北海道
【野中温泉のこと】
2025年1月23日、野中温泉火災の報を受け、悲しいとともに、たいへんショックを受けております。当日、管理人は野中温泉から、妻とスノーシューでオンネトーまでを往復しておりました。写真は、スノーシューを終え、1月23日の12時54分に撮影した野中温泉の建物です。スケジュールの関係で、その日は訪問できなかったのですが、阿寒滞在中の別の日の訪問を考えているおり、悲報に接しました。関係される皆様の心中を察するにあまりあるものがあって、うまく言葉にできないのですが、近いうちに、あの素晴らしい温泉施設が再建されることを祈っております。ネコちゃん、ワンちゃんにもたいへんお世話になった素晴らしい温泉施設です。

2025年1月23日、野中温泉火災の報を受け、悲しいとともに、たいへんショックを受けております。当日、管理人は野中温泉から、妻とスノーシューでオンネトーまでを往復しておりました。写真は、スノーシューを終え、1月23日の12時54分に撮影した野中温泉の建物です。スケジュールの関係で、その日は訪問できなかったのですが、阿寒滞在中の別の日の訪問を考えているおり、悲報に接しました。関係される皆様の心中を察するにあまりあるものがあって、うまく言葉にできないのですが、近いうちに、あの素晴らしい温泉施設が再建されることを祈っております。ネコちゃん、ワンちゃんにもたいへんお世話になった素晴らしい温泉施設です。

北海道
北海道
(続きです)
東洋経済誌では、田中角栄は国鉄線の維持を主張し、下記の論説を記したとしています。
@国鉄のローカル線問題は民間企業の尺度で測るべきではない。
A赤字線を廃止すれば、その地域の過疎化と都市部への人口流入による過密化が進む。
B特に豪雪地帯では、鉄道の方が道路より有用である。
C全国の赤字ローカル線の運営によって発生する赤字額は国鉄全体を揺るがすほどのものではなく許容範囲である。
今にして思えば、この指摘はまさに慧眼でした。ローカル線を、赤字を理由に廃止していった時代は、都市生活を基盤とする消費者の個が政策決定の上で最重要視されるようになった時代でもあります。その結果、地方のインフラは、都市生活者にとって利用価値はなくかつ負担にしかならないという理由で廃止されていきました。地方の実情も何もありません。その政策の延長上にある今日の社会は、少子化を経た人口減少の時代になりました。これは必然です。都市への人口集中は、様々な単価を高騰させました。あえてドライな書き方をすれば、土地・サービスの高騰は、バブル経済とともに、「労働者一人」を生産するコストを一気に増加させました。これは社会的なコストの増加であるとともに、当然のことながら、子どもを育てる家庭の負担をも増大させたことを意味します。「人を育てる」単価が、ことに高い東京都において、合計特殊出生率が全国平均を有意に大きく下回るのは当然のことで、ここにさらに全国民の負担を増やした上で、補助を行ったといても(現政府の方針ですね)、たいした改善効果のないことは明らかです。そのような、私の価値観でいえば、あやまった政策判断への転換点の象徴として、国鉄地方線の廃止があったことが、今になって明らかになってきたのだと思います。 Up 5/27 9:23
東洋経済誌では、田中角栄は国鉄線の維持を主張し、下記の論説を記したとしています。
@国鉄のローカル線問題は民間企業の尺度で測るべきではない。
A赤字線を廃止すれば、その地域の過疎化と都市部への人口流入による過密化が進む。
B特に豪雪地帯では、鉄道の方が道路より有用である。
C全国の赤字ローカル線の運営によって発生する赤字額は国鉄全体を揺るがすほどのものではなく許容範囲である。
