過去ログ9
2023/2/8 21:07
風来人Re4:14号御料車の運用、新1号編成以前のお召し列車の編成ナイロフ様
遅レス失礼いたします。新1号編成以前の編成についてですが、
新潮社発行の「昭和天皇 御召列車全記録」(平成28年9月30日)に
大正時代の御乗用列車のものを含む編成例が複数掲載されています。
クモイ103Re3: 14号御料車の運用、新1号編成以前のお召し列車の編成ナイロフ様
遅レスになりましたが、14号御料車、またご参考に2号御料車の編成記録です。
・1963(昭和38)年4月5日 オランダ ベアトリックス王女特別列車
東京→鳥羽(名古屋まで[金星]に併結)
スハニ35+オロネ10+14号御料車+オシ17+マロネフ29
・1963(昭和38)年11月7日 西ドイツ ハインリッヒ・リュプケ大統領特別列車
東京→沼津
マニ32 79+スロフ53 87+スロ54 42+オシ17 9+オロ61 2110+2号御料車+オハ36 15
(最後尾が非緩急車なのが?ですが記載ママ)
・1964(昭和39)年1月24日 ベルギー ボードワン国王・ファビオラ王妃特別列車
原宿→京都
スロフ53 10+オシ17 8+オロ61 2110+2号御料車+スハニ32 35
以上3例は、いさみやロコ・ワークス発行「資料 客車編成1975集」平成4年1月15日
に記載されていますが、その情報元は「お召列車百年」とのことです。
現在入手は困難でしょう。
クモイ103Re13: マイネ40の片デッキ改造の時期とマロネ40への改番訂正です。1月28日の私の投稿(Re10:)で、
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昭和31年11月19日の東海道本線全線電化に伴う時刻改正に対応した転属車
(例えばマシ35の3と12が東鉄→大鉄など)
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と書きましたが、転属の方向が逆で「大鉄→東鉄」でした。失礼しました。
ナイロフ14号御料車の運用、新1号編成以前のお召し列車の編成仙コリ様
ありがとうございます。やはり乗せていただいた本は必須級ですね。今後のためにも何とか入手したいものです。
昭和前半期のお召し列車の情報をあまり掴めないでいたのですが、10号御料車時代の編成の資料もあるということで、益々興味が湧きました。
仙コリRe:14号御料車の運用、新1号編成以前のお召し列車の編成ナイロフ様
14号御料車の運用、新1号編成以前のお召し列車の編成についてですが、
先の話題でも参照した RM LIBRARY 200 日本の展望客車(上)の
列車編成記録に、14号御料車を連結した編成が2例、掲載されております。
昭和35年4月22日に運行されたネパール国王特別列車
昭和35年12月5日に運行されたパキスタン大統領専用列車
こちらの2例は、供奉車も1両連結し、最後尾は展望車
(マイテ39・マロテ49)といった編成
また、昭和初期に運行された、10号御料車・11号御料車が連結された
編成例が8例掲載されております。
さらに、本文中に上記2例を含みますが、
昭和33年9月29日 東京→京都
インド プラサド大統領 特別列車
昭和33年12月3日 東京→京都
フィリピン ガルシア大統領 特別列車
昭和35年4月22日 東京→京都
ネパール マヘンドラ国王 特別列車
昭和35年12月15日 東京→京都
パキスタン アユブ・カーン大統領 特別列車
昭和36年5月13日 東京→京都
ペルー マヌエル・プラド大統領 特別列車
の列車編成が記載されております。
また、アルモデルさん発行の「改訂版 往年の客車列車編成表」に、
14号御料車を連結した列車編成が2例、掲載されております。
昭和33年9月に運行されたインド大統領特別列車
昭和33年12月に運行されたフィリピン大統領特別列車
こちらの2例は供奉車の連結無し、最後尾はマイフ97といった編成です。
ナイロフ14号御料車の運用、新1号編成以前のお召し列車の編成またお世話になります。
14号御料車について、国賓用として使われていた印象の強い同車ですが、その際の編成や、一度しか使われなかった皇太子御乗車の際の編成の情報があればご教授願います。
私が調べたなかでは、フィリピン、インド、パキスタンの各要人が使用した記録があったのですが、どうやらこのほかの国の国賓も利用していたようで、興味のある次第です。
また、3代目1号御料車が登場する以前のお召し列車の編成や記録のある書籍を探しているのですが、こちらもなにか参考になるものはありますでしょうか。
