過去ログ6 2023/1/9 17:59

国鉄マニアのモデラー
Re:2 急行「つるぎ」の寝台車について
仙コリ様

オハネ17……、音戸セットのバラシを探す必要がありますね…。セット品にしか入っていない客車ですので中々見かけない上にお高いですが、気長に集めていこうと思います。(スハネ30も同時進行で集めようと思います)


国鉄マニアのモデラー
Re5:「きたぐに」の郵便車
仙コリ様

非冷房のオユ10が昨年12月に旧型客車セット(青)にて再販されていますので、そちらのバラシ or ASSY1組を入手して編成に組み込もうと思います。あるいは中古で冷房化改造された車両を探すのも手段です。ですが、当面の間はオユ11で代用しようと思います。


仙コリ
急行「つるぎ」の寝台車について
国鉄マニアのモデラ―様

急行「つるぎ」の寝台車についてのご質問ですが、具体的な
スハネ30と10系寝台車の混結編成例は見つけられません
でしたが、当サイトのリンク先である「ARC資料館」
によりますと、昭和38年10月1日から昭和40年9月まで、
スハネ30が2両・オハネ17が2両連結されていたようです。

資料的な裏付けとしては、時刻表の昭和39年10月号に
掲載されている列車編成表において、505・506レ急行
「つるぎ」の2等寝台車の連結両数は4両となっており、
鉄道ピクトリアル2006年8月号 スハ32系特集(2)
によると、昭和39年10月1日改正における505・506レ
急行「つるぎ」でのスハネ30の使用状況が2両×2組
となっているので、残りの2両×2組は10系寝台車
という事になります。

なお、急行「つるぎ」は昭和40年10月改正で電車急行
「金星」となり、昭和43年10月改正で再び客車急行
「つるぎ」となりますが、上記ピクトリアル誌によると
昭和43年10月1日改正における急行「つるぎ」での
スハネ30の使用状況は8両×2組となっているので、
急行「つるぎ」における、スハネ30と10系寝台車の
混結編成は、昭和38年10月1日から昭和40年9月まで
であると思われます。


仙コリ
Re4:「きたぐに」の郵便車
国鉄マニアのモデラ―様

クモイ103様から詳しい解説をしていただきましたが、
オユ10とオユ11は双子のような形式という事で、見た目の
違いが分かるように、VC図面をもとに側面の比較図面を
作成してみました。

採光窓の数の違いと、区分室の広さの違いからくる扉位置
の違いなど、違うといえば違うけれども、遠目にはあまり
変わらないともいえるので、当面はオユ11で代用しておき
オユ10が入手しやすくなったら導入するというのでよい
のではないでしょうか?

NゲージでKATOのオユ11をお持ちで、オユ10の再生産
待ちであれば、グリーンマックスのキットを利用するのも
ひとつの手ではあると思いますが。
https://i.imgur.com/ze0hrlH.jpg


国鉄マニアのモデラー
Re3:「きたぐに」の郵便車
仙コリ様 クモイ103様

ご丁寧にご説明頂きありがとうございますm(*_ _)m
やはりオユ11は使用されていなかったんですね…。確かに遠くから見ても10か11か判別するのは中々難しいですもんね。オユ10も早めに導入して完璧な編成に仕立てたいと思います。

それと、もう1つ疑問に思っている事があるのですが、スハネ30の過渡期に急行つるぎでスハネ30と10系寝台車の混結はあったのでしょうか?


クモイ103
Re2:「きたぐに」の郵便車
国鉄マニアのモデラ―様

仙コリ様のおっしゃる通りですが、ちょっと補足します。

同時期にほぼ近い形態で登場したオユ10形とオユ11形の違いは、区分棚の数です。
11形の方が区分室が広いため、側面上部の採光窓が1つ多くなっています。

「鉄道ピクトリアル2017年2月号別冊 国鉄形車両の記録 10系軽量客車」によれば、
東京−門司間を結ぶ取扱便は区分棚数を従来車より多く設置した車両が用いられ、
これに対応したのがオユ11形ということです。
鉄道郵便の業界では、「東門線」という専門用語もあったかと記憶しています。

このような線区の特性に合わせた特殊仕様車でしたから、
鉄道郵便が衰退に向かった晩年は別として、
東海道・山陽筋以外ではまず使用されなかったのではないかと推測します。

もっとも遠目では10か11か判別しづらい双子のような形式ですし、
それよりも各形式内での非冷房車と冷房車の違いの方がはるかに目立つくらいですから、
模型でどう“運用”されるかはオーナー様のこだわり次第でしょう。


仙コリ
Re:「きたぐに」の郵便車
国鉄マニアのモデラー様

急行「きたぐに」の郵便車についてのご質問ですが、オユ10とオユ11は
登場時期も一緒で、どちらも取扱便用の郵政省所有車ではありますが、
オユ11は全車両が品川(昭和47年頃より汐留)及び門司に配置されて
ほぼ東京−門司間の列車専用として運用されていたようです。
(晩年の昭和58年頃より→札幌→米子の配置となりますが)

一方、急行「きたぐに」の車両は、郵便車を含めて宮原配置の車両が
使用されていたようなので、急行「きたぐに」にオユ11が使用された
事は無いと思われますので、模型的にもこだわるのであればオユ10を
入手される事をお勧めします。


国鉄マニアのモデラー
「きたぐに」の郵便車
鉄道模型で編成を組む際に気になっていた事です。「きたぐに」にはオユ10が組み込まれていましたが、オユ11も組み込まれた事はあるのでしょうか?自分はオユ11しか持っていないのでずっとそれで代用していましたが実際にあったのでしょうか?


青列車
【追記】お詫びと訂正
先程UPしました拙発言に変換ミスがありました。
誤》まるでかつて全国で視られた妃殿下区間の客車鈍行そのもの。
正》まるでかつて全国で視られた非電化区間の客車鈍行そのもの。
謹んでお詫びの上訂正致します。
(添付画像も一部同じ物が二重になってしまいましたこと重ねてお詫び申し上げます)


青列車
本年も宜しくお願い申し上げます
旧年中は格別のご高配を賜りましたこと誠に有難く厚く御礼申し上げますと共に本年も倍旧のご指導ご鞭撻の段宜しくお願い申し上げます。
さて、去る1月3日、新年初[鉄]して参りました。
(1月1日は夜勤、2日は明け、3日は公休日)
蒸機陣はC571・D51200共未だ[入院]中とあっては普段は黒子・影武者の地位に甘んじているDD511043の出番!DLやまぐち号(殆ど昭和レトロ号)が運転されました。
蒸機現役時代末期、蒸機党からは仇敵の如く嫌われ[赤ブタ]などと罵られたDD51も、令和の今ではスーパースター(^^);オリジナルに良く似たいでたちのオハ35系4000番台編成を従えた姿はまるでかつて全国で視られた妃殿下区間の客車鈍行そのもの。その昔の山陰本線や福知山線での乗車体験が懐かしく思い出されます(車内も再現度の高さには感激でした)。
ただ…走行音だけは12系辺りと同じなのがちょっと[ギャップ萌え]ですが…
令和の時代に身近な場所(撮影場所まで自宅からクルマで1時間強)で客レが走り[乗り]も[撮り]も出来る…或る意味恵まれた環境にいると言えましょうか?
蒸機達の復活が待たれる一方で、DD51牽引の[やまぐち号]も捨て難い…
と贅沢なことをほざいています。
https://i.imgur.com/XLiX504.jpg

https://i.imgur.com/tCWL0Tv.jpg
https://i.imgur.com/h0Scweq.jpg
https://i.imgur.com/qOAyfax.jpg


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