過去ログ4
2022/12/30 9:32
仙コリRe4: 姫路ー鳥羽間の参宮快速の編成クモイ103様
ご指摘ありがとうございます。
配置表そのものではなく、データベース上で二等車の
配置状況だけ調べたので、凡ミスをしてしまいました。
鳥羽には客車の配置はありませんでしたね。
そのうえで、参宮線の主な客車基地が山田であるとの
情報は大変参考になりました。
そこで、あらためてネットで「参宮快速」で検索すると
「鳥羽快速と参宮線(上) | DRFC-OB デジタル青信号」
というサイトがあり、昭和31年と昭和39年の鳥羽快速
の写真が多数掲載されていました。
その写真の最後から2枚目を拡大してみると、車番を
読み取ることが出来、オハフ33 7であるとわかり、
昭和39年の配置表で調べてみますと、この車両の配置は
伊勢となっており、あまり詳しくはないのですが、山田
から伊勢に名称変更しているようなので、昭和33年時点
での参宮快速の受け持ちは山田の可能性が高いと思われ
ますので、昨日の私の書き込みは撤回させて頂きます。
そのうえで、上記サイトの写真を見ますと、1枚目と
2枚目・7枚目から車両の等級帯が半分ではないよう
に見えますので、二等車は二・三等合造車ではなく、
全室二等車である、オロ40(番号は28)であると
思われます。
三等車については、上記サイトにも記載されていますが
昭和20年代はオハ31系中心で、昭和30年代にはオハ35系
が主力になったようですが、昭和31年の写真から1両目は
ダブルルーフに見えるためオハフ30と思われますので、
昭和30年頃はオハ31系からオハ35系へと変わる過渡期で
あったのではないかと思われます。
クモイ103Re3: 姫路ー鳥羽間の参宮快速の編成仙コリ様
始終着駅の配置状況からのご推測、尤もなことです。
ただ、私はもう一つ、山田(天ヤマ)の可能性を考えます。
というのは、参宮線の主な客車基地は鳥羽でなく山田だったからです。
(鳥羽に客車の配置はありませんよね…)
鉄道ピクトリアルNo.514(1989年7月号<特集>列車編成の記録)には、
参宮快速に近い運転系統である鳥羽発京都行き745レの京都到着時の編成
(昭和31年7月31日)が示されています。
本編成スハニ31+オハ31×3+オハフ30(天13運用・天ヤマ)に、
附属編成オハ35×2+オハフ33(大附70運用・大キト)が付き、
さらにオハユニ71(大郵96運用・大キト)もぶら下がった編成で、本文には
「大附70番プラス天13番というのが草津線ではもっともポピュラーな編成」
と述べられています。
この列車に二等車はありませんが、昭和33年10月1日の客車配置表では
天ヤマにオロ40×1とスロハ32×2の配置があります。
(特ロのスロ53も3両いますが、これは東京−鳥羽間急行[伊勢]用です。)
なので、参宮快速の基地としては山田も候補に挙がると思います。
仙コリRe:南陸中の編成について東北の旅人様
ご質問の臨時急行「南陸中」の編成についてですが、
先の質問と同じで、臨時列車の編成記録は少ない状況ですが、
当サイトのリンク先でもある、「ARC資料館」というサイト
に掲載されていました。
「ARC資料館」→「編成表のページ」
→「臨時列車編(急行編)(な〜わ)」→「南陸中」
そのサイトに、昭和51年1月6日の上り列車の編成記録が
掲載されており、「南陸中」の編成は
オハフ33・オハ35・オハ35・オハ35・オハフ33
の5両編成であったようです。
(ちなみに一ノ関−気仙沼間は普通列車であったようです)
また、一ノ関−上野間は急行「もりおか52号」との併結で
「もりおか52号」の編成は上野側から
スハフ42・ナハ11・ナハ11・オハ35・オハ35・スハフ42
の6両編成であったようで、「南陸中」と「もりおか52号」の
どちらが上野側であったかは不明との事です。
仙コリRe2: 姫路ー鳥羽間の参宮快速の編成ヒヨッ子様
姫路ー鳥羽間の参宮快速の編成についてですが、
すでにクモイ103様から書き込みがある通り、
時代が古いほど特急列車や急行列車しか情報が無く
手持ちの資料を探しても見つけられませんでした。
そこで、使用車両についての推測ですが、始発・終着駅
への配置車両である可能性が高いと思われるので、当時
(手持ちの最も古いもので昭和33年10月1日時点ですが)
の姫路及び鳥羽への配置車両を調べると、鳥羽には二等車
の配置は無く、姫路にはスロフ30が4両ありました。