仙コリRe12:マイネ40の片デッキ改造の時期とマロネ40への改番東ミハ様
片デッキ化改造済みのマイネ40についてですが、灯台下暗しで、手持ちの
画像を探したところ、片デッキ化改造済みのマイネ40 1(東シナ)の画像
がありまして、6号車の号車札が確認できました。
(著作権の関係でお見せ出来ませんが)
当時の各列車の編成表にて、マイネ40の連結位置を確認しますと、
「銀河」「霧島」「筑紫」は1号車であり、「早鞆」のみが6号車
となっているので、この画像は「早鞆」で使用されているマイネ40 1
という事で間違いないと思います。
仙コリRe11:マイネ40の片デッキ改造の時期とマロネ40への改番クモイ103様
またまたご指摘ありがとうございます。
情報源は鉄道公報を元にした資料なので、ご指摘の通りです。
宮原への転属が7月1日の格下げと同時でないと、宮原受け持ちでの
「彗星」と「西海」の運用とのつじつまが合いませんよね。
公報に掲載される情報と実際の事象の時間差については、まったく
考慮していなく、今回の件で大変勉強になりました。
鉄道公報の情報にまで手を出したのは今回が初めてで、勉強不足を
痛感しております。
今後もご教授いただければ幸いです。
長リハ様
「早鞆」の情報のご教示ありがとうございます。
列車名「早鞆」としてマイネ40を連結していた時期は9ヶ月と短く
編成記録の情報が見つからなかったため、大変助かります。
鉄道ピクトリアル514号は所有していないのですが、大変参考になる
資料のようですので、なんとか入手を試みてみたいと思います。
これで「片デッキ化改造済みのマイネ40」が5両存在し(全体の1/4)
「銀河」「霧島」「筑紫」「早鞆」すべての列車のマイネ40が、品川
の受け持ちである事が確定ですね。
あとは、元々の主題である「片デッキ化改造済みのマイネ40」の、
残り4両の車番と、使用列車の手掛かりがあれば良いのですが。
クモイ103Re10:マイネ40の片デッキ改造の時期とマロネ40への改番仙コリ様
マロネ40の転属情報ですが、もしや情報源は鉄道公報でしょうか?
公報に掲載される車両の新製、転属、改造といった異動の情報は、
早くて実際の事象の翌月、時には半年以上も遅れることがあります。
まず品川から宮原への6両(16〜21)の転属については、
大阪鉄道管理局報では11月6日大鉄達乙第4459号「車種形式変更」として、
東鉄のマイネ40が大鉄・ミハソのマロネ40になったとされていますので、
7月1日の格下げと同時に転属も行われたと思われます。
おそらく11月6日より少し前に公報に記事が出ていると思いますが、
残念ながら私の手元にはありません。
また、品川と宮原から竹下への計5両の転属については、
確かに昭和32年1月29日公報の総裁達第66号で、
東鉄と大鉄から門鉄への転属が記載されていますが、ここには
昭和31年11月19日の東海道本線全線電化に伴う時刻改正に対応した転属車
(例えばマシ35の3と12が東鉄→大鉄など)がずらりと載っていますので、
やはりこの改正に伴う転属が遅れて記載されたものと判断できます。
マロネ40を含む1等から2等へ格下げされた寝台車の動きについては、
ずいぶん昔に本サイトのリンク先「客車空気調和装置資料室」に、
「イネ格下げロネ 配置と運用の変遷」として載せて頂きましたが、
現在サイトにアクセスできなくなっていますね。
長リハ様
ご教示ありがとうございます。1989年7月号<特集>列車編成の記録ですね。
この号にはずいぶんお世話になっています。
マイネ→マロネ40 20は宮原転属組の1両ですが、
7月4日の時点では品川に残っていたのですね。
この7月以降、宮原では東京−大阪間急行[彗星]の全区間と、
東京−佐世保間急行[西海]の大阪−博多間にマロネ40を連結したので、
運用数は4両ですから、他の5両で何とか間に合ったのでしょう。
もっともこの時代、空気調和装置の信頼度はまだ低く、
保守に手を焼いていたという話もありますから、
宮原としては早くよこせと言いたい所だったかもしれませんね。
長リハRe9:マイネ40の片デッキ改造の時期とマロネ40への改番東ミハ様
仙コリ様
クモイ103 様
「早鞆」の編成記録は、昭和30年5月30日の大阪発1006レが鉄道ピクトリアル514号に掲載されています。
6号車 マイネ40 9 東シナ 東附101
また本文中に、
「大阪連結の客車は宮原操車場から吹田機関区のD51,D52などが引いてくる.
たとえば昭和30年7月4日(月)の2666列車は(中略)マイネ40 20(中略)で,
(中略)記号も等級帯もそのままであった」との記載もあります。