過去ログ20 2024/1/17 15:43

クモイ103
Re6: お座敷列車快速ふるさと号について
すみません、訂正です。
 誤:「折り返し下り列車の設定も同様です。」
 正:「折り返し上り列車の設定も同様です。」
失礼しました。


クモイ103
Re5: お座敷列車快速ふるさと号について
仙コリ様より1984年の可能性もあるとのことなので調べました。
時刻表1985年1月号より
・9423レ快速(列車名無し)広島発10:36→下関着14:28
・運転日:12/27→30日
この年も大きな違いは無いようです。折り返し下り列車の設定も同様です。

鉄爺様は岡山からご乗車とのことなので、
仮に岡山から広島まで別列車で来た場合の接続を見ました。
・331M 岡山発6:42→広島着9:38
・333M 岡山発7:36→広島着10:33
といったあたりが考えられます。


仙コリ
Re4: お座敷列車快速ふるさと号について
お座敷列車快速ふるさと号について具体的な情報があるわけではないですが、
鉄爺様がおっしゃるEF62牽引がキーワードであるとすると、山陽本線において
EF62が運用されたのが1984年の春から1986年の冬までのようなので、鉄爺様が
ご乗車になったのは1985年か1986年だけではなく、1984年の可能性もあるの
ではないでしょうか?

また、クモイ103様の情報で「車両は広島持ちだった可能性が大きい」という
事から、使用客車は広島支社の保有で下関配置であった1981年登場で12系改造
の和式客車であった「旅路」(登場からしばらくは12系オリジナル塗装)では
ないかと思われます。

ちなみに乗車されたのが9423レだったと仮定すると、下関着15:10頃からの
乗継で、下関15:18→快速3235M→16:45博多17:14→167M→19:53熊本
といった時刻で熊本に到達できた模様です。(1982年11月改正ダイヤであれば
ですが…)

多少でも謎解きの参考になれば幸いです。


クモイ103
再びお座敷列車快速ふるさと号について
鉄爺様

時刻表1986年12月号も持っていたので確認しました。
9423レ快速「帰省列車」広島発10:53→下関着15:15、
1/12にコメントした前年のものとあまり変わっておらず、
運転日も全く同じ12月27→31日です。

ちなみに両年とも下関から折り返し広島行きの上りも運転されているので、
車両は広島持ちだった可能性が大きいと思われます。


テツヲヤヂ
手動ドアからの転落の話題
興味深いものを見つけました。
旧客時代の「急行阿蘇」の車内放送です。
終着名古屋到着時の放送ですが、
「止まるまで扉をあけるな」との趣旨の案内が流れています。




クモイ103
Re: 旧型客車からの転落死
鉄爺様
ご返答ありがとうございます。

なるほど2〜3件とのご認識ならお話しは理解できます。
私の感覚で1971年の「多い」というのは、
交通事故による死者数16,278人(政府統計ポータルサイト"e-Stat"より)
と比肩できるレベルを想像しており、失礼いたしました。
仙コリ様も言われるように転落事故がなかった訳ではないでしょうから、
50系客車の設計でも転落防止が考慮されたのは自然な流れですね。

ところで12/31の私の投稿で添付した大社線126レの写真をよく見ると、
客扉にロック装置がついていた20系客車であるにもかかわらず
扉が解放された車両が多く見られます。
優等列車でないので一般の客車と同レベルの扱いで良いとされたのでしょうか。
いろいろな意味で今から見れば“大らかな”時代でした。


鉄爺
旧型客車からの転落死
クモイ103様、仙コリ様
鉄爺です。早速連絡をいただき、ありがとうございます。
旧型客車からの転落死は、統計を取っているわけでないので、具合的に申し上げられませんが、年間2,3人は転落死しているように思います。現に、転落事故の現場を目撃しました。播但線長谷の大カーブでDD54の客レを撮影していたのですが、少し先の市川を渡ったところで列車は、停車したままでした。乗客が転落し、しばらく停車していました。乗客がどうなったのか知りませんが、周囲に大量の血痕があり、足が竦みました。そういった背景もあって50系を導入したと聞きます。転落死に至らなくても、列車が停まる寸前にデッキから飛び降りて転倒する人も多かったです。飛び降りても、小走りすれば大丈夫なんです。ブレーキをかけた列車のスピードに合わせて走ることです。その頃は、SLの発車シーンを撮って、大急ぎで動き始めた列車に飛び乗るという強者もいました。