姫路配置の車両の使用線区は、後年の状況を考えても
二等車の連結が無い播但線と姫新線の普通列車が中心
だと思われ、昭和33年11月時点で二等車を連結している
東海道山陽線系統で姫路始発・終着となる客車列車は、
東京−姫路間の普通列車1往復 129・132レ(こちらは
品川配置の車両であると思われる)と、姫路−鳥羽間の
快速列車1往復 441・442レ なので、このスロフ30が
参宮快速に使用されていた可能性が高いのではないか
と思われます。
上記の仮定で、昭和33年の姫路配置の三等車を調べると、
主に スハ32 60両 スハフ32 21両
オハ35 49両 オハフ33 13両 となっており、
その他にオハフ61とオハニ61も10両前後の配置がありますが、
東海道・山陽本線を走行する快速列車である「参宮快速」には
オハ35系の車両が使用されていたと思われるので、参宮快速は
スロフ30・オハ35・オハフ33で組成されていたのではないか
と思われます。
あくまでも推測であり、昭和33年の時点ですが、参考になれば
幸いです。
東北の旅人南陸中の編成についてはじめまして。
昭和50年前後に気仙沼と上野を結ぶ臨時急行「南陸中」がありましたが、編成がわからず、もやもやしています。
これまで、ネットなどで何度も調べていますが、わからないので、知っている方がいらしたら、教えていただければ、幸いです。
よろしくお願いします。
クモイ103Re: 姫路ー鳥羽間の参宮快速の編成ヒヨッ子様、はじめまして。
いわゆる「参宮快速」または「鳥羽快速」は、
知る人ぞ知る“その筋”では伝説的な存在の列車ですね。
ただ、お求めの客車編成に関する情報となるとなかなか見当たりません。
快速運転とは言えあくまで普通列車なので、
各種の資料で優先的に扱われる対象ではなかったと思われます。
こうした情報は意外な所にぶら下がっていたりもするので、
これから資料を見る時に気にかけて行こうと思います。
せめてどこの客車区の受け持ちだったかが分かれば、
青帯の二等車の形式が推測できるのですが。
ヒヨッ子姫路ー鳥羽間の参宮快速の編成を教えていただきたいです皆さま
はじめまして。
ヒヨッ子と申します
私自身、蒸気機関車列車に興味がありまして、特に昭和30年前後の東海道本線の列車に興味があります。
そして調べてゆく中で、昭和40年代ごろまで姫路から東海道本線、草津線経由の鳥羽行き快速列車(いわゆる参宮快速です)があったことを知り、是非とも模型で再現してみたいと思うのですが、編成表などの資料が見つからず気になっております。
どなたかご存知の方、教えていただけないでしょうか?C57で青1号帯の編成を作ってみたいので、特に昭和29年〜30年ごろの編成です。
よろしくお願いします
クモイ103鉄道電化の日本日11月19日は「鉄道電化の日」。
昭和31(1956)年の今日、東海道本線米原−京都間が電化され、東京から大阪まで架線がつながりました。
当時国鉄の看板列車だった東京−大阪間特急「つばめ」「はと」は全区間EF58の通し牽引となり、所要時間はそれまでの8時間から7時間30分、同区間における客車列車の最速レコードとなりました。
…と、ここまでは過去に何度かここで話題にしてきた通りですが、昨今は事情が変っています。
磐越西線の会津若松−喜多方間が“非電化”されるという話が取り沙汰されています。
歴史を振り返れば経営難から“非電化”した玉野市営電気鉄道という先例もあります。
一方、蓄電池車やハイブリッド車が実用化され、水素車も射程距離に入る現在、架線が張られていることが必ずしもステータスではない時代がやって来たとも言えるでしょう。
「鉄道電化」の持つ意味は、半世紀以上の歳月を経て変化してきています。
仙コリ@管理人Re:全国SLホテル解体客車鈴木利正様
保存車両についての情報提供ありがとうございます。
頂いた情報を含めて、現状を調査し保存車両ページの更新を
図りたいと思います。
ありがとうございました。
鈴木利正全国SLホテル解体客車SLホテル解体された客車
https://ja.wikipedia.org/wiki/SL%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%AB九州の鞍手町の民俗資料館の保存車両群
2015年解体された
https://nowtice-go.com/s/%E9%9E%8D%E6%89%8B%E7%94%BA/