過去ログ7 2023/1/24 2:23

東ミハ
Re:マイネ40の片デッキ改造の時期とマロネ40への改番
仙コリ様

お返事ありがとうございます
ですよね…自分も探しているのですが、中々見つからず。
ただ、以前ブラストモデルメーカーのアルモデルの担当者さんとお話しした際に、確かに写真で見た、というのです。確か早鞆?の車両だったと。でもどの資料かを忘れてしまったそうで…


ナイロフ
一等展望車の帯標記について
初めて投稿させていただきます。
昭和23年から27年にかけて一等車のクリーム帯に黒色で標記されていた「JGR」「JNR」マークについて、マイネ40、41でこの標記の付いた写真は確認しているのですが、当時の展望車(スイテ37など)については、この標記が付けられていたことを示す資料を確認するに至っていません。
この標記は当時の一等車に例外なく付けられていたものでしょうか。
資料、情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ご教授願います


仙コリ
Re:マイネ40の片デッキ改造の時期とマロネ40への改番
東ミハ様

マイネ40の片デッキ改造の時期についてですが、手持ちの資料を
探してみても各車両の具体的な改造時期は見つかりませんでした。
資料的には、マロネ40への改番後と記載されている場合もあるの
ですが、時期的には確かに微妙な時期であると思います。

ちなみにマイネ40時代の終盤は「銀河」「霧島」「筑紫」「早柄」
で使用されていたようですので、この列車のいずれかに早期施行車が
連結されていた可能性があるのか?と考えられます。

どなたか詳しい方がいらっしゃいましたらフォローお願いします。


東ミハ
マイネ40の片デッキ改造の時期とマロネ40への改番
はじめまして

マイネ40について質問させていただきます
マイネ40は1955年〜1956年(昭和29〜30年)ごろに車内レイアウトの変更や屋根の張り替え、片デッキ化などの改造を行われていますが、改造途中の1955年7月にはマイネ40→マロネ40へと改番されています。そのため、改番前の時点で既に改造が終わっている車輌(要はマイネ40の片デッキ車輌)があると聞いたことがあります。
そこでお聞きしたいのですが、それらの車輌(マイネ40時代に既に片デッキの車輌)の車番は何番でしょうか?
また、霧島や早鞆など当時の急行列車に連結されていたりしたのでしょうか?


仙コリ
Re:8 急行「つるぎ」の寝台車について
クモイ103様

またまたご指摘ありがとうございます。

自分のWebサイト内にも略号の変遷を掲載しておきながら、
初歩的なミスをしてしまいました。

鉄道ピクトリアル誌の情報は、無条件に信用してしまう事が
多いので、気を付けたいと思います。

また、昨日掲載した一番上の表も、まず「つるぎ」の変遷から
作成した関係で、列車名ごとの変遷が上下に分かれてしまって
いたので、順番を入れ替えましたので、再掲させていただきます。
(過去ログでは元データを訂正させたいただきます。)
https://i.imgur.com/M5gTW12.jpg
https://i.imgur.com/eNu9HMV.jpg


クモイ103
Re:7 急行「つるぎ」の寝台車について
仙コリ様

お得意のまとめ表の作成、ありがとうございます。とても分かり易いです。

ところでスハネ30形客車運用状況の表で、
昭和36年の受持が「大ミハソ」となっており、参照された元資料がそうなのですが、
客車の常備駅名の略号「大ミハソ」は昭和32年1月に「大ミハ」に変更されているので、
これは元資料の誤りです。
この資料では1965(昭和40)年10月1日の編成図まで「大ミハソ」の記載が見られます。
著名な研究者でもこのような初歩的なミスを犯すものなのですね。
他山の石として私も自戒したいと思います。


仙コリ
Re:6 急行「つるぎ」の寝台車について
昨日、クモイ103様にご指摘いただいた急行「つるぎ」の
名称の変遷と電車化・客車化について、私の先の文章
では分かりにくく、自分がまいた種なので、表にまとめて
みました。

「つるぎ」の電車化と、客車編成の「金星」への名称
変更が混ぜこぜになってしまいました。
この頃の名称変更は本当にややこしいですよね。
以後気をつけます。

参考までに急行「金星」の変遷も表に入れてみましたが、
この表より前に、クモイ103様にご指摘いただいた、153系
による東海道夜行電車急行時代があったようです。

また、時刻表掲載の編成表とスハネ30の運用の変遷も
表にまとめてみました。
編成表のハネの両数と、スハネ30の連結両数の差が
オハネ17の連結両数であると思われます。
https://i.imgur.com/f0bmnnd.jpg
https://i.imgur.com/3jrs5fr.jpg
https://i.imgur.com/zj0UYHJ.jpg


クモイ103
Re:5 急行「つるぎ」の寝台車について
仙コリ様

ご確認ありがとうございます。
客車列車が「金星」になっている間に電車の「つるぎ」が存在したことは見落していました。
これはその後の愛称名統合で「立山」系統に編入された列車ですね。勉強になりました。


国鉄マニアのモデラ―様

39-10改正時の下り「つるぎ」について補足します。牽引機は下記の通りです。
・大阪→米原 EF58
・米原→田村 D51
・田村→敦賀 EF70
・敦賀→富山 ED70
なお、ED70とEF70は、列車によって使い分けがあるものの、
当時の交流電化区間である田村〜富山間の全区間で両方使用されていたようです。


仙コリ
Re:4 急行「つるぎ」の寝台車について
クモイ103様

ご指摘頂きましてありがとうございます。

私の勘違いで、ご指摘の通り昭和40年10月改正と、
昭和43年10月改正での変更は、
大阪−富山間の夜行客車急行の名称が
「つるぎ」→「金星」→「つるぎ」
と変更されており、大阪−富山間の夜行客車急行が
「金星」の名称として運転されているあいだ、
「つるぎ」の名称は同区間の夜行電車急行として
運転されていました。

お詫びして訂正させていただきます。


クモイ103
Re:3 急行「つるぎ」の寝台車について
仙コリ様

さらっと流し読みで見落としており、今さら気付きました。
2023/1/9 14:31の貴コメントで、
「急行「つるぎ」は昭和40年10月改正で電車急行「金星」となり」
と書かれていますが、
「つるぎ」→「金星」→「つるぎ」はずっと寝台車を含む客車編成でした。
電車というのはこれより前の時代の東海道夜行のことではないでしょうか。


国鉄マニアのモデラー様

昭和39年10月1日現在の「主要客車列車編成順序表」の
「裏縦貫線(下り)」ページのコピーが手元にありました。
かつて神田の交通博物館の図書室でコピーができた時代のものです。

急505=515(つるぎ)
前から10号車スハフ、9〜6号車スハ、5・4号車オハネ17、
3・2号車スハネ30、1号車オロネ10、ここまでが本編成「大6」、
その後ろに「盛荷1」マニが付きます。
また普通列車となる金沢→富山間では前に「金附8」オハが増結されます。

上りのページはコピーしていません。
なおこの資料は現在大宮の鉄博のライブラリーに引き継がれていて、
閲覧は出来る筈ですが、コピーは出来ません。


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