過去ログ23 2024/3/4 10:56

仙コリ
Re:ある疑問
ナロ2051様

ゴーマルサン前後の日付で尾久にて廃車になった10系寝台車についてですが、
手持ちの資料を調べてみても、明確な回答にはたどり着けなかったので、
あくまでも推測ですが、

ゴーマルサン前後での廃車両数ですが、
1974/12 5両 1975/1 11両 1975/2 12両 1975/4 13両 1975/6 13両
といったように、期間を約半年に広げると50両以上が廃車となったようです。
この要因としては、十和田のゆうづる格上げが大きかったと思われます。

昭和49年8月の時刻表を見ると、十和田は定期2往復、臨時7往復が設定され、
ハネの両数は19両×2(往復分)で38両となっています。
なお、臨時列車分の両数は他の資料からの推測ですが、時刻表の編成表に掲載
されていない臨時列車(下り1号、上り2号)の編成はハネのみの12両であった
可能性が高いと思われます。

いっぽう、昭和50年3月の時刻表を見ると、十和田は定期2往復、臨時2往復に
激減しており、ハネの両数は1両×2(往復分)で2両のみとなっています。
時期(季節)による差がある可能性はありますが、この通りであれば、36両の
余剰車が発生したことになります。

常磐線におけるハネの全体両数としては、特急「ゆうづる」の増発・増結分で
22両×2(往復分)の44両が増えているので、問題はなかったものと思われます。

あくまでも私の推測ですが、以上のような理由によって、この時期に多くの
10系寝台車が廃止になったものと思われます。


でる
Re5: 交通科学館食堂車について
クモイ103様、竹中@ノーブルジョーカー様

貴重な情報、そして写真ありがとうございます。
お二人の写真から様々見え隠れしてまいりますね。

クモイ103様の最初の投稿時点では、あぁやはりマシ入館後はスシではなくマシ側での営業であろうな・・と思っておりました。その後、竹中様の写真で、食堂メニューはスシ側に、幕の内などの弁当メニューがマシ側にということを確認。自分でも調べてみるうち、真偽不明ながら「マシは厨房設備を全て撤去されていた」との書き込みを発見。

その時点での想像は・・科学館には一階展示スペース側にカラス張りの弁当売り場(兼中で食べれるスペース)がありましたね。そこで・・・

・マシ入館後も食堂はスシにて営業。マシは厨房が撤去された広いスペースを使った弁当の販売と飲食場。

これが正解かと思われたのですが、クモイ103様ご指摘のナプキンのこと。確かにナシ20時代は芦の家さんが相当きちんと「食堂」営業をしていましたね。子供でしたのでいつもカレーかスパゲッティでしたが、きちんとその場で調理されたものも提供されていたはずです。それ以前も同じとイメージすると、スシの窓からそういったナプキンのようなものが見えないというのもおかしなことに思えます。

当時実際に飲食をされた方のお話、或いは内部写真が出てきて欲しいものです。

さて先日の書き込みとクモイ103様が下さったお返事に関してです。当時毎夏行っていた科学館。記憶にある中でかき氷はただ一回でしたもので、鮮烈に覚えており、調理室の中まで覗かせてもらってバイトのお姉さんに笑われました。なので一夏だけ、と思っておりましたが1989年には既に祖父も亡くなってその頃は行っておりませんので、私が科学館に祖父訪問の一連の流れの最後に行った時がかき氷初回だったのかもしれません。

ナシ20につきまして、当24号車は20系「あさかぜ」最終日近くまで営業に入っていた車両ですから、置き換わったのは早くとも昭和53年以降ではないかと思われます。僭越ですみません。

長年の疑問がだんだんと解け、珍しい画像も見せていただきながらの楽しいやりとり、とてもうれしく思います。ありがとうございます!


