過去ログ13 2023/5/21 16:06

仙コリ
Re11: ヨンサントオ直前(昭和43年8月)の急行利尻の編成について
クモイ103様

鉄道博物館まで足を運んでいただき調査していただきましてありがとう
ございました。

やはりヨンサントオ改正時の運用が、編成が同様である昭和42年10月
改正時点から同じ運用であったようですね。

これで疑問点の一部が解決しましたが、根本的には謎のままですね。
この期間の他の乗車記などもあればよいのですが。

ところで以前クモイ103様の書き込みで紹介していただいた書籍が
(RM誌1995-11)となっていまして、手持ちの書籍を探したところ
Rail Magazine誌の1995年11月号は所有していたのですが、該当記事は
見つかりませんでした。もしかするとRM MODELS誌の方ですかね?

参考までにJTB時刻表の昭和42年9月号・10月号・昭和43年10月号掲載
の急行「利尻」の列車編成表の表記(問題の連結区間の文字ずれ)を
出来る限り再現したものと、昭和42年10月と昭和43年10月の主要客車
列車編成順序表の表記(昭和42年10月のものは、昭和43年10月のものを
元に、今回クモイ103様からいただいた情報から作成したもの)を
再現した比較表を作成してみましたので、掲載させていただきます。
https://i.imgur.com/0NNEag3.jpg
https://i.imgur.com/eseZu9p.jpg


クモイ103
Re10: ヨンサントオ直前(昭和43年8月)の急行利尻の編成について
studio4310様、仙コリ様

昭和42年10月現在の「主要客車列車編成順序表」を調べてきました!
くだんのスユニは札幌から連結され、旭川までは回送扱いでした。
従って、仙コリ様のご推測通り、ヨンサントオ改正時の運用が
この1年前の時点で出来ていたことになります。
いろいろと疑問を差し挟んで失礼しました。

詳しくは札幌寄り(後方)から下記の通りです。
・旭荷53スハニ(旭−音)(全区間荷室〆切)
・札荷61マニ (札−稚)(札幌-岩見沢-美唄-滝川-深川-旭川間〆切)
・旭郵63スユニ(札−稚)(札幌-旭川間回送)
・札23本編成1号車ナハネ11、2号車オロハネ10、3号車△スロ52、
      4号車○スハ、5・6号車スハ、7号車スハフ
・旭附101 8号車スハ
△は一部指定席、○は指定席です。
牽引機は旭川までC57、以降C55で和寒まで96の補機が付きます。

なお上りは旭荷53スハニが無く、札荷61マニが旭川までで、
旭郵63スユニの札幌-旭川間回送は同様でした。

> とはいえ、実際に乗車されたstudio4310様の編成記録において
> スユニ60(旭川〜稚内)となっているので、謎が深まるばかりですが。

この点は解決どころか謎が確定?してしまいました。
なお、studio4310様の記録では下り方の増結車が2両ですが、
これは多客期対応の臨時増結であろうと考えられます。


クモイ103
Re9: ヨンサントオ直前(昭和43年8月)の急行利尻の編成について
studio4310様、仙コリ様

かつて神田の交通博物館の図書室でコピーが可能だった時代、
昭和42年10月現在の「主要客車列車編成順序表」で
東海道・山陽関係はとったのですが北海道関係はとっていないのが残念です。
これを見られれば一発解決なのですが。
という事で、他にも調べたいことがあるので鉄博詣でを検討します。

この掲示板をご覧の方で、情報をお持ちの方はおられませんか?

>昭和42年10月改正において 〜 変更した意図
これは情報が少なすぎますね。先にも書いた通り、
・停車駅のホーム設備とスユニの郵便室との位置関係の都合
・稚内に着いた後の入換作業の都合
あたりが考えつくところですが、そうした条件が
昭和42年10月改正を境に変わったのか?という点も気になります。


仙コリ
Re8: ヨンサントオ直前(昭和43年8月)の急行利尻の編成について
studio4310様、クモイ103様

またまた自己レスで失礼します。
読み返してみますと、だいぶ言葉足らずだったようでして。

この件について疑問に思っている点が2点あります。

まず、旭川駅での停車時間についてですが、昭和42年10月改正前と
昭和43年10月改正後の増結作業が1回のみと思われる時期と、昭和
42年10月改正から昭和43年10月改正の間の手間のかかる入れ替えを
していた可能性のある時期の停車時間にほとんど差が無い点です。
(昭和42年9月と昭和42年10月では同じ到着時刻・発車時刻です。)
もっとも私が思っているほど大変な作業ではなく、クモイ103様が
おっしゃるように17分あれば余裕があった場合は的外れになりますが、
時間的なマージンを考えれば、多少なりとも停車時間の延長があって
しかるべきではないかと思います。

