの中でいろいろありましたが、1941年生まれの御婆さんたちの話の行きつくところは、この年始まった太平洋戦争のことでした。父親が戦死して母娘の3人で生きてきた人、父親が戦病死し、住む家も食べるものも奪われて田舎へ疎開した人、村のお寺で戦争の相当の責任者たちである軍部のおエライさんたちを、それぞれの故郷へ帰宅させるまで秘密に預かったこと、などなどの話は尽きませんでした。

ただ、1941年という不幸な年に生まれてはいるけれど、まだ4〜5歳の幼子の頃のことで戦争そのものの具体的な記憶は薄いのです。その代わり、敗戦から10年〜20年後頃までの成長期に、住むところ、食べるものを奪われた生活苦は身に沁みて覚えております。人間の生きる根源に関わるヒモジサは、小学生のうちに子供を歪めてしまうのです。

田中角栄は「戦争経験のある議員がいるうちはまだよい。問題はそれからだ・・・」といいましたが、もはや、戦争を経験した国会議員は一人もいなくなりました。そして、「戦争」をすれば、「経済」が潤うと言って恥じない議員がでてきているのです。そういう人々のほとんどは、いざとなれば、自分や自分の子・近親者を戦場へ送ることなど想像もしていないでしょう。これからの戦争がさらに酷いものになることを今目の前でウクライナやパレスチナの戦争をみていればわかるはずです。

戦争は敵味方双方を破滅させる。もう勝利だけを一方的に得られる時代ではない。「戦争だけはやめよう。その代わりに・・・・・をしよう」と日本は言い続けよう。不偏不党でそう言い続ける国が一つでも二つでも増えてくれば少しは考え方も変わってくることを期待したい。1941年生まれの御婆さんたちはみんなそう思っています。
藤森治子
第214回「9の日・9条・ハンスト・イン」に参加します。
11月の「9の日・9条・ハンスト・イン」に11月9日(木)正午から参加します。

「新しい戦前」などと言っているうちに、ズルズルずるずると戦争の方へ傾いていくようです。「9条」などというと、白けた顔をされ、戦争は当たり前という人も多くなってきて、ウクライナ戦争やイスラエルーパレスチナ戦争の悲惨さを目の当たりにしても、まだ戦争に幻想を持っている人々も多そうで、1941年生まれの御婆さんたちには理解できないことばかりです。

先日大学の時からのお仲間たちと、多分これが最後の集まりになるだろうと、信州でも山奥の奥山田温泉で同級会もどきをしました。温泉に入って、美味しい食事をいただいて、さあ寝ようとお布団に入ってからが同級会でした。50年に近い付き合いの中でいろいろありましたが、1941年生まれの御婆さんたちの話の行きつくところは、この年始まった太平洋戦争のことでした。父親が戦死して母娘の3人で生きてきた人、父親が戦病死し、住む家も食べるものも奪われて田舎へ疎開した人、村のお寺で戦争の相当の責任者たちである軍部のおエライさんたちを、それぞれの故郷へ帰宅させるまで秘密に預かったこと、などなどの話は尽きませんでした。

ただ、1941年という不幸な年に生まれてはいるけれど、まだ4〜5歳の幼子の頃のことで戦争そのものの具体的な記憶は薄いのです。その代わり、敗戦から10年〜20年後頃までの成長期に、住むところ、食べるものを奪われた生活苦は身に沁みて覚えております。人間の生きる根源に関わるヒモジサは、小学生のうちに子供を歪めてしまうのです。

田中角栄は「戦争経験のある議員がいるうちはまだよい。問題はそれからだ・・・」といいましたが、もはや、戦争を経験した国会議員は一人もいなくなりました。そして、「戦争」をすれば、「経済」が潤うと言って恥じない議員がでてきているのです。そういう人々のほとんどは、いざとなれば、自分や自分の子・近親者を戦場へ送ることなど想像もしていないでしょう。これからの戦争がさらに酷いものになることを今目の前でウクライナやパレスチナの戦争をみていればわかるはずです。

戦争は敵味方双方を破滅させる。もう勝利だけを一方的に得られる時代ではない。「戦争だけはやめよう。その代わりに・・・・・をしよう」と日本は言い続けよう。不偏不党でそう言い続ける国が一つでも二つでも増えてくれば少しは考え方も変わってくることを期待したい。1941年生まれの御婆さんたちはみんなそう思っています。