今にして思えば、この指摘はまさに慧眼でした。ローカル線を、赤字を理由に廃止していった時代は、都市生活を基盤とする消費者の個が政策決定の上で最重要視されるようになった時代でもあります。その結果、地方のインフラは、都市生活者にとって利用価値はなくかつ負担にしかならないという理由で廃止されていきました。地方の実情も何もありません。その政策の延長上にある今日の社会は、少子化を経た人口減少の時代になりました。これは必然です。都市への人口集中は、様々な単価を高騰させました。あえてドライな書き方をすれば、土地・サービスの高騰は、バブル経済とともに、「労働者一人」を生産するコストを一気に増加させました。これは社会的なコストの増加であるとともに、当然のことながら、子どもを育てる家庭の負担をも増大させたことを意味します。「人を育てる」単価が、ことに高い東京都において、合計特殊出生率が全国平均を有意に大きく下回るのは当然のことで、ここにさらに全国民の負担を増やした上で、補助を行ったといても(現政府の方針ですね)、たいした改善効果のないことは明らかです。そのような、私の価値観でいえば、あやまった政策判断への転換点の象徴として、国鉄地方線の廃止があったことが、今になって明らかになってきたのだと思います。 Up 5/27 9:23
北海道
KJN Japonさま
ご指摘いただいたことについて、私も普段から思うところが多くあり、せっかくの機会ですので、触れさせていただきます。まず引用です。
「入植地は駅より三里も奥だという。入植者たちはそこで地元の人たちにひきとられて奥地に入ることになる。『これからさきはわれわれがお世話しますから』と地元の人たちが言うので、そこで別れることにしたのだが、奥地へはいるには森林軌道(注:殖民軌道のこと)があって、それに乗ることになる。(中略)駅の辺りは一面のススキ原である。その彼方に人びとは住んでいるという。このススキ原ももとは原始林であった。それをパルプ材として次第に奥地へ伐り進んで行き、その材木を運び出すために森林軌道を敷いた。そして伐採跡地へは次第に人が入って土地を拓き住みつくようになった。(中略)小さな機関車である。その後ろへ貨車とトロッコをいくつかつないだ。人びとは貨車に乗り荷物はトロッコにつけたが、貨車に乗り切れない人はトロッコに乗った。空は曇って暗く重い。雪になるかも知れぬ。汽車は動き出した。そして枯原の向こうに消えていった。見送る者は私と幌延の役場の吏員の二人だけであった。私は入植者の運命に空の暗さのようなものを感じずにはおれなかった。」
これは、民俗学者である宮本常氏の文章です。戦争直後、大阪府の職員だった著者は、戦災被災者たちに北海道の入植先を斡旋する事務を担当していたのですが、1945年の10月に、彼らに同行して、問寒別に着いており、その模様を書き記したものです。北海道の開拓の最前線を切り拓き、農業・酪農・鉱業の地として礎を築いた人々の多くは戦争罹災者や北関東東北地方の農家の次男、三男といった立場の人たちでした。彼らの労苦が、北海道を食料生産の拠点へと変え、戦後の殖産興業の礎となりました。宮本の文章は彼らの労苦と、そこに至る鉄道の重要性を端的に指摘した文章です。北海道に国鉄線として敷設された鉄道の多くは、彼ら開拓者の労苦をせめて国が交通の利便だけでも確保することによってバックアップする目的を持っていました。その重要性は、現地の厳しい自然環境を知る人には痛切に身に沁みるもので、単に赤字だからといって廃止することが適当かどうかの根源的な問いかけを含んでいます。国鉄線廃止の後、北海道では、離農が進み、かつて耕作地であったところの多くが、原野に戻っています。
ご指摘いただいたことについて、私も普段から思うところが多くあり、せっかくの機会ですので、触れさせていただきます。まず引用です。