また、編成順序からみても昭和43年10月改正前まで荷2と郵荷の
2両が旭川からの増結であった場合、昭和42年10月改正前までの、
荷2 郵荷 の順で 荷 の後ろに連結して済んでいた状態を
昭和42年10月改正において、わざわざ手間のかかる 荷2 荷 郵荷
の状態に変更した意図がまったくわからないといった点です。

とはいえ、実際に乗車されたstudio4310様の編成記録において
スユニ60(旭川〜稚内)となっているので、謎が深まるばかりですが。

ちなみに「昭和43年10月1日改正 優等列車編成順序表」によると
昭和43年10月改正後の「利尻」のマニ60の運用は大航2運用ではなく
旭荷61運用となっております。 Up 5/7 13:36


仙コリ
Re7: ヨンサントオ直前(昭和43年8月)の急行利尻の編成について
studio4310様、クモイ103様

なるほど、入換機関車にあらかじめスハニを連結した状態は、思いつき
ませんでした。
確かにそれで所要時間は短縮出来ますが、それでも
・利尻編成が旭川駅に到着
 側線(札幌駅側待機線)には入換機関車+スハニが待機
・構内ポイントを切換えて入換機関車+スハニを利尻編成後部へ連結
・利尻(寝台車+座席車)編成からマニを切り離す
・入換機関車+スハニ+マニが側線(札幌駅側待機線)へ移動
・構内ポイントを切換えて入換機関車+スハニ+マニを
 他の側線(駅ホーム横?)に移動して、待機していたスユニへ連結
・入換機関車+スハニ+マニ+スユニの状態で、
 側線(札幌駅側待機線)へ移動
・構内ポイントを切換えて、入換機関車+スハニ+マニ+スユニを
 利尻編成後部へ連結
・入換機関車を切り離し、スハニの客扱い後に発車
といった手順が必要であると思われ、それぞれに連結または解結作業
(少なくても連結状態の確認と、ブレーキ管の取付け・取り外し作業は
必要ですよね)・移動のいずれかは必要であり、安全を考えると最低でも
それぞれ2〜3分は必要であると考えられますので、17分間の停車時間
では不可能ではないながらも、ぎりぎりかなと思われます。

交通公社時刻表に掲載されている編成表からみても、
昭和42年9月号 荷2 郵荷 荷 (寝台車・座席車)
昭和42年10月号 荷2 荷 郵荷 (寝台車・座席車)
昭和43年10月号 荷2 荷 郵荷 (寝台車・座席車)
と、昭和42年10月改正で連結順序が変更となっており、この改正前は
荷2と郵荷が旭川駅で単純に編成後部に増結されたと思われる表記
(先日のクモイ103様の書き込みと同じで、旭川−稚内の注記が
郵荷と荷の中間となっているためですが、音威子府の文字数の多さ
から右側にずれただけであると思われます)であり、昭和43年10月
改正の後は荷2のみを旭川駅での増結となっており、普通の増結作業
なのですが、問題の昭和42年10月改正から昭和43年10月改正の間だけ
表記もあやふやであり、不可解な増解結が行われた可能性がある状態
となってしまっています。

「昭和43年10月1日改正 優等列車編成順序表」によると、昭和43年
10月改正後のマニの札幌−旭川間は〆切・スユニの札幌−旭川間は
回送となっており、マニとスユニの連結は札幌から・運用は旭川から
という状態が昭和42年10月改正からであったとすると、資料によって
さまざまな表記となっている原因である可能性があるかと思われます。

なお、クモイ103様の書き込みを否定しているわけではなく、
こういった考え方もできるのではという私見ですので、ご容赦下さい。

いずれにしても可能性の指摘にとどまる状況ですので、確定できる資料の
発掘、もしくは詳しい事情をお知りの方がいらっしゃれば良いのですが。


クモイ103
Re6: ヨンサントオ直前(昭和43年8月)の急行利尻の編成について
自己レスです。
> 例示された特急列車の併結作業と変わらない
と書きましたが、入換機関車は3往復するので手間はもっとかかりますね。
失礼しました。
しかし下関で、客車増結を伴い7分停車の[富士]以外の九州ブルトレでは
軒並み4分停車で機関車交換をこなしていることを考えると、
3往復でも17分あれば十分でしょう。


