過去ログ25 2024/5/14 8:58

仙コリ
日中線廃線跡定点撮影(2)
続いて、「しだれ桜散歩道」を400m程度進んだ地点での定点撮影です。
市街地化が進み、まわりの風景はまったく別物といった感じとなっています。

ついでといっては何ですが、喜多方駅構内に残されている日中線時代の
駅名標もご覧ください。
https://i.imgur.com/PxINLzH.jpeg
https://i.imgur.com/Z6XWR9c.jpeg


仙コリ
日中線廃線跡定点撮影(1)
この客車倶楽部にて過去に何度か話題になりました旧日中線についてですが、
日中線記念館(旧熱塩駅)と、私の母の実家近くの旧会津加納駅跡付近は
何度も訪れているのですが、喜多方駅近くの廃線跡が「しだれ桜散歩道」
として整備されているのにもかかわらずほとんど訪問していなかったので、
先日(5月12日)喜多方を訪問した際に散策してまいりました。

その際に廃線跡を撮影してきましたので、過去の写真を投稿していただいて
いた、
クモイ103様とmaffei4100様にご協力いただきまして、定点撮影風に
まとめてみました。

まずは喜多方駅から旧日中線を400mほど進んだ「しだれ桜散歩道」の起点付近
から、熱塩方面である「しだれ桜散歩道」方面と、反対側の喜多方駅方面を
ご覧ください。

特に喜多方駅方面は現在では痕跡がまったく見られない状態となってしまいました。
なお、クモイ103様撮影の中央付近に写っております保線用の車庫については、
現状では建物の影になってしまい写っておりませんが、現存しております。
https://i.imgur.com/c2ae567.jpeg
https://i.imgur.com/uzqLSae.jpeg


TK
D51-498が牽引していたと思われる編成について
D51-498が平、長岡第一、直江津(貸し渡し)、新津、坂町機関区に所属していた時に牽引していたと思われる準急列車などの編成をどなたか教えて頂けないでしょうか?
(できればスハ43ぶどう色中心であるとありがたいです)


ナロ2051
21、22レあかつきのナロネ22
表題の件ですが、連結期間は1972年3月から7月迄の僅か4ヵ月で共通運用のはやぶさと共にナロネ21に置き換えられました。(ご存知の通り殿様あさかぜの出現になる)このナロネ22を連結したあかつきの写真を見た事がある方はいますか?ゴーマルサン以前唯一の関西九州間の20系だったので上り列車の写真は
見ますが、1号車なのでまず写っていません。九州内の下り列車かドア
上部の方向幕の写真になると思います。また硬券の個室寝台券現存する
のでしょうか?


ミキスト
Re:急行さつま 増結食堂車
仙コリさま、クモイ103さま、
ありがとうございます。確かに九州内は上下ともに深夜夜行帯なので食堂車は全く不要ですよね。効率良い運用と基本編成を崩さずに食堂車を加えた、ということでしょうか。珍しい例と思いました。さぞかし食堂車への道のりは遠かったでしょう。まあ、この時代の混雑を考えると、自由席の乗客は席確保の面からも利用し辛かったことでしょう。


クモイ103
Re2: 急行さつま 増結食堂車
ミキスト様

仙コリ様より的確な考察が示されましたので
あまり付け加えることはなく一般論の蒸し返しになりますが、

食堂車の連結区間は、列車の性格と車両数の需給関係を勘案して決められます。
当時の[さつま]は仙コリ様ご指摘のように九州内が夜行となり、
しかも鹿児島着発時刻が有効時間帯ぎりぎりなので、
九州内で食堂車は不要と判断されたのでしょう。
それによって食堂車を1両節約できます。

そうなると食堂車は付属編成ということになります。
その昔ならば本編成の真ん中に挿し込んで、
門司では複雑な入換作業で付け外しをしたかもしれませんが、
昭和30年代も後半になるとあまりそういう無理はしなくなります。
単純な増解結で済むように編成が工夫された結果が、
2号車という位置だったと考えられます。


仙コリ
Re:急行さつま 増結食堂車
ミキスト様

「急行さつま」について詳しくはわからないので一般論ですが…

文字通りに、食堂車が区間連結と考えてしまうと?と思う点もありますが、
全区間運行の2号車−11号車を基本編成、名古屋-門司間増結の1号車と食堂車を
付属編成と考えると、「急行さつま」が名古屋−門司間は昼行、門司−鹿児島間は
夜行運転であるため、夜行区間である門司-鹿児島間は付属編成を切り離す運用で
納得がいきます。
(もちろん、食堂車の運用両数・区間ごとの必要定員数の都合もありますが)

また、同じく鹿児島寄りに増結される荷物車は門司以南の九州地区のみの連結
であるため、名古屋-門司間は増結車である1号車が鹿児島寄り編成端(もちろん
牽引機以外で)となるため、食堂車が編成端にはなれないため、1号車として
緩急車が連結されていると考えれば自然であると思います。

あくまでも一般論なので、「急行さつま」について詳しい方がいらっしゃい
ましたら、フォローしていただければ幸いです。


ミキスト
急行さつま 増結食堂車
お世話になります.
1965年ごろの急行さつま(名古屋−鹿児島)の編成を見ると,名古屋−門で2両目に増結扱いで食堂車が連結されています.増結,2両目と異例とも思えますが,何らかの特別な事情があったのでしょうか.ご存じの方よろしくお願いいたします。


鉄爺
「急行さんべ」にかかるスハ44の運用-2
クモイ103様、ナロ2051様、仙コリ様

鉄爺です。
早速ご教示いただき幸甚です。
スハ44は、さんべにも使用されていたんですね。2両しか配置されてないので、私が乗車した時は、点検中だったのかもしれません。
皆様の豊富な知識に感服しました。

ナロ2051様
マヤ20を長崎の操車場で撮影しました。当時は、「はやぶさ」、「あかつき」に使用されていました。
マヤ20に使用しているはやぶさの愛称板は、オリジナルの黄色地のものでした。余談ですが、20系ではさくらの愛称板は、くすんだ薄い赤色、みずほの愛称板は、青地に黄色い文字でした。きれいな配色なのですが、白黒で撮影すると、コントラストがはっきりせず、みずほの愛称が写りにくかったです。
ヘッドマークも同様で、下半分は、真鍮の磨き、上半分は、ステンレスの磨きできれいなのですが、経年による表面の酸化で写真映えがしませんでした。そのためか、ヘッドマークは、後年クリーム色と白色の塗分けに変更されました。
マヤ20撮影後は、鳥栖機関区に行き「さくら」、「はやぶさ」、「あかつき」のヘッドマークを借りてED73、DD51にヘッドマークを取り付けて撮影しました。今思い出すと、いい時代でした。


仙コリ
Re4: 「急行さんべ」にかかるスハ44の運用
鉄爺様

「急行さんべ」に使用されたスハ44についてですが、すでに
クモイ103様・ナロ2051様が詳しく解説されておりますが、
実際の編成記録を見つけたので紹介させていただきます。

1973年9月3日 801レ 急行「さんべ3号」 米子→博多
DD51  53 [鳥]
マニ60  611  米ヨナ
オハネフ12 7  米ヨナ
オロハネ10 1  米ヨナ
スハ44  24  米ヨナ
ナハ11  45  米ヨナ
ナハ11  81  米ヨナ
オハ46  512  米ヨナ
スハフ42 313  米ヨナ

といった編成記録が、鉄道ピクトリアル2017・2月号別冊
「国鉄形車両の記録 10系軽量客車」に掲載されておりまして、
間違いなく急行「さんべ」にスハ44が使用されていた証明にも
なると思われます。


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