クモイ103
Re4: 交通科学館食堂車について
竹中@ノーブルジョーカー様

交通科学館にマシ29 107が居た時代の貴重な写真をありがとうございます。
ところで1989年7月23日に私が撮った写真を見返したところ、
営業中のナシ20には窓からナプキンなどの調度品が見えます。
竹中様の写真ではスシ28の窓にそのようなものが見当たりませんので、
果たしてこちらは営業していたのかと疑問が生じました。
https://i.imgur.com/qA5SOJC.jpg


竹中@ノーブルジョーカー
Re: 交通科学館食堂車について
でる様

交通科学館に行った時の画像がありましたのでご覧ください。
スシ28301で営業していたようでメニューが見えますが、記憶のほうは全くありません・・・
撮影日は昭和50年(1975)10月25日です。
https://i.imgur.com/pIFP2Ba.jpg


テツヲヤヂ
スハ32 田子の浦事故復旧車の車内
復旧工事の際に車体をスハ43系の完全切妻車体と同様として幅1000mmの広窓となったことからオハ35に編入された話は有名ですが、座席はどのような形態だったのでしょうか。
車体形状に合わせたスハ43タイプの背ズリ二段で頭もたせ付だったのか、種車のスハ32や編入されたオハ35と同様の平板にモケット付き背ズリものだったのか、それとも当時最新鋭だった軽量客車タイプ?
いろいろ探してみましたが外観の画像はあっても車内見付の画像が見当たりません。
外観写真の窓からのぞく車内も判別できないようなものばかりです。
ご存じの方がおいでになりましたらご教授いただけると幸いです。


ナロ2051
ある疑問
10系寝台ファンのバイブル?のP誌
2022年10月号の配置変遷表題を見ての疑問ですが、ゴーマルサン前後の日付でスハネ16.オハネフ12合計30両程が尾久で廃車になっています。当時の尾久の受け持ちは津軽
2本、おが、妙高、十和田でハネの
連結両数見直し、十和田のゆうづる
格上げがあったとしても廃車両数が
多過ぎる気がします。操配用または
予備車の大幅な見直しが有ったのでしょうか?


クモイ103
Re2: 交通科学館食堂車について
補足です。
前投稿でアップしたスシ28の撮影日は1989年7月23日、
鉄博のTR73は2009年8月14日です。


クモイ103
Re: 交通科学館食堂車について
でる様

交通科学館で展示されていたマシ29 107をご覧になっているとのことで羨ましく感じます。
その当時は大阪方面に縁がなくお答えすることが出来ませんが、後にナシ20に代わってからの状況を考えると、やはり少なくとも通常はマシだけで営業していたのではないでしょうか?(全く自信なし)

スシ28でかき氷が提供されていたのは一夏だけのこと?でしたか。幸運な所に出くわしたものです。ただナシ20で食事をしただけでスシ28に入らなかったのが今となっては悔やまれます。
https://i.imgur.com/Dlschbn.jpg

スシ28 301(本当はスハシ38 102)は昭和37年の同館開設当初から展示されていた古株で、マシ29 107は廃車が昭和41年度末なのでその後という事になります。
マシがナシに置き換わったのは昭和51年頃とのことで、解体されたマシが履いていたTR73形台車の片方だけが東京神田の交通博物館に保存・展示され、現在は大宮の鉄道博物館で見ることが出来ます。
https://i.imgur.com/45j8we6.jpg


でる
訂正
マシスハシ ですね。↓
いくつかおかしくなってしまっています。すみません。


でる
交通科学館食堂車について
マロネ58に引き続き、少し質問させてください。

初めて交通科学館に行きましたのは昭和53年ごろ、当時大阪に住んでいた祖父母を休みには訪ねる習慣になっていましたので、祖父にねだって連れて行って貰ったのでした。それが客車趣味に火をつける事になってしまいました。

2両ある茶色い古い食堂車でしたが、ちょうどマシ29解体→ナシ20搬入の前あたりだったようで、マシスシ(スハシ)両方とも営業しておらず、長い間のご愛顧感謝 のような張り紙がしてありました。

その次に行ってみると、なんとマシは解体中で大いに驚いたのを覚えています。

さてこの2両、どのような使われ方をしていたのでしょうか。まず最初にスハシがあり、その後マシが仲間入りしたのだったと思います。2両とも営業していたのでしょうか?それともスシでの営業開始後はスハシでの営業は無くなったのでしょうか。

科学館のナシ20には随分昼食のお世話になりましたし、今となっては現存唯一の貴重な車両ですが、当時はまだまだ真新しい製造後数年の車両が早くも博物館入りし、茶色い客車を駆逐したのも腑に落ちない感じがしていました。

スシスハシでの食事の経験のある方、内部の状況など教えて頂けましたら嬉しいです。営業当時の情報が写真を含め見つける事が出来ません。

スハシは、確か一夏だけ「かき氷」を食べさせるために営業されており、その時に車内を楽しめたのが懐かしいです。


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