クモイ103
Re5: ヨンサントオ直前(昭和43年8月)の急行利尻の編成について
studio4310様、仙コリ様

以前に私もそういう情報をご紹介していたのですね。すっかり忘れていました(汗)。
当時参照した情報源の本を改めて確認しようと探しましたが、
どこへやったのやら行方不明で情けない限りです…


停車時間からの推測は思い至りませんでした。
但し、仙コリ様が描かれたシナリオよりも効率的な手順が考えられます。
入換機関車があらかじめスハニを連結した状態で最後尾に取り付けば、
後段の手順は不要となるので、作業全体の所要時間は
例示された特急列車の併結作業と変わらないと考えられます。
利尻の停車時間はその2倍くらいあるわけですから、
入換後に荷物や郵便の積み下ろし作業までできたのではないでしょうか。

従って、時刻表の編成図に示された「郵荷」が旭川で差し込まれたことを
否定する材料にはならないというのが私の見解です。


また、資料によって情報が食い違っている点ですが、
 @Webサイト(仙コリ様ご紹介のARC資料館)
 A過去ログで私がご紹介した雑誌
 B交通公社時刻表
これらの中で、情報の信頼性に順位を付けたらどうなるでしょうか?
私はB>A>@と考えます。

時刻表は、出版社が国鉄から直接得た情報を元に、
公共性を意識し責任を持って編集・校閲されている筈です。

雑誌は、それよりは狭い購読層を対象に趣味的見地で編集されており、
多くの場合、執筆者の知見がそのまま記載されて、
編集部がチェックして誤りを正す機会は滅多にありません。
但し、多くの場合執筆者は記名してその責任の所在を明らかにしています。

Webサイトは、運営者の知見の範囲で他者によるチェックの仕組みがありません。
また多くの場合、運営者は記名していません。
ARC資料館では多くの情報源が示されていますが、
1965年10月の国鉄内部資料以外は全て市販の書籍や雑誌ですね。
もちろん、膨大な情報を編集して分かり易くまとめられた
運営者のご苦労は大変なもので、その点は当サイトを築き上げられた
仙コリ様と同様に尊敬するものです。しかし研究者の立場としては、
情報が食い違っていたらまず“序列”の低い方を疑ってみる、
という姿勢を忘れてはならないと考えます。

もちろん時刻表といえども間違いはありますから、
今回の「利尻問題」の正解はまだ分かりません。
引き続き、どこかに何かヒントがないか機会をうかがいます。


仙コリ
Re4: ヨンサントオ直前(昭和43年8月)の急行利尻の編成について
studio4310様、クモイ103様

またまた極端な書き方をしてしまったようで失礼しました。
原則は原則であって、そこから外れた例が多数存在したのが
客車列車編成の面白さですものね。

なんとか「利尻」の編成の謎を解こうと勇み足をしてしまったようで
失礼いたしました。

そこで、少し違う視点(停車時間)から見てみました。

317レ下り「利尻」の旭川駅の到着時刻と発車時刻を調べると
昭和42年10月改正前後には 23:44着 0:01発 で、17分間の停車
昭和43年10月改正時点では 23:43着 23:59発 で、16分間の停車
ちなみにスハニを切り離す音威子府駅の停車時間は17分間でした。

また、当時の特急列車で途中駅で増結がある列車(上り「富士」及び
「彗星」の大分駅、「あさかぜ1号」の下関駅)での停車時間は、
7〜10分間となっていました。

「利尻」が旭川駅でマニをスユニとスハニの中間に組成し直すため
の手順としては、少なくとも
・最後尾に入換用機関車を連結
・編成からマニを切り離し、側線に移動してスユニを連結
・マニ+スユニを移動して「利尻」編成の後部に連結
・入換用機関車を切り離し、側線に移動してスハニを連結
・スハニを移動してマニの後部へ連結し、入換用機関車を切り離す
・スハニの客扱い(乗車)後に発車
といった手順が必要になると思われるため、特急列車の増結だけでも
7〜10分が必要だった事から、「利尻」の旭川駅での17分間の停車
時間で、上記の入換(最少でも5回の連結)を行うのは不可能である
と考えられます。