ふるさと号ですが、私の記憶があいまいで申し訳ございません。EF62がけん引していたので1985年か1986年頃だと思います。岡山⇔下関間を運転していました。列車名も無名かもしれません。18きっぷで乗車できたのでお座敷列車ですが、グリーン扱いではありません。

当サイトのように旧型客車について語れるサイトがあるとは知りませんでした。
私の勤務先には、車両製造部門もあります。私の職場では、直接車両製造は行っていませんが、車両構体の強度評価、IT化、GPS応用の運転アシストを構築しています。しかし、仕事で淡々と処理をするだけで、鉄道好きはいません。鉄道談義をしたいのですが、相手がいません。そんなわけで、当サイトの閲覧を楽しみにしています。
今後ともよろしくお願いいたします。


仙コリ
Re2: お座敷列車快速ふるさと号について
クイモ103様が疑問視されている「旧型客車のデッキからの転落死」についてですが、
転落事故としては、昭和31年6月に急行「銀河」の車内から転落して亡くなられた
筝曲家の宮城道雄さんの事故がよく知られているなど、ある一定数の転落事故は
あったものと思いますが、当時は客車の手動ドアは当たり前で、走行中のデッキが
危険であることは暗黙の了解であり、それほど多くの事故があったとは思えません。

私が多く列車旅に出かけていたのは昭和50年代なので、ちょっとだけ年代がずれ
ますが、駅ホームの案内放送では到着直前の列車からの飛び降り?、発車直後の
列車への飛び乗り?に対する注意喚起はあった記憶がありますが、車内放送に
おいて、デッキからの転落に対する注意喚起は聞いたことがなかったと思うので、
(ポイント通過時に、「揺れますのでデッキにお立ちのお客様はご注意ください」
といったような放送はあったような?なかったような?)デッキからの転落事故が
多発していたという事はないのでは?と思います。

お座敷列車快速ふるさと号については、お手上げ状態です。
申し訳ありません。

ついでとなってしまい申し訳ありませんが、「スハ33650・スハフ34720の編成例」
「湧網線にワムフ100の理由」についても、手持ちの資料は調べてみましたが、
お答えできる事例がない状態です。


クモイ103
Re: お座敷列車快速ふるさと号について
鉄爺様、はじめまして。

旧型客車のデッキからの転落死も多かったとのお話し、
大変な違和感を持ちながら拝読しました。
「多かった」とは具体的にどれくらいの頻度だったのか、
ご教示頂けませんか?

1971(昭和46)年といえば私は小学校4年生、
社会問題をある程度は認識できる年齢になっていたつもりですが、
ついぞそのような話を聞いた覚えがありません。
自宅最寄りの線区には少数ながら客車列車も行き交っていて、
自分が乗る機会は滅多にないものの馴染みの風景でしたが、
親を含む大人たちから注意喚起を受けた覚えもありません。

翌1972年のレコード大賞は、ちあきなおみの「喝采」でした。
 ♪あれは三年前 止めるあなた 駅に残し
 ♪動き始めた汽車に 一人飛び乗った
客車の手動ドアに誰も疑問を呈さなかったことが分かります。
転落死が多いと言えるような状況ならば
そもそもこのような歌は世に出ないと思うのですが、
私の認識が間違っていたらご指摘頂きたくお願いします。



時刻表1985年12月号を確認しました。
山陽本線下り岡山→門司間のページを見ると、
9423レ快速「お座敷列車」広島発10:50→下関着15:10
というのが12月27→31日に運転されています。
指定席マークもグリーン車マークもないので全車普通車自由席のようです。
岡山→広島間にはそれらしい列車は見当りません。
運転区間が異なり、「ふるさと号」という列車名もありませんが、
これが関係あるのではないでしょうか。


ミキスト
湧網線にワムフ100の理由
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
震災の能登ですが,国鉄能登線,のんびりと珠洲までの道中の美しい風景が思い出されます.復興を願うばかりです.
湧網線に封じ込められて,キューロクに牽かれていたワムフ100ですが,学生などの便乗が許可されていたとの書き込みを見ました.真偽のほどはいかがなのでしょうか.能登の内海とはまた違う,豪快なオホーツクやサロマ湖沿いをワムフで旅してみたいものです.
よろしくお願いいたします.


2119

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