「入植地は駅より三里も奥だという。入植者たちはそこで地元の人たちにひきとられて奥地に入ることになる。『これからさきはわれわれがお世話しますから』と地元の人たちが言うので、そこで別れることにしたのだが、奥地へはいるには森林軌道(注:殖民軌道のこと)があって、それに乗ることになる。(中略)駅の辺りは一面のススキ原である。その彼方に人びとは住んでいるという。このススキ原ももとは原始林であった。それをパルプ材として次第に奥地へ伐り進んで行き、その材木を運び出すために森林軌道を敷いた。そして伐採跡地へは次第に人が入って土地を拓き住みつくようになった。(中略)小さな機関車である。その後ろへ貨車とトロッコをいくつかつないだ。人びとは貨車に乗り荷物はトロッコにつけたが、貨車に乗り切れない人はトロッコに乗った。空は曇って暗く重い。雪になるかも知れぬ。汽車は動き出した。そして枯原の向こうに消えていった。見送る者は私と幌延の役場の吏員の二人だけであった。私は入植者の運命に空の暗さのようなものを感じずにはおれなかった。」
これは、民俗学者である宮本常氏の文章です。戦争直後、大阪府の職員だった著者は、戦災被災者たちに北海道の入植先を斡旋する事務を担当していたのですが、1945年の10月に、彼らに同行して、問寒別に着いており、その模様を書き記したものです。北海道の開拓の最前線を切り拓き、農業・酪農・鉱業の地として礎を築いた人々の多くは戦争罹災者や北関東東北地方の農家の次男、三男といった立場の人たちでした。彼らの労苦が、北海道を食料生産の拠点へと変え、戦後の殖産興業の礎となりました。宮本の文章は彼らの労苦と、そこに至る鉄道の重要性を端的に指摘した文章です。北海道に国鉄線として敷設された鉄道の多くは、彼ら開拓者の労苦をせめて国が交通の利便だけでも確保することによってバックアップする目的を持っていました。その重要性は、現地の厳しい自然環境を知る人には痛切に身に沁みるもので、単に赤字だからといって廃止することが適当かどうかの根源的な問いかけを含んでいます。国鉄線廃止の後、北海道では、離農が進み、かつて耕作地であったところの多くが、原野に戻っています。
神奈川
根北線の中断の残念な歴史については,いろいろ考えさせられます.
採算性は二の次にしても敷設しようとした人々の意志意欲についてです.
酔っ払いの戯言かもしれませんが,私は以前から日本の国教は仏教でも神道でもなくて,鉄教だと思っています. 鉄教とは鉄道教の事です. 鉄道を神様に近い存在として捉えているのではないかと思います. 勿論,鉄道が復旧したおよそ1900年以降の事ですが.
日本の移動手段としては,鉄道が敷設されるまでは,極く一部の例外を除けば,歩くしかなかった筈です. ひたすら歩くしかなかったのが鉄道に乗れば10倍以上の速度で,しかも楽に移動できるので,鉄道を神様のように崇め,民衆も役人も鉄道を絶対的な存在と認めたのではないかと思います.
辺境地である北海道の奥地の殖民にとって,鉄道のレールは自分達が札幌,そして中央と繋がっているという心の証だったのではないでしょうか. 全ての道はローマに通ずと同様に.
根北線などの沿線殖民は交通手段と心の繋がりを兼ねる鉄道に強い執着を持ったのでは
ないかと思います.
酔っ払いの戯言は以上です.
採算性は二の次にしても敷設しようとした人々の意志意欲についてです.
酔っ払いの戯言かもしれませんが,私は以前から日本の国教は仏教でも神道でもなくて,鉄教だと思っています. 鉄教とは鉄道教の事です. 鉄道を神様に近い存在として捉えているのではないかと思います. 勿論,鉄道が復旧したおよそ1900年以降の事ですが.
日本の移動手段としては,鉄道が敷設されるまでは,極く一部の例外を除けば,歩くしかなかった筈です. ひたすら歩くしかなかったのが鉄道に乗れば10倍以上の速度で,しかも楽に移動できるので,鉄道を神様のように崇め,民衆も役人も鉄道を絶対的な存在と認めたのではないかと思います.
辺境地である北海道の奥地の殖民にとって,鉄道のレールは自分達が札幌,そして中央と繋がっているという心の証だったのではないでしょうか. 全ての道はローマに通ずと同様に.
根北線などの沿線殖民は交通手段と心の繋がりを兼ねる鉄道に強い執着を持ったのでは
ないかと思います.
酔っ払いの戯言は以上です.