といった点から、昭和43年10月改正後のスユニ60の運用は旭川駅
からながら、札幌〜旭川間は回送扱いで連結されていたという状態が、
昭和42年10月改正から同様の運用となっていて、旭川駅からの運用
であるスユニ60は実際には札幌駅から連結されていて、旭川駅で増結
されたのはスハニ62だけであったのではないかと思われます。
(先に紹介したARC資料館でも、昭和42年10月改正から旭川駅での
増結はスハニ62だけであると表記されています。)

また、クモイ103様が客車倶楽部にて平成14年8月17日の書き込み
にて紹介して頂いている、昭和42年10月1日改正時点での編成
(RM誌1995-11)においても、スハニのみが旭川−音威子府間の連結
(下りのみ)であると記載されております。
(倶楽部メモSP 「利尻」の編成について に収録)

なお、後部に連結される荷物車・合造車の話題なので、旭川駅で列車
前部に連結されるスハは省略しております。

studio4310様の編成記録を否定してしまう事になり申し訳ありませんが
私の考察ではこのようであったと思われます。


クモイ103
Re3: ヨンサントオ直前(昭和43年8月)の急行利尻の編成について
studio4310様、仙コリ様

遅レスすみません。
時刻表復刻版 1967(昭和42)年10月号の編成表によると、
急行[利尻]の編成は札幌寄りから次の通りです。

 荷2(旭川−音威子府 下りだけ)
 荷
 郵荷 (旭川−稚内)
@寝2
A寝B寝2
B指自1
C指2 (下り 札幌−稚内 上り 稚内−旭川)
D2
E2
❼2
G2 (旭川−稚内)

但し3両目の「郵荷」に対する(旭川−稚内)の注記は左にずれ、
2両目の「荷」に一部掛かっているのであやふやです。
またC号車の注記は連結区間ではなく指定席扱いの区間と思われます。

studio4310様の記録では旭川で4両増結されたようですから、
前部の2等車が繁忙期で2両に増えていたのでしょうか。

なお、仙コリ様が客車編成に関する内規を引用されていますが、
一般論として国鉄の客車列車の編成は様々な個別の事情で
どうにでも変則的に組まれていましたから、
個別の具体例に対して「内規がこうだからこうだった筈だ」
という議論はあまり意味をなさないように思います。
むしろ、「この列車ではなぜこのような編成が組まれたのか?」
を考える方が趣味者としての醍醐味を感じます。

旭川でわざわざマニを一旦切り離してスユニを挟むという
手間をかける理由を私は知りませんが、可能性としては、
・停車駅のホーム設備とスユニの郵便室との位置関係の都合
・稚内に着いた後の入換作業の都合
くらいが今思いつくところです。


仙コリ
Re2:ヨンサントオ直前(昭和43年8月)の急行利尻の編成について
studio4310様

自己レスで失礼します。

急行利尻の編成についてさらに調べてみましたが、当サイトのリンク先で
あるARC資料館によると、昭和42年9月まではユニは旭川−稚内間、
ハニが旭川−音威子府間(下りのみ連結)の増結で、編成順序は札幌寄り
から、ハニ・ユニ・ニ・座席車及び寝台車といった順序であったようで、
増結車は2両とも旭川駅で最後部に連結されたようです。
これは、増結車(郵便車・荷物車および客室との合造車)は基準寄に
連結するといった内規があったためで、こちらが優先されたようです。

一方、昭和42年10月から昭和43年9月までは、増結車はスハニ62だけで、
旭川−音威子府間(下りのみ連結)の増結であり、編成順序は札幌寄り
から、スハニ62・マニ60・スユニ60・寝台車・座席車といった順序と
なっており、こちらは増結車は基準寄に連結する、基準寄から荷物車・
郵便車・客室の順序とする、といった双方の内規通りとなっております。

ご乗車された列車の編成記録ではスユニ60は旭川からの増結であった
との事ですが、記録違いであったか、当日なんらかの理由でスユニ60が
本来の札幌駅からの連結ではなく、旭川駅からの連結に変更されていた
という可能性はないでしょうか?
(ちなみに昭和43年10月1日優等列車編成順序表によっても、旭川からの
 増結はスハニのみであり、スユニは全区間の連結となっていますが、
 スユニの札幌−旭川間は回送扱いとなっています。) Up 5/2 